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虚白

作者: 塩れもん

 ー無音

 ―無色

 ―無機質

 そこが私の部屋。ここにあるのは清潔な白いベッドと名前も知らぬ大きな医療機器。 私以外は誰もいない孤独な空間。寂しくないと言えば噓になるが、もうすぐ一年が経つせいか随分と慣れた。


 高校一年生の五月、私の心臓は突然の病に侵された。原因は不明。私の心臓は機能不全に陥り、意識がないまま病院に連れてこられ、気づけばベッドの上に寝かされていた。その時の私の体は全身が重く、息苦しさがあり、本当に自分の体かどうかを疑うほどだった。それからというもの私の生活の大半はベッドの上で、身動きも思うように取れず、窓の外を眺めることが私の日課だ。

 その窓からは花が見える。白い羽のような花弁をつけた花。その花の名はマーガレット。私は何故かその花に心が惹かれ、どこにでもある花とは違って、無視できずにはいられなかった。


 「はぁ~」

 何も代り映えのない日々にため息がこぼれる。窓の外を眺めるとマーガレットの花がぽつぽつと花を咲かしている。その花々を摘んで、この何もない空虚な部屋に飾ってみたいとは思うものの、この病弱な体では叶いそうもない。再び、ため息がこぼれそうになると病室のドアが無造作に開かれる。


 「よっ、紫季」

 そこにいたのは無地のTシャツに短パン履いた子供っぽさが残る青年。彼の名前は光希。私の幼馴染であだ名はみっちゃん。みっちゃんとは家も近いので小さい頃からよく遊び、一緒に登下校していた。そして、今も偶にこうして見舞いに来てくれる。

 「元気か?」

 「元気ならこんなところにはいないでしょ」

 「ははっ、元気そうだな」

 彼は幼い少年のように笑い、私の言ったことをまったく聞いていない。体は大きくなっても、心の面はまだまだ幼く見える。


 「紫季は昔から変わらないな」

 みっちゃんはボソッと呟く。

 「何が?」

 「いや・・・」

 みっちゃんはやや私の顔の下を見て、視線をそらす。

 「ッ!」

 彼の言葉の真意がわかり、急激に羞恥心が私の顔を真っ赤に染め上げる。

 「どこ見てんのよ!」

ベッドの上にある大きな枕を掴み、彼の顔を目掛けて思いっきり投げつける。見事、彼の顔面にヒットし、ばたりと倒れ込む。


 本当に子供だ。デリカシーの欠片もない。体が大きくなって、少し男らしさが見えたと思っていたのに、昔から何にも変わっていない。


 「何すんだよ」

 「みっちゃんのバカ」

 「俺、何も言ってないじゃん」

 「見てた」

 「何を?」

 「胸」

 「・・・」


 無言の肯定。やっぱり見てた。ほんと最低。

 それから他愛のない口論が繰り広げられていると、病室のドアが静かに開く。

 「紫季ちゃん、検査の時間だよ」

 「由紀さん」

 病室に入ってきたのは看護師の由紀さん。清潔感のある白いナース服に赤縁眼鏡。いかにも知的なお姉さんという感じでスタイルも良く、美人ナースとして病院の患者内でも噂されている。女の私でさえも見惚れてしまうくらいだ。それに人当たりも良く何でも話せて、私の心の支えとなっている。


 「じゃあ、俺は帰るわ」

 「うん」

 みっちゃんは由紀さんにぺこりと頭を下げて、病室から出て行く。彼が去っていた後の病室はいつも通りの空虚な空間へと帰る。私も由紀さんの手を借りてスタンドを片手にゆっくりと病室から検査室へと向かう。 

 


 無色の通路に非常口の緑の光が良く目立つ。

 松葉づえをついた若い青年に車いすの白髪交じりの老人、時折、私より小さい幼稚園生くらい女の子が元気な明るい笑顔ですれ違っていく。年齢を問わずこの病院には多くの患者が入院している。

 その検査に向かう通路の途中で。

 「ねぇ、紫季ちゃんはあの子のこと好きでしょ。確か名前は…光希君だっけ」

 「えっ~~~!」

 素っ頓狂な声が長い通路に響く。多くの通行人が何かあったのかとこちらに目を向ける。

「なっ、なんで!?」

「なんでって、見ればわかるわよ」

「私、そんなに態度に出てますか?」

「うん、とっても楽しそう。それに今の反応だって」

「えぇー、どうしよう」


赤面した顔を両手で隠し、つい恥ずかしくて通路の端に座り込む。もしかして好きなことバレてる?

