第47話 井の中の蛙
「ママおきてぇ~! おきてってばぁ!!」
小さなすーちゃんのか細い声からそれは発覚した。
――ヒスイが目覚めなくなった。
何かがおかしいとコハクが気づいたのは、ごく早い段階であった。
「何か嫌な予感がする」
「嫌な予感……ですか?」
ヒスイ……久敏は責任感の強い人間だ。
コハクに託された頼みを1年間守り続けたし、すーちゃんの世話だって欠かしたことはなかった。
そんな責任感の強いヒスイが、何も言わずにログインしなくなる事があるだろうか?
思い過ごしならばそれでいい。
「メノウさん。悪いけれど、久敏の様子を見に行ってきてくれないかな?」
「分かったわ」
メノウは地球でのヒスイと交流がある。
過去には何度か一緒に遊びに行ったこともあるという、それなりの仲である。
無論、そこに恋愛感情というものは存在しないが。
メノウがログアウトしヒスイの様子を見に行った矢先……今度は、アイリスがよからぬモノを察知した。
「コハク、カリニャン。今すぐ青龍の元へ向かってくれぬか。あやつの身に何か起きている」
――青龍の身に危機が迫っている、と。アイリスは感じ取っていた。
*
空島へ転移してまず目に入ったのは、その惨状であった。
美しき花園は見るも無惨にどす黒い何かに蝕まれており、島そのものにも切り裂かれたかのような谷ができていた。
そのすぐ側で、ジンと黒い人型の何かが戦っている。
「カリニャンはジンを助けてあげて。僕はこの黒い……瘴気をなんとかする」
「わかりました。こっちは任せてください!」
そうしてカリニャンは、ジンとナギサの戦闘に割り込んだのであった。
「――見ろ白獣姫! このボクの強さを! あの時とは何もかもが違うっ! 圧倒的な絶望というものを見せてやろう!!」
「……どうして、あなたたちはこんなことをするんでしょうか」
「何故って? そりゃあ決まってるだろ、楽しいからさ!! 圧倒的な力で弱い奴らを蹂躙する! これほど楽しい事は他にない。現実じゃあこんなこと出来ないからな!!!」
【禁龍化】の影響か、ナギサはハイになっていた。
――この惨状はこのプレイヤーの仕業で間違いない。
「この世界だって現実です。みんなみんな生きた人間なんです!」
「あー? なんで口パクしてんの? なんか言ってる? まぁいいや、殺すか」
プレイヤーの耳に〝この世界の真実〟に触れる言葉が通じることはない。
故に分かり合えることはないのだ。
「ひゃはっ!!! 死ね!!」
ナギサは力任せに仕掛けた。
常人からすれば目にも留まらぬ速度の攻撃が幾重もカリニャンに襲いかかる。
防ぐ、避ける、受け流す。
ジンの師たるカリニャンの技量は洗練されている。
だが、ナギサの全ての攻撃を無効化している訳ではなかった。
「どうしたどうしたァ! 防ぎきれてないぞぉ!!?」
「……」
一部の細かな攻撃が、カリニャンの身に届いている。
圧倒的な力の差、それゆえの余裕。
二人の間に、隔絶した力量があるのは明らかだった。
――白獣姫はやはりレベルとスキルにかまけてばかりで他がおざなりだ!
攻撃力はあるらしいが、スピードは低い。かなりタフだがボクよりもずっと弱い……!!
