第58話 ある魔法少女の祈り
絶対零度。
音さえ伝わらぬ、真空の世界。
彼岸の勇者は絶対的な『温度』に閉じ込められてしまった。
『けひっ、ひひひっ、わら、わのかち、じゃ』
歪に嗤うは、アイリスの肉体を乗っ取ったヴォルヴァドスの化身――骸の龍神。
骸の龍神は、彼岸の勇者を閉じ込めた絶対零度の結界を、その巨大な尾で粉砕した。
一番の邪魔者である彼岸の勇者は倒した。
ならば次に狙うはカリニャンとコハクである。
コハクは幻影召喚により大幅弱体化している。なので小さな蝙蝠の姿となり、カリニャンの胸の谷間に隠れている。
そしてカリニャンは、一連の戦闘に巻き込まれないようはるか遠くから見守っていた。
しかし、骸の龍神はカリニャンを即座に発見すると、確実に叩き潰すべくその巨体を泳がせ追いかける。
「お姉さまっ! 大変です、こっちに来ます!!!」
「……だい、じょうぶ。まだ……彼岸の勇者は――」
夜の帳はまだ世界を覆ったまま。
それが意味することは――
『――三式〝幻月〟』
『!?』
骸の龍神の脇を、蒼い光が抉りとった。
完全な不意の一撃であった。
蒼い光。その正体。
それは、全くの無傷の彼岸の勇者であった。
「どういうことですお姉さま?」
「彼岸の勇者は……複数の技能を持ってる。これはその内の一つ――」
月光を宿し魔を祓う武器を召喚する『一式〝月影〟』
月影の複製品を大量に造り出し、操る『二式〝月天心〟』
そして――『三式〝幻月〟』
その技能は〝自身の遍在〟である。
質量を持った残像を造り出す――厳密には、全てが本体の分身を造る能力だ。分身らは意識や記憶も共有し、思考能力のみそれぞれに分割している。
蛇足だが、これと同系統の力はとある世界では〝並列存在〟と呼ばれていた。
――つまるところ骸の龍神が破壊したのは、彼岸の勇者の分身のひとつに過ぎなかったのである。
もっとも、破壊された分身の魔力や記憶は他の彼岸の勇者に還元され、消えることはない。
『お、おぉ? ひひひひ……人の、分際で、妾ををををたおっ、せると?』
骸の龍神はアイリスの声で挑発のようなうわ言のような言葉を吐き出す。
対する彼岸の勇者は、一人、二人、三人……いつの間にかいくつにも数を増やしていた。そして骸の龍神を包囲し、刀を突きつける。
骸の龍神による絶対零度の攻撃は、あくまで彼岸の勇者を閉じ込めた結界という限定的なものである。
広範囲に渡って絶対零度、あるいは準じるほどの冷却を行った場合、物質による肉体を持つ自身への影響も大きい。
故に骸の龍神は大気の冷却を解除した。
それに伴い、強力な気流が砂漠に発生する。続けて発動させるは、別の魔法。
「雨……?」
夜の砂漠に雨が降る。
バケツをひっくり返したような、強烈な雷雨であった。
ただしそれは、決して恵みの雨ではない。
――雷雨。
カリニャンの〝霹靂〟の発動には、対象をカリニャン自身が触れる必要があった。
骸の龍神が行っているのはそれの上位互換――
『――〝万雷〟』
全ての彼岸の勇者へと、白い雷轟が迸る。
雨水を介して陽電荷を与え、稲妻を必中させる。
自然界では起こり得ない現象だが、魔力という概念があれば可能な攻撃である。
数億ボルトという雷撃を受けた彼岸の勇者たちは、一瞬怯んだそぶりは見せたものの、どうやら雷では決定打となっていないようだった。彼女の耐久力は落雷をも耐えるほどである。
しかし、幻影召喚のタイムリミットが迫っている。
次の攻撃で決着をつけなければならない。
『〝陽炎〟』
『〝稲妻〟』
『〝水の月〟――』
彼岸の勇者たちが詠唱を始める。
何か大技を放とうとしている――と睨んだ骸の龍神は、中断させるべく雷を纏い超音速の体当たりをかます。
――だが、既に骸の龍神は彼岸の勇者の術中だった。
