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冒険者の旅  作者: カルタへーナ
国紹介
8/10

『懸崖の台地』(=ゾフト・モルクチャガ)

『懸崖の台地』(=ゾフト・モルクチャガ)

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・・・コスタンリ=シーニャ帝国・・・改訂中

《帝国圏:帝国の威光がある程度通用する地域》

〔中央圏:帝国の屋台骨を支える地域として栄えている…帝国支配層の75%を輩出しているだけの田舎〕 旧コスタンリ王国

〔地方州圏:コスタンリ系貴族によって統治される従属地域…現地土豪や豪族が真の権力者〕 旧ヌスロ候国、旧アートルア王国、旧フロイシ伯領、旧ウジクァト河畔都市域、旧テリリ山脈防衛府、マンテカナ生存湿地帯、オルテンべ砂嘴郷土圏、旧モスヤゴ大壁国

〔属州圏:帝国の認識では辺境の従属国だとされる…独特の風土と文化を持つため自治を黙認した放任状態〕 ファムゴン朝、イコーラ人支配域、ネズサ朝、イスカドッチ叡士国、セルヘン部族王権域

〔帝室属州圏:帝国と帝室の扱いづらい同居人…開拓困難な魔境や反帝国感情の強い地域や政軍関係上の要衝〕 旧メドゥマ同盟圏、旧リスイメ狂王領、旧カタロ教ジョフ派都市、旧ザカイヤ鉱山組合、旧リリト人国跡地、旧エパス湖畔連合体、竜巣監察府、キュタン諸島封鎖域、ルピリカ協定開発区、友邦ヌム諸国領郡

〔帝国総督管区:帝国圏の海洋に設けられた監督区域の支配者…イピリム外の予測不能な動きに対処する皇帝直属の狂信者〕 パンジカ総督領、セルバナンド総督領、ルシナ総督領、クヤ・フィリポ総督領、ガチョ・ナシメン総督領

 

 

 大陸オスル最西のイピリム半島に於いて君臨する強大な覇権国家。“半島統一戦争”の戦乱の中で急成長を遂げた最大最強勢力である。統一戦争時、王国はただの山間を治める小国に過ぎなかったが、モーレリア山脈以東で激化した魔導結社の復興運動に敗れ、半島へと流れ着いた孤児同然のシーニャ派と呼ばれる結社と手を結び急速に勢力を拡大させた。

 魔導結社は現在「塔」と名前を変えて、賢者とその高弟を中心とする研究機関として帝国内の様々な方面に影響力を拡大している。ただし、賢者の地位を巡っての謀略が繰り返されており一枚岩では無い。魔導技術をほぼ全て独占しているに等しい「塔」は帝国宮廷の政治にも平然と介入しており、国家の統制を外れた危険分子として当局から危険視されているものの、代々帝国とその象徴である歴代皇帝に忠誠を誓っている。

 外から来た者にとっては封建社会が色濃く残っている様に見えるが、内外に危険分子を数多く抱える帝国にとっては、親帝国土豪・豪族の育成による従前権力の塗り替えは合理的で有益な手段なのだ。皇帝の威光は実際のところ、あらゆる地域へと深く浸透している。しかし、古来より絶対的な権力者を嫌う半島人の気質故か油断は出来ず、既存権力層は常に帝室の権力を削ごうと暗闘している。

 当然、これらへの体制改革も今までなかったわけではないが、カルチマンキ4世の暗殺に始まる建国以来の皇帝暗殺劇は成功事例だけで実に11回も起きている。しかしカルチマンキ4世が心血を注いで形作った帝国の権力機構は鉄壁であり、幾度も倒壊を防いできた。

 これらの政情不安には王国時代からの宗教組織である「祈り小屋」も少なからず関係している。「塔」が魔導を独占するなら、「祈り小屋」は神秘全般を手中に収めている。彼等は、宮廷で毛嫌いされている「塔」と違って諸侯と密接な繋がりを持っているので強い後ろ盾を得た気になっているのだ。帝国内では常にこの2者による権力闘争が行われており、その影響が少なからず帝国の負の面として表面化している。

