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共演者やスタッフの人たちに一通り挨拶を終えた後、私は速足で楽屋に戻ってきていた。この後はすぐに別の場所に向かい、十月からのドラマに向けた読み合わせが入っている。今日が初の顔合わせになるようで、夜は懇談会が行われる。
楽屋に戻ると、野中マネージャーが誰かと電話をしている最中だった。私は初めて見る人だが、野中さんについては事前に理佐ちゃんから話を聞いている。「見た目の通り、きびきび仕事をする人であり、メンバーにも親身になってくれる優しい人」とのことだったが、確かに、皴一つないスーツにはきはきと喋っている様は理佐ちゃんの話通りの人に見える。電話が終わると、野中さんはこちらに笑顔を向けてきた。
「お疲れ様!本当は出演前には来たかったんだけど、仕事で遅れちゃって。ごめんなさいね」
「いえ、大丈夫です。この番組も初めてではないですし」
「……そっか。そしたら早速だけど、次の現場に向かいましょう」
はい、と頷いて私は野中さんの後をついていく。後ろに束ねられた茶髪がひらひらと揺れていて、とても可愛らしく見えた。
車の中では、野中さんが用意してくれたサンドイッチを食べながら、これから読み合わせする台本を読み直していた。
木曜二十一時から放送予定のドラマ、月並みなサヨナラ。略称、"つきナラ"と呼ばれる作品。
私にとっては初めて見る台本だが、内容は完全に頭に入っていた。たくさんの付箋と書き込みが、理佐ちゃんの努力を物語っていた。
「よろしくお願いしまあす!プロデューサーの滝です!」
車から降りると、滝と名乗る人が元気に挨拶をしてきた。顔の皴から察するに、四十から五十代といったところだろうが、遊ばせた茶髪やシャツの胸元にかけられたサングラスが、実年齢との差を感じさせる。私の想像する”芸能界の偉い人”にぴったりな人だと思った。
野中さんが名刺の交換を終え、滝さんの後ろをついていくと、広い講堂に通された。中にはたくさんの人がいた。今日は顔合わせ兼ねているので、本ドラマに関わる出演者やスタッフがほぼ全員集まっているのだろう。
滝さんが強く手を叩いて、皆の注目を集める。
「皆さん、山本美鈴役の春手理佐さんが入られましたあ!はい、皆拍手!」
滝さんの言葉が終わり、大勢の人が私に向かって拍手を送る。私は恥ずかしく思いながら、丁寧にお辞儀をした。
その後、滝さんに連れられて監督の四谷さん、その他裏方や共演者に一通り挨拶を行った。理佐ちゃんとしても初めましての方ばかりであったが、皆優しく、また初対面の方に対しても自然に言葉が出てきてくれたので大変助かった。十も二十も違う人たちと何を話していいかわかんないし、それが初対面の人ならなおさらだ。
時間になり、全員が集まったところで再度全員の紹介が行われ、その後スタッフの人がほとんどいなくなり、演出家と出演者が残った。大きい円卓に座り、読み合わせが始まった。読み合わせは、台本を読んでいき演出家から感情の入れ方や表現方法などの指導が入る……というものなのだが、案の定、私の口は勝手に喋ってくれる。アイドルの時と違い、役に入り込んだ理佐ちゃんの声はまるで別人のように聞こえた。度々演出家によるストップが入る中、理佐ちゃんはほぼ止められることがなかった。
読み合わせが終わり、陽が落ちる時刻になった頃、滝さんが講堂に入ってきた。
「これから懇親会に行きますよお!我々は先に行ってますので、皆さんも準備が終わったら順次向かってきてください!」
言い終わり、滝さんが講堂を出ると、野中さんが私のところにやってきた。
「お疲れ様。それじゃあ、ご飯食べにいこっか」
野中さんが来たことで、私の身体からホッと力が抜けた感覚があった。理佐ちゃんもこの場には緊張があったということだろうか。
「それでは、つきナラの成功を祈願して、かんぱあい!」
滝さんの言葉に続いて、かんぱーいという声が聞こえ、至る所でグラスとグラスが当たる音が聞こえてくる。私は未成年であることから、ウーロン茶を片手におずおずと近くの人たちとグラスを合わせる。……いや、居酒屋とか始めて来たし、こういう場のマナーとかわからないし、周りは知らない人ばかりだし、どうしたらいいのか……。