「気づいてないのは彼だけだよ」

「そっかー、良かったぁ」

安堵のため息とともに胸を撫でおろす。それでも少し胸がドキドキする。私の気持ちが由紀さんに知られていたことに。 


「でも、痴話喧嘩はほどほどにね」

「ちっ、痴話・・・してないですよ。というか聞こえてたんですか!」

「ふふっ」

 その日の私の検査結果は異常な結果になってしまった。


 私は今、恋をしている。

 みっちゃんといるだけで嬉しくて幸せな気持ちになる。

 このかよわい心臓も彼と話しているときは大きく躍動し体中が熱くなる。嫌なことも全部忘れられる。

 だけど、私はまだ本当の恋というものを知らなかった。



 なんとなく気が晴れないこの六月。度重なる雨とべたつく湿気が鬱陶しい。この季節はどうも好きになれそうにない。髪はべたつくし、病院にいるせいでろくに髪のケアもできない。はっきり言って最悪。

 そんなことを思いながらも相も変わらず、私は窓の外の白いマーガレットを眺めていた。白い羽をつけたマーガレット。以前に比べ、多くの花が開花し、打たれる雨に負けじと凛と咲き誇っている。


 その雨に打たれるマーガレットを見ていると、病室のドアが無造作に開かれる。ドアの方に振り向くとそこにはいつもと変わらない無邪気な笑顔で笑っているみっちゃんともう一人女の子がいた。

「えっ、その子は誰?」

 私の脳内はフリーズし、開いた口が塞がらない。まさか女子を連れてくるなんて。それってつまり・・・

「紹介するよ。名前は俊子で、俺の彼女」

「えっ!?」


 思わず高い声が上がる。未だ私の脳は状況についていけていない。


「初めまして。俊子と言います。よろしくお願いします」

「こっ、こちらこそよろしくお願いします」

 彼女の丁寧な挨拶に思わず私まで畏まる。

 彼女はみっちゃんより少し身長が低く、黒髪ショートでお淑やかな子だった。だが、一番気になったのはその胸だ。高校生にあるまじきその豊満で魅惑的な胸に何とも言えぬ感情が浮かぶ。やっぱりそういうことなのか。


「なっ、何か?」

 私が彼女を無意識に凝視していると、少しだけ引きつった顔で尋ねてきた。

「あっ、ごめん。なんでもないよ。ところで、二人はいつから付き合っているの?」

「半年くらい前からかな」

「結構前からじゃん」

 予想以上に随分と付き合いが長い。でも、彼女いたのに私のところにお見舞いに来ていたってこと?それって実際どうなの。

「紫希さんのことは前から光希君から聞いていて、それで今日は私がお願いして会いに来ました。」

「そう」


 それから、彼女と話をしているうちにいくつかの共通の趣味が見つかり、思わずみっちゃんを差し置いて二人で話し込んでしまった。あの映画が好きだとか、あのドラマ良いよねとかそういう話。会ってまだ間もないけれど、だいぶ仲良くなれた気がする。

「今度、また来てもいい?」

「また来てよ。退屈な私の話し相手になって」

「うん、それじゃあ、またね」

そう言って、みっちゃんと俊子は病室から出て行った。


「みっちゃんはあんな感じの子がいいんだなぁ」



 私はみっちゃんのことが好きだけど、彼は彼女を選んだのだから私の恋は結ばれない。そうだよね、こんな病弱な私を好きになってくれるはずないもの。だったら、この気持ちはしまっておこう。そうすれば今の関係は崩れることもないし、俊子とも仲良くやれるはず・・・