 歴代の皇帝はこの2者の衝突を上手く利用しながら、内部に友好勢力を造り、彼等を通して両者の仲立ちを行ってきた。この手法には「祈り小屋」と「塔」も歯痒い思いをしてきたが、結果的にそれが皇室と帝国への忠誠心を高めることに貢献している

 雑多な勢力が国内に数多く潜伏し、帝国の勢力圏に組み込まれても絶えず不満を持ち反乱が発生するので、必ずしも強固な国家とは言えない。近年の帝国では異端審問が横行している。しかしこの動きに関しては皇帝は勿論のこと、「塔」や「祈り小屋」両者の思惑や国益から外れるので誰もが困惑している。これらの問題は国力向上の大きな妨げとなっている。

 半島を征服する野心は統一戦争を生き延びた諸勢力との力関係を前にしては現実的ではなく、お題目として使い回されているのが現状だ。実際に何度も大陸・半島諸国と小競り合いや戦役が発生しているが、大抵は帝国各地の領主達の動きに大きく起因するようだ。だが中には皇帝自らが積極的に領土獲得に乗り出すこともしばしばある。

 最近の例では20年前の魔大陸(現地呼称[ルピリカ])発見時、探索艦隊の重要支援者であることを活かしてルピリカ大陸勢力との間で協定を結び、現地に橋頭堡を築いたことだ。橋頭堡は現在、租借地へと拡大し、同じく艦隊の支援者だった連盟と共に周辺の共同開発を行っている。帝国は現地調査と原住民の取り込みに勤しみ、連盟は周辺のインフラ整備と治安維持を担っている。帝室が直接管理することで余計な横槍を挟まずに、今後間違いなく帝国に莫大な利益をもたらすと予測されているが、安全な定期航路の捜索が上手く進まず、軌道に乗るには今少し時間が掛かるようだ。

 そして40年前に南方西岸で獲得した5箇所の友邦ヌム諸国領郡が挙げられる。オスルの民にとってスコイラ帝国が侵攻してくるまで、危険な魔海である南海を抜けた先にある大陸のことなど、どうでもいいことだった。古代王国時代は至上目的であるヒト種の生存域拡大のために入殖都市が厳しい開拓の末に完成し、現地に勢力圏を持っていた。地盤を引き継いだ古代帝国も南方を重視し、複数の現地王朝と相互協約関係を結んだそうである。

 だがそれも大移動による徹底的なインフラ破壊と古代帝国文明圏外の種族や民族の流入で無に帰した。その後の時代は海洋都市国家の発展著しかったクレヨン半島圏やペラクトス半島、南方からの逆移民が一定数存在するイピリム半島のみだけが細々と交流を続けるだけとなっていた。大半の民は南方に浮かぶ大陸の存在自体は知っていたが、超大型魔物が蔓延る暗黒大陸といった認識だった。それも魔導国家群が打ち出した大魔導伝導圏(古代帝国の領域奪還を大義名分化)構想で両大陸が強制接続された瞬間に終わりを告げた。“南海大戦”を経た両大陸民達は互いの存在を無視できなくなった。

 南方大陸、または単にヌムとだけ呼ばれる大地は未だに全貌が掴めない。しかし原住種族や部族には総じて神君統治に傾倒する傾向があり、個々が持つ神話の中ではヌムこそが人類発祥の地であると指し示す解釈が共有されている。一方オスルが把握している領域は統一連盟でさえ、大陸北岸一帯とその後背にあるマカハ大砂漠からラーチェロ高原に跨る領域に限られている。その更に奥地にも局所に存在する強力な魔境や原初の大自然等に身を委ねる複数の種族や部族が割拠しており、それらを束ねる堅固な国家的勢力の存在が幾つか確認されている。つまりヌムは暗黒大陸ではなく、オスルと同等かそれ以上の文明が存在する幻想郷なのである。

