第53話 砂上の楼閣
吐息が白くなるほどに冷えきっていた空気が、朝日に暖められじりじりと灼熱を孕みだす。
夜と朝の間にある快適な気温の僅かな時間。
カリニャンたちのテントの外で、奇妙な音がした。
ばさっ、ばささささっ!
風を切る、何かの羽音のようなもの。それと、巻き上げられた砂粒がテントに当たりぱちぱちと跳ねる。
「むにゃ……なんですかぁ?」
あくびをしながら涙を拭い、ひょっこりカリニャンが顔を出す。
それから一拍ほど遅れてコハク、更にヒスイも皆一様に眠そうにしながら音の方向へ顔を出した。
「ぴちゅちゅちゅちゅっ!! あ! おはよーママ! こはくおねえちゃん! かりなんおねえちゃん!」
そこにいたのは、羽で撒き散らすように砂を浴びるすーちゃんであった。
「あのねママ! おすなを浴びるととっても気持ちいいの!!」
「そっかぁ~」
――そういえば鳥って砂浴びとかするんだっけ。
すーちゃんは頭から全身砂まみれでそれはそれは大変なことになっている。
ぶるるっと身ぶるいすると、砂ぼこりが舞い上がりなお一層たいへんだ。
しかし注意しようかと思ったものの、すーちゃんが楽しそうなのでやめてしまう激甘なヒスイなのであった。
*
まだ暑くなる前に出発しようとテントやゴミを片付けている時のことだった。
「わっ、虫ですお姉さま!」
「ほんとだ。こんなとこにこんな沢山……」
夕食の食べこぼしやテントの裏などに、それは群がり集まっていた。黒く、ずんぐりした10円玉ほどの大きさの甲虫。
―――
種族:アサリムシ
食糧の乏しい環境に適応し、有機物なら基本的に何でも食べることができるようになった昆虫。
食欲旺盛で、食べすぎて腹が膨らみ動けなくなることもある。
―――
「へぇ。それにしてもどこから来たんだろこの虫たち? 適応してるって言ってもさすがにずっと砂の中にいる訳じゃないだろうし……」
「不思議ですねぇ。あれ? ……すーちゃん? 何食べてるんですか?」
「もむもむ……」
「どちたのすーちゃん? お口あーんして見せてくれる?」
すーちゃんが何やらもぐもぐ食べている。
一体何を食べているのかとヒスイが確認すると……
「むー……」
ふるふると首を横に振るすーちゃんの口から黒い虫の脚が出ていた。
アサリムシを食べていたのである。
「っ!? ぺっしなさいすーちゃん! ここに、ぺっ!!!!!」
「ちゅぴ……」
しぶしぶ、といった感じですーちゃんはヒスイに言われた通り口の中のアサリムシを吐き出した。
「苦くてあんまりおいちくなかったでちゅ……」
「毒とかあったら大変だからね?! なんでもすぐ口に入れちゃだめでちゅからね??!!!」
「わかったのでちゅ……。この虫さんはもう食べないのでちゅ」
それからすーちゃんは口直しにヒスイからあめ玉をもらってご機嫌に周りを飛び回る。
そして準備が整った一行は、旅路を再開するのであった。
*
「暑いぃ……」
まだ歩き始めて十数分しかたっていないのに、あまりの暑さにカリニャンがもう溶け始めている。
「はいお水」
「うぅ~……」
お水を口に含み、氷魔法で自身を冷やす。
それだけでだいぶマシになったようだ。
「それにしても……」
何やら大昔の遺構らしき大きな石片があちこちに転がっている。昔は街でもあったのかもしれない。
「日陰で休みながら行こうか」
遺跡が日陰になり、ここなら暑さを凌げそうだ。
地面も砂の下に石が敷き詰められていたりと、昔は街道だったことを窺わせる。
「ぴちゅ……あたち、ここ知ってる……」
「えっ?」
すーちゃんが産まれてから、まだ一月も経っていない。
そもそもコハクやヒスイがここに訪れたのも初めてのことだ。
すーちゃんがこの場所を知っていることはあり得ない。
……が、しかし。
すーちゃんはタマゴが孵った時から既に言葉を発していた。
それは、母親たる朱雀の記憶を継承しているからである。
……いや、厳密には継承というよりは『転生』に近いのかもしれない。
「ここであたちたちは……アイリスさまは……」
すーちゃんは思い返す。
しかし記憶は曖昧で、鮮明に思い出せるものではない。
やがて考えすぎて知恵熱が出てきたすーちゃんは、ヒスイの腕のなかに潜り込むとそのまますうすう寝息をたてて眠ってしまうのであった。
「わたしも……初めて来た感じはしませんね」
「カリニャンも何か思い出せそう?」
「いいえ。わたしの記憶……というより、わたしの中にあるアイリスさんの一部の記憶なのかもです」
改めて神獣という存在に不思議さを覚えるコハクたち。
目的地であるアイリスの肉体が眠る場所はまだまだ先だが、この場所にも何かあるのかもしれない。
少し奥まで進むと、大きな建造物の瓦礫の山が見えてきた。
植え込みとして植えられていたであろう枯れ果てた木の幹が僅かに残り、ここが嘗て屋敷か城であったことを窺わせる。
「――ここは嘗て城下町だった」
誰かが瓦礫の上に座っていた。
「この国が滅ぶきっかけを作った、強欲で無能な稀代の愚王。そう言い伝えられているけれど、実際は少し違う」
彼女は、襤褸を纏った10歳前後の白髪の少女だった。
こんな砂漠の真ん中に子供……?