 あれからもみっっちゃんが病室にお見舞いに来てくれるたびに俊子も一緒にお見舞いに来てくれた。ここしばらく同学年との女子と話せていなかったからとても楽しい。

 だけど、私の心はもやもやしていた。みっちゃんと俊子が病室から出て行く時の虚しさ。廊下から聞こえる楽しそうな二人の声。


 ずるい。


 私もこんな体じゃなければ、みっちゃんの隣にいたのはきっと私のはずなのに。私の方がみっちゃんが好きだ。この気持ちだけは誰にも負けない。だけど、こんなことを思っていたとしても何も変わらない、何も出来やしない。

「少し疲れたな」

 私は布団を頭まで被り、虚夢の眠りへと就く。


「紫季ちゃん、紫季ちゃん」

遠くから私を呼ぶ声がする。ゆっくりと目を開けると目の前には由紀さんがいた。

「検査の時間けど、体調大丈夫?少し顔色悪いよ」

「少し疲れただけです。大丈夫ですよ。早く行きましょう」


 私は弱い自分を見せまいと笑顔で応える。それでも、由紀さんにはどうやら敵わなかったようだ。

「何があったの?言ってごらん」

 真っ直ぐな美しい瞳が私の心の奥に突き刺さる。本当に由紀さんには叶わない。なんでも見通されてしまう。でも、だからこそ抱え込んでしまう私にとっては大きな救いになるのだろう。


 「私、どうしたらいいのか分からないんです」

 「うん」

 「私はみっちゃんのことが大好き。だけど、みっちゃんには彼女がいて、その子もとても良い子で大切な友達。でも、どうしてもその子のことが憎いの。彼女は何も悪くないのに。」

 「・・・」

 すると由紀さんは強く握り絞められた私の震える拳の上にそっと乳白色の手を置いて、優しい声で語りかける。

 「憎いと思う感情は悪いことじゃないと思うよ。きっと紫季ちゃんはそれだけ光希君のことが好きということだから」

 「えっ」

 「紫季ちゃんが彼のことを好きなら、ちゃんと気持ちを伝えないとね。例えそれが報われない答えだとわかっていても。気持ちを伝えることが大事なんだよ。紫季ちゃんの想いにはきっと応えてくれるはずだよ」

 その言葉を聞いて、私の心は不思議とすっと落ち着いた。本当に由紀さんには敵わないな。

 「私、決めた。この想いをきちんとみっちゃんに伝える。例え、それが望まない答えだとしても」

 「うん、頑張って」

 私は新たに大きな決意をする。この好きな気持ちをみっちゃんに伝える。そして、彼の驚いた顔を見て、笑ってやろう。

 

 だけど、ますます病魔が私の心臓を蝕み、ただただ悪化していくばかり。体は思うように動かなくなり、抱いた決意は歪なものへと変わり、死への末路を辿っていく。



 じめじめとした梅雨はまだ明けない。

 今日も灰色の雲が空を覆い、街を薄暗く染める。薄暗い闇の中、不釣り合いに大地を白く染め上げているのが、目に映る。私がいつも見ていた花。白いマーガレット。その花々は重苦しい雰囲気の中、満開に咲き誇り、不躾で悪目立ちのように思えるが、やはり、どうしても惹かれてしまう。未だにその理由がわからない。


 既に私の体は以前の私の体ではなかった。体は痩せ細り、肌の色は生気をなくし、手足には青白い血管が浮き出している。自分の命が長くないことくらい自分がよくわかる。別に生きたいとも思わない。だけど、この気持ちだけはちゃんと伝えたい。

 「大好き」

 ただ一言だけを。私の心臓が蝕まれていくたびに、私のブレーキがかけていく。もう止められない。最後のわがままを許して。


 今この時もみっちゃんの顔が頭から離れない。あの無邪気で幼い笑顔をもう一度だけ見たい。いつものつまらない冗談で私を笑わせてほしい。

 すると、病室のドアが無造作に開かれる。

「よっ、元気か?紫季」

「みっちゃん・・・」


 彼の顔を見た瞬間、心の奥底から抑えきれない感情が溢れ出す。理性などない。ただ彼を好きという衝動が私のかよわい心臓を突き動かす。ドクンドクンと脈を打ち、私は握りしめた拳を胸に当て、本当の想いをぶつける。

 「ねぇ、私・・・」

 言葉が喉の奥で詰まる。ただ一言だけを言いたいだけなのに。もう一度、深呼吸をし、口を開くと。

 「あのさ、聞いてくれよ。俊子がさ・・・」


 えっ、待って。

 何で今、彼女の名前が出るの?

