第72話 君たちのためなら
『――NPCなんかじゃない!』
獣の神の少女の叫びは、地球の人々の心に確かに届いた。
ゲームではなく、現実。ここは本物の世界なのだ。
もしも〝そういう設定〟だったとしても、今は――
地球の人々の祈りが、コハクの力になる。
カリニャンの叫びが、間接的にヴォルヴァドスを追い詰める。
†
『この、我が……』
実体なきハズのヴォルヴァドスの体が、『KEEP OUT』と書かれた黄色のテープを境に真っ二つに両断されていた。
彼岸の勇者による不可侵の境界が可視化したものだ。
まだヴォルヴァドスは死んではいない。……だが、ソリトゥスの一撃により大幅に生命力を削る事に成功した。
『今じゃ!!』
アイリスがその巨体でヴォルヴァドスへと突撃する。
体には冷気や雷といった確固たる干渉力を持った魔法と虹の膜を纏い、ヴォルヴァドスを屠らんとその炎に噛みついた。
そしてアイリスが動きを止めている隙に、魔法少女たちが一斉にヴォルヴァドスへと迫る。
日車の光が、星の盾が、ソリトゥスの境界を定義する刃が。
神をも殺せる攻撃たちが、蕃神に牙を剥く。
『オォォォォォ!!!!』
ヴォルヴァドスも黙ってはいない。
ソリトゥスの不可侵に近しい多次元の結界を生成し、攻撃を防ごうと試みた。
多次元結界は絶対防御と言っても過言ではない。空間の連続性を絶つことで実現する結界だ。
故にどれほど強力な攻撃も、多次元結界を突破することは叶わない……ハズだった。
彼岸の勇者の境界を定義する斬撃は、逆に存在する境界そのものを否定することもできる。
彼女にとって多次元結界は、脆い紙切れ同然に切り裂けるのであった。
『……!』
あっけなく切り裂かれた多次元結界を前に、ヴォルヴァドスは〝奥の手〟の一つを発動させる。
『――〝世界よ分断せよ〟!!!』
「!? しまっ――」
ヴォルヴァドスの〝命令〟を認識したと同時に、コハクは闇の中へと吸い込まれていった。
そしてソリトゥスの刃は、虚しく空を斬るのであった。
外なる闇。
世界と世界の狭間に満ちる、無明なる虚空の海。
そこにヴォルヴァドスは、決戦の舞台として仮初の世界を創造した。
地球に存在する『東京』と呼ばれる都市を模した小さな世界。
それとは別にもうひとつ。万が一己が追い込まれる事があった場合に避難する、もうひとつの小さな小さな世界。
陽の光が眩しい。真夜中だったはずの世界が、真昼のように陽光が射し込み雲一つ無い青空が眩しい。
そこは東京ではなく、山の近い町であった。ここも恐らくはヴォルヴァドスが地球の何処かを模して作ったのだろう。
ただコハクは、ここが地球の何処なのかを知っていた。
東京のものほどではないが、それなりに大きな駅前通り……。
有名なハンバーガーチェーン店横の路地の前には、〝お洒落横丁〟と記された看板が立てられている。
その側に停まっている赤いバスは、〝箱根登山バス〟と書かれている。
そしてバスターミナル越しに見える、大きな和風の〝城〟。
ここは――
「小田原駅……?」
かつて久敏とよく訪れた、思い出深い街。
そんな駅前の遥か上空に、太陽のように爛々と輝く上半身だけの炎の巨人が浮かんでいる。
『〝癒えなさい〟』
そう〝命令〟すると、炎の巨人の炎の勢いが更に増し下半身らしき部位が生成されてゆく。
いや、癒えたのだ。
アイリスや魔法少女たちと共に与えたダメージが、完全に回復してしまったのである。
「しまったな……」
この場所へ連れて来られたのはコハクだけ。アイリスはもちろん他の魔法少女たちとも隔離されてしまった。
『地球最高神格であるこの我をここまで追い詰めたこと、褒めて遣わそう。今一度問おう。我の眷属となる気はないか?』
「無いよ。地球だって嫌いじゃないけど、僕はもうあの世界の住民じゃない。僕は僕らの世界を守らせてもらう」
『……そうか。ならば抗ってみせよ』
……召喚可能な魔法少女はあと2体。
その内の一体である祝福の簒奪者は、実体のないヴォルヴァドスとは相性が悪い。まして単体で相手取るには荷が重い。
とはいえもう一体の魔法少女を召喚するには、先にアナテマを喚ぶ必要がある。
コスト無制限の魔法少女召喚は、召喚可能になった順にしか喚べないという欠点があった。
「……やるしかないか。
〝貪り喰らえ、星も使命さえも〟――
『祝福の簒奪者』」
瞼を針金で縫い付けられた、黒い軍服風のロリータを纏った少女が舞い降りる。
「本当は彼岸の勇者と連携してほしかった所だけど……ごめん、しばらく一人でアレを任せる」
アナテマはこくりと頷くと、駅ビルの屋上まで飛び上がりヴォルヴァドスに機関銃を向ける。
――相性は悪い。
が、有効打が無い訳ではない。むしろヴォルヴァドスへの〝とどめ〟は彼女に任せるつもりでもいたのだ。
〝魔弾の射手〟による7発の『致命の弾丸』は、恐らくはヴォルヴァドスにすら致命傷を与えうる、あるいは仕留めうる可能性があると見ていた。
