第77話 琥珀の太陽
『あんたもあたしを独りにするのね!!!』
『違うよお母さん、そんなつもりじゃ――』
『そうよ! わかったわ、さてはあたしを一人にして蜥蜴人に襲わせようっていうのね!!!』
話が通じない。
高校を卒業したら一人暮らしをしようという相談をするも、ヒステリーを起こして泣いて喚いて……。いつものことだ。
お母さんの気が落ち着くまで、耐えなくちゃ。それから我に帰ったお母さんともう一度ゆっくりと話し合おう。
……そんな古波蔵尊の思惑は、水泡に帰すことになる。
「やってやる! 蜥蜴人に売られる前にやってやる!!!!!」
「えっ――」
きっとその日はたまたま虫の居所が悪かったのだろう。
錯乱した母は、台所からほとんど使ったことのない包丁を握りしめ、尊の背中を一突きにした。
ほとんど即死だった。
カビ臭くて薄暗い部屋の中で、古波蔵尊の人生は終わりを迎えたのだ。
その後尊の母は、錯乱しながら風呂場で息子を鋸でバラバラに解体し、遠くの山奥のダムに投げ込んだ。
尊は、その様子をぼんやりと他人事のように眺めていた。
……あの時とは違う。
ここは熱いくらいに温かくて柔らかい。
冷たい水の底で一人きりじゃない。
世界一大好きな人に包まれて、その中で最期を迎えられる。
僕はきっと幸せ者なのだろう。
『安心してくださいお姉さま……絶対一緒に帰りますからね』
くぐもったカリニャンの優しい声が聞こえる。
僕は無責任だ。最後の最後にこんなわがままを聞いてもらって。
けど……。
そうだね。帰ろう、一緒に……あのお屋敷で……ずっと、ふたりで――
『おやすみなさい、お姉さま……』
おやすみ……僕の世界を照らしてくれた、僕だけの太陽――
そしてコハクの意識はカリニャンの奥深くへと吸い込まれ、穏やかに消えていった。
†
『おはようカリニャン』
『おやすみカリニャン』
『おはよ、カリニャン』
『おやすみ』
『おはよう……カリニャン』
『おやすみ……カリニャン』
『おはよ~、ふふふっ……』
『ふゎあ……おやすみ――』
「おやすみなさい、お姉さま……」
もう、わたしの胸の中からお姉さまに『おはよう』と言ってもらえる朝は来ない。
どくっ
あぁ……わたしのお腹の中で、お姉さまが眠りについてしまった。
お姉さまが死んでしまったら、こうなることはわかっていました。
だから崩れて風に浚われるくらいなら、わたしの中で眠らせてあげたかったんです。
お姉さまはこれからわたしの血となり肉となり、わたしの全身を駆け巡り続ける。
これからは何をする時もずっとずっと一緒。
けれど……それでも……
「おねぇっ……さま……」
……だめだめ、泣くのは後です。
わたしは涙を飲み込んで、最悪の敵と対峙する。
『我は――――救いもたらす者なり』
――――――
機械仕掛けの神
Lv:9999
――――――
――それは無数の摩天楼が融合し、半人半馬を形作った姿をしていた。
人型の上半身部分の両腕は2対あり、それぞれ弩のようなものを装備している。
その大きさは、体高だけで300mは下らないだろう。
「何が……何が〝救いもたらす者〟ですかっ!!! 独り善がりなんですよ!!!」
『救いには常に相応の犠牲がつきものだ。それがプレイヤーや貴様たちだった。ただそれだけの話である』
機械仕掛けの神は、カリニャンに両腕の弩の照準を合わせる。
――来る!
それは勘だった。カリニャンは全力で射角から体を翻した。
バツンッ
先ほどまでカリニャンが立っていた場所が、削り取られたかのように丸く消滅していた。
(……すーちゃんは恐らく、これでやられたんですね。……見るに吹き飛んだのとも違いますね。これは……〝消滅〟でしょうか?)