 どうして?

 今は私の話を聞いてよ。私だけを見て。


 その時、私の心は歪なドス黒いドロドロとしたものへと成り果てる。

「やめて・・・」

「それでさー、俊子がね。」

「やめて・・・」

「めっちゃ可愛いところがあるんだよね」

「やめてよ!」

「・・・」

「何で、どうして!今、彼女の話をするの。私だけを見て」

 ギスギスした感情が口から吐き出る。


 「落ち着けよ。どうしたんだよ」

 「うるさい!みっちゃんには私の気持なんかわかんないよ!どんな思いで私が過ごしてきたのか。どれだ  けみっちゃんのことを・・・」

 「訳わかんないよ。言いたいことがあるなら言えよ」

 「もういい。みっちゃんなんて大っ嫌い」

 「・・・」

 「出てって・・・出てって!」

 冷たい間が空虚な空間に染み渡り、静かな足音が病室から消え去っていく。


 何であんなこと言っちゃったの?

 違う。

 私はそんなことを言いたかったんじゃない。もうわからないよ。

 視界がだんだん涙で濡れていく。もう手では抑えきれなくない。ぐちゃぐちゃの顔を布団で隠し、私は泣いた。言ってしまった後悔が私のかよわい心臓をさらに締め上げる。もうイヤ。


「私、最低だ」


早くこんな心臓なんて止まってしまえばいいのに。


「どうしたの?」

 布団の外から優しい声がささやく。

 私はぐちゃぐちゃな顔のまま、顔を上げるとそこには由紀さんがいた。優しい笑顔でその瞳は私の心を見透かしている。

「その様子だとちゃんと言えなかったんだね。」

「私、みっちゃんに最低なこと言っちゃた。本当はあんなこと言いたい訳じゃなかった。ただ私の気持ちを伝えたかっただけなのに。」

「うん」

「みっちゃんといると、とても楽しくて幸せで自分が特別なように思えた。でも、みっちゃんに彼女ができてから、心が苦しくて、気持ち悪くて、イタくて、イタくて、イタくて、どうしようもなかった。でも・・・今はみっちゃんと一緒にいたい」


 私はぐちゃぐちゃな顔で泣きじゃくりながら言った。すると、由紀さんはそっと優しく私の体を抱きしめ、私の心に語り掛ける。

「じゃあさ、次会った時は謝らないとね。そしたら、本当に言いたかったこと、本当の気持ちを伝えようね」

「もう駄目だよ。許してくれない」

「大丈夫。光希君も紫季ちゃんが本当は違うことを言いたかったくらいわかっているよ。長い付き合いなんだから。だからさ、素直に言えばいいと思うよ。きっと応えてくれるから」

 歯止めの利かない眼からさらに大粒の涙が零れる。由紀さんは私の心にそっと寄り添い魔法のような治療をかけてくれる。

「由紀さん。ありがとう」



 その三日後、私の心臓は一度停止した。急いで担当の医師が駆け付け、心肺蘇生を行ったことで何とか一命を取り留めた。でも、もうわかっている、本当に最期なのだと。きっと直接はもう言えないだろう。やりきれない残念な思いもあるが、なんとしても想いを伝えるために私は最後のお願いをする。


「ねぇ、由紀さん」

「何?」

「鉛筆と紙を持ってきてほしい。それと・・・」


 私は窓の外を指さす。そこには一輪の白いマーガレットが咲いている。以前まで咲き誇っていた花々の跡はなく、濃緑の葉だけが残っている。その中に一輪だけぽつんと寂しく残っている。今になって漸くその花に惹かれる訳がなんとなく分かってきた気がする。


 私はその一輪の白いマーガレットを指さし、それを取って来てほしいと由紀さんにお願いした。

そして、最後にみっちゃんへ手紙を綴る。最後の手紙を。上手く指先に力が入らないせいで少し字が汚いけど、きっと許してくれるから問題ない。


 ごめんなさいと大好きな気持ち。そして、どうか私を忘れないでいてほしいと彼に傷をつけるために最後の言葉を残す。





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