「白獣姫! お前よりボクの方が強いということをこれで証明してやるよ!」
おもむろにナギサは太刀を己の目線の横あたりで水平に構えた。
それは古来の日本剣術において〝霞の構え〟とよばれるもの。
横薙ぎに相手の目を切り払い、時に頭部への攻撃を防ぐ攻防一体の構え。
……なのだが、ナギサはそんな事は微塵も知らない。アニメやゲームのキャラがよくこのカッコいいポーズをしているので、なんとなく真似しているに過ぎない。
勝利を確信したナギサは、そんなカッコいいポーズで大技を解き放たんとする。
「これでとどめだ白獣姫! お前もボクの糧となるがいい!! 漆黒の流星!!!」
それは、ナギサにとって渾身の一撃だった。
瘴禍刀の瘴気とナギサ本人の攻撃魔法技能【影炎】による魔法。それに加えて【禁龍化】によるステータスへのバフ。
カリニャンへと振るわれた太刀筋は、まさしく漆黒の流星のごとき軌跡であった。
が、しかし。
「……甘いですね」
「は……?」
ナギサの渾身だったはずの一撃は、カリニャンの右手の中で止まっていた。
炎すら燃やす影炎が、あらゆる命を蝕む瘴禍刀の瘴気が。カリニャンの肉球の薄皮1枚すら破けぬまま食い止められてしまっていた。
「次はわたしから行きますね?」
「ごぎゃっ!?」
必殺の一撃があっけなく受け止められ呆然としていたナギサの腹に、カリニャンの巨大な拳が突き刺さる。
【禁龍化】で頑強になっていたナギサの身体でさえ殺しきれない、カリニャンの一撃。
カリニャンのただのパンチ一発が、ナギサの渾身の一撃よりも強いのだ。
瘴禍刀はへし折れ、ナギサは一撃で既に満身創痍。
しかしカリニャンは容赦しない。
「こっ、降参……降参だっ!!」
「ダメです。言いましたよね? 再起不能にしてあげますって」
一切視認できぬほどの神速でナギサを殴り
「ひぎっ!?」
蹴り上げ
「おごっ!?」
踏み潰し
「こかっ……も、もうやめ……」
吹っ飛ばしては軌道上に先回りして、何度も何度も攻撃をぶちかましてゆくカリニャン。
これでもまだナギサが死亡になっていないのは、【禁龍化】の影響が大きいであろう。
だがそれももうすぐ解ける。
――その時、ナギサは見た
―――――
レイドボス:墓守の白獣姫
名前:カリニャン
レベル:338
―――――
「ばっ、バケモノ……!」
――圧倒的力の差、それゆえの余裕。
カリニャンはナギサの攻撃を防ぎきれなかったのではない。
僅かでもダメージになり得る攻撃だけを選んで防いでいたのだ。
他はカリニャンに痛痒すら感じさせぬ、そもそも防ぐ必要すらなかった攻撃だったのである。
カリニャンの技量はジン以上。
その上で極めて高いステータスもある。
レベル、技能、武器
それらにかまけてばかりのナギサに勝てる道理は何処にもないのだ。
(――まずい、このままでは死亡してしまう……! ログアウトしなければっ!)
ナギサは現実世界へ帰るためのボタンへ手を伸ばす。
《逃げるな》
しかし、現実世界への帰り道は塞がれている。
「や、やめろっ! 来るなぁ!!」
ナギサは背に竜の翼を生やし、飛んで逃れようとする。
だがその程度のスピードで神獣たるカリニャンを撒けるはずもない。
「白雷一閃――!!!!」
帯電して普段より七割増しでふわふわになったカリニャンが、雷を纏い真っ白に発光しながら超音速で突撃する。
音速の壁をぶち抜き、白い霧にも似たリング状の衝撃波を発生させ、ナギサの身体は痛みを感じる暇も無いまま一瞬で蒸発した。
そしてそれ以降、ナギサがリスポーンすることはなかった。
*
「っはぁはぁ!?」
ナギサ――とゲーム内で名乗っていた青年は、現実世界へ強制的にログアウトしていた。
「なんなんだよ、なんなんだよあれ……! 強すぎんだろ!!!」
油汗とひどい寒気で身体の震えが止まらない。
いくらなんでも強すぎるバケモノに叩きのめされ、彼は現実に戻ってきたにも関わらず今なお恐慌状態のままだった。
「お、落ち着けっ……大丈夫、あれはゲーム……現実なんかじゃない」
そう自分に言い聞かせ、ゆっくりと落ち着きを取り戻してゆく。
死ぬかと思ったが、ゲームの世界で死んだとて現実世界に影響はないのだ。
――次はきちんと戦いかたも学んでから挑もう。
トライアンドエラー。
古来よりゲームの基本である。
難しい局面は何度でもやり直して、一回クリアすればそれでいい。
あの白獣姫にも、きちんとした攻略法があるはずだ。
――いつか必ず倒してやる。
再挑戦を決意したその時だった。
《リトライできると思うなよ》
「なんだこれ……」
ゲームとは無関係のPCの画面に、そんなメッセージが浮かび上がった。
それだけではない。
バツンッ――
「なっ、停電!?」
彼の部屋の明かりやあらゆる電化製品が機能を停止し、無明の闇がナギサを包み込んだ。
「何だよ一体……」
彼は気づかない。
「ツいてねー日だぜ全く……」
背後に〝それ〟が立っていることに。
そして〝それ〟は、ゆっくりとゆっくりと何も知らない彼の首に手をかけてゆき――
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行方不明者をさがしています
××××年 10月18日 日曜日 午後1時頃
G県A市の自宅内で家族が姿を目撃したのを最後に行方不明になっています。
氏名 結月 勇治さん
年齢 19歳(失踪当時)
特徴 身長171.4cm 体重52kgくらい
やせ形、猫背、鼻の頭にホクロあり
失踪当時の服装 上下黒のジャージ、黒ぶちの眼鏡
心当たりのある方は、最寄りの警察署へお知らせください。
連絡先 G県警察署
TEL ××××-××-××××




