第36話 ふわふわの安寧のために
ちゅんちゅんっ!
小鳥の囀り声で目を覚ます朝。
コハクとカリニャンは、ベッドの中でもぞもぞと動き出す。
「昨日のお姉さま、とっても可愛らしかったですよ」
「うぅ、忘れて……」
真っ赤な顔を手のひらで隠し、恥ずかしがるコハク。
熱気の残る布団にカリニャンが一糸纏わぬ姿であることも相まって、完全に事後の様相である。
が、今のところ2人はまだ一線を越えてはいない。
昨晩はコハクが吸血衝動に苛まれ、それをカリニャンが受け止めたのだ。
ただ、それだけ。それ以上の事は何も起こっていない。
……仮にカリニャンが発情期だったのなら、コハクの貞操はとっくにカリニャンに喰われてしまっているだろう。
コハクはまだ知らないが、発情期に差し掛かったカリニャンは常時狂化状態のようになるのだ。
昨晩のカリニャンが発情期でなかった事に、そしてコハクを襲わないよう我慢してくれていた事に、心底感謝するべきなのである。
閑話休題
「おっはよ~コハクぅ? おやおや、ゆうべはおたのしみだったのか?」
「うるさいだまれ」
「ぐふぉっ!?」
朝食を囲むコハクをログインしてきて早々に煽り腹パンを食らうヒスイ。
「おたのしみでしたよ! お姉さまとっても可愛らしかったです♡」
「ちょ、カリニャン!? 誤解を招くような事は……」
「その顔の紅潮ぶり、やはり昨晩は……。なるほど攻めはカリニャンちゃんか」
「まだシてないからね?」
「まだって事はいつかはしてくれるんですね? 言質取りましたよお姉さま!」
「……はいはい、わかったよ。いつかね」
二人ともノリノリで卑猥な方面に話題を引っ張ろうとしてくる。
コハクは諦めて頷く他ないのであった。
それから少し遅れて、メノウもログインしてきた。
「おはよーみんな。ジンくんは……そうだった、アイリスさんの所だったね」
ジンは現在、アイリスの元で修行中である。
アイリスが言うには、ジンの先祖もアイリスと関わりのある人物だったらしい。
「ヴォルヴァドス関連で少し気になる事があったんだけど、今いい?」
「ヴォルヴァドスについて何かわかったの!?」
一刻も早く話題を逸らしたいコハクは、食いつくようにメノウの話に乗っかった。
「ええとね、実はあたし、ヴォルヴァドスの会社に営業で訪れた事があったの」
「なんだって?!」
「会社名もヴォルヴァドスで何だか変わってるなーとは思ったのよね。……今思えば、社員さんも変な感じがしてたわ。具体的にどこがどうという訳じゃないけれど、まるで人間じゃない何かが人間を演じてるみたいな……?」
――見た目も動きも完璧に人間なのに、メノウはなぜかヴォルヴァドスの社員に得体の知れない恐怖を感じた。
「それに不思議なことにね、今の今までそれを思い出す事もなかったの。思い出したのは……そう、アイリスさんに認識阻害を外してもらってからね」
もはや、ここがゲームの世界だという前提はこの場のプレイヤーたちの中にはない。
ヴォルヴァドスは何故自分は裏に潜み、ゲームとしてこの世界にプレイヤーを送り込んでいるのか。
「あたし、地球でヴォルヴァドスについて調べてみるよ。うちの会社の資料にもしかしたら手がかりになることが見つかるかもしれない」
「ありがとう、メノウさん。……くれぐれも無茶はしないでね」
ヴォルヴァドスは地球に潜む神。
下手に探って気取られれば危険かもしれない。
それでもメノウは、やると決めたのであった。
「さて……俺は久々に商会を見に行ってくるかな」
「あたしはジンくんに会いに行ってくる」
「んじゃ、二人ともごゆっくり……俺らは蜜月の邪魔だったみたいだからさ」
「どういう意味だよそれ」
