閑話 ある日の二人
カリニャンの中に眠る、アイリスの魂のカケラ。
龍脈の一部と言い換えることもでき、それは嘗ての龍神アイリスの力を分けたものである。
『それではゆくぞ?』
「は、はいっ!!」
アイリスが座り込んだカリニャンの胸に手を当てる。
カリニャンの身長やら大きな脂肪やらで色々と難儀していたようだが、頑張って心臓の上に手のひらを翳していた。
傍らではコハクがその様子を見守っている。
カリニャンの中にあるアイリスのカケラ。
これを取り出しても、カリニャン自身には何の影響もない。
言うなれば真珠のような、カリニャン自身にとっても異物に近しいものなのだ。
アイリスはゆっくりとカリニャンの魂の中を探る。己の欠片を見つけ出すべく、ゆっくりとゆっくりと。
『む……?』
アイリスは欠片を見つけたのと同時に、カリニャンの魂の内に何か別のものがあるのを感じ取った。
それはアイリスのカケラにも似た、それでいてアイリスのものではない別のナニか。
ただ、これが危険なものではない――と、半ば勘だがアイリスは判断した。
そもそもこれをどうこうしたらカリニャンにどんな影響があるかも分からない。
今このことを伝える必要はないだろう。
そうしてアイリスは、龍脈のカケラをカリニャンの内から時間をかけて引き出した。
――それは、白く輝く尊き勾玉。
カリニャンの中にあったアイリスの魂その一部である。
勾玉はそのままアイリスの胸の中へと吸い込まれるようにして消えていった。
「これで妾が分けた全ての魂が戻った。あとは肉体に定着するだけじゃ」
「それが1番時間がかかるんでしたっけ?」
『うむ。二月ほどのお別れじゃ。その間は任せるぞ?』
己のものとはいえ、仮にも数百年前の死体。それに魂を定着させ、生命活動を再開させるのは至難の業だ。
記録した情報を元に肉体を再構築する神獣の〝保険〟とは、異なるのである。
アイリスは死した『玄武』『青龍』の二体も共に、二月後同じタイミングで復活させるつもりだ。
『皆のもの! しばしの別れじゃ』
一行への挨拶も後々への準備も完了させ、そしてアイリスは己の肉体を魔力の繭で包み込み同化を始めるのであった。
*
アイリスが眠りについてから数日。
コハクとカリニャンは、穏やかな日常を享受していた。
もちろん決戦に向けて鍛練は欠かさない。
けれども……花を愛で、茶を嗜み、談笑する。
ほんの一時の平穏を、二人は心の底から噛みしめていた。
けれども、その平穏が覆される出来事が起こった。
発端はアイリスの件より1週間。
朝から何かカリニャンの様子がおかしい事であった。
「カリニャン……? どうしたの?」
「……っ! な、なんでもありません……」
普段は率先して屋敷に住んでいる全員ぶんの朝食を作っているのだが、ぼーっとしていて朝食どころか家事さえおぼつかない。
風邪でも引いたのだろうか?
コハクはそんな事を思った。
神獣が風邪を引くかどうかは謎であるが。
「たまには僕たちがやるよ。カリニャンはゆっくり休んでて?」
「うぅ……ごめんなさい」
「いいよいいよ、こういうこともあるって事でね」
その日はジンとログインしていたメノウと共に、屋敷の掃除や食事の用意をこなしていた。
「……」
ジンはカリニャンの不調について何か知っているのか、ばつが悪そうにしていた。
しかしコハクはそれに気づくことなく、今夜もカリニャンと共に同じベッドで並んで眠る。
「ふぅ……ふぅ……ダメ……ガマン、しなきゃ……」
凄い熱だ。
カリニャンの体全体が火照っており、汗に濡れたふわふわの毛は、ところどころが束になっていた。
カリニャンは昼間よりも辛そうだった。
コハクはそんなカリニャンの頭を撫でたりして、少しでも気が紛れるように祈る。
そして何事もなく翌朝が訪れる。
今日はヒスイがログインする日。
「おっはよーコハク~!」
その水色の髪の少女は、カリニャンとコハクの部屋をがちゃりと開けて軽やかに挨拶をかます。
そして、カリニャンのその様子を見て少し後悔するのであった。
「うぅっ……お、はようです……ヒスイさん」
「おはようヒスイ」
明らかにぐったりしたカリニャンと、その側にじっと佇むコハク。
そしてヒスイは一瞬でカリニャンの身に起きている異常を察した。
「あー……なるほどね、そろそろだったか。あー……」
ヒスイは過去にも何度か、カリニャンのこの症状を見たことがある。
コハクがまだ目を覚ます前の事だ。あの時は1週間ほどで収まったようだったが、その間はとても辛そうだった。
だがヒスイは知っている。
これが病気などではなく、カリニャンの体にとって単なる生理現象であることを。
ただ、ものすごーく言いにくい。
カリニャン本人がコハクに説明するつもりがないようだが、このまま放置する訳にもいかない。
「ちょっと廊下来いコハク。……話がある」
「どうしたのヒスイ? またヴォルヴァドス関連で何かあった?」
「ちげーよ。カリニャンちゃんの容態の事だ」
「何か知ってるの?! 昨日からすごく具合が悪くて心配だったんだ」
全てを知っているヒスイと、無垢なコハク。
言いづらい。この上なく言いづらい。
だが、言わなければならない。
「ものすごく言いにくいんだが……カリニャンちゃんは病気じゃないんだ」
「えっ!? じゃああれは一体何なの……? 病気以外であんなのあり得ないと思うんだけど……」
「それでも病気じゃあないんだ。体が起こす生理現象。あの獣の姿になってから半年に一回くらいなるらしい」
「それって一体……。……あ」
そこでコハクは、気づいてしまった。
――発情期か
と。
「それで……どうするんだ?」
「僕は……」
カリニャンがコハクに対して恋愛感情を抱いているのは周知の事実だ。
コハクもカリニャンに対して同じ気持ちである。
だからこそである。
虎の発情期はおよそ10日。
コハクはその間、ずっとカリニャンの側にいられるのか?
