第49話 騒砂
ライネル狩りしてたらまた更新に間隔が……
この世より少しばかり位相の異なる異界。そこは静謐なる空気に満ちており、その空間の主たる少女にコハクたちは一連の顛末を報告していた。
「そうか、青龍のやつは頑張ったのじゃな……」
弱々しく光を放つ珠を見つめ、アイリスは優しく寂しげに微笑んだ。
「セイさまは……大丈夫なんですか?」
「うむ。消滅寸前でギリギリじゃな」
アイリスの『保険』――死亡した際に魂と肉体の情報を保護する術式でも、守れない場合もある。
朱雀や初代白虎のように自身の力を子に託していたり、あるいは術式発動の基盤となる神の力が不足している場合。
青龍は辛うじて『保険』が発動できたものの、魂の保護が不安定であった。
辛うじて繋ぎ止めているに過ぎないのである。
「そんな、じゃあどうすれば……」
「じゃが、青龍の神の力……龍脈の力を注がれて蘇生されたお主が側におれば、ひとまずは消えてしまう事はあるまい。気休めじゃがな」
――そこで、とアイリスは側で話を聞いていたコハクとカリニャンに切り出した。
「封じられた妾の肉体を取り戻すのじゃ。
肉体と他3体の神獣の中の龍脈があれば、妾の力をある程度までは取り戻せる。そうすれば消えかかった青龍を救うこともできるじゃろう」
「次はいよいよアイリスさんの肉体ですか……」
アイリスはかつてヴォルヴァドスに敗北した時、存在を消されまいと自身を6つに分けて各地に封じたのだ。
眷属たる4体の神獣たちの内に託した『魂の欠片』
今現在こうしてコハクたちと会話している『魂の核』
そして、朽ちることなく復活を待ち続ける『肉体』
「しかし、ヒスイがおらぬまま始めるのはちと心細いな」
アイリスの肉体には、ヴォルヴァドスにより何らかの細工がされている可能性が高い。
そこで、ヒスイの力が必要となるのだ。ヒスイはヴォルヴァドスが仕掛けた『呪い』を打ち消すことができる。
なのでヒスイの同行は必須とも言えるのだが、当の本人がこちらにログインしてこないのだ。
「ですね。メノウさんの帰りを待ちましょうか……」
一行はヒスイの無事を祈るしかなかった。
*
緋色の光が世界を包む黄昏時。
この世と幽世の境が曖昧になる時間帯。
森の近くを歩いていた部活帰りの久敏の視界に、ふとあるものが入った。
「なんだろ、あれ?」
森の奥、木々の隙間に何か白いものがちらちら動いている。
……初めは動物かと思った。
しかし、『それ』が動物ではないと気づくのにそう時間はかからなかった。
異様なほど白いのだ。
この世界が緋色に染まる黄昏時には、あまりにも不自然な白さだったのだ。
――関わってはいけない
生存本能が警鐘を鳴らしている。
久敏はあの白い何かがいる森を避け、たとえ遠回りになるとしてでも人通りの多い道を通るべく踵を返した。
ザリッ――
まるで砂利を小刻みに落とすような、そんな音。
背後から足音にも似た妙な音がした。
そして久敏は振り返ることなく走り出す。
ザリッ
ザリッ――
ついてくる。
現在、久敏の脳裏にはある可能性が浮かんでいた。
――ヴォルヴァドスが邪魔者を消しに来た、か。
走る。幸い久敏は運動部であり、体力には自信があった。
次第に足音らしきものはどんどん遠ざかってゆく。
もうすぐ住宅街に出る。根拠はないが、そこまで出られればひとまずは安心できるはず。
そう思っていた。
「嘘だろ……」
眼前に浮かぶ真っ白な〝それ〟は、夕焼けを浴びながらも異質で不自然な白さを放っていた。
人のように手足と頭部とおぼしき部位はあるものの、顔のパーツやシワなどはなく、まるで裸のマネキンが浮いているかのようで――
それが1体だけではなく、幾つもの数が久敏を取り囲んでいた。
――ヤバい。
今すぐ逃げなくては。
そうは思っても、なぜだか体が動かない。
まるで体が凍りついたかのように。
そうこうしている間にも、マネキンの群れは久敏へと接近してくる。