『な、なな、んじゃぁ?』
超音速の体当たりで彼岸の勇者たちを吹き飛ばさんとしていた骸の龍神の身体が、ピタリと静止する。
それどころか、そこからまるで縫い付けられたかのように動けなくなってしまう。
見やると彼岸の勇者たちは、手に刀ではなく弓のようなものを構えていた。
これは〝月影・弦月〟という、弓形態の一式である。
そこから放たれた矢の軌跡が、まるで鎖のように骸の龍神の体に絡み付き、動きを封じていた。
『〝氷輪〟』
『〝幽明〟』
『〝空の鏡〟――』
詠唱が完了した。
彼岸の勇者が発動させようとしているものは、世界そのものに干渉する力。
『盈式――
――〝鏡花水月〟』
〝彼岸の勇者〟
彼女が〝彼岸〟と呼ばれし由縁。
それは、『境界』を造り出す能力にある。
『……』
彼岸の勇者の分身たちが、骸の龍神の頭部の前に浮かぶ一人を残して消える。
そして残った彼岸の勇者は、煌々と輝く月影の太刀を龍の眉間へ振り下ろした。
『が、ぎいぃぃぃぃぃ!!? いああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!』
龍の断末魔が夜の帳の中に響き渡る。
骸の龍神の額の核に、一条の傷が刻まれていた。
【盈式〝鏡花水月〟】
その権能は『境界』を造り出すというもの。
世界に不可侵の隔たりを産み、分断する。
それは、越えることのできない線を作り出し、その空間に存在するものを世界もろとも断ち切る。
まるで鏡面のように。見えるのに触れられぬ、決して届かぬ境界を定義する。
『お、おおぉぉぉぉ!!!!?』
まだ辛うじて動ける骸の龍神。
しかし彼岸の勇者は、追撃をやめることはない。
『がっ……!?』
彼岸の勇者の一太刀が、骸の龍神の額の白い核を粉々に切り刻んだ。
――それは、神にさえ届きうる剣技。
いかなる硬度も実体なきものであろうとも、鏡花水月の前には紙切れのように切り裂かれる。
ただし盈式の発動には条件がある。
月齢に左右されるのだ。
満月時には無条件で使用可能だが、それ以外の時は『月詠』の詠唱に加え月齢に応じた一定の時間、月光を身に浴び続けなければならない。
タイムリミットギリギリの戦いであった。
――余談だが、『アイリスの肉体を可能な限り傷つけない』という条件がなければ、そのまま一撃で三枚に卸してしまうことも可能であった。
つまるところ彼岸の勇者は、骸とはいえ神を相手に手加減していたのである。
『……』
残心を残しつつも彼岸の勇者は、はるか遠くのカリニャンとコハクへと視線を向ける。
――〝勝ったよ〟
とでも言うように。
その背後で骸の龍神の巨体が、ばらばらと灰色の塵となって崩壊してゆく。
それと同時に、彼岸の勇者の体も光の粒子となって消滅してゆく。
召喚可能時間が終了したのだ。
―――
称号:『月』の魔法少女
名称:彼岸の勇者・幻影体
Lv:760
―――
*
――彼岸の勇者と呼ばれし少女は目を覚ます。
夢の世界の出来事はあまり覚えていないが、なぜだか少し懐かしいことを思い出していた。
「お姉ちゃん? どうかしたの?」
「ふふ……なんでもないよ?」
なんということもない暖かな日常。
彼女たちが勝ち取りし平和な世界。
もうなんの心配もいらないはずなのに、突然戦いの日々を思い出して胸が高鳴り仕方がない。
同時に、なぜだかあのことが頭から離れない。
――嘗て交わした〝死神〟との契約を。
死神との契約は既に履行済み。
今さら何かある訳でもない。
けれどひょっとしたら、今も〝死神〟が何処かの世界で……
彼岸の勇者と呼ばれし少女は、祈った。
遠い世界の名前も知らない誰かのために、祈らずにはいられなかった。
いつかソリトゥスちゃんらの出る魔法少女モノ書きたいなぁ。




