幕間 虚構と空虚
「もうすぐ三十路なのに独身だっつーから誘ってやってんのに、んだよあの女っ!!」
暗い夜道を歩きながら、男は自販機を感情任せに蹴りつけた。
彼は会社にて、部下である女性社員を二人きりで食事に誘おうとした。
そしてあわよくばホテルに連れ込もうと、そう画策していたのだが……あっさりと断られてしまった。
それが、彼の高慢なプライドを傷つけた
……全くストレスの多い仕事である。だからこそ、上司のストレス解消に付き合うのは部下の義務なはずなのに。
だが、まあ。
他にストレスを解消する良い方法もあるので、問題はないが。
「今日もたっぷり蹂躙してやるぜ、NPCども」
今日も彼は完全間隔没入型VRゲーム『ヴォルヴァドス』へとログインする。
アバターの姿は爽快な金髪の青年。
そのプレイヤー名は――
《ランリバー》
*
「おいおいこんなもんかぁ? 英雄ロールプレイ野郎?」
ランリバーは地に伏すその男に剣を向け、見下し嘲笑う。
「ぐ……くそ、街に手を出すのだけはやめろ……」
「ほらほらやめさせてみろよぉ? さっさとしないと〝虚構剣〟ぱなしちゃうぜ?」
ランリバーは剣を見せびらかし挑発する。
この街は彼が0から発展させたものだ。
奴隷やスラム街の住民など、行き場の無いNPCを集め、しっかりと教育を施し、もう彼がいなくとも街が回るほどに発展した。
土地も最初は不毛だったのだが、彼の知識を活かし土壌を改善させ、今では様々な作物が実る豊かさを手にいれていた。
住民もこの場所も、全部が愛しかった。
それなのに……
「助けに来たぞ!! その手を離しやがれ外道めが!!」
「あんたには救われてきたんだ! 今度は俺たちが!!」
街の男たちが彼を救うために武器を持ってかけつけた。
少しでも彼の恩に報いるための、決死の覚悟だった。
「だ、駄目だこっちに来るんじゃない!!」
だが、ランリバーとは隔絶した力の差がある。戦闘すら成り立たないほどの、絶望的な差が。
「ほい、虚構剣」
ランリバーが軽く剣を振るった。
たったそれだけで、助けに来た男衆は原型を留めぬほど粉微塵に粉砕され、更に背後の街の一部も抉り取られたかのように消し飛んだ。
「ほらほら、守れなかったねぇ? どんな気持ち? 全国の視聴者さんが見守ってるよ~?」
「あ、あぁぁっ……」
「くっはっはっはっはっはっはっはっ!!!!」
「うあぁぁぁぁぁっ!!!!」
男は顔を涙と鼻水でくしゃくしゃにしながらランリバーへと殴りかかる。
が、レベルの差は圧倒的。あっさりと防がれて、彼はそのまま一刀両断されてしまった。
「雑魚が。せいぜい経験値になるんだな」
ランリバーの内に経験値が入る。
一人殺した程度では微々たるものだが、塵も積もれば山となる。
「そんじゃ、お楽しみタイムといきますかぁ!」
――この街の地下には地下道を兼ねた避難壕がある。
魔物が襲ってきた時ここで隠れ凌ぐ、あるいは逃れるために作られたものだ。
現在、女性や子どもは皆この避難壕へと逃げ込んでいる。
男たちがランリバーの前に現れたのは、女子供が逃げるための時間稼ぎ。命と引き換えにしてでも、家族たちを守ろうとしたのだ。
だがランリバーには、極めて秀でた探知能力がある。
初めから避難壕の存在も知っていたし、男たちの狙いも分かっていた。
それら全てを上からねじ伏せるために、あえて泳がせていたのだ。
「さぁ、経験値稼ぎの時間だ」
ランリバーは辺り一帯の地盤もろとも消し飛ばすべく、地面に剣を突き立てる。
そして魔力を込め――
――ランリバーの右腕が、切断された。
「何ぃっ!?」
咄嗟に千切れた右手を回収し、即座に回復魔法をかけくっつける。
ランリバーにとって腕の切断程度は何とかなる怪我の範疇ではある。が、問題はそこではない。
探知できなかったのだ。
攻撃も、攻撃の主も。
「にゃははっ! 驚いた? 驚いたねっ!」
「んだテメエ?」
ランリバーの前に現れたのは、無数の糸に吊られた小柄で華奢な道化師であった。
その正体は……
――レイドボス『空虚なる道化』
「ほぉ、ほほぉ? レイドボス様がこの俺に何の用だ? 経験値になりに来てくれたのかぁ?」
「にゃぁはっは、にゃぁはっは! にゃははははっ! 貴方の『役』は何ですかぁ?」
「あぁん? 役?」
「この世の全ての人間は、皆何かの『役』を演じてるぅ! 何者かになるべく演じてる!!」
糸に吊られ宙ぶらりんの道化師は、カタカタと節々を鳴らしながら笑い問いかける。
「にゃっはっはっはっ!! 貴方は何を演じてる? 何者になろうとしてるかな? 教えてちょうだい今すぐに!!」
「そういうことかい。クックック、ならその身をもって教えてやる。俺はな――」
突き立てた剣を抜き、ランリバーは道化に不敵な笑みを向けて言い放つ。
「――悪者だ」
それは、悪意の無い心の底からの答えだった。
「この偽物の世界なら、何にだってなれる! 善にも悪にも何にでも! だから俺はな、悪者の勇者になると決めたんだよ」
「にゃはっ……! それならワタシは今回は、英雄にでもなりましょう! さあさ楽しいゲームを始めましょう!!」
パチンっ
道化が指を弾くと、ランリバーの周囲にしゅるりと何か半透明で白っぽいものが取り囲む。
これは……
「……糸か!」
無数のたわんだ糸がランリバーを輪切りにするべく張り詰め絞まってゆく。