しかもあんな襤褸だけという格好で、どうやってここまでたどり着いたのか。
「君は誰ですか?」
「あたしはシレネ。何者でもない、シレネ」
「シレネ……?」
どこかでひっかかる名前だ。
けれどもシレネは、コハクが熟考する間も与えず語り続ける。
「この国の王は一人娘を溺愛していた。他に子に恵まれず、娘は王の愛を一身に受けて育っていた。
しかし、幼いうちに流行り病であっさり死んだ」
シレネは虚ろな顔だ。
「王は嘆き悲しみ、おかしくなった。そして娘を取り戻すために、国中を巻き込みありとあらゆる禁忌に手を出した。
……時に死した娘の血肉から作り出した人形を娘として振る舞わせようとした」
シレネは空虚な顔でうつむき、首を横に振る。
「しかし、どれもうまくいかなかった。それから最終的に王が目をつけたのは、対立国で奇跡の力を振るわんとする〝聖女アイリス〟だった。
そこからは、みんな知ってる通りの顛末さ。王の愚かな選択が、この国を不毛の地へ変えた」
虚ろな表情が一転、シレネの口角が上がる。
「愚かだよね、愚かだよねぇ? どうして愛なんてものに縋るんだろうねぇ。愛なんて苦しいだけなのにねぇ?
あはっ、ははっ! ひひひひっ!! にゃはははははははっ!!!!!!!」
笑う
嗤う
嘲笑う
シレネは狂ったように笑いだす。
その次の瞬間――
「な、何だ?!」
大地が寒さに震えるように、揺れる。
それから街から少し離れた場所で、何かが爆発したかのように大量の砂が巻き上がり、地下よりそれは現れる。
――――
レイドボス:【砂上の淡鱗竜】
Lv:204
――――
それは岩肌のような体表を持つワニなような鯨のような、砂の中を泳ぎ回る巨大な地竜。
レイドボス……それも、未発見の『凶級』だった。
「うわぁ、明らかにこっち狙ってますよね……」
「仕方ない。迎え撃つしかないか――」
†
砂上の淡鱗竜はカリニャンたちよりもレベルが低く、凶級としては最弱の部類であろう。
だが砂の中を泳げるという砂漠において圧倒的な地の利を活かし、一行を撹乱した。
……が、ひとたび地上に姿を見せたが最後だった。
その隙を見逃さないカリニャンの拳による一撃で、あっさりと決着がついた。
さして苦戦というほどでもない戦いであった。
「それにしても……」
「何者だったんでしょう、あの子……」
コハクは瓦礫の山へ視線を向ける。
そこにあのシレネという少女の姿はない。
どこかへ隠れたのだろうか。
アイリスの名を知っているあたり、何か重要な情報を持っている事は明らかであった。
それから一行はこの廃墟の街でシレネを捜索する。
しかし、姿どころかここで生活していた痕跡や足跡ひとつすら見つからない。
それはあたかも彼女が、亡霊だったかのようであった。
すーちゃんかわいい(発作)