ニヤつきながら去っていくヒスイたちに、コハクはやれやれとため息をつく。まだカリニャンと〝そういう関係〟になるには早い……というより心の準備ができていない。
「お姉さま。私はいつでも準備できていますからね?」
屈んで視線を合わせるカリニャンは、ツンと鼻先をコハクの鼻先にくっつけて微笑みながらそう言った。
カリニャンはコハクならいつでも大歓迎なのだ。
*
数日後。
コハクとカリニャンは、ブゲナ山脈を目指して屋敷を旅立った。
本当はヒスイも同行するはずだったのだが、どうしても外せない用事があり後から合流することとなった。
「お姉さまと街へ出るのは久しぶりですね」
「そうだね。これからはいっぱい一緒におでかけできるからね」
二人は『始まりの町』へとやってきた。
ここは大陸の各所へのアクセスに優れ、プレイヤーが作り出した乗り物までもが走っているのだ。
「な、なぁ……あそこにいるのってまさかレイドボスの……」
「まさか! さすがにこんな所にいる訳ねーだろ」
「いやでもでっかくてふわふわしててかわいいぞ?」
「一緒にいる子もかわいいな」
遠目にコハクたちを眺めながらヒソヒソするプレイヤーたち。
そこに悪意や敵意はなく、ただカリニャンとコハクを見てほのぼの萌えるだけであった。
二人は魔境のレイドボスとして多くのプレイヤーに知られ渡っており、同時に癒し系レイドボスとして人気なのである。つまり、討伐するよりも見守るべき存在として認知されているのだ。
そもそもカリニャンとコハクの二人を倒しうるほどのプレイヤーは滅多に存在しない。
なので仮に襲いかかってくるプレイヤーがいたとして、簡単に返り討ちにできるのである。
「この小さな箱に入るんですか? うぅ、入り口狭いですね……」
「ごめんね、中は広くなってるから」
二人が乗ったのは、通称『バス』と呼ばれている箱形の乗り物だ。
ガソリンの代わりに魔力で走るもので、見た目も動きも地球の路線バスに近い。
入り口や中はそれなりに広く快適に設定されており、体の大きい種族でも乗れるよう配慮された設計になっている。
……が、カリニャンは別格に大きいので乗るのに少し難儀していた。
乗った後は、4人は座れる後方の座席へと着席する。
カリニャン1人で3人ぶん以上のスペースを占めていた。
「むぎゅぎゅ……」
発車してからコハクは少し後悔していた。
窓側に座ったコハクは、カリニャンのもふもふのお尻と壁に挟まれる事になったのだ。
「私乗り物に乗るの初めてです! こうして見るお外はなかなか新鮮ですね!!」
「そう、だね……」
窓の外に夢中なカリニャンにさらに押し潰され、苦し気ながらまんざらでもなさそうにコハクはうめく。
カリニャンが楽しそうにしてくれていて、コハクは嬉しいのだ。
このバスは、隣国の国境付近まで走る。
その国に『ブゲナ山脈』はあるのだ。
「こんどお姉さまと街でデートしてみたいですね……」
「そうだね。それじゃ、この旅が終わったらデートしよっか」
「本当ですか!? 絶対ですからね!」
二人のどちらかが告白した訳ではない。
ただ、言葉を交わすことなく、いつの間にか恋人のような関係になっていた。
幸せ――
まだ安寧を手にしたわけではない。
けれども二人は、こうして一緒にいられるだけで最高に幸せなのだ。
いつまでも、いつの日か。終わりが来るその日まで。
隣で笑い合っていられるように。
それからしばらくして、いつの間にか二人は眠りについていた。
体格に大きな差のある身体を寄り添わせ、安心しきった顔で眠る二人。
そこへ近づく、怪しい影が一人――
「この子たちがプレイヤーたちからレイドボスと呼ばれているあの……。おぉ、なんと可哀想に……」
そのNPCは、とてもとても悲しそうに涙を流していた。
カリニャンちゃんのもふもふに埋もれたい人生だった……