ざっと周りを見る。最初に講堂にいた人たちはほとんど来ているのだろう。かなりの人数であることがわかる。私の周りには共演者の方が集まっている。席の配置も最初から決まっていたのだろう。本当は野中さんの近くが良かったのだが、野中さんはプロデューサーのいる席に案内されていた。
不安だ。お腹は空いているけど、勝手に取ってもいいのだろうか。上の人から順に取っていくとか、そういうマナーがあったら困るし……などと考えていると、中々手を出すことが出来ない。
私が地蔵のように固まっていると、私の前に取り分けされた皿が差し出された。
「気を遣わなくていいんだよ。若いんだから、どんどん食べなさい」
言って、目の前の人は穏やかに笑った。"つきなら"で私のお父さん役を行う、名前は確か、唐沢さん。ドラマでよく見る人気の俳優さんで、年齢は私のお父さんと同じくらいだったはず。テレビで見る唐沢さんは、役柄のせいか厳格なイメージがあったけど、今ここでは親戚のおじさんみたいな親しみやすさがある。
「ありがとうございます、いただきます!」
ちょっと声が上擦ってしまったが、お礼を言って唐揚げを一個口の中に入れる。うん、お腹が空いていたから、唐揚げの脂がとても沁みる。
「可愛いねえ。私も娘が欲しかったわ」
唐沢さんの横にいる、私のお母さん役を行う石田さん。肌も髪もきれいで、とてもじゃないが四十代の人には見えない。
「私は娘がいるが、わがままばかりで大変だよ。この前なんて、お父さんと洗濯一緒にしないで!なんて言われてしまって……傷ついたなあ」
「お父さんはそういう宿命なのよ」
唐沢さんはがくっと肩を落としていた。
ふふっ、と自然に笑みが零れた。芸能人もこういった話をするとは思わなかった。何だか、とても親近感。
「女の子も大変だろうけど、男の子も大変よ。反抗期なのか、全然口も聞いてくれないし。亮くんが息子だったら良かったのに」
「きっと息子さんも照れ隠ししているだけですよ。美人なお母さんだから、余計にそう思っちゃうんです」
私の隣に座る吉井亮さんはさわやかな笑顔で答える。今作、月並みなさよならでは理佐ちゃんと吉井さんのW主演となっている。若い男女が主演となると恋愛ドラマを想像しがちだが、今作は夢に挫折した少年と何度挫折しても諦めない少女の話で、全体的に暗く胸が締まるシーンが多い。まあ、現役アイドルが主演のドラマで恋愛要素を取り入れるのは、あまりよろしくないだろう。キスシーンなんてあった日には、我々ファンが黙っていない。
それから、会話が途切れることなく時間は進んでいった。唐沢さんと石田さんが時々話を振ってくれて、あっという間に時間が過ぎていった。
懇親会も終わりに差し掛かり、前の二人がお手洗いに席を立ち私と吉井さんがポツンとなった時、吉井さんは神妙な顔でこちらを見てきた。
「春手さん。その……えっと……最近は、お仕事忙しいですか?」
歯切れ悪く言う吉井さん。私としては、今日が一日目なので忙しいかと聞かれても答えようがないのだが、私の口は「程よくお休みもいただいているので、楽しくやらせてもらっています」と答えた。真意はともかくとして、模範的な回答だろう。
悪くない回答だと思っていたが、それでも吉井さんは心配そうにこちらを見る。何を言いたいのかわからず次の言葉を待っていると、言葉を選ぶように途切れ途切れに口を開く。
「春手さんとは今日が初対面ですが、役への入り込みも出来ていたし、スタッフさんへの挨拶もしっかりしていました。業界内の評判は良いと聞いていましたが、実際その通りだと思いました。まあつまり、何が言いたいかと言うと……俺は春手さんを応援しています!……ってことです」
真っすぐに見つめる視線は、私を離さないでいる。
世間からの少なくない悪評を、吉井さんも知っているのだろう。その上で、今日の数時間の中でその評価が間違っていると言ってくれているのだ。残念ながら私は理佐ちゃんではないけれど。でも、理佐ちゃんのことを良く言ってくれることはとても嬉しい。出来ることなら、理佐ちゃん本人にも聞いてほしかった。
「私たちも応援しているからね」
いつの間にかお手洗いから戻ってきた二人が、後ろから私の肩を叩いた。周りの人たちも、好意的な眼でこちらを見てくれる。
「ありがとうございます」
理佐ちゃんは皆から愛されている、その事実が私はとても嬉しかった。