 しかしその一歩手前の南海は状況が違う。“南海大戦”によるスコイラ撤退とその後の内政崩壊で発生した難民により以前にも増して海賊業への転身が加速しオスルの南岸は人攫いと略奪の草刈り場となった。

 南海全域を版図にすると大々的に宣言した移動水中神殿都市に暮らす古代帝国民の子孫らに率いられた『ペルネオーン海神帝国』が水上の争いには不干渉の態度を見せたので海賊達は余計図に乗った。一方の海神帝国は調子に乗って陸地にまで手を出し始め、全南海種族へは従属化を要求し、海賊行は分け前をピンハネすることで見逃す蛮行を行なったのである。

 結局、偏屈な宗教観にウンザリした陸地は全土で反乱が起き、南海種族達はレンドス騎士団の旗の下に反抗し、海賊は自由を求めてさっさと裏切った。トドメは統一連盟の海賊対策を重視する南方進出だった。神殿都市は焼き尽くされ、生き残りは神殿都市の浮上聖地だったミカレイナ諸島に落ち延びた。彼らの心の支えだった海神は騎士団によって回収され密かにレンドス島に保管されている。

 海神帝国亡き後の南海では海賊達の実力が再評価され、再び需要が急騰した。つまり海賊業へ南方北岸国家が積極的に支援を始めたのだ。オスルの大国化の影響は南海にも秩序を求めたが、自由に拘る海賊が従うはずもないため大国の中には策源地である南方北岸の一部を直接奪う強硬策に乗り出す国もある。とはいえ、オスルにとってはあくまでも安全保障の一環(連盟と共和国は東方航路開拓が含まれる)であるため、積極的なヌムへの進出や領土化といった野心は存在しない。それは帝国も同じではある。

 帝国の当時の南方の敵国はネズサ朝であった。ネズサ朝の強みは既に圧倒的な力を誇っていた帝国制空軍を以ってしても航続距離不足で引き返すしかないマカハ大砂漠の奥地へ宮廷ごと移動できることだった。北岸に面している平地がどれだけ焼き払われても後背にあるクスコス山脈を盾として後退し、帝国軍が引いてから再び戻って土地を取り戻すのだ。しかも山脈は豊穣な天然資源の宝庫だから、ヌムの熟練の海賊や傭兵を大量に雇用できるので戦力には困らなかった。山脈攻略を帝国は数十年試みたが、北大陸(南方側の認識)の侵略者達を嫌う南方人の士気は高く、膠着化した隙に補給戦を脅かされて毎度退却を余儀なくされた。その動揺が飛び火して毎回叛乱や暴動が本土で発生する始末であり、まさに鬼門だった。

 そんな時期にある密告があった。奇妙な内容で、その領地に居るはずのない部隊がある筈のない街に招かれたという。報告したのは戦傷で退役した浮浪者で、信憑性に乏しかったが帝国軍事査問委員会(実態は軍属の反乱分子の把握)は念を押して小規模の観測分遣隊を派遣した。そうして掴んだ事実は、大規模な謀略が進行中であるとのことだった。

 カタロ教は南海西部の海沿いで両大陸問わずに広く信仰されている。連盟によって発祥地を含んだ教圏が版図に組み込まれて以来、その他の教圏同士で誰が主導権を握るかで熾烈な衝突を続けていた。この宗教は教義が大雑把すぎて沢山の宗派に分裂していたのが問題だった。発祥地を失い抑えが無くなったのだ。その内部抗争を利用してつい最近半島沿岸部の教圏を手際よく回収したのが帝国だった。当初はコスタンリ系の貴族によって分割し、時間を掛けての同化が試みられたが、何を勘違いしたのか手っ取り早い弾圧と浄化が選択され、皇族(皇室は帝位継承者を、皇族は歴代皇帝の系譜にあり宮中住まいが許されている者を指す)の一部にも同調者が出たことでより過激化した。その振る舞いは帝国内のカタロ教信者達の結束を促し、当局から目を付けられていた。

