番外編 とある久敏の受難 1
すーひすが足りないと言われたので番外編です
多種多様な地球の神々は、頂点たるヴォルヴァドスが統べることで秩序を保ってきた。
……しかしその頂点は、異界へ侵攻したまま帰ってはこなかった。
頂点の、統治者の不在。
それは、地球の闇に跋扈する名状しがたきものどもを抑える楔の消失を意味する。
地球人類は、やがて知ることになるだろう。
自分たちの安寧が彼らの、喧喧囂囂たる怪物たちの上で保たれてきたのだと。
人類文明など、砂上の楼閣に過ぎないのだと。
†
「おかえりなさい! お風呂にする? ご飯にする? それとも……あ・た・し?」
「やめてくれ、ジンくんに殺される」
帰宅した久敏をエプロン姿の明香が出迎える。
二人は戸籍上は夫婦だが、その関係は偽装結婚である。故に互いに親愛友愛はあれど、夫婦としての愛や肉体関係は存在しない。
……なのでこうしてからかわれると、久敏はひじょーに反応に困るのだ。
「……向こうの世界とどう付き合うっかなぁ」
食事を済ませ、皿を洗いながら久敏はぽつりとそんなことを呟いた。
「そうねぇ、ぶっちゃけあたしとしては移住してもいいんだけど……久敏くんはそうもいかないもんねぇ?」
「こっちには仕事も家族も友人もいるからな」
「真面目ねぇ。けど、そういうところ嫌いじゃないよ」
頬杖をついて、明香は色っぽく久敏を肯定する。
それに……久敏は今の仕事に誇りを持っているのだ。
†
「これは……」
喧騒が街を包み、ざわめく大衆は『それ』へとスマホを向ける。
――飛び降り自殺。
司令を受け、翠川久敏巡査は現場の惨状を目の当たりにしていた。
ひどい悪臭だ。生臭さとも腐敗臭とも言えない、形容しがたくも鼻の奥にこびりつく強烈な臭い。
その遺体は道路標識によって真っ二つに切断され、血が、臓物が、そこらじゅうに飛び散っていた。
……しかし奇妙だったのは、切断された胴体の断面。
「はい皆さん離れてください!!!」
それから遺体はブルーシートに隠され、救急車両に回収されてゆく。散らばった破片も残らず回収し、そして久敏は警察官としての仕事をこなす。
現場検証にあれやこれ。ありとあらゆるデータを収集し、捜査の糧とする。
事件性の有無については検視やら諸々の後に明らかになるだろう。
「――新米ども。今日は俺の奢りだ、好きなだけ食え」
久敏の上司である巡査部長、園山は一仕事を終えた久敏を初めとする皆々にそんな事を言った。久敏のような新人がショッキングな現場に遭遇した時は、必ず奢るというのが彼の信条なのである。
「――で、奢ってもらってる身で言うのは憚られるんスけど……なんでよりにもよって焼き肉なんすか?」
あの肉片や臓物の散らばるショッキングな光景の後に焼き肉を食べるなど、嫌がらせか何かかと思ってしまう。
「俺らはああいう現場の後には焼き肉を食うと決めてんだ……理由はちゃんとある」
タバコ……ではなくタバコ型の駄菓子を咥え、園山は語る。
「お前らの鼻の奥にゃまだ、あの仏さんのきっつい臭いがこびりついているだろ? その臭いがついたままじゃ、数日はまともに飯なんて食えねーんだよ。だから、焼き肉の臭いで上書きしてやんのさ。そうすりゃ多少はマシになる」
「えぇ……マジすか」
「大マジだ。むしろ今は焼き肉以外は食わない方がいい。吐くぞ」
そんな園山の気遣いを知り、久敏たちはお店で焼き肉パーティーだ。
翌日に響かない程度にお酒を飲み、日頃のストレスを発散する。仕事のことなど一旦忘れ、美味しいものを食べて――
鼻の奥の臭いは燻されもう感じなくなった。
しかし……あの光景は――あの胴体の断面からこちらを覗き込んでいたのは……
「――あれに事件性はない」
「……え?」
パーティーを楽しめていない久敏の様子に、おもむろに断言する巡査部長。
「……詳しくはここでは言えねえ。だが、お前さんの悩んでるそれは考えてもどうにもならないことだ」
