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「えっと、私が理佐ちゃんで、理佐ちゃんも私で、わたしががわたしで……ええとお……」
「落ち着いて」
目線をぐるぐる回しながら、顔をあちらこちらに動かしている私の手を取り、私の姿をした理佐ちゃんは言った。普段の私よりも、低い声。そのおかげか、目の前にいる女性が少なくとも私そのものではないことがわかった。
「色々考えなきゃいけないことはあるけど、その前にまず私たちはそれぞれの生活を行わなければならない。私は青葉さんの、青葉さんは私の生活をする。いい?」
理佐ちゃんは落ち着いた様子で、整然と話を進めていく。置かれている状況は私と同じはずなのに、どうしてこうも冷静にいられるのだろう。同い年なのに、私よりもずっと大人だ。もしかしたら、私が子供すぎるのかもしれないけど。
……ん?それよりも。
「理佐ちゃん。私の名前知ってるの?」
頭の中に出た疑問をそのまま口にする。理佐ちゃんの方はさっき自己紹介してもらったし、鏡に映る姿はテレビやライブで見るアオハルの理佐ちゃんそのままだったので、疑う余地もなかったけど、私はまだ自己紹介をしていない。一体、どうして……。
「知ってるわ。青葉さん、よく握手会に来てくれていたでしょ。……って、どうして泣いてるの!?」
理佐ちゃんは私の姿を見て、驚いたように声を上げた。
理佐ちゃんが心配してくれている、泣き止まなきゃ。そう思っても、涙は止まってくれなかった。
私のことを覚えてくれている、それがファンとしてこの上なく嬉しかった。決して、期待していたわけではないが、私の存在を知っていてくれたことは、この上ない喜びだった。
数十秒して、泣き止んだ私を見て、理佐ちゃんは話を進める。
「とにかく、私たちはそれぞれの生活を行わなければならない。青葉さんのこれからの予定はスマホのスケジュール表に入っているから、その通りに動いて。パスワードは私の誕生日なんだけど、わかる?」
「四月十八日だよね」
私はバッグに入っていたスマホを取り出して、誕生日の番号を入力する。スマホが開いて、アプリが映る。理佐ちゃんのスマホには、ゲームや写真を盛るような娯楽系のアプリは一切入っていなく、既存のものと仕事に関係していそうなものがいくつか入っているだけだった。その中の一つを、理佐ちゃんの指示のもと、タップする。すると、カレンダーが出てきて更に今日の日付をタップすると、時間ごとの予定が出てくる。
見ると、びっしりと予定が詰め込まれている。最後の予定が夜の十一時、そこまでほぼ休みがないように見える。売れっ子のアイドルというのは、ここまで大変なものなのかと、私は驚いた。テレビ等で理佐ちゃんを見るのは精々一日に一時間もあればという程度だが、実際、彼女はその何十倍もの時間仕事を行っていたのだ。
「……これは、たまたま今日が忙しいだけ……?」
「いや、毎日こんな感じね」
私は頭に手をやり、大げさに頭を動かす。こんなの無理だ、耐えられない。
……というか、そもそも理佐ちゃんの代わりなんて務まるわけがないんだ。私は、アイドルとしての理佐ちゃんしか知らなく、歌も踊りも出来ないし、彼女の交友関係も知らない。おまけにこの忙しさ。絶対どこかでボロが出る。そうなった時に私は、理佐ちゃんに迷惑をかけてしまうかもしれない。輝かしい彼女のキャリアに傷をつけてしまうかもしれない。
そのことが、他のどんな不安よりも恐怖だった。
「ねえ、無理だよ。私には理佐ちゃんの代わりは出来ないよ」
「大丈夫。どっちにしても今はやってもらうしかないし、何か困ったことがあればすぐ連絡してきていいから」
「でも、変なこと言っちゃって、理佐ちゃんの仕事減らしちゃうかも……」
「それも、大丈夫。いざとなったら……辞めるだけだから」
「えっ?」
私が聞き返すと、理佐ちゃんは何でもないと言って、話を切り替えた。
それから、私の学校とクラス、仲良い友達の名前を教えて、夜の十二時に二鐘公園で待ち合わせることにして、私たちは別れた。
去っていく理佐ちゃんを見て、私はさっき彼女が言った言葉を反芻した。
”辞めるだけだから”
投げやりにもとれる理佐ちゃんの言葉、でも今の私にはその真意を汲み取ることは出来なかった。