疑い深い原口さんに「好きだ!」と告白しても全然信じてくれない
とある春の日の放課後、俺・蒲田隆一は校舎裏で一人の女子生徒を待っていた。
校舎裏には大きな桜の木が植えられており、この時期になると美しい桃色の花を付ける。校舎裏ということで滅多に人が来ないことから、ここは絶好の告白スポットとして有名だった。
校舎裏が告白スポットであるならば、俺がここにいる理由も一つしかない。言うまでもなく、告白だ。
【放課後、校舎裏の桜の木の下で待っています】
今日の昼休み、俺は意中の女子生徒にそんな内容のメッセージを送った。
昨年の文化祭の時、「皆に聞いて回ってるから」とちゃっかり手に入れた彼女の連絡先。「よろしく」と送って以降何ヶ月も動きがなかったトーク画面に、いきなりこんなメッセージが送られてきたんだ。さぞ彼女も驚いていることだろう。
彼女とはクラスメイトではあるものの、部活や委員会が一緒というわけではない。
だから特別仲が良いわけでもなく、それ故俺の呼び出しに応じてくれないのではないかという不安もあった。
チクタク、チクタク……。時計の針は進んでいく。
彼女の所属クラスのホームルームは既に終わっている。だって俺と同じクラスなんだもの。
それでも未だ姿を見せないとなると、もしかして先生に頼まれことでもしたのかな? それとも、友達との会話が弾んでしまっているとか?
真実はわからない。しかし何か理由があるのだと思わなければ、呼び出した側の心が保ちそうになかった。
――30分後。
彼女はまだ姿を見せない。
校庭からは野球部が元気よくランニングする声が聞こえており、いよいよ本格的に放課後が始まったのだと実感する。
ふと校舎を見上げると、既に半分以上の教室の電気が消えていた。
俺と彼女の在籍する教室も、その一つである。
……もうこれ以上、現実逃避は出来ないな。
彼女はきっと、ここに来ない。俺は告白する前に、失恋したのだ。
俺は地面に置いていた鞄を持つ。
家に帰って、録り溜めしていたドラマでも見るとしよう。ハッピーエンドのラブストーリーは悲しくなるだけだから、サスペンスにしようかな。
そんな若干サイコパス的なことを考えながら、校舎裏をあとにしようとすると――女子生徒が、俺の方へ近付いてきていた。
彼女こそ、俺の呼び出した女子生徒・原口涼菜に他ならなかった。
原口は桜の木の下に着くなり、何よりもまず俺に頭を下げた。
「遅くなってごめんなさい。先生に頼まれ事をしてしまって」
「気にしないでくれ。来てくれただけで、十分嬉しいよ」
「そう言って貰えると、こちらも助かります。……それで、どういった用件で、私は呼び出されたのでしょうか?」
すっとぼけている様子など微塵も感じさせずに、原口は俺に聞く。
……おいおい、ちょっと待てよ。告白スポットとして有名な校舎裏の桜の木の下に、異性から「話がある」と呼び出されたんだぞ? 用件なんて、一つしかないじゃないか。
しかし前述した通り、原口は本気で呼び出された理由がわかっていない。
その瞬間、俺は理解した。
原口の中に、自身が告白されるという選択肢は存在しないのだ。
まったく。告白されると思っていないとか、どんだけ自己肯定感の低い女なんだよ。
わかっていないのなら、教えてあげれば良い。どうせ告白するつもりで彼女を呼び出したんだ。今更尻込みする必要なんてない。
「原口、君のことが好きだ。俺と付き合ってくれ」
俺は胸に秘めていた恋心を、原口に打ち明けた。
付き合ってくれとは言ったものの、俺だっていきなり恋人同士になれるとは思っていないさ。そりゃあ勿論、付き合えればそれに越したことはないけど。
まずはお友達から。その言質が取れれば、今日のところは及第点としよう。
そう思っていたのだが……
「……え? 私のことが好きって、どうしてですか? 信じられません」
返ってきたのはイエスでもノーでも、ましてやお友達からの言質でもなかった。
「どうしてって……そんなの、上手く説明出来ないだろ? 自分でも気付かない内に好きになってたっていうか、だからそこに理屈なんてないっていうか」
人を好きになるって、そういうことではないだろうか?