その白い手が喉元に触れようとしてきたその時、久敏は気づいた。
砂だ。こいつらは、砂の人形だ。
故に、実体が無い。
マネキンたちが久敏を取り囲む。すると、人の形を失ってまるで液体のように足元に満ちる。
久敏の体は白い砂の中へとズブズブと沈んでゆく。
助けを呼ぼうにも、声をあげることさえできない。
誰にも知られず、久敏はこの怪物に取り込まれてしまうかに思えた。
が、しかし。
砂に埋もれた久敏のポケットの中から、何かが飛び出した。
――それは、小さな小さな赤い羽。
赤い羽は久敏の顔の前にまでひらひら飛び出す。
そして突然、巨大な火柱が久敏を包んだ。
否、燃えているのは久敏ではない。
『おぎゃああああぁぁぁぁぁぁぁ!?』
赤子の声にも似た絶叫が響き渡る。
羽の産み出した業火は、白き砂だけを燃やしていた。
そして久敏の体の自由が戻る。久敏はそのまま砂の中から這い出して、あの赤い羽を見つめる。なぜポケットに入っていたのか、記憶にはない。
ない、が……
「すーちゃん……?」
向こう側で小さな赤い鳥の少女にもらった、あの羽。
助けてくれたのだろうか。
なにはともあれ、赤い羽が白き砂人形を抑えてくれている内にこの場からはやく立ち去らねば。久敏はまだ倦怠感の残る体を無理やり動かして、住宅街の方へと走り抜けた。
そして車通りの多い道へなんとか辿り着いた途端、久敏は意識を失い倒れてしまったのであった。
*
久敏が目を覚ましたのは、入院から2日目のことだった。
原因不明の高熱と意識の混濁。下校途中、街中で倒れているのを発見され救急搬送されたのだ。
まだ熱はあるが、もうだいぶ良くなっている。
原因不明とされているが、久敏からすればあの『白い砂人形』が原因なのは間違いない。
赤い羽が助けてくれなければ、一体どうなっていたことか……。
「目を覚ましたんだね、久敏くん」
「和布浦さん」
病室の扉を開けて現れた和布浦という女性は、ヴォルヴァドスでは『メノウ』と名乗っているプレイヤーであった。
「みんな心配してたよ。元気そうでよかったけど……もしかして何かあった?」
「それが実は……」
久敏はあの『白い砂人形』に襲われた事を和布浦へと打ち明ける。
あれはヴォルヴァドス関連の敵である可能性が高い。
そして、この地球ではゲームのように魔法や超越的な身体能力で戦う事は不可能である。
「そんな事が……ヴォルヴァドスも私たちを目障りに思ってるのかしらねぇ」
「ああ。和布浦さんも気をつけてくれ。あいつらに狙われないとも限らないからな」
ヴォルヴァドスは神だという。
アイリスいわく地球を支配してきた旧き神らしい。
そんな相手を敵に回したからには、久敏だけでなく和布浦も危ないであろう。
彼女もまた、こちら側でヴォルヴァドスに関する情報を探っている人間である。
故に、危険だ。
「いざとなれば……っていう切り札でもあればいいだけどけどねぇ」
久敏は枕元に置かれた赤い羽を見つめる。
久敏にはこの朱雀の羽という対抗手段があるが、和布浦にはそんなものは無い。
久敏はただ、和布浦がヴォルヴァドスに目をつけられないよう祈るしかないのであった。
*
入院から一週間ほどした頃だろうか。
夕暮れ時、久敏はまどろみの中にいた。
熱も引き、原因不明の症状も収まってきた。もうすぐ退院できるだろう。
そうすればまた、コハクにもカリニャンにもジンにも……すーちゃんとも会える。
――戻ったらすーちゃんに謝らないとなぁ。
そんなことをぼんやりと考えては、まどろみの狭間に融けてゆく。
『期待してるわよ』
夢だったのかもしれない。
幻だったのかもしれない。
けれど久敏の記憶には、ハッキリとその声と姿が刻まれていた。
窓枠に腰掛け、久敏にそう声をかけた少女の姿が。
真っ黒なワンピースに身を包み、夕焼けの染み込んだような金色の髪を束ねた幼い少女の姿。
顔は陰っていたのか見えなかったが、夢と現実の狭間に、確かに彼女はいたのだった。




