第14話 墓守
今日もコハクは目を覚ますはずだった。
コハクはいつも同じくらいの時間帯に目覚めるので、カリニャンはその時間になるとあらかじめ側でおはようを言うために待っているのだ。
「お姉さま……なかなか起きませんね」
けれども、今日はいくら待ってもコハクが目を覚ます様子はない。
地球で何かあったのだろうか。
何か来れなくなる理由があるのかもしれない。
だからきっと明日には、1日ぶりのおはようを言ってくれるはず。
そう信じて、カリニャンは待った。
「お姉さま……ずっと待ってますからね」
コハクの身体は暖かくて呼吸だってしている。どこからどう見ても生きているのだ。
けれども、けれども、翌日も翌々日も、コハクが目覚めることはない。
尊の身に何があったか知らないカリニャンは、それでも信じて待っていた。
日課である屋敷の掃除も、お庭の花畑の水やりも。
たった独り、今日も明日も明後日も、ずっとずっと。
コハクが目覚めなくなってから、1週間が経過した。
カリニャンは不安と焦燥に駆られながらも、なおもコハクへの愛を糧に日常を続けていた。
「お姉さま……いつになったら戻ってきてくれるんですか……?」
今日もコハクの体は暖かい。
小さくて柔らかくて暖かくて、側にいるだけで心がほぐされる。
しかしそれでも、コハクが目覚めないという事実は変わらない。
「お姉さまも私のこと、置いていっちゃうんですか?」
物言わぬコハクの脱け殻は、何も応えない。
せめて向こうの世界で何があったのか知れたなら、この不安も解消されるだろうか。
「お姉さま……今日もお掃除してきますね」
そうしてコハクの寝室を後にして、カリニャンはいつも通り箒を持って玄関前の掃除を始めた。
そして、日が沈んだ頃の事だった。
――ピシリ
「へ?」
それはまるで、何かに亀裂が入ったかのような音だった。
音は1度だけではなく何度も繰り返され、そして大きくなってゆく。
その音にカリニャンは聞き覚えがあった。
「――そんな、お姉さまの結界が……」
屋敷周辺を魔境の魔獣たちから守っていた結界が、音をたてて崩壊してゆく。
コハクは毎日魔力を注いで結界の維持をしていた。
しかしそれができなくなったことで、ついに結界は限界を迎えてしまったのである。
『ディオオオォォォォン!!!』
何かとてつもないものが来る。
それも一体だけではない。
森中の魔物が、大挙して押し寄せてくる――
コハクの魔力で作られた結界が消えたことは、森の魔物たちを駆り立てるに十分な理由だった。
結界の消失は、辺り一帯を支配する頂点が消えた事を意味する。
新たな頂点に君臨すべく、コハクの屋敷を縄張りにせんと魔境の中でも強力な魔獣たちが我先にと駆けてくる。
「なんでこんなに……」
木々をなぎ倒し屋敷の前へ現れたのは、いつか戦った人面獅子やバジリスク、その他多くの上位魔獣どもだった。
魑魅魍魎、跳梁跋扈、百鬼夜行。
魔境の外ならば、都市や国が消えてもおかしくないほどの地獄絵図が顕現しようとしていた。
「……ここは通しません!」
――このお屋敷も花畑もお姉さまも、全て私が守り抜く……!
