第78話 蛇足
記録すら残っていないほど、遥かなる昔。
とある世界に飛来した界游魚は、何故かずいぶんと弱りきっていた。
本来ならばこの星を喰らい糧とするはずだったのだが、そんな捕食行為すらままならない程に衰弱していたのだ。
そうしてその名もなき界游魚は、星の中で休眠状態に入った。
数万年以上もの間眠り続け、やがて界游魚は星のエネルギーと同化するに至る。
意思も自我もなく、ただそこに在るだけの大いなる存在。
そんな意思なき星の神を、人類は『龍脈』と呼んだ。
龍脈は永い時の中で、数多の人々の営みを見てきた。
時として界游魚に近しい存在質の少女の中に宿ることもあった。
少女の五感を通して、龍脈は素晴らしきこの世界を感じてきた。
……龍脈には自我も意思もない。
けれど……。
ほんの僅かに、ほんの微かに……
あるはずのない心に『守りたい』という願いが、芽生えていた。
だからなのだろう。
龍脈がアイリスの遺志を汲み、そしてカリニャンを意思をもって選んだのは。
†
『何だ、その姿は……その力は?』
白く輝く星の意思を宿した獣の少女。
その大きさは機械仕掛けの神にさえ匹敵するほどに巨大で、身長は300mは下らないだろう。
白虎だったときの面影は残しつつも、その神々しさは比ではない。
巨大な光輪を背負い、まさに『太陽』のごとき存在感を放っていた。
「お姉さまが、アイリスさんが、みんなが力を貸してくれているんです。貴方を倒すために!!!」
『……やはり、貴様は危険だ。あまねく世界のためにここで完全に祓除してくれる』
機械仕掛けの神の腕に装備された2対の弓が、カリニャンへと引き絞られる。
身体の大きさこそヴォルヴァドスと同程度になったのものの、未だカリニャンの存在値は六千強。遠からずとも及ばない。
しかし『戦い』が成り立つ程度には差を埋めることはできた。
『〝穿て新星〟』
機械仕掛けの神は『消滅の神矢』をカリニャンの頭部へと放つ。
しかしカリニャンは、それらを全て逸らした。
そして矢の起動を曲げ逸らした先は、機械仕掛けの神自身。
『何!?』
数本の消滅の神矢が、機械仕掛けの神の物質的な肉体にいくつもの穴を空け貫通した。穴よりいくつもの歯車なような機構が露出し、そこから炎のような光るエネルギーが漏出している。
――これもカリニャンが降霊した〝節制〟の魔法少女の能力である。
節制の魔法少女の能力の真髄は『拒絶』である。様々な事象の進みを拒絶し、時として無力化させる。
先のカリニャンの負傷も、『傷の悪化』『治癒の阻害』という事象を拒絶したのである。
それを応用することで、消滅の神矢の軌道を逸らしたのだ。
『……やってくれるな』
「殺ってやりますよ」
炎の巨人の時とは違い、物理的な攻撃が通りやすい。ただその分防御力は桁違いであるが、今のカリニャンならばダメージを与えられる。
機械仕掛けの神に空けられた穴がめきめきと再生してゆく。
致命傷とは程遠い。
――幻影召喚
カリニャンの背後に、金色の巨大な『天秤』が顕現した。
天秤の右側には白い羽が、左側には黒い何かが乗っている。
ギギギギッ………
――ガコンッ
天秤が左側に傾いた。
すると、カリニャンの右手の中に金色の光でできた鉾のようなものが形成される。
それはもうひとつの『正義』の魔法少女の能力。
その天秤は、『罪』を量る。
殺人、略奪、強姦……対象の犯してきたありとあらゆる罪を秤に乗せ、そして算出された罪の重さに応じ術者に『断罪武器』が与えられる。
『断罪武器』は量った罪が重いほど、強力になる。
ヴォルヴァドスは世界を侵略しようとしたり、過去に行った無数の殺人、たくさんのプレイヤーへの殺人教唆など、人間ではあり得ないほどの罪を犯している。
更にカリニャンの【異端断罪】――罪を多く保有する相手にダメージ特効を発動する能力。
すべてのプレイヤーの存在値を取り込んだ今の機械仕掛けの神にとって、カリニャンは天敵とも呼べる存在と化していた。
『……っ!』
機械仕掛けの神の装備している弩が、4本の剣のような形状に変化する。
そして、馬の脚で一気に駆け距離を詰めカリニャンの懐へと潜り込む……。
しかし、その剣は虚空を斬るだけだった。
「はああああ!!!!」
カリニャンは跳んでいた。足元の街を踏み潰し、機械仕掛けの神の頭上を取った。
そして鉾を振りかぶり、脳天めがけて突き下ろす。
『甘いわ!!!』
機械仕掛けの神は、〝消滅の神剣〟でカリニャンの鉾を受け止める。
先の矢と同じ、触れるだけで消滅する必殺の剣である。
しかし、カリニャン持つの鉾は剣と拮抗し、消えることはなかった。
なぜならそれは、ヴォルヴァドス自身の〝罪〟だからだ。
〝罪〟が消えることは、決してない。
双方の力比べはギリギリと拮抗し、ついには機械仕掛けの神側が力負けし始めた。
しかし機械仕掛けの神は、そのまま後方へと飛び退いて辛うじて腕の犠牲のみで危機を脱する。
「次で仕留めます」
『……やってみろ』