しかしそれは、あくまで俺の価値観で。
その価値観が、一般的なそれと合致しているのかはわからない。だけど少なくとも、原口とは相違していた。
「説明出来ないものを、どうやって信じろっていうんですか? 人に何かを信じて欲しいのなら、それに足る根拠を示して下さい」
根拠って、えー……。
「中学時代、私は今みたいに校舎裏に呼び出されたことがあります。【大事なお話があります】という一文とハートマークの添えられた便箋を受け取れば、誰だって告白だと思うでしょう? でも……どれだけ待っても、手紙の差出人は現れなかった。全部私を笑い者にする為の悪戯だったんです。それ以来、私は人から向けられた好意を、確かな証拠がない限り信用しないようにしているんです」
どうやら原口は過去の苦い経験から、異性から向けられる好意に疑心暗鬼になっているようだ。
過去に嘘の告白をされて、それが黒歴史になっている人間は結構いると思う。だけど原口のように、「人からの告白を信じない!」というくらいまで拗らせる人間は、滅多にいないと思う。
どうやら俺の告白は、「好きだ!」と伝えるだけでは終わらないらしい。
俺の好きを原口に信じて貰う。そこからが本当のスタートなのだ。
◇
俺が原口のことを好きである確かな証拠。それを模索することこそ、俺の恋を成就させる取っ掛かりであり、必須条件だった。
「とはいえ、原口のことを好きな証拠って言われてもなぁ」
恋心には指紋やDNAのような、決定的物証が存在するわけじゃない。自分が恋だと思えば、或いは他人からの指摘を受けて恋だと自覚すれば、その時点で恋だと断定されるのだ。
最も尊くありながら、最も不確かな感情。それこそが恋であり、愛であり、すなわち恋愛というものである。
「こういう時は、まず原点に戻るとしよう。考えるべきは、原口を好きになったきっかけだ」
答えのわからない難題に直面した時は、前提条件を見直してみる。勉強でも恋愛でも、それは同じことだ。
俺が原口を意識し始めたのは、去年の体育祭の時だ。
俺たち紅組は白組と近年稀に見る程の接戦を繰り広げており、勝敗は最終種目の学年混合リレーの結果に委ねられた。
勉強はからっきしの俺だけど、足の速さにだけは自信がある。紅組二学年代表に選ばれていた俺は、前の走者からバトンを受け取ると――30メートルくらい走ったところで、盛大に転んでしまった。
顔面から前方に転ぶその姿は、それはもうギャグ漫画のようだったという。
転んだ俺になど目もくれず、白組の走者は俺を抜き去っていく。
挽回すべく慌てて立ち上がり、走り出す俺だったが、想像以上に膝の擦り傷が痛んで全力疾走出来ない。
結果アンカーにバトンが渡される前に、取り返しのつかないくらいの差が生じてしまった。
走り終わった俺に、紅組の仲間たちは優しい言葉をかけてくれた。
「わざと転んだわけじゃないんだろ?」、「転んでしまったものは、仕方ないよ」。だけどそんな気遣いも、所詮表向きだけ。内心では「お前のせいで体育祭に負けたじゃねーか」と思っているに違いない。
本当に皆がそんな風に思っているのかなんて、わからないって? ……どんな優しい言葉をかけられようと、俺は信じられなかったね。
原口の言葉を借りるならば、それこそ「証拠がない」だ。
俺の失態により紅組のテンションがただ下がりしている時、その出来事は起こった。
俺同様紅組二学年代表に選ばれていた原口が、前の走者から受け取ったバトンを落としたのだ。
それはただのバトンミスじゃない。故意的に起こしたバトンミスだった。
今更バトンミスをして、どうだっていうんだ? 敗北という結果は変わらない。
だからこそ、原口はわざとバトンを落とした。
「蒲田が転んでなくても、原口がバトンミスして結局負けてたんじゃないか」。周囲にそう思わせる為に。
「俺があの時どれだけ救われたか、お前にはわからないだろうな。いや、別にそんな一方的な感謝なんて、わからなくたって良い。俺がお前を好きだってことを信じて貰えば、それで良いんだ」
単に「好きだ」と伝えても、原口は信じない。だったら……信じざるを得ない状況を作り出すしかないな。
俺は明日、原口の予想だにしない方法で彼女に告白をする。
◇
翌朝。この日は毎週火曜日恒例の、全校朝会が催されていた。
長ったるしい校長の話の後、内容の薄い生徒会長の話。そしてそれ後各委員会からのお知らせが入るというのが、毎週の流れだった。
『それでは続いて、生活委員会からのお知らせです』
いつもは面倒くさい朝会だが、今日だけは違う。俺は原口への告白が失敗した(フラれたわけじゃない)昨日から、このタイミングを心待ちにしていた。
生活委員会副委員長を務める俺は、登壇するなりマイクを自分の顔の高さに調節する。
さあ、職権濫用の時間だ。
「生活委員会の、蒲田です。この場をお借りしまして、伝えたいことがあります」
そんな前置きをしてから、俺は大きく息を吸い込んで、
「原口、好きだあああ!」
生活委員とは一切関係のない恋心を、ハウリングが起きるくらいの声量で叫んだ。
突然の告白に、騒つく生徒たち。見ると教職員連中や生徒会役員たちが、俺の暴挙を止めるべく動き出している。
時間がない。伝えたいことは、一刻も早く言葉にしなければ。
「普通に告白しても、原口は信じてくれないと思った。だから全校生徒の前で告白することで、この学校の全員に俺が原口のことを好きだと知って貰う。それをこの恋心の、証拠にしたい!」
公開告白を受けた原口はというと、何も言わずにその場から駆け出した。
向かうのは体育館の出入り口ではなく、ステージの上。つまり恥ずかしさのあまり逃げ出したわけじゃない。
周りの目なんか気にせず、自分のやるべきことをやる。原口はそういう強い女だ。
原口は選抜リレーの選手だ。教職員や生徒会役員なんて瞬く間に抜き去り、誰よりも早く俺の前に辿り着いた。
「まずは一言だけ言わせて下さい。バカなんじゃないですか?」
「あぁ、そうだな。俺はバカだ。だから結局お前を好きだという確かな証拠を見つけることが出来なかった。でもきっと、そんなものいくら探しても出てこないんだろう。だからさ、これから二人で一緒に、この恋が本物なのか証明していかないか? 大丈夫、絶対証明出来る。なにせ時間はたっぷりあるんだもの」
「あなたって人は、本当に……。もう一言だけ、言わせて下さい。――私も蒲田くんが好きだと、証明したいです」
この恋心に関する物的証拠がないのなら、可能な限り状況証拠をかき集めるしかない。手始めに――俺は原口と、唇を重ね合わせるのだった。