 今回の謀略は貴族内や軍内の信徒と半帝国の支援者が結び付いて出来たことだった。それよりも皇帝を驚かせたのは旗印として協力している人物がブラーボ家の人間だったことだ。ブラーボ家はカルチマンキ4世の後の皇帝を輩出した生家であり、国内の安定化に尽力したとして、王朝が途絶えても大公爵の位を授けられていた名門であった。代々の帝位を狙っていることは公然の秘密であり、大貴族や歴代皇帝は常々邪魔に感じていた。その家門を滅ぼせる絶好の機会になり得ることを皇帝は喜んだが、謀略の解明を続行するよう当局に命令することも忘れなかった。

 皇帝は早速定期の視察行に偽装した鎮定軍(殆どカタロ教関係者)を編成すると、自ら出陣し謀略の支援者達を旅先で次々に暗殺させた。そして仕上げに旧教圏を治める貴族達を踏み潰して教圏全土の帝室属州化を宣言すると同時に謀略の事実を発表した。ブラーボ家は一門の没落が決定的となったが、謀略に加わった男は教圏から追放され南方へと落ち延びた。その後は大陸同盟の条約都市で豪遊していた所を踏み込まれた元浮浪者から吐き出させた内容から、1人の大貴族と取り巻きの何人かが闇に消え一挙に事態は収束に向かった…かに見えた。

 唆されたブラーボ家の男が南方のネズサ朝で食客となっていることが判明したのだ。そして事もあろうに王朝の支援を受けた帝国内での蜂起を諦めていなかった。確かにブラーボ一門は没落したとはいえ男に罪を全て擦りつけて権力の死守に成功していた。それに皇帝の処置に不満を持つ貴族達も、鳴りを潜めているが無視できない数存在することが分かっていた。

 碌に征服した領地を治めずに権力闘争に明け暮れ、何かすれば文句ばかり言い、挙げ句には名誉を求めて勝手に戦争に遁走する貴族達に対して、統治困難な地域を命懸けで治め、その負担を肩代わりしている皇室の忍耐は限界に来ていた。遂に皇帝はネズサ朝の完全征服とブラーボ一門や同調貴族の一掃に乗り出すことを決断した。そのための派遣軍の総司令官として、ある1人の壮年女性が謁見の間へと呼び出される。

 ホアナ・ル・トコリコ・シレ・ブラーボは当時41歳になる軍人だった。ブラーボ一門直系の長女として産まれながら一門の栄誉と義務を捨て、軍隊に入隊した彼女は瞬く間にその才を発揮し、旧狂王領や旧同盟領で起こった反乱の鎮圧に始まり、フロイシ伯領で起きた農民一揆の迅速な解決、郷土圏との盟約の再確認やその他の魔境地域の征伐、国内脅威や災害の排除や支援で名を上げた。遠征作戦では、ジェスコ市国との同盟で北部都市国家群やオエス=テミ国からの増援を相手取り、アカテシア王領奪還の指揮官の1人として加わり、本土を海神帝国とモルタニア王国の侵攻軍から防衛したり、レンドス騎士団と共闘した海神帝国の海底寄港地の1つの攻略を成し遂げるなど目紛しい戦功を手に入れてきた。彼女は帝国が誇る8魔将(プロパガンダ要素が強いが全員化け物じみた実力を持っていることは間違いない)1人として【紺碧】の名を与えられていた。これと言って美人ではないが、もの悲しげだが強い決意が秘められた目を持った落ち着いた雰囲気の女性で、男っ気は噂一つ立たず、それでいて男以上に冷酷な判断を下し、兵達に自然とついて行かなければならないと思わせられるタイプだった。

