第31話 危険地帯
雪景色のような白い毛の流れを泳ぐように、櫛が滑り抜けてゆく。
繰り返し、繰り返し、何度も柔らかな白い毛の合間をするすると通ってゆく。
「にゃぁん……」
背中の毛並みに櫛が通るたび、甘い猫なで声を出すカリニャン。
ベッドの上でうつ伏せで、衣服は毛皮以外何も纏っていない。
コハクはそんなカリニャンをブラッシングしていた。
「ここはどう?」
「そこですっ……そこが気持ちいいです、お姉さにゃぁ……」
ゴロゴロと喉を鳴らして心地良さそうにするカリニャンに、コハクは嬉しそうにブラッシングを続ける。
初めは髪を梳かしていただけだったのが、だんだん全身の毛並みへと手が伸びていた。
カリニャンのもふもふへの誘惑に抗えなかった末路である。
それでもカリニャンはとても嬉しそうなので、何も問題はないのだが。
「お姉さま、お姉さまぁっ……」
「なあにカリニャン?」
「にゃぁ、にゃ……」
もはや言葉を発する事すらままならなくなってきている。
その変貌ぶりに若干の恐怖を感じながらも、本人が幸せそうなのでコハクはブラッシングを続けた。
「うううぅ、気持ちいいですお姉さま~……♪」
コハクの身長くらいの長さはあるふさふさの尻尾が、ぴょこぴょこ跳ねている。
カリニャンは嬉しいと、その尻尾を跳ねる動きをするのだ。
コハクはそんなカリニャンと戯れ続ける。
今日はヒスイとダンジョンに向かう予定なのだが、カリニャンのふあふあの魔力に負けてしまいこの有り様である。
カリニャンもコハクに触られる事が大好きなので、もはや自力でこのモフイチャを止める術はないのであった。
*
「ぐあぁっ!? 目がぁ!? 目がああぁぁっ!!!?」
コハクとカリニャンの部屋の扉を開けた途端、ヒスイの目は失明した。
プレイヤーに搭載されている【セクシャルガード機能】が発動し、性的と判定される光景を隠す謎の光が目を焼いたのだ。
「ヒスイ!?」
「だ、大丈夫ですかっ!?」
扉の前で悶絶するヒスイに駆け寄ると、コハクは咄嗟に魔法で治癒する。
その間にカリニャンは下着と服を着て、何事もなかったかのように振る舞う。
「ふー……びっくりしたぜ」
「なんで急にまた眼が焼けるなんて事が……」
「わかってるくせに……セクシャルガードだよ」
「……え? そういうことは別にしてないけど」
全く身に覚えのないコハク。
それまそのはず、プレイヤーでなくなったコハクにはセクシャルガード等という機能はもはや存在しない。
また、今行っていた行為もただのブラッシングである。
「……ブラッシングしてただけ? そういう事にしとくぜ……」
「なんか誤解されてる気がするけど、とりあえず本題に移ろうか」
ヒスイが扉を開けたのは、これから向かうダンジョンに関してのことだ。
コハクとヒスイは以前に一度、そこを踏破したことがある。魔境の中でも特に危険なエリアに存在するそこは、恐らく二人の他に攻略したものはいないだろう。
「元気かな、アイリスさん」
「まあ体調とか崩すような人じゃないし、大丈夫だろ」
あのダンジョンの最奥に眠る人物の事を思い浮かべる二人。
彼女に会いに行くために、3人はこれから数日かかる冒険に出る事になるのだ。
「悪いねジンくん。留守番は任せたよ」
「行ってらっしゃいですみなさん!」
コハクたちが留守の間、屋敷はジンとメノウに任せる事になった。
これから会いに行く『アイリス』とは、今は知ってる顔ぶれメインで行くのが最良だと判断してのことだ。通るルートも危険が多く、行くなら少数の方が良い。
それに、今のジンはけっこう強いのだ。
メノウもいれば、ランリバー級以外は対処できるだろう。
そもそもプレイヤーであるメノウがいれば、戦いすら発生しないであろうし。
また、屋敷を守るコハクの結界もある。万一結界が破られるようなことがあれば、すぐさまコハクが転移で戻って対処することも可能だ。
そういう訳で、3人は心置きなく屋敷を後にできるのであった。
*
この魔境と呼ばれるエリアにも、攻略難易度にムラがある。
コハクの屋敷がある場所は、比較的安全なエリアだ。
強力な魔物は出現するものの、危険な植物や環境は無いという安全地帯だ。
……並大抵のプレイヤーからすれば十分危険地帯なのだが。
「こっちの方に来るの久しぶりだねぇ」
「なんだか変わった感じがしますね?」
歩みを進めながら呑気に話す二人とは対照的に、ヒスイの表情は険しい。
「……気を付けろ。どこに危険があるか分かったもんじゃねえからな」
ここはコハクな屋敷から南東に位置する巨大樹の森エリア。
〝魔境〟の中でも特に危険な地帯である。
コハクの屋敷の幅くらいはある太さの幹の巨木が何本も何本も聳えたっており、その高さはそこらの山をも凌ぐほどだ。
一体ここの何が危険か。
それは、移動する〝環境〟である。
「カリニャン、下がって」
「どうしました?」
「……来る」
途端に、空気が変わった。
重く息苦しく、まるで濁った水中にいるかのような感覚。
