第3話 メイドのカリニャン
彼は現実に絶望していた。
幼い頃に両親が離婚し、母親が彼の親権を取った日からずっと。
『どうせ産むなら女の子が良かった。あんたなんか産まなきゃ良かった』
数日に一回だけ帰ってくる母親は、彼へ儀式のようにそう詰る。
彼女は息子に何も期待していなかった。髪を伸ばさせて、たまに女物の衣服を着させては〝あったかもしれない日常〟を妄想する。
しかしそれは子供が男として産まれた時点で潰えた夢なのだ。
息子の親権を取ったのは、愛からではない。
欲深い彼女にとって、たとえ忌むべきものだとしても他人に奪われる事はプライドが許さなかったのだ。
だから、せいぜい己の視界に入らない場所で辛うじて生きてくれていれば、それでいい。
彼は、親の愛情を知らずに育った。
唯一の肉親から一切の肯定を得る事もないままに、しぶとく生き延びてしまった。
高校生となった彼がそれでもまともな人間に育ったのは、親友の存在が大きいだろう。
しかしそんな親友でさえ、彼を現実世界に引き留めるには至らなかった。
彼は仮想世界に求める。
己の存在意義を。
自らが『何者か』になる事を。
――
「お、お姉さま……って呼んでもいいですか?」
「別にいいけど、どしたのカリニャンその格好?」
カリニャンを拾ってから2日後。
目覚めたコハクの目の前には、なぜかメイド服に身を包んだカリニャンが立っていた。
「お姉さまに……お仕えしたいのです。迷惑でなければ、使用人として雇ってほしいのです」
このままではお姉さまの居候になってしまうと危惧したカリニャンは、自分に出来ることは何があるか悩み考え抜いた。
そして出した結論が、身の回りのお世話をする――であった。
「いいよ。別に構わないよ。……けど、どこから持ってきたのその服?」
「お屋敷の物置の奥の方にありました!」
そういえば友達が女物の服をたくさん倉庫に突っ込んだままにしていたっけ。
どれも幼女の姿の自分にはサイズが合わず、かと言って捨てるのも失礼なので。物置の奥でずっと放置したままになっていたのだ。
「長いこと放置してたはずだけど、虫食いとか無かったの?」
「平気です! 多少の穴は夜なべして縫い塞ぎましたから!!
お母さんといっぱい練習したから楽勝です! こう見えて私、将来は素敵なお嫁さんになるのが夢なんですよ……?」
とは言ったものの、実はカリニャンは脱いだらけっこう筋肉質な体をしていた。
よってそのメイド服は、着やせしつつもややピチピチという現状なのだ。
「わたしにできる事でしたら、何でも申し付けくださいお姉さま!!」
「そ……それじゃあ、早速お部屋の掃除をお願いしようかな?」
「はい! 任せてください!!」
そして猫耳メイド服少女ことカリニャンは、コハクの部屋の掃除を始めるのであった。
その手際はとても良い。
コハクが10分はかける所をカリニャンは1分もかけずに終わらせてしまうのだ。
他にも、洗濯や料理といった家事までも率先してやってくれた。
本人はコハクの世話をするのが楽しいみたいなので、好きなようにさせる。その間コハクは特にやることもないので、綺麗になったお部屋でのんびり過ごす。
現実世界よりもこっちのゲームの世界にいる時の方が、何倍も『生きている』と実感できる。
コハクは何気ない日常さえも大切に思えていた。
それはそれとして、今度カリニャンのサイズに合ったメイド服を新調しようと思うのであった。
*
カリニャンがやってきて二月経った。
あれからカリニャンは毎日ずっとコハクの身の回りの世話をしていた。
掃除に洗濯、あと料理。
その他家事諸々も。
コハクが食事を取る時も、背後から手を回しスプーンで食べさせようとしてきた事もあった。いくらコハクが幼い見ただからと言っても、さすがにそれは限度があった。
なのでコハクはそれとなくやりすぎだと伝えたのだが、本人が理解しているかどうかは怪しい所である。
「おはようございますお姉さま~!!!」
「ふぎゅっ、ちょ、苦し……」
コハクの姿を見るなり飛び込んできて、背後からカリニャンに抱き締められてしまう。
そのまま髪をハスハス嗅がれ、ほおずりされ、しばらくしてから解放された。
「それで、本日のご予定はどうですか?」
「んぅ……、き、今日は街まで出て買い出ししてくる」
自給自足生活とはいえ、どうしても森では手に入らないものも多々ある。小麦粉や香辛料や塩などは分かりやすいだろう。
そもそもプレイヤーの体は食事など必要としないのだが、コハクは嗜好品として菓子や紅茶を好んでいる。
その上、最近は食事が必要な同居人が増えたので定期的な買い出しは大切なのだ。
ちなみにコハクは、森の魔獣の素材を売ったお金でそういった品々を買っているのである。
なお、最寄りの街はざっと数百キロは離れているが、特別な魔道具を使えば一瞬で転移可能である。
「欲しいものはある? 予算内ならついでに買ってくるけど?」
