シナリオ通りには動かない
「…あれ、居ない…」
そこは学園の庭園奥にあるいつもの東屋。
いつもならそこで、リリィの真似をして自作した弁当を広げて居る筈の人物の姿が見えなかった。
「…たまにはいっか」
私が女だと打ち明けたあの日から、リリィと来ていた東屋はアイシアとの場所になってしまった。
出来る事なら断りたかった。
でも彼女を野放しにしておいたら、きっと隙を見て私の秘密をリリィに暴きに行くのだと思うと、従わざるを得なかったのだ。
今でも怖い。
いつかバラされるんじゃないかと、魘される日だってあった。
今のところ、彼女の言う事さえ聞いていればその心配はなさそうだけど…。
リリィとまともに会うことが出来なくなって一年。
学園に入学した時、リリィが入学してくるまでの一年間よりもずっと長く感じて、そして酷く寂しい気持ちでいっぱいだ。
私は今でもリリィが好きだ。
…でも、リリィは?リリィの気持ちは?
一年も他の女生徒に時間を費やす男なんか、愛想を尽かされてしまっても何も文句は言えない。寧ろ当然の報いだ。
それなのに、私はまだどこかで期待している。
リリィは、私を想ってくれているのだと。
私がリリィの誕生日に大きなテディベアを送った返しか分からないが、今年の私の誕生日には大きなウサギのぬいぐるみが送られてきた。
16歳の男子にぬいぐるみって…。
一瞬困惑したが、付属されていた手紙に書かれていたのは、私が書いたのと同じく『この子をわたくしと思って可愛がってくださいね』と書かれていた。
それを見て思わず笑ってしまったけれど、嬉しくもあった。
ああ、リリィはまだ私を想ってくれている。
そう、確信出来たのだから。
『化け物みたいに見るのよ?』
時折思い出す。アイシアのあの一言が頭から離れない。
私の事を知られてはいけないのだ。
知られてしまえば、もう彼女との未来は閉ざされてしまう。
それだけは嫌だ。
「…ん?なにこれ…」
気付かなかった。
東屋の白いテーブルの上に、同じく白い封筒が置かれていた。
同化していて気付かなかったのか…。
封筒は開けなくても差出人は分かっている。
アイシアからだ。
今度は何をされるのだろうと中の紙を広げると、そこには一言だけ記されていた。
『お昼時、食堂へお越しになってください』
昼時、という事は今になる。
わざわざ呼び出すなんて…、今度は何をやらかすつもりなんだ?
後ろ髪をぐしゃと掴んだその時、この手紙の意味を思い出した。
彼女はリリィに接触しようとしている。間違いない。
私は手紙を握り潰して無理矢理ポケットに入れ、急いで食堂へと向かった。
ゲームの展開を知っているならもっと早く気付くべきだったと自責の念にかられる。
身分も関係なく使える食堂はゲーム内ではリリーナによく嫌がらせをされた記憶がある。
アイシアはそれを逆手に取って、彼女は何かしでかそうとしている。
どのゲーム場面か思い出せない。
けれど急がないと…!
私が食堂に着いた頃には、既にその『イベント』は発生していた。
「酷いですわリリーナ様…!あたしの教科書やノートをこんなに切り裂くなんて、そんなにあたしの事が気に入らないのですか…!!」
わあわあと泣きながらズタボロの教科書達を抱き締め泣き崩れているのは、紛れもなくアイシアだった。
突然の事に固まっているリリィは、それは冤罪だと口にしても、何も聞く気はないようだ。
リリィが声を掛けようとする度、泣きながら発せられ響く高い声は食堂中に広がっている。
嗚呼…此処は、ヒロインを貶めようとする悪役令嬢から、王子がヒロインを助けに来るシーンだ。
泣き真似も上手くなったものだ。
食堂に居る皆の注目の的となっている。
そして、彼女は私を見ると口元だけをにたりと上げた。
…なんてゾッとする表情をする子なんだ。
一年前のあの時、狂気に満ちた彼女の様子を思い出す。
さあ、早くあたしを助けて?
そう言われている気がして、足が竦んだ。
此処でヒロインを助ければ、シナリオ通りに事態は進む。
でも、本当にそれでいいのか?
愛した人を傷付ける子を、どうして愛せると思っているのか。
私は足を踏み出せば、彼女の笑みは益々強くなる。
だけど…。
「何を騒いでいるんだい」
彼女が目を見開いた。
何故かって?
私はリリィを後ろに隠すように、庇うように立ったからだよね?