 呼び出された彼女に向かって皇帝は速やかに弟を匿っているネズサ朝の併合と遠征軍の司令官の地位に就く旨を伝えた。

 彼女は黙って従う姿勢を示していたが、部屋を出る直前に振り返り、陛下はそれほど一門がお嫌いなのですかと聞いた。

 皇帝は、そうではなくお前の所に逃げ込んで養ってもらっていながらも愚痴が引っ込められない者達が嫌いなのだと言った。続けて、無論お前の不肖の弟には死んでもらうが、お前が匿っている一門にも犠牲を払ってもらう。そして、帝国の意思に不満を抱く臆病者共も同様にな。全てが終われば、晴れて一門の復権を認めてやろう。そろそろ血を流す頃合いだとは思わないかねとも言った。

 ホアナは静かに、それが帝国の意思であるならばと呟いた。ホアナが去った後の謁見の間には白けた様な雰囲気が漂った。皇帝は今回の事態を自分の苛立ちが引き起こしたのだと気づいていた。しかし、どうにもならない。帝国の意思が定まれば、皇帝でさえも覆せはしないからだ。

 帝国はこの機に南方敵地の完全攻略と不穏分子のすり潰しや判別を行おうとしていた。一門が新たな旗頭に仕立てようとする彼女を総司令官として頂く征伐軍は巨大な踏み絵だった。帝国を裏切った男の追跡捕獲という大義名分もあるのだ。貴族達には何人も文句など言わせはしない。逆に国家を食い潰す皇族を消すのにも良い機会だった。こうして彼女は皇室と帝国の期待を見事に果たすのだが、果たし過ぎて事態が大ごとに発展した。

 ネズサ朝を屈服させるにはマカハ大砂漠への逃げ道を断てば十分だ。しかし制空軍の手の届かない程広大で恐ろしい魔境でもある大砂漠に手を出すことに帝国は躊躇していた。その問題をホアナはヌムの西岸、大砂漠の西の入江に徴発した艦隊で乗りつけてその場に一大航空拠点を作り上げることで解決した。彼女の功績は行動を共にする工兵師団抜きに語れない。帝国の海運力は市国やその他の同盟国、或いは民間に頼りきりだったので、誰もが意表を突かれたのだ。最も、彼女が海を重視したのは偶然ではなかったが…。

 全て順調の様に思えたが、この出来事が今日の南方大陸ヌム奥地にまで広がる帝国の威光と介入の始まりとなった。航空基地の副次施設が建てられ始めた頃、珍しがって眺めている友好関係を築けた周辺に住むゴージ人(ヌムの黒人種)の代表がホアナにもう直ぐ大規模な商隊が来るから大人しくしといた方がいいと忠告に来た。彼女が私たちで話を付けると言うと、余所者のことなんぞ聞かない、それに連中の武力を舐めない方がいいと強く念を押して、交渉役を買って出た。彼女は承諾した。

 この時に接触した勢力がマカハ通商連合という大砂漠の隊商交易キャラバンの全てを統括する巨大組織だった。大砂漠に住む部族のほぼ全てが代表を送り込んでいるメドゥマ同盟と似たような構造だが、同盟が単なる利害調整機関であるのに対して組合は確かな指揮系統と独自の武力を持って利益を保護する集団だった。組合側はメドゥマ同盟との取引で前から帝国の存在を知っており、実はゴージ人の代表もグルになって帝国の目的を調べていたそうだ。目的が周辺の侵略なら、直ちに反撃し、帝国が来た痕跡ごと抹消するように決められていたらしい。しかし、ネズサ朝の併合が目的であると分かり態度を軟化させた。クスコス山脈の山主(山岳領主)達が戦費徴収に反発したので、やむなく大砂漠の商隊への襲撃を行い始めていたのだ。