「えー、それじゃ……紅茶がいいです! お姉さまと一緒にお菓子を楽しむんです!!」
「紅茶ね。わかったよ」
本来紅茶はかなりの高級品なのだが、侵略者がこの世界に現れてからは安価で流通するようになった。
プレイヤーは物の流通や物価にも多大な影響を与えているのだ。
「それじゃ行くけど……いい? 森に入っちゃダメだからね? 屋敷の周辺は僕の結界で守ってあるけど、森には強力な魔獣が跋扈してるから」
「わかってますよお姉さま。わたしはずっと待ってますから」
「そっか。ありがと、なるべく早めに帰るからね」
すると、おもむろにカリニャンはしゃがみこんでコハクを上目遣いで見上げる。何かを期待して、カリニャンは尻尾をぴょこぴょこさせる。
「ふふ、しょうがないな」
「えへへ~♪」
そんなカリニャンの頭をコハクはまんざらでもなさそうになでなで。
猫なのに犬っぽいな……と、ゴロゴロ喉を鳴らすカリニャンを撫でながら思うコハクであった。
*
街へはカリニャンも連れていくという選択肢もあったのだが、本人が人里には行きたくないと断ったため一人で行くのである。
カリニャンにも何か事情があるのだろうと、コハクは深く理由について尋ねる事はしなかった。
それに、カリニャンは高レア度報酬の討伐対象でもある。
下手に他のプレイヤーに見つかれば殺されてしまうであろう。
そうしてコハクは一人で街に転移していったのであった。
一方、屋敷に一人残ったカリニャンはと言うと。
「さて、今日は張り切っちゃうぞ~!」
いつもより気合いを入れて、掃除に家事洗濯。
帰ってきたお姉さまがびっくりするくらいピカピカにするのだ。
「ふんふんふふーん♪」
ここへ来て二月。
カリニャンは、とてもとても満ち足りた生活を満喫している。
ここには二人の他に人はいないが、寂しくはない。
ランリバーに無理矢理連れられていた時とは違って、コハクはカリニャンをちゃんと『人』として見てくれている。
大好きなお姉さまの隣にいられるだけで、ただそれだけで構わない。
カリニャンは、自分の心に芽生えたこの感情の名を知っていた。
しかしお姉さまに伝える事はしない。
側にいられるだけで幸せなのだから。
恋心は胸の奥にしまって、今ある幸福を享受する。
ランリバーに奪われたみんなの分まで自分が幸せになること。
きっとそれが、自分に課せられた使命なのだから。
お掃除が終わったら、お庭のお花にお水をあげにゆく。
カリニャンとコハクの他に誰もいないこの森の奥にあるここは、まさに秘密の花園だ。
庭の外れに流れる沢からジョウロで水を汲んで、お花に少しずつあげるのだ。
そうやって水やりを終わらせたら、カリニャンの仕事は早くも終わってしまった。
手際が良すぎるのも少し考えものだと思いつつ、カリニャンは庭のベンチに腰かけ陽光煌めく花々を眺めながら読書に耽る。
そんな時の事だった。
「ん……あれ?」
おかしい。
何かがおかしい。
どうしてこんなに暗いのか。
気がつくと、辺りはすっかり夜になっていた。
居眠りしてしまったのだろうか。
急いで戻ってお姉さまを迎える準備をしなくては。
カリニャンは立ち上がり、まだ水滴のついた花々の脇を抜けて屋敷へと戻ろうとする。
「――ごめんくださぁい」
背後から男とも女とも聞き取れる声が聞こえてきた。
振り向いたら、誰かが門の前に立っていた。
「ど、どなたですか……?」
「ごめんくださぁい」
「あの、お姉さ……家主はただいま留守でして……何のご用ですか?」
「ごめんくださぁい」
「えっと、あの……」
「ごめんくださぁい」
埒が明かない。
カリニャンは門に近づいて、来客の姿をよく見ようとした。
そして、気づいてしまった。
「ひっ……!?」
「ごめんくださぁい」
それは、人間ではなかった。
無数の葉っぱが集まり、人間のシルエットを形作った〝何か〟。
その〝何か〟が、カリニャンにこの庭へと入れてもらおうとしているのだ。
お姉さまが作った結界のおかげで、向こうからこちらへ入れはできないらしい。
ともあれ、アレは絶対に入れてはいけない存在だ。
「ごめんくださぁい」
「か、帰ってくださいっ! せ、せめてお姉さまがいる時にまた来てください!!」
「……いれて。いれて いれて いれて いれて いれて いれて いれて いれて いれて いれていれていれていれていれていれて」
ばちんっ
〝何か〟が、結界を叩いた。何度も何度も、駄々をこねる子供のように叩いた。
それを見てカリニャンは、急いで屋敷の中に駆け込んだ。
今までも外の魔獣が結界の近くを通りかかったのを見たことはある。
けれど、アレは今まで見てきたどの魔獣とも違う。
異質でおぞましくて……何より、本能が全力で警鐘を鳴らしていた。
だから、逃げた。
その間も〝何か〟は結界を叩いて叩いて、何度も叩いて……そして――
「は い れた」
ついに、入ってきた。
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