「……そうですか」
久敏はひとまず焼き肉を楽しみ悩むことはやめた。
……けれど、心の片隅にちらつく。
あの時――千切れた胴体の断面から、女の頭部が3つ、久敏を見つめていた。
――
翌日、久敏は休憩時間に園山に昨日の事を聞いてみた。
なぜ〝事件性はない〟と断言したのかについてを。
「……1本吸うか?」
「申し訳ないですが遠慮します。吸うと妻がひどく嫌がるので」
「はっ、煙草じゃねえよこいつは。ただの駄菓子だ」
そう言って園山は久敏に煙草そっくりな駄菓子を渡した。どこか懐かしいチョコ味だ。
「……このことはあまり外で喋るんじゃねえぞ。庁舎のトイレとかでも、個室ん中で記者が録音とかしてたりするからな」
そう言って、園山はゆっくりと語り始めた。
「――たまにあんだよ。ああいう〝人間の領分を超えた事件〟ってのは。俺も数年前別の県警にいた時に〝くりかみ事件〟ってのに携わってな」
「くりかみ事件?」
聞いたことがある。
ネット上で都市伝説のように語られている、真偽不明の事件である。
山奥の小さな村で、住民たちが次々に祟り殺されたという話だ。
それは奉っていた神ではない何かの仕業とされ、事件のあった日には村の神社は粉々に破壊されていたとも言われている。
まさかそれが実在したとは……しかもそれに園山が関わっていたとは。
「あれの犠牲者はな、外傷もないのに脳味噌が潰されてたんだ。っていうか……検視の写真を見たが……」
青ざめた顔で言葉に詰まる園山。
「ありゃあ明らかに……子供の手形だった。ガキが粘土みてえに、脳味噌をこねくり回して遊んだ痕みてえだった」
「……」
その話を久敏は自身でも驚くほど落ち着いて受け入れられていた。
5年前、異世界の神と地球の神の戦いというものに参加したりと、超常的なものを知っているからだろうか。
園山の語ったそれも、恐らくは神やそれに準ずる何かの仕業なのだろう。
「……前置きが長くなっちまったな。つまりは今回のアレも、同じく人の領分を超えた何かの仕業ってことだ。
そしてああいう異常な事件は上で必ず〝事件性なし〟と処理される」
園山は震える手で煙草型の菓子を取り出し、咥えた。
「……これだけは言っておくぞ。『深入りするな』。長生きしたけりゃ、定年退職したけりゃ、あれにあんまり関わるんじゃねえぞ? 俺らの管轄はあくまでも人間の起こすあれやこれなんだからな」
「忠告、痛み入ります」
「ははっ、お前この話を聞いても落ち着いてるたぁ肝が座ってんな。……まるでいくつもの修羅場を乗り越えてきたみたいな眼をしてやがる。だが今回ばかりは深入りすんなよ? お前さんは新婚なんだからな」
†
数日後、あれは単なる飛び降り自殺として処理され、新聞の片隅に小さく載った。
そして人々はそんなこともすぐに忘れ、元の日常へと戻る。
それから更に数日後。
警察官が立て続けに事故に遭ったり殉死する事案が発生した。それらの一部を久敏も対応したのだが……
犠牲者はみな、共に焼き肉を食べた同僚たちだったのだ。
強いて言えば、直接あの自殺現場に赴いた者たち。
そしてやはり、あった。
遺体はどれも腹部に大きな損傷があった。破裂した、あるいは千切れたような。
そしてその中に、身元不明の女の頭部3つが外を覗くように詰まっているのだ。
――次はお前だ
そう言われた気がした。
「翠川。……次の休み、お前をお祓いに連れて行く。お前もいつアレにやられるか分かったもんじゃない」
「園山さん……もし俺に何かあったら、明香さんを頼みます」
久敏は『朱雀の羽』という御守りを肌身離さず持っている。すーちゃんの魔力の込められた羽で、かつてヴォルヴァドスの化身を退けたこともあった。
もしアレが久敏を害しようとすれば、この羽が守ろうと働いてくれる可能性は高い。
しかしそれでも……。いざとなったら……コハクの力を借りるか?
