第39話 空虚なる日々
ハイラル王国駆けずり回ってました()
長い悪夢を見ているようだった。
主たるアイリスが眠りにつき、ヴォルヴァドスに呪いをかけられたあの日から。
自我を失わないように、ずっとずっと殻に閉じ籠ってきた。
けれど――
「大丈夫、ですか……?」
「君、は……」
嘗ての仲間によく似た、白い虎の少女が覗きこんでくる。
意識が、視界が、数百年ぶりに舞い戻る。
*
『よーし! 今日からお主の名は玄武じゃ!』
初めてアイリスと出会ったのは、玄武がまだ名も無き魔物だった時の事だ。
特別強い訳でも珍しい訳でもない。
ありふれた、小さな亀の魔物。
それが、かつての玄武だった。
当時はまだアイリスが龍となるどころか、聖女とも呼ばれる前で、純粋で無邪気な少女だったのを覚えている。
こんなただの弱い魔物に名前をつけたのには、きっと大した理由はなかったのだろう。強いて言えば、〝友達が欲しかった〟くらいだろうか。
だからこそ、側にいた。
初めての友として。
*
それから少しして、玄武の他に3体の魔物が立て続けにアイリスの元へ集った。
アイリスは魔物や動物に好かれる才能があったのかもしれない。
唄うのが大好きなヒノコドリの若鳥、スザク。
お花の蜜が大好きな花蛇のセイリュウ。
そして、食べるのが大好きな雪猫のビャッコ。
アイリスは幸せそうだった。
自分の力を他人の為に使う事に何の躊躇もせず、見返りすら求めない。
1人と4匹は一緒にいられるだけで、ただそれだけで良かったのだ。
――それでも、アイリス様の初めての友はこの私。
私こそがアイリス様1番の親友なのだ。
ちょっとした独占欲を抱きつつも、玄武は仲間と共に数百年『神』として君臨し続けた。
*
カリニャンの顔を見て、玄武は全てを思い出した。
消えかけていた自我と理性も何とか取り戻し、せめて彼女らと会話をするまでは堪えたい。
「君、は……白虎、の……末裔?」
「あ、はい! そうらしいです玄武さん!!」
「そっか……。私に、何の、用?」
そうは聞いたものの、玄武はだいたいの予測はついている。
かつての仲間の末裔が、〝玄武〟に会いに来た。
しかも玄武の名を知っていたのだ。
つまり――
「アイリスさんの復活のために、会いにきました」
アイリスが、愛しき人が、帰ってくる。
また彼女の隣にいられる。
このままでは再び正気を失いさっきのように怪物として暴れまわってしまいかねないだろう。
しかし、アイリスがいるのならば。
アイリスの力さえあれば、狂化の呪いを解くこともできるだろう。
「アイリスさんの所までへは転移ができます。このまま行きますか?」
「うん……うんっ!」
数百年。
消えそうになる自我と理性を、岩の鎧の奥底で必死に留め続けるだけの日々。
自我を残し続けられたのは、アイリスへの愛があったからであろう。
それが、ようやく終わる。
――アイリスの元へ帰れるんだ。
バツンッ
変な音がした。
張り詰めた糸が切れるような、そんな音。
「玄武さん?」
カリニャンの白い顔に真っ赤な飛沫がかかり、じわりと紅く染め上げる。
玄武が立っていた場所には紅黒い水溜まりができあがり、肉の塊がぼとぼとと散乱していた。
キラリと何か細いものが光った。
次の瞬間――
「カリニャンっ!!」
いち早く異変に気付いたコハクは、カリニャンを空中蹴りで突き飛ばす。
すると
「ぐうっ……」
コハクの両足が、綺麗に切断されてしまっていた。
「お姉さまっ!!」
落下するコハクの身体を咄嗟にキャッチし、カリニャンは周囲へ警戒する。
『――この世の全ては偽りさ。全ての人は人形で、全ての花は造花に過ぎない。空虚だよ、空虚だねぇ』
〝それ〟は、カリニャンとコハクの完全な死角から現れた。
無数の糸に吊られた、道化師のような何か。
顔は笑い仮面で隠し、ただ不気味にゆらゆら揺れている。
―――――
レイドボス:【空虚なる道化】
レベル:458
―――――
「空虚なる道化……だと!?」
「知ってるんですかお姉さま?」
「……うん。プレイヤーの中では有名なレイドボスだよ……。神出鬼没ながらプレイヤーと交戦したことはないと聞いてたけど……」
――何故、ヤツはいきなり攻撃してきたのか。
ゆらゆら糸に揺られ、道化はケタケタ笑う。
『世界は大きな人形劇。神さえ所詮は操り人形! 観客たちは見ているよ。哀れで空虚な我々を!』
「何……言ってるのかわかんないですよ!」
『そうだねそうかもね! それでも今でもみんなが見ているよ! そうでしょこっちを見てるでしょ? こちらを覗き見するあなた』
話が要領を得ない。
とにかく、こいつはいきなり玄武を殺しカリニャンまでもを殺めようとしてきた。
その時点で話し合いの余地は無い。
「来い、〝祝福の短銃〟!」
カリニャンの背中で、コハクは白い拳銃を召喚する。
『ぎゃはっ!』
2発――躊躇なく撃った弾丸が、道化の心臓を貫いた。
「なんで玄武さんを……っ!!」
『ぎゃはっ! やられたぁ~!』
更にカリニャンの雷を纏う大きな大きな拳が、道化の身体を一撃で叩き潰した。
ぐちゃりと、生物を潰した確かな感触があった。
しかし――
「何か、変です……」
――違和感。
生き物を殺したという実感が、全く感じられない。
そもそも、レベル400以上ものレイドボスが、こんなにあっさりと倒されるはずがない。
『にゃははっ、な~んちゃって』
道化の死体が忽然と消え、そして再び背後から笑い声がする。
『君たちを倒すのはとっても簡単だけど、それじゃお客を喜ばせられない』
糸に吊られた道化が、全くの無傷で浮かんでいた。
『だからね今日はお暇するよ! 楽しいゲームはまた今度!』
「待てっ!」
咄嗟に止めようとするコハクだったが、しかし道化は一瞬で煙のように消えてしまった。
*
玄武は死んだ。
その肉体は死んだ。
だがしかし。
それは、アイリスがかけた保険だったのだろう。
「お姉さま! 玄武さんの体が……」
散乱する玄武だった血肉が、光を放ちながら一点へと集まってゆく。
そしてそれは、小さな勾玉のような形へと変わっていった。
『すまないね、二人とも。油断していたよ』
「喋った!?」
『驚かせたようだね。この姿は万一肉体が死を迎えても、後に復活できるよう魂を保護する特殊な術式なんだ。精神生命体に近い我々神獣だからこそ成り立つものでもあるが……』
「つまり、玄武さんは生きているんですね?」
『肉体は死んでもいるがね』
アイリスの保険は、本人が拒否しない限り自動で発動する。
肉体の死亡を条件に、死体の回収と同時に魂を物質的な『珠』を依り代に保護する術式。
死体と魂さえあれば、アイリスの龍脈の力で蘇生が可能である。
「とりあえずこのままアイリスさんの所へ連れていくね?」
『よろしく頼む。また、理性を失いかける前に……』
――
神獣玄武、攻略完了。
残り未攻略神獣、3体。




