第24話 夏の虫の知らせ
ミンミンと、やかましい虫の声が夏の到来を報せていた。
そんなべたつくような暑さの中、彼は一人で箒で落ち葉を払い、墓石に柄杓で水をかけ、束子でごしごし擦る。
古波蔵尊の墓は、実に質素で小さなものだった。
本来なら、母方の家の墓に入るはずだった尊だが、後々発見された『遺書』に墓は親戚や先祖と同じ所にいれないでほしいと、書かれていたのだ。
つまり、自分独りだけの小さな墓がいいと。
何故そう遺したのかは分からない。祖父母が亡くなればこのまま無縁仏になってしまうだろう。
ただ、彼は心の中で決めていた。
自分が、一生かけてこの墓を守ってやろうと。
少なくとも自分が死ぬまでは、お前を無縁仏にはさせない。
だから今日も、ヒスイは墓前に手を合わせる。
今日は古波蔵の一周忌だ。
ここの墓参りが終わったら、〝あっち〟のお墓にも行かなくては。
翠川久敏は、ふっと微笑んだ。古波蔵尊もそこで、笑っていてくれたらいいな。
ふとその時、久敏の頭の上に何かが落ちてきた。
――虫の知らせとでも、言うのだろうか。
それはまるで宝石のようなエメラルドグリーンの光沢を持つ虫、玉虫であった。
本来なら縁起が良い、幸運の象徴とされる生物なのだが――
久敏の頭の上に落ちてきたそれは、頭を欠損しびくびくと痙攣する死骸だった。
「……っ! 古波蔵……?」
言いようもない不吉な予感が、久敏の胸を過った。
――まさか、〝あっち〟で何かあったのだろうか。
ちょうどその時、久敏のスマホに一通のメールが届いた。
メノウからのものだった。
「おいおいおいおい……嘘だろ?!」
それを見た久敏は、大急ぎで家まで帰ろうとするのであった。
*
和布浦明香は、今日もエナジードリンクを相棒に働いていた。
パソコンをカタカタ叩き、電話を取っては取引先に詰られ、辞書のように分厚い書類の束を処理する。
いつものことだ。
ただ、今日はいつもより少し気が楽だ。
上司の追川が休みでいないからだ。
いつもいつも、自分が未婚(なんなら処女)だという事につけこんで、食事やデートや、なんならホテルにまで誘おうとしてくる。
もちろん付き合ってはいないし、年齢差は17も上である。
旧い言葉で云う、セクハラオヤジというやつだ。
だから、追川がいない今日は貴重な休日にも匹敵する平穏な日なのである。
その日の昼休憩。
昼食をとった明香は、スマホに表示された『ヴォルヴァドス公式』からのニュースを見て愕然としていた。
――――――
超級イベント! 前人未到の魔境を踏破せよ!!
ピックアップレイドボス:【墓守の白獣姫】《詳細》
――――――
「なに、これ……」
それは、魔境の中にあるカリニャンの屋敷へのルート案内と、カリニャンを討伐するために必要なさまざまな情報、そして討伐成功時に獲得できる『豪華な報酬』など様々な事が記載されていた。
すかさず明香はヒスイにそれを連絡する。
運営は、そこまでしてカリニャンを殺したいのか。
あまりにも、こんなのはあまりにも酷いではないか。
何よりあそこにはジンくんもいる。巻き込まれれば無事では済まないだろう。
「課長! 急に気分悪くなったので早退します!!!」
「は?! おい、和布浦くん!?」
*
今日はコハクが目覚めなくなってから、丸1年が経つ。
今日は実にいい天気だ。
小鳥は歌い、花は咲き誇っている。
こんな日もカリニャンは、花畑の世話といつもよりすこしだけ気合いを入れて屋敷のお掃除をしていた。
「師匠、今日って何かあったんですか?」
「今日は、お姉さまの命日なんですよ」
ジンの疑問に笑いながら答えるカリニャン。
「すっごくいい天気で良かったですよ。きっとお姉さまが見に来てくれてるのかもです。だから、いっぱいお掃除しないと……!」
「師匠はコハクさんのことを、とても愛していたんですね」
「それは少し違いますよ。今でも愛しているんです」
カリニャンの愛は、毎日毎日どんどんたくさん溢れてゆく。
けれども溢れた愛をこの世で唯一受け止められる器は、もうない。
「日に日にこの気持ちは強くなってますし、もしお姉さまが生き返るような事があれば自分を抑えられる自信がありません」
「師匠はすごいや……おれも、師匠みたいにメノウお姉ちゃんをでっかく愛せるかなぁ……」
「できますよ、きっと。そのためには日頃からちゃんと愛してるって伝える事です」
カリニャンは、もっとコハクに『愛してる』と伝えたかった。もっと『かわいい』と頭を撫でてもらいたかった。
愛だけはどんどん溢れ落ちてゆく。
落ちていった愛は何処へ辿り着くのだろうか。
後悔にも似た感情が、カリニャンの心の中にはあった。
自室に戻った後、カリニャンはいつものようにコハクの骸に愛を注ぐ。
「いつまでも、愛してますからね……お姉さま」
そうカリニャンはベッドの上に横たわるコハクに囁いた。
コハクの身体は、ベッドの上に敷き詰められた白い花々の中に包まれていた。
それはカリニャンなりの弔い方。
一周忌という節目に、ひょっとしたらコハクが帰って来てるかもしれない。
そんな気がしていた。
「――死ね」
まるで、竜巻が通ったかのようだった。
白い空気の柱が、一瞬で屋敷の四分の一ほどを吹っ飛ばしていった。
「え……えっ?」
突然の出来事にカリニャンは困惑していた。
コハクの部屋は無事だ。ジンの寝室も巻き込まれてはいない。
ただカリニャンには、今の攻撃に見覚えがあった。
「見ねえうちにずいぶんと大きくなったなぁ、【墓守の白獣姫】……いや、カリニャンちゃんよぉ?」
「あ、あなたはっ……!!!!」
木々が薙ぎ倒された森の奥から現れた男を、忘れた事はない。
それは、カリニャンがこの世で最も憎んでいる人間だったのだから。
一見すると金髪の好青年だが、その性根は下水を煮詰めたかのように腐りきっている男――。
「ランリバーああぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!!!!」
「元気そうで嬉しいなぁっ! 俺たちのために死んでくれよ!!!」
故郷を滅ぼした宿敵が、再びカリニャンの前に姿を現したのであった。
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