……愛染の舞踏姫によるレベルの強化が続いている以上、この場所は位相としてはそこまで離れていないのだろう。
世界すら切り裂く彼岸の勇者やアイリスが、助けに来る可能性はある。
ただそれまで……
『〝降り注げ、流星よ〟』
耐えなければならない。
「アナテマ!」
『……!』
コハクはヴォルヴァドスの巨体をまるごと血の網で包み込んだ。
そしてそこへアナテマがありったけの数召喚したありとあらゆる銃火器の嵐をお見舞いする。
まるで雨のように銃弾が降り注ぎ、ヴォルヴァドスの銀の霞や炎の体を掻き消してゆく。
『……痒いな』
「なら痒さもどうでもよくなる痛みをくれてやるよ!!! 広域氷結魔撃!!!」
ヴォルヴァドスを包む血の絹糸が透き通る水晶のような結晶となる。
その内側のありとあらゆる物質やエネルギーに至るものまでが、その運動を停止した。
それは魔力も例外ではない。
物質的・魔力的の両方の『絶対零度』がそこには実現されていた。
『これ、は……!』
ヴォルヴァドスに肉体や実体は存在しない。
見ての通り、流動し発散されるエネルギーそのものがその体なのだ。
故に、エネルギーを停止させるというこの術式はヴォルヴァドスにとっての弱点であった。
「どうやらこれが弱点みたいだね」
『……』
目があれば憎々しげに睨み付けているであろうヴォルヴァドスを見据え、コハクは薄ら笑いを浮かべる。
依然として、上空より流星が迫ってきている。あと数秒もすればコハクはアルバの防御のないままにそれらを食らい、無事では済まないであろう。
……が、それは不確定な未来の話だ。
コハクに意識を向けていたヴォルヴァドスの揺らめく炎の体に、黒い弾丸が3発撃ち込まれる。
『……っ!?』
エネルギーを削られる感覚とは違う、明確な神核を穿たれる痛み。
それは幾万の年月を生きてきたヴォルヴァドスにとって、初めて己の『死』を認識させるものだった。
『っ……! 〝吹き飛びなさい!!〟』
それは苦し紛れに、己を害する確かな〝敵〟を遠ざける為に放った『拒絶』。
ヴォルヴァドスの命令により世界そのものが引き起こした斥力。それは小田原の街並みを弾きあっけなく崩壊させる。
駅舎は湿気た煎餅のように砕かれ、小田原城はまるで枯れ枝のように崩れ散っていった。
それによりコハクとアナテマは、遥か遥か彼方へと吹き飛ばされていた。
方角は小田原からはるか南西。
クレーターを生じさせながら受け身を取り着地したコハクは辺りを見渡す。
「ここは……そうか。神様と戦っててここに飛ばされるなんて、運命を感じるね」
蒼く澄み渡る水平線は凪ぎ、心地のよい風が吹き抜ける。
海の上の絶景、知る人ぞ知る県境の秘境。
かつては米神と呼ばれ、今は根府川と呼ばれる海辺の集落であった。
コハクは昔、親友の久敏に連れられてここで夏を過ごした思い出がある。
これから決着がついてヒスイと別れる前にここへ来れたのは、偶然とはいえヴォルヴァドスに感謝すらしてしまう。
「さて……。隠れて遠くからちくちく僕らに攻撃すればいいのに、それをしないのはプライドからかな? 神様さん?」
『これから殺める世界の守護者の覚悟を真正面より受け止めぬのは、神としての矜持が許さぬのだ』
「よく言うよ。まあいいや、次で僕が出せる手札は最後だから。これを乗り気ったら君の勝ちだよ」
天空より見下ろす炎の巨人は知らないだろう。
人の愛の力を。
愛と呼ばれる狂気が如何に世界を変えるのか。人を狂わせるのか。
【ついに来るのか? コハクちゃんの奥の手が……】
【最後の魔法少女……だっけ。今までの配信ではほとんど触れてこなかったけど】
【負けるなよ、また白獣姫ちゃんとイチャイチャしてくれ】
【地球の神様だかなんだか知らないけど、余計なお世話なんだよ。余計なお世Wi-Fi】
【頑張れ。世界のために】
愛染の舞踏姫の力による『愛』によるレベルの上昇値は、既に次の魔法少女の召喚が可能となっていた。
(……力を、貸して)
コハクは胸の前でぎゅっと拳を握りしめ、決意を抱いた。
――嗚呼、これよりコハクは『最後の魔法少女』を召喚する。両の手の甲を合わせ、彼女の姿を思い浮かべる。
「〝踊り明かして〟――――――」
――その少女は贋物だった。
愛の代用品だった。
もがき足掻き、自由になろうと本物になろうと手を伸ばした。
けれども己を吊るし操る糸が邪魔で、うまく伸ばせない。誰もその糸にまみれた手を取ってはくれなかった。
どうして人は愛なんてものを欲するのか。
その理由すら見失って、ただの人形に成り果てかけたとき。
……初めて手を取ってくれる友達が現れた。
初めての友達は、少女を自由にしてくれた。
自由となった少女は、今一度願う。
――君たちのためなら、再び操り人形になっても構わない……と。
それこそが、『吊るされた者』であり『愚者』の魔法少女――
そしてコハクが最後に喚ぶ友達の――
「――――『空虚なる道化』」