無数の魔物たちの前に、カリニャンがたった独り立ち塞がった。
*
翌朝。
そこには大量の血と肉片と臓物が散乱していた。
その中心に、髪が白かったことさえ分からないほどに真っ赤に染まった獣人の少女が立っていた。
それは愛する人を守るため、たった独りで戦い抜いた少女の姿であった。
「お、終わった……?」
魔物たちの襲撃は一晩中続いたが、夜明けと同時にぴたりと収まった。
屋敷や花畑への被害は皆無。
カリニャンは魔物の群れからコハクを完全に守りきったのだ。
「お姉、さま……」
カリニャンとて、無傷ではない。
かなりのダメージを受けているし、全く眠らずに戦ったのだ。その疲労は凄まじい。
ふらふらとよろけながらも、カリニャンはまっすぐコハクの元へゆく。
「お姉さま……私、がんばりましたよ……」
コハクは応えない。何の反応もない。
けれどカリニャンにとっては、コハクを守れた事が何よりも救いになっていた。
コハクに寄り添い、失神するように眠りにつくカリニャン。
――お姉さまはいつかきっと目を覚ます。それまで私が守り続ける。
カリニャンの決意は固かった。
再び、夕方になった。
カリニャンはもぞもぞと目覚めると、屋敷の外へと飛び出した。
「また、来たんですか……」
昨晩と同様、魔物の大群だ。
どうやら夜になるとやって来るらしい。
カリニャンは再生能力持ちだ。眠ったことで体力も傷も癒えている。
更に昨晩の戦いでレベルも大幅に上昇している。
現在、レベル199。
手頃な小石を拾い、カリニャンは全力で魔物の群れへと投擲した。
「ギャアアアアアアッッッ!!」
小石は猿のような魔物の頭部に炸裂し、頭を吹き飛ばした。
すると……魔物を一体倒したことで、カリニャンのレベルはたった今『200』に到達し――
「うぐっ!?」
その瞬間、カリニャンの体に異変が起きた。
体の内側が熱くなり、まるで溶けているかのような苦痛。
カリニャンの全身の筋肉が大きく大きく、膨張してゆく。
カリニャンの肉体の急成長に、メイド服は耐えられなかった。
脆弱な布きれは破れ、カリニャンの白い素肌が露になる。
そしてその全身を白地に黒い縞模様の毛皮が包みこみ――
「あ、アァ……」
そこにいたのは、一頭の神々しい白き虎だった。
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称号:邪神の狂信者
名前 カリニャン
Lv 200
性別 ♀
種族 白虎
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――進化。
白猫族は、成長しレベル200を超えると『白虎』に進化する。
「ウ、ウウゥ……」
顔つきや二足歩行、体格など元の『人間の女性』らしい要素は残りつつも、カリニャンは元の体より3回りは大きい獣の肉体に変貌しているのであった。
「アアァァァァッ!!!」
カリニャンが咆哮すると、魔物の大群の足取りが止まった。
――圧倒的強者。
それは、一種の超越者に対する畏怖の感情。
しかしカリニャンは、もはや魔物どもへの慈悲など持ち合わせてはいない。
――全ては一瞬だった。
瞬きする間に、その場にいた全ての魔物の首が落ちたのだから。
進化したカリニャンの肉体は以前とは比べ物にならないほどの膂力と魔力を秘めており、もはやレベル150程度の魔物でさえ赤子の手を捻るように屠れてしまう。
しかしそんな強靭な肉体には、それ相応の栄養も必要となる。
カリニャンは耐え難い飢餓感に襲われ、悶え、そして……散乱する魔獣の肉を貪り喰らう。
進化時点でカリニャンの理性はほぼ失われている。
それは進化というよりは、先祖返りなのかもしれない。
生きるか死ぬか。
目の前に立ち塞がった物は、何であろうと殺して喰らう。
しかし、強靭な本能に飲まれた理性の中で、それでも潰えぬものがあった。
――お姉さまは、私が……
獣のように戦い血肉を貪っても、それでもカリニャンの心の中にある『お姉さまへの愛』は不変であった。
*
きょうもおねえさまはめざめません。
だからわたしはずっとおねえさまのそばにいるのです。
――1ヶ月。
カリニャンは理性も失われたまま、一月もの間戦い続けた。
とはいえ最初の1週間を過ぎた辺りから襲撃はほとんどなくなったのだが。
「にゃぁ……おね……さま」
今日もカリニャンは、コハクの隣で猫のように丸くなって眠る。
魔物との戦いや食事などの時以外は、カリニャンはずっとコハクの隣で眠っているのだ。
たまに起きてはコハクの匂いを嗅いだり舐めたり。
それで起きたらいいなと願いつつも、やはり目覚めることはない。
今日も明日も明後日も、コハクが目覚めるまでずっとずっと――
「……!」
おもむろに起き上がるカリニャン。
何かが屋敷の敷地内に侵入してきたのを感じ取ったのだ。
敵意を剥き出しにし、カリニャンは窓を開いて侵入者の元へと飛び出した。
「何だ……? 何か来る」
その水色の髪の少女は、亡き親友の遺言を守るためにやってきた。
――僕に何かあったら、カリニャンを頼む。
親友が大切にしていたNPCの少女を守るために。
プレイヤー〝ヒスイ〟は、目の前の怪物と対峙する。
体長は3m近く、全身は傷跡だらけで虎のような毛皮に包まれている。だが顔つきや体型はまるで人間の少女を彷彿とさせる。
(魔獣……? いや、獣人のようだが、まさか――)
「たち、され……ここは、わたしとおねえさまのぉっ……!!」
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レイドボス【墓守の白獣姫】
名前:カリニャン
Lv:223
種族:白虎
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「そうか、君が――」
「アアアアアアアッッ!!」
そしてカリニャンは、問答無用でヒスイに襲いかかるのであった。