ランリバーは咄嗟に糸の薄い真上へと逃れ、即座のゲームオーバーは回避した。
だが、それでも無傷とはいかない。手足や顔にはたくさんの切り傷が刻まれ、ぼたぼたと血を流している。
――直前まで見えなかった。
糸はランリバーの魔力探知能力でも認識できないほどの細さ。
目視で認識し回避する他ない。
「ぐっ、くそっ、調子に乗るんじゃあねえぞ!!!」
――虚構剣の発動にはタメが必用だ。
道化は発動の隙を与えず、ランリバーに次々と糸の斬撃を加えてゆく。
「らーるーらーりーらー♪」
道化は機嫌良さげに鼻唄を歌う。
糸は極めて硬く、ランリバーの力でも切断は難しい。
それ故にランリバーは糸を逐一回避するしかないのだ。
が。
「だんだん見えてきたぜ……!」
ランリバーは伊達に最上位プレイヤーではない。
敵の行動パターン、攻撃の攻略。それを戦いながら学び、少しずつではあるが糸攻撃の回避が上達してゆく。
そして――
「見切った……!」
一切糸に触れる事なく潜り抜ける事に成功する。
それから再び糸の攻撃が来るまでの一瞬に、ランリバーは反撃のタメを完了させる。
「虚構剣――!!」
白い真空の刃が、迫る糸を断ち切り道化をと直撃する。
刃は勢いを落とすことなく、街を更に壊滅させてゆく。
そこにあった街並みは、跡形もなく消えてしまっていた。
「にゃ、は……やるねぇ♪」
虚構剣を真正面から喰らった道化は、もはや息も絶え絶えで放っておいても絶命するほどの状態だった。
「ククッ……俺の勝ちだ。経験値になれ、レイドボス」
「にゃはは……」
そしてランリバーは、空虚なる道化の首を切り落とす。
道化の体を吊っていた糸がぷつりと切れる。
――違和感。
道化にとどめを刺したはずのランリバーは、漠然とした違和感を感じていた。
――手ごたえが無い。
倒したはずなのに、緊張感が消えない。
『にゃははっ♪』
道化は笑う。
道化の死体が、形を変え崩れてゆく。
「何だと……?」
それは、人形だった。木でできたマネキンのような人形。
感じていた違和感の正体。その答えは――
「「「にゃはははっ!!」」」
空虚なる道化たちは笑う。
ランリバーを指差して、滑稽であると笑う。
たった一体でも苦戦した道化が、一人二人三人四人……ランリバーを取り囲んでいた。
――分身。
それが、違和感の正体。
「ぐおっ!?」
気がつけばランリバーは、糸にぐるぐる巻きに縛られてしまっていた。
「嘘に絡まる哀れなお人形は」
「願うよ、綺麗さっぱり消えたいな」
「けれども世界は非情でね。泡のように、愛のように、消えらんない」
「嘘でもいいから縋りたい。嗚呼、今宵もみーんな愛に群がり生きてゆく」
「今日もあたしは見失い生きて行く」
「今日のあたしの役割は」
「悪者退治の英雄さま!」
「「「にゃはははははははははははははははっ!!!!!!!」」」
恐らくはどれかは本物……本体だろう。
だが今のランリバーには、本体を見破ったとしてできる事はない。
「ぐ、おぉぉぉっ!? やめろぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
糸が締まってゆく。ランリバーの体にめり込んでゆく。
それだけじゃない。
ダメ押しかのように、ランリバーを更にたくさんの糸がまるで繭のように包み込んでゆく。
そして――
ブチュッ
繭の中で、ランリバーの存在が消えたのであった。
「にゃはは、はは。嗚呼……あたし何やってるんだろ……なんだっけ? あたしって一体……」
まるで正気に戻ったかのように、道化は天を見上げ無気力に呟く。
この偽りの世界で彼女は、何を思い何を感じるのか。
後悔さえ赦されない。
今日も彼女は『役』を演じる。
「なんてなぁ!! 虚構剣!!」
「!!」
突然の事だった。
倒したはずのランリバーが、道化の頭上から剣を振り落下ろした。
竜巻のように、雷のように、道化の本体もろとも真空の刃が避難壕もろとも全てを消し飛ばす。
――ランリバーはゲームオーバーにはなっていない。
ではどうやってあの絶体絶命から逃れたのか?
それは、ログアウトである。
ゲームオーバーになる直前、このゲームから肉体ごと離脱。そして道化がランリバーの死を確信したであろうタイミングで再びログイン。
そのまま不意を突いたのだ。
「手ごたえあった。いや、今度こそ死んだか」
粉々になった人形たちの残骸を横目に、ランリバーは道化の死体へと近づいてゆく。
手足はもげ、破けた腹からは内臓が散乱している。
頭も砕けてピンクの脳漿を散らしており、絶命しているのは明らかだった。
だが――
(おかしい。なんで1ポイントも経験値が入らねぇ? まさかまだ……)
そうランリバーが訝しんだその時だった。
『にゃははっ♪』
道化の死体が消えた。
光の粒子となって。
それはまるで、プレイヤーがゲームオーバーとなったときのように――
そしてランリバーは気づいた。
――してやられた、のだと。
当初殺そうとしていた女子供はもう、みな逃げた後だった。
空虚なる道化は、ランリバーから力なきNPCを逃がすために時間を稼いでいたのだ。
「くそ、くそがああぁぁぁ!!!! NPCの分際で嘗めやがって!!!!」
ランリバーの怒声が、廃墟となったこの街に虚しく響き渡るのであった。