コハクの体は保つのか?
様々な懸念が胸に過る。
けれど、コハクの中に選択肢はない。
「ヒスイ、教えてくれてありがと」
「そうか。……まあ、無茶はするなよ」
これ以上はヒスイが踏み込める領域ではない。
ヒスイはただ、コハクの選択を見守るしかないのであった。
*
「カリニャン、大丈夫?」
「おねぇ、さま……」
ベッドの上で布団にまみれながらうずくまる白い毛玉に、コハクはそっと声をかける。
すると、白い大きな毛玉がゆっくりとコハクの方へともぞもぞ移動する。
カリニャンは、毛皮の上からも地肌が分かるほど頬を紅く染め、瞳はずいぶんと濡れていた。
「カリニャン……。僕はカリニャンの気持ちを尊重するよ。だから、遠慮しないでいいからね」
「お姉さま……ダメなんですっ……、わたしが我慢をやめたら、お姉さまの事を壊しちゃうっ……! お姉さまにひどいことをしちゃうんです!!」
「それでも……僕はカリニャンが大事だから……。こんなに苦しんでいるのを見て、何もしないではいられないんだよ」
カリニャンの大きな人差し指を握って、コハクはじっとカリニャンの眼を覗きこむ。
あの快活なカリニャンが、ここまで扇情的な眼差しをするなんてコハクにとっては初めての経験であった。
『――尊っ! ベランダで遊んでなさい!』
その時、コハクの脳裏に母親の記憶が蘇る。
まだ幼かった自分が、ベランダに追い出されたあの時の。
指先の感覚さえ冷えて感じられない、真冬の夜の光景。
母は暖房の効いた寝室で、見知らぬ男の人と温もりを分け合っていた。
母の胸が歪む。
母の甘ったるい声が響く。
それが今も焼き付いて離れない、呪いの記憶。
「お姉さま……?」
「だ、大丈夫。何でもないから……」
分かっている。
カリニャンはあの母とは違うのだと。
それでもなお、コハクの意識はどこか遠くに置き去りにされたかのようにぬかるんで動けない。
「お、お姉さまっ――!」
カリニャンは崩れそうになるコハクを捕まえ、そのまま抱き締めた。
「カリ、ニャン……?」
「お姉さまっ……わたし……お姉さまを傷つけたくなくて……」
カリニャンは母じゃない。
――そうだ
〝お姉さま〟って呼んでくれる、可愛いメイドさんで妹分じゃないか。
そうだ、そうだ、そうだ。
お母さんじゃない。
――恋人なんだ。
「カリニャン……これから何をするにしても、僕はカリニャンの気持ちを尊重するからね」
「お姉さま……」
そのまま二人は、いつも眠る時のように抱きしめ合う。
ただ、いつもとは違う。
カリニャンの体は熱くて汗が滲んでいて、やはり辛そうにしていた。
コハクはそんなカリニャンにいつもよりも強く抱きしめられて、両腕だけでなく両足でもがっちりとホールドされている。
――圧倒的体格差
コハクの身体はカリニャンの片脚よりも細く、そして身長も股にも届かない程度しかない。
コハクと……大好きなお姉さまと交わりたいと、本能が叫んでいる。
しかし同時に〝お姉さまを傷つけたくない〟という気持ちもまた本心である。
「ふぅっ……ふぅっ……」
コハクの小さな身体を抱きしめて、カリニャンは浅い呼吸を小さく刻む。
ただ抱きしめて、抱きしめて、ずうっと抱きしめるだけ。
それ以上のことはしない。
今までの発情期だって一人で耐えてきたのだ。今回だってきっと大丈夫。
コハクもそれに何か言うことはない。
ただ暑く蒸れた毛皮に埋もれ、最愛の獣の鼓動と温もりと香りに小さな身を委ねるのであった。
気が向いたら完結後にカリこはのノクターン投稿するかもしれません