コハクは今や神である。きっとこの一連の黒幕程度なら、何とかしてくれるかもしれない。
問題は、向こうの世界との連絡手段が無いこと。アイリスが連絡方法を作ろうと頑張っているようだが、間に合うとは思えない。
お祓いをすることでアレを退けられるなら、それに越したことはない。
そうして二人は小綺麗な神社にやってきた。ここに園山の信頼する霊媒師がいるのだという。
しかし
「――無理だね」
「はい?」
その巫女服姿の女は、久敏を見るなり開口一番にそう突き放した。見た目は二十歳そこそこだが、話し方や声は年期の入った凄味があった。
久敏は園山に知り合いの霊媒師の元へ連れられてきた。そして事情を説明するより先に、向こうから拒否されてしまっていた。
「いきなり辛辣ですな日蔵さん。そこをどうにかなりませんかな? こいつはいつ〝人の領分を超えた何か〟にやられるかわかったもんじゃないんだ」
「そんなものは一目見れば分かる。その上で『無理だ』って言ってんのさ」
肩をすくめて首を振る日蔵。その様子に園山は――
「……それでも、頼む……。あんた自身も危険だというのはよく理解している。それでもどうか……」
頭を地面に擦り付け、園山は懇願する。
「いいって園山さん。俺は最悪、自分でなんとかするから」
「はっ。いいだろう、本当なら門前払いしてやるところだが、やれることはやってやる。……あんた、名前は?」
「翠川久敏です。歳は23」
「そうかい。……その目、一体いくつの修羅場を乗り越えてきたんだか。早速だが、あんた今日は神社で泊まってきな」
†
久敏は神社のすぐ側にある、宿舎に泊まることになった。
こうなった経緯は全て明香に連絡済みであり、日蔵いわく今夜が勝負だという。
『先に言っておくけど、あたしがやるのはただの時間稼ぎでしかない。それで〝アレ〟があんたを狙うのに萎えて諦めてくれる事を祈る、ほぼほぼ失敗する作戦。後になってあーだこーだ言われてもあたしゃ知らないからね』
なんだかんだ悪態をつきながらも、日蔵はやれることはやってくれるそうだ。幸い園山は〝アレ〟に魅入られてはいないらしく、今日は帰れと言われ渋々帰宅していっていた。
……さて。
久敏が日蔵に言われたことは、2つ。
『何があっても外に出るな』
『何が訪ねてきても応えるな』
の二つだ。
――〝アレ〟が内側から発動する呪いだったら打つ手なしだったけどね、幸い〝マーキング〟した対象へ本体なり分霊なりを飛ばしていくタイプだろうねぇ。まあ致死率が100%から99.9%になった程度だろうけど。
……いかんせん〝アレ〟は力が強すぎる。
久敏は日蔵に渡された御守りを首に提げ、コンビニ弁当を貪り夜を待つ。
「すーちゃん……」
紅い羽を見つめ、久敏は祈った。どうか帰れますように、またすーちゃんと会えますように、と。
……尊もこんな気持ちだったのかな。
「ごめんください」
深夜0時を回った頃、何者かが訪ねてきた。
――チリン
日蔵が宿舎中に張った鈴の結界が、ゆらめきだす。
「参りました」
チリン、ちりん、ちりんちりんちりん……
「首を届けに参りました」
ちりんちりんちりん……ぶちっ
鈴の音がしなくなった。
「ごめんください」
ドンドンドン!!! ガチャガチャガチャ!!!!
何者かの声は抑揚がなく、しかし扉を叩きドアノブを回す音は、苛立っているかのようだった。
久敏は息を殺し、『それ』が去るのを待っていた。
みしっ……ぶちぶちっ
「っ!!!」
日蔵から貰った御守りが、音をたて引きちぎれた。
そして……
「参りました」
途端に扉を叩く音が止んだ。
代わりに、きいいぃと、甲高い音がした。それはまるで、扉を開くときの軋みのようで……
「参りました」
ぶつんっ
宿舎の電気が消えた。
そして闇の中、玄関から続く廊下を何かが走って来る。
どたどたどたっ
それは久敏のいる部屋の前でぴたりと止まった。そして、廊下と隔てる引き戸がゆっくりゆっくりと動いた。
「――助けて……」
久敏は眼を閉じ、紅い羽を握り締めて祈っていた。
どうか、奇蹟が起きますようにと。
死にたくない、と。
「ぎゃああああああああああああっっっ!!!!」
夜中の神社に断末魔がこだまする。
耳をつんざく甲高い悲鳴であった。
「……?」
久敏は恐る恐る眼を開けた。
そこには……
「すー、ちゃん……?」
久敏を守るかのように燃えたぎる翼で包み込み、鋭い鉤爪で喪服の女を握り潰す真っ赤な炎の巨鳥が部屋を埋め尽くしていた。
巨鳥の上半身は人間の少女のものに酷似しており、さしずめ半人半鳥と言えようか。
「会いに来たよ! ママ!!」
巨鳥は、あの頃と変わらない無垢な笑顔を久敏に向けた。