カリニャンは再び鉾を振りかぶる。
そしてそのまま、蒼白い電気を帯びながら地面へと勢いよく突き立てた。
凄まじい爆風が周囲を包み、舞き上げられた瓦礫や砂埃が煙幕のように視界を遮った。
『目眩ましか。無駄な事を……』
機械仕掛けの神は視力に頼っていない。
そもそも人間の可視光以外も認識できるし、魔力を『見る』こともできる。
それ故カリニャンの行った目眩ましは、機械仕掛けの神にとって実に無意味な行為であった。
「はあっ!!」
砂埃の中で、カリニャンが再び地面に鉾を叩きつける。
大地はえぐれ、更に瓦礫が巻き上げられる。
『くどいな』
機械仕掛けの神は剣を弓に変え、カリニャンへと『消滅の神矢』を放つ。
再びカリニャンはそれの軌道を『逸らす』。
『くどいと言って――』
機械仕掛けの神が、装備している武器を切り替えたその瞬間……
その隙をカリニャンは見逃さなかった。
――ヴォルヴァドスは、生来より極めて強大な存在であった。
それ故に、戦闘経験は乏しい。
それが弱点である。
カリニャンは機械仕掛けの頭を掴み、地面に叩きつけた。
地に伏せ平伏するかのような機械仕掛けの神に、カリニャンは鉾を振りかぶった。
――カリニャンが何度か行った地面への攻撃。
それは、決して目眩ましなどではなかった。
【連練暴撃】
『力』の魔法少女の能力であり、その効果は『攻撃を空振りしない限り、当てた回数に応じて際限なく威力が増してゆく』というものだ。
3回。
カリニャンは3回、攻撃を積んでいる。
更に〝断罪武器〟〝異端断罪〟の効力が乗り、機械仕掛けの神にとってカリニャンはもはや一撃必殺を有する怪物と成っていた。
レベルの差は、もはや意味をなさない。
『これで終わりです!!!』
カリニャンは、神を殺すために鉾を振り下ろした。
《ファイル1 ロード完了》
カリニャンの目の前から、機械仕掛けの神の姿が消えていた。
それだけじゃない。持っていた鉾も無くなっていた。
『危うい所であった』
――しかしそれは『無かったこと』になった。
「なんで……」
カリニャンは声の聞こえた背後を振り返る。
そこには、消滅の神剣を握り残心をとる機械仕掛けの神の姿があった。
『セーブ&ロード』
ヴォルヴァドスが機械仕掛けの神となり、新たに得た力だ。
最後にセーブをした地点まで、時を戻しやり直すことができる。プレイヤーにとって馴染み深いものであった。
コハクだったら気づけたかもしれない。けれど、ゲームなんて知らないカリニャンは、その違和感に気づくことができなかった。
それが、敗因。
「そん、な……」
カリニャンの腹部に赤い線が走る。そしてゆっくりと、カリニャンの上半身と下半身が前後にずれた。
噴き出す真っ赤な血液が道路を洪水のように沈め、溢れ出した臓物がビルを圧し潰す。
カリニャンの上半身と下半身はそれぞれ反対側に地響きをたて街を潰し倒れた。
「こ、れほどの力でも……駄目、なんです、か……」
『愛とやらの力であったか。そんなものは錯覚、魂の余計なノイズでしかない。
貴様にトドメを刺したら、地球の民が愛などという余計な感情を抱かぬよう自由意思を消し去ろう』
「あな、たは……何も、わかっちゃいない……」
『これより仮初の世界ごと貴様を完全に消去する。
――〝双子の新星よ、契り交わり破滅の仔を成せ〟』
機械仕掛けの神の頭上に、蒼白い光を放つ丸い何かが二つ出現する。
それを衝突させることで、超破局的な天文現象『キロノヴァ』を引き起こそうとしているのだ。
もはやカリニャンに生き延びる術は残されていない。
――ごめんなさいお姉さま……。一緒に帰れそうにありません……。
きっとお姉さまなら笑って許してくれるでしょうか。
――それでも……わたしはまだ、死にたくない。
帰りたいっ……! 死にたくない……!!
「あ、あ、ああぁ……うあぁ……!」
――お父さん、お母さんっ……おじさん、おばさんっ……! みんな……誰か……
カリニャンは助けを求めた。
……
しかし誰も来なかった。
――ただお姉さまと暮らせるだけでよかったのに……。そんなささやかな願いも叶わないというんですか。嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ! お姉さまと一緒に帰りたい!!!!
カリニャンは願った。
……
しかしカリニャンの願いは闇へと吸い込まれていった。
――あぁ、これがいっそ全て悪い夢であればいいのに。
そうしたら、きっとお姉さまはうなされてるわたしを心配してくれて、それからまた「おはよう」って言ってくれて……。
どうか、目が覚めたら隣にお姉さまがいますように……
カリニャンは祈った。
……
『いいわよ』
カリニャンの祈りは、■■■の胸に届いた。
『これで最後ね』
チリン――
無明の闇は、優しく手を差し伸べた。
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