「ケイト様、ケイト様お聞きになって!貴方の婚約者のリリーナ様が、あたしに酷い事ばかりするの…!」
「…ケイト様、わたくし、身に覚えがありませんわ…」
「嘘よ!ケイト様!騙されないで!」
喧しく叫ぶ様な声と、か細く怯えている声が両方から聞こえてくる。
私はリリィを背に隠したまま、泣き崩れていたアイシアに目を向ける。
「アイシア嬢。君の教科書やノートを傷付けたのはリリーナ嬢だと言うんだね?」
「そう!そうですわ!あたしとケイト様の仲が良いのを妬んで…」
「証拠は何処にあるんだ?こんなにも大勢の前で彼女を犯人だと言えるんだ。それ程の証拠があるんだろう?」
アイシアは口をパクパクとさせながら次への言葉を探している。当然だよね。
だってリリィは彼女に何もしていない。
アイシアの自作自演なのだから。
「そ、それは…、…そう、髪、髪ですわ!リリーナ様の髪が落ちていたんです!それが証拠です!」
そうして彼女はリリィのバーカンディ色にそっくりの髪を一本私達に見せた。
けれど、どうやら彼女は詰めが甘いらしい。
確かに似ているその一本の髪。
しかし、リリィの髪質と違うものだ。
リリィは癖毛で、ウェーブの掛かった髪をしている。
対して、リリィの髪だと掲げられたそれは真っ直ぐな癖のない髪質だった。
「その髪…、リリーナ嬢の髪とは、随分髪質が違うように私には見えるよ。見ての通りリリーナ嬢の髪は少し癖がある。それなのにその髪は真っ直ぐで、癖一つない物じゃないか」
アイシアの表情が段々険しくなっていく。
それもそうだろう。
自作自演だという事が周知されそうなのだから。
証拠と言うのであればもっと別な物を用意しておくんだったね。
「リリーナ嬢ではない誰かの仕業だと思うよ。君が望むなら私が徹底的に調べよう。リリーナ嬢の名誉にも関わってくる事だから…」
「……、いいんですの?ケイト“さま“」
一瞬、周りの空気が冷たく、重いものへと変わっていくのを感じた。
「今此処で、言ってしまっても…、あたしは構いませんのよ?」
「…っ!」
開き直りやがった…!
それだけでなく、私を脅してくるなんて…!!
怒り心頭だが、これで本当に此処でバラされてしまえば多くの問題が発生する。
あまりにも人数が多い場所だから、彼女は此処を選んだのだ。
彼女の目は私をじっと捕らえている。
…私に、選択肢は無いという事か。
「…リリィ、ごめんね」
私は小声でリリィに囁いて、彼女から体を離しアイシアの元へと向かった。
「……、ケイト様……?」
リリィの声に、振り向こうとした時、アイシアが私の腕に絡んできて私をじっと見つめてくる。
その瞳に逆らえず、私は彼女が腕を引くまま、食堂から離れていく事しか出来なかった…。
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「酷いです、ケイトさまぁ。何故助けに来てくれなかったんですか?あたしすごくすごく悲しいです」
「…冤罪だとバレたら、後から困るのは君の方だよ」
「まあ!まあまあ!つまり、あたしを助けてくれたという事なんですね!あたし嬉しいです!」
私達は東屋に戻ってきた、いつものように。
それらしい事を言っておけば、アイシアは勝手に勘違いしてくれた。
腕に絡んでくる彼女が鬱陶しくて仕方ないのに、私は彼女に従うしか道がない。…でないと。
「危なかったですわぁ、もう少しでケイトさまの秘密を話してしまうところでしたよ?」
……やっぱり、あの目は脅しだったか。
アイシアはリリィの目の前で自分を選ばせた事に機嫌が良いのか、饒舌に語り出す。
「教科書もノートも犠牲になってしまいましたけど、あたし達は唯一この世界の行く末を知る者同士ですものね。でもちゃんとシナリオ通りに動いてくれないと困っちゃいます。修正するの大変なんですからね?」
「でないと、…貴方が女の子だということ、話してしまいそうですわ」
さっきから背筋が震えっぱなしだ。
彼女の目は何度見ても、一秒たりとも笑っていない。
こんなにも笑顔を貼り付けているのに、その目は自分に従わないのなら容赦なく秘密をバラす、と。
きっと彼女がそう言ったところで、信じる人なんて居ないのだろうけど、もしかしたら…、と最悪のシナリオすら浮かんでしまう。
リリィにバレたら、きっと私は…。
「ケイト様が、女性…、?」
がさ、と茂みの方から音がしたと同時に聞こえた声。
振り向くとそこには、その丸い瞳を大きく見開かせたリリィが立っていた。
だけどそれは、私が一番恐れていた事。
「…っぁ」
聞かれてしまった。
声も出せない、弁明も出来ない程の絶望の中。
アイシアだけは笑みを崩さず、満足気に私に凭れかかっていた。