『裁きに抗うな。受け入れよ』
《ファイル1 セーブ中……》
(不可視の『消滅』の矢……。どんな防御もきっと意味を為しませんね。幸い回避はできるみたいですが……)
直撃すれば、今のカリニャンでも即死だろう。可能な限り、ではない。一発も当たらないつもりでやらなければ、一瞬でやられてしまう。
「高位雷撃魔弾!!」
魔力を練り上げ、カリニャンは特大の魔弾をおみまいする。
東京の街ひとつ、簡単に崩壊するほどの高威力の魔法だ。
『……その程度か』
当たった。直撃した。その摩天楼をいくつも重ね合わせた巨躯に。
しかし……効果は無い。
『〝穿て新星〟』
再び、カリニャンへと〝消滅の矢〟が放たれる。
カリニャンは獣のように四足で駆け、消滅の弾幕を回避。
しかし――
《ファイル1 ロード完了》
「なっ!?」
カリニャンの視界が、ぶれる。
たった今、カリニャンは走っていた。そのはずなのに、なぜか元の位置で直立不動のまま弩を向けられていた。
『〝動 く な〟』
「……!?」
カリニャンの動きを止められたのは、極一瞬。
即座に回避行動をとるが――
「ぐぅっ……!?」
カリニャンの左腕の肘から手首までが抉られたように消滅していた。
白かった毛並みは傷口から噴き出し滴る血によって真っ赤に染められ、表情は苦悶に歪む。
「~~ッ!」
部位欠損すらものともしないカリニャンの【自己再生】が、なぜか発動しない。
コハクの傷がそうであったように、カリニャンにつけられた傷もスキルの効力を打ち消され、治癒ができなくなっていた。
――痛いのは嫌だ。
本当は戦うのだって好きじゃない。
お姉さまの側にいられるだけで、ただそれだけでよかったのに。
『貴様の力は他の世界の脅威になり得る。故にここで徹底的に消し去ってくれよう』
「どのっ……口がっ!!!」
カリニャンへ畳み掛けるように矢を射り乱れる、機械仕掛けの神。
打ち消せない、触れるだけで消滅する弾幕がカリニャンへ襲いかかる。今度は避けられないよう、より広い範囲へと撃ち込む。
ただでさえ壊滅状態だった東京は、まるで貪り喰われたかのようにあちこちが抉り消えていた。
『……む?』
避けられるはずがない弾幕。
しかし、土煙の中でカリニャンは立ち上がった。
『どういうことだ……?』
当たれば即死の矢を、回避不可能な密度で放ったはず。どうやって生き延びたのだというのか。
『……ほう?』
ヴォルヴァドスは気がついた。カリニャンの立つ地面だけ、他よりも抉れていないことに。
防いだのではない、何らかの方法で〝消滅の神矢〟を逸らしたのだ。
「これ、は……?」
カリニャンの千切れた左腕の断面に、なにやら緑色の布状のものが貼り付いていた。
――それはおおきな絆創膏であった。
するとそこから、左腕が元通りに生えてゆく。
「お姉、さま……?」
――幻影召喚【待ち人の願い】
かつて『節制』の魔法少女が持っていた能力のひとつだ。
カリニャンは現在、コハクの持っていた幻影召喚を継承している。
ただし呼び出せるのはコハクが喚んでい者たちとは別の存在の力である。
――カリニャンが先ほど飲み込んだコハクの骸は、体内へ完全に吸収され血液に乗りその身体の隅々へと行き渡っている。
「力を貸してください、お姉さま……!」
カリニャンの身体に力が満ち溢れる。
強く眩く輝き照らし、まるで太陽のように東京の夜空を昼間のように染める。
その光はどんどんと大きく膨れ上がってゆき、やがてはビルすら飲み込むほどに巨大なエネルギーの塊となっていた。
カリニャンが継承したのはコハクの力だけではない。
アイリスの遺志が、カリニャンに龍脈を宿らせたのだ。
それだけではない。龍脈は求めたのだ、新たな宿主を。そして、意思なきはずの龍脈はカリニャンに全てを託した。
――その少女は、神を名乗る者に全てを奪われた。
家族も、仲間も、友達も、愛する人も。
今まさに、自身の命も世界すらも奪われようとしている。
……そんなのお断りだ。
認めない。わたしたちから全てを奪って安寧を得ようとする神なんか、わたしが弑してやる。
認めない。
認めてなるものか。
否定してやる。
――彼女は成った。
〝『太陽』の魔法少女〟――に。
■■■の寵愛を受けている上に、龍脈の次の宿主に選ばれたカリニャンがこうなる事はなんら不思議ではなかった。
しかしとある世界で多く発生していた他の魔法少女たちと比較すると、それはかなり特殊で歪な存在ではあった。
無明の闇より■■■はカリニャンを優しく見守っている。
――――――
称号:黄泉を照らす者
呼称名 カリニャン
Lv:6921
――――――