「オォ……オォォ」
そして、〝ソレ〟は現れた。
――――――
種族名:マガツダラシ
Lv:201
――――――
それは、無数の枯葉が集まり塊となり、まるでナメクジのような形を構成した〝何か〟。
ソレから一定範囲のありとあらゆる生物から、色が抜け落ちみるみる内に枯れ朽ちる。その後ソレが通った場所からは、黒い髑髏のような形をした葉の草が生え繁る。
【シニガミソウ】と呼ばれる、危険な呪詛を孕んだ植物である。
マガツダラシの滅びを振り撒くその姿は、祟りの化身のようであった。
「ヒ……も、じ……ぃ」
レベルは200にも達し、〝凶級レイドボス〟と呼ばれる存在たちと遜色ない。
その正体は、レベル200に到達し進化した『ヒダルガミ』の成れの果てである。
シニガミソウは周囲の生物の命を吸い取ると、やがてヒダルガミへと変貌する。そしてマガツダラシはそのヒダルガミを吸収し、さらに大きく成長してゆくのだ。
マガツダラシはその巨大な魔力で、周囲を自らに有利な環境に書き換えてしまうのだ。
「……行きました?」
「うん、行った。念のため静かにね」
一行はコハクの気配隠蔽のスキルで隠れ、マガツダラシに気付かれることなく乗り切った。
戦闘になれば勝てない訳ではないが、それなりの消耗もあるだろう。
この巨大樹の森に生息する魔物の平均レベルは180を超える。
個体によっては『凶級レイドボス』に匹敵するものもおり、プレイヤー含めて魔境の中でも正真正銘の前人未到である。
【マガツダラシ】がレイドボスとなっていない所から、同格以上が複数いるという事が察せられる。
事実、マガツダラシのようにいるだけで一帯の環境を自身の有利なものにしてしまうような魔物は多くいる。
ここでレベリングをすればかなり効率的かもしれない。が、今回の目的はこの森の奥にあるダンジョン――その最奥にいる、アイリスという少女だ。
「暗くなってきましたね」
「この辺りで今日は休むとしようか」
コハクは隠蔽や防御といった様々な効果を兼ねる結界をその場で球体に構築する。
地面の中にも通すのは念のためだ。
そしてそこにヒスイがキャンピングアイテムを慣れた手つきで並べてゆく。
焚き火も魔法でお手のものだ。
「お料理は任せてください!」
「うん。頼むね」
「あ、俺のぶんはいいよ。もうログアウトしなきゃだし」
「わかりました。残念ですが、また明日よろしくです。朝食は用意しておきますからね?」
ヒスイは食材節約のために夕食を辞退した。
それからカリニャンは巨体でありながら簡素な調理器具を器用に使い、瞬く間にオムライスを作り上げて見せた。
「はい、お姉さまっ! 召し上がれ♡」
「わぁ、美味しそう。いただきます」
木の匙で黄色いふわとろの生地を一口。
するとコハクはそのあまりの美味しさに、震えながら
「美味ッしい!!! カリニャンすっごいね!」
「えへへ~、喜んでもらえて私も嬉しいです~!」
コハクとカリニャンの間に、他者の介在を許さない愛の空間が出来上がりつつあった。
「……うまそー。コハク、一口だけもらっていい?」
「いいよ?」
コハクがあまりにも美味しそうにオムライスを食べるので、ヒスイは興味本位で味を確かめてみようとした。
そして、コハクのオムライスをヒスイのスプーンが一口ぶん掬った次の瞬間。
「あーむっ!!!」
「あっ!?」
カリニャンが、ヒスイのスプーンもろとも食らいついて阻止しにかかってきた。
そのままボリボリとスプーンごと咀嚼し飲み込むと、カリニャンは不機嫌そうに言った。
「これはお姉さまのために作ったんです! ヒスイさんには明日作ってあげますから、さっさとろぐあうとしてください!!!」
「ご、ごめんなさい……?」
カリニャンは怒っていた。
なぜなら、ヒスイが掬ったオムライスの部分がコハクのスプーンと僅かに接触のあった箇所だったからだ。
――間接キスになってしまう!!
と気づき危惧したカリニャンは、やむなくヒスイのスプーンごと食べてしまうという暴挙に出たのである。
が、二人はそんな事に一切気づいておらず。
なんなら昔から距離が近かったので、間接キスに該当する行為はしょっちゅうだったりもするのだが。カリニャンにそれを知るよしはない。
「ごめんて……」
ぷりぷり怒るカリニャンから逃げるように、ヒスイはログアウトしていった。
「どうしたのさカリニャン」
「別に……」
「よくわかんないけど、僕が食べさせてあげるから機嫌直してほしいな?」
「機嫌なおりましたー!!!」
一瞬でごきげんになるチョロいカリニャン。
そして次の瞬間には餌を待つ小鳥のようにあんぐり口を開けて待機する。
「あーん……」
やや引き気味なコハクは、嬉しそうなのでとりあえずその大きな口の中にオムライス匙を入れる。
そしてカリニャンはとてもとても幸せそうに匙ごと口の中で味わい、初間接キスの味を堪能するのであった。
 
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