第56話 麒麟
ヒスイの破邪を浴び、横たわったまま動かなくなった無機獣神。
これで暴走は収まっただろう。
けれども、まだ警戒は怠らない。
離れた場所から様子を伺っていると、しばらくして無機獣神が動きだした。
『動作正常……損傷度60%……自己再生の発動を認可、破損した人格データの復元……成功……』
無機質な声で何かを呟き続けている無機獣神。
しかしだんだんと、無機獣神の動きに生物のような柔らかさが現れはじめた。
『あーあー、声帯部正常に作動。ようやく会話できそうだね、チミたち』
無機獣神は突然飄々としたあどけない少女のような声で喋り始め、一行を仰天させた。
「喋れるんですかっ!?」
『喋れるよー? あめんぼあめいろあいうえおーっ。ほらこの通り!』
無機獣神の欠けた胴体がみるみる内に再生してゆく。
想像していたよりも人間らしい無機獣神に、コハクは少し引いていた。
「無機獣神さん、ずいぶんと流暢に喋るんですね……」
『むきじゅ……? あぁ、そういう。あーしの名前は〝麒麟〟だよ。こう見えてかわゆいレディーなのさ。
……ちっと待っててね』
無機獣神改め、麒麟の身体が浮き上がる。
そして紅い光のベールに包まれると、やがて中から紅き髪の少女が現れた。
『や。この方が話しやすいっしょ?』
チャイナドレスを模したような光の衣を纏い、額から馬の時と同じ鋭い角が伸びている。
一見有機的な肌を持つ人間に見えるが、麒麟の肘や膝といった関節部分は金属質な機構が剥き出しとなり、よく見ると肘も膝も無く、体と手足が繋がっていなかった。
バラバラになりそうなものだが、麒麟の本体から独立した手足は宙に浮いており、あたかも関節が繋がっているかのような挙動をしている。
それが、麒麟が生物ではないことを示しているかのようだった。
麒麟はぐっと伸びをすると、カリニャンたちに向き合いあどけない微笑みを浮かべて問いかける。
『んで、白虎っちと朱雀っちの子孫がいるってことは、アイリス様が復活しようとしてるって認識でおk?』
「合ってます。アイリスさんに代わり肉体を取り戻しに来たんです」
『んなるほどねぇ。そんなら早速封印を解いてあげたい所だけど……実はちょっとばかしヤバい事になってるんだよね~。実はアイリス様の肉体が……』
と、麒麟が言いかけた所で、背後の石柱ががらがらと音をたてて崩れだした。
それに呼応するように、大地がズズンと揺れる。
「地震か……?」
数秒の揺れの後のことだった。
石柱の建つ遺構を中心に、砂を呑み込んでゆく蟻地獄のようなものが発生した。
それはだんだんと大きくなってゆき、コハクたちはやむを得ずその場から全力で撤退するのであった。
『うわやっばぁ~?! まさかもう復活しちゃいそう?!!』
麒麟はその様子を見て引きつった顔をしていた。
「復活? 一体何がです?」
『何ってそりゃチミ、アイリス様の肉体だよ。
……ヴォルヴァドスに乗っ取られたね』
*
砂漠に巨大な穴が開いた。それもただ地面に開いた穴ではない。
真昼だというのに穴の中は黒漆を塗ったかのように暗く、異界へと通じているかのようだった。
まるで黒い泉のようなそれは、この場所にあった迷宮が崩壊しその『空間』が消失したことで発生したもの。
アイリスの肉体の封印は、元から内側より破られつつあった。
それに加えてカリニャンたちの戦闘により、もはや封印は消えつつある。
「……出てくるよ」
ヴォルヴァドスに操られたアイリスの肉体が、現れようとしていた。
この世界の生殺与奪を持たんとした女神の骸が、顕現する――
『アアアアアアアアァァァァァァっ!!!!』
黒い暗い穴の中から、灰色がかった黄ばんだ巨龍が天へと立ち昇る。
その大きさは青龍よりもはるかに巨大で、何百メートルもあるように思えた。
――――
レイドボス:【心無き骸の龍神】
Lv720
状態:聖躯化
――――
レベル720――!?
コハクは上空でとぐろを巻く龍神の途方もないレベルに思わず愕然としてしまっていた。
「これ……俺とすーちゃんは待避してた方がよさそうだな?」
「うん。悪いけど、足手まといにしかならないと思う」
このメンバーの中で1番レベルの高い存在はコハクである。次にカリニャンであり、どちらもレベル300を越えている。
一方でヒスイとすーちゃんは200代。
弱くないどころか世界有数の強者であるが、それでも相手が悪すぎる。
「僕とカリニャンで倒せる……かなぁ?」
『あーしも手伝いたいところだけどね、さっきの戦いで戦闘機能がオシャカになっててね』
カリニャンとコハクが息を合わせればそれなりに戦えはするだろう。
しかし、あくまでそれは『戦える』だけである。
勝利はほぼ不可能。
カリニャンかコハクのどちらか、あるいはどちらもが命を落とす可能性もある。
レベル300級があと3人いれば、チャンスはあったかもしれないが……。
とはいえ、あれを放置する訳にもいかない。
ヴォルヴァドスが操っている以上、この世界にとってろくなことにならないであろう。
「ワンチャン、賭けるしかないか……」
コハクは決めた。
奥の手を解き放つことを。
白兵戦最強の幻影たる、ある魔法少女を呼び出す事を。




