第12話 君のために
『ねえ尊。またお母さんにお金ちょうだい?』
「えっと、先月あげた50万は?」
『あれっぽっち、もう使っちゃったに決まってるじゃない!!』
ゲーム上ではコハクと名乗っている少年、古波蔵尊は、電話先の母の要求にうんざりしていた。
彼は高校二年生ながら株で10年は働かなくても暮らせる額を稼いでいる。
そのお金でゲームや関連器機を購入したのだが、がめつい母が尊の金に手をつけないはずがなかった。
『和多志たちの会はとにかくお金が必要なの! 世界を蜥蜴人の魔の手から浄化してエデンをもたらすためには、もっともっと必要なの! あんたエデンに行きたくないの!?』
「いや、別に行きたくは……」
「あたしが産んで育ててやったのになにその言い種!!!」
会話が通じない。
最近なにやら母は、オカルティックでスピリチュアルな団体に所属しその思想に傾倒しているらしい。
元々毎晩男を取っ替え引っ替えするようなろくでもない女だったが、最近はまた別の方面におかしくなっている。
まともに相手をするだけ無駄なのだ。
「僕が悪かったよお母さん。ごめんね」
「ちょっと、謝らないでよ! ネガティブな言霊は悪い氣を引き寄せるのよ! ポジティブで前向きな言霊を使いなさい!!」
心の中で大きなため息をつく尊。
もうこんな生活はうんざりだ。
あと1年半。
高校を卒業したら、ここを飛び出して一人暮らしを始めたい。母に囚われず自由になりたい。
お金はあるし、幸い時間もたっぷりある。
そこまで耐えれば……
もっといっぱい、カリニャンと一緒にいられるのだから。
尊……いや、コハクは、覚悟を決める。
「お母さん、話があるんだけど――」
――
その日の夜。
尊のたった一人の親友の元に、着信が届いた。
「おうもしもし、古波蔵? どうした?」
『こんな時間にごめん。頼みがあるんだけど……』
「……何かあったのか?」
彼は小学生の頃から親友だ。
尊の様子のおかしさに、気がつかないはずがない。
『……あった』
「そうか。……それで頼みってのは?」
『もし……もしも僕に何かあったら、カリニャンを頼みたいんだ』
この時尊は既に、自分の行く末を察していたのかもしれない。
*
「お姉さま? またぼーっとしてどうしました?」
このところコハクは、何か考え事をしていてずっとぼんやりとしている。
それでいて時たま、寂しそうな表情をするのだ。
「お姉さま……何も事情は知りませんけれど、私は何があってもお姉さまの味方ですからね」
「カリニャン……」
カリニャンは、コハクをその大きな身体で抱き締める。
コハクに何かあれば、カリニャンは気が気じゃないだろう。
「ねえ、カリニャン」
「はい何でしょう?」
「今度、僕の友達に会ってみない?」
「お姉さまの友達ですか? ぜひ会ってみたいです!」
カリニャンは今もプレイヤーが苦手だ。先日の事件の影響もあるし、ランリバーにされた仕打ちもある。
しかしコハクの友人なら、無条件で良い人だと思えるのであった。
「ちなみにどんな方なんですか?」
「一言で表すと……変態?」
「へっ?」
「とにかく色んな性癖に精通してて、森羅万象に欲情するようなヤツ」
「だ、大丈夫なんですかその人……」
「いやまあ変態だけど、良い人だよ? 変態だけど……」
コハクは親友に色々と救われているのだ。
彼がいなかったらコハクはこのゲームをやっていないし、もっと早くに首を吊っていたかもしれない。
だから、心底感謝しているのだ。
変態だけど。
「い、いい人ならダイジョブそうですが……わ、私はお姉さま以外に身体を許すつもりは……」
「さすがに見境なく襲ったりはしないよ。僕は襲われたことあるけど」
「襲われた……? 私のお姉さまに何ですかそいつ会ったらぶん殴ってやりますよ!!!」
「いや大丈夫だって、友達同士の戯れみたいなものだから!!!!」
本人でもないのに全力で弁明するコハク。
興奮するカリニャンを落ち着かせるには、それからまたしばらくの時間が必要なのであった。
*
「それで……お姉さまの住んでる世界はどんな所なんでしょうか?」
落ち着いたカリニャンは、それからコハクにそんな質問をした。
「そんなに悪い所じゃないと思うよ。魔法は無いけど、技術も文明も発展してて、食べるに困ることもそうそうない」
「それは、素敵な世界ですね。……いつか、もしも私がお姉さまの世界に遊びに行けたら、その時はエスコートしてくれますか?」
「僕の故郷に来たいの? そうだね、向こうでの僕は姿も性別も違うけど、それでも一緒にいてくれるなら」
「当たり前ですよ! お姉さまはお姉さまなんですから! あ、でも男性でしたらお姉さま呼びはちょっとおかしいですかね……」
カリニャンは、どこまでもコハクの側にいたい。
たとえ姿も性別も産まれた世界が違っても。
「ありがとうカリニャン。本当に……」
「お、お姉さま?! 泣いてるのですか!!? もしかして酷いこと言ってしまいましたか!?」
「ああいや、傷ついた訳じゃないよ? ただ、嬉しくってね……」
カリニャンから向けられる剥き出しの好意が、愛情が、今はただコハクの心にひたすら沁みる。
「もしも本当に来れたなら、いっぱいカリニャンをおもてなししないとね」
「ふふふ、期待してますよお姉さま?」
コハクは覚悟を決めた。
カリニャンとの幸せな日々を守るために、立ち向かうと決めたのだ。
「カリニャン。あと1年と半年くらいしたら、もっと一緒にいられるようになるよ」
「そうなんですか? 楽しみです!」
「うん。そのために僕、頑張るね」
窓から射し込む黄昏の光が、カリニャンと向かい合うコハクの背中を照らしていた。
――そろそろ時間だ。
プレイヤーがログアウトする時、その肉体を残すか消すかを選べる機能がある。
残すと魔物や他プレイヤーに倒されてしまう危険性もあるが、そちらの方がリアリティがあるとあえて残すプレイヤーも多い。
コハクは肉体をこちらに残す方だ。カリニャンが寂しがらないよう、わざわざベッドの上で眠るようにしてログアウトするのだ。
「おやすみカリニャン」
「おやすみなさいお姉さま。また明日……」
瞳を閉じたコハクの額に、カリニャンはそっと口づけをした。
明日もまた会えるように、いつまでもただ一緒に笑っていられるように、そんな願いを込めて。
*
そしてその日から、コハクが目を覚ますことはなかった。