 連合本部(場所はランダム)での評議の結果、条件付きで協力関係を結ぶ運びとなった。2年間の全隊商護衛を帝国が肩代わりする代わりに費用や生活必需品は全て組合側が用意し、2年間全うすればネズサ朝の併合に協力するだけでなく、連合議席を進呈するという内容だった。女将軍の側近や遠征軍内に潜り込んでいた諜報員達や直接派遣されている軍務官から逐一報告を受け事態を見守っていた宮廷は、本時遠征の政治的な目的と軍事的な目的の大部分が達成出来るとし、悪くない提案だと判断した。

 2年の歳月は彼女率いる軍団にとって苦難の連続だった。見知らぬ土地で、見知らぬ諸種族・民族に囲まれながら、過酷な魔境を彷徨い続ける行為は自殺に等しい。疫病、飢餓、大自然の悪戯、現地勢力の力関係による抗争・裏切り・衝突が容赦なく襲いかかった。マカハの権益を狙うラーチェロ高原の勢力と正面切って戦争したこともある。しかしただ一心に組合との約定を果たそうとする姿とそれに付き従う兵隊達の姿に間近で接していた大砂漠の民達の心境は2年で移り変わるには十分だった。何よりも、帝国軍の練度や装備、そして数と規律、継続して送られてくる物資に帝国という強い意志を感じ取ったのだ。

 ホアナが2年間の任務を全うした時には、連合はすっかり帝国の友邦となっていた。この頃には既にネズサ朝も風前の灯火になっていた。大砂漠への遠征行を馬鹿馬鹿しく感じた貴族軍(一部はちゃんと2年間戦い抜いた)の大半がネズサ朝の北部に殺到し、山脈へだらだらと攻撃を続けていたからだ。大砂漠での帝国の力が増してくるにつれ、ネズサ朝内部は勿論、最大取引相手にあたる山主達にも大きく動揺が走った。完全制覇を決意した帝国の補給路構築に不利を悟った傭兵は離反していき、元の住処に何時までも戻れない北岸避難民達も王朝へと反旗を翻す構えを見せた。結局、帝国が連合議席を獲得したのを契機に丁重に服属を申し入れてきた。ブラーボの男は交渉材料になることを察知して、砂漠のさらに南へと逃げ出していた。

 勝利に報せに帝国中が湧き立っている中、皇帝は彼女に更なるヌム奥地への南進を命じた。孤高の魔将は黙って承諾した。彼女にとって当初の目的であった弟の確保がまだ済んでいなかったからだ。帝国民や軍部からは不満の声が上がったが無視された。

 現状、通商連合にオスル勢力が議席を与えられたことは既にヌムの北部から中央部にまで話が広まっている。新参で余所者でもある帝国はヌムの国家から慎重に見定められ始めたのだ。そんな時期の中の南進はヌム奥地に潜む大国には生意気にも自分達に挑戦を挑んでいるように映った。ホアナはここから10年近く掛けて南方大陸に武勇を刻む。大砂漠南部を支配し、連合の商売敵でもある金の採掘元締めのメチ・マダリ帝国の内乱と属国群の反乱鎮圧(連合の一部と高原勢力のハリャド水路防衛戦線が裏で糸を引いていた)に始まり、スコイラの遺産であるザワヒ・ラクルシャ・ダマーイ(浮遊オアシス神殿都市)の支援を受けたペンジル部落連帯によるパゴキュデルタ地帯諸国・部族への長年に亘る圧迫の解消、トイキサグ湾に生活圏を持つ湾岸部族に対するサテカ盆地原住民による南下の阻止と、その原因であった家畜の激減によるサバンナの戦禍(騎乗妖精種と擁護下の土着部族vsタンフ朝ヤスハア帝国庇護下のエッぺ人)を逃れた難民の北上を解決するべく4次に及ぶサバンナへの遠征、そしてヌム最南端のフレテ峰到達と【“電鱗触手海獣”マノト】との邂逅による東方航路の発見、大陸南部に割拠する狩猟獣人部族群との接触などの功績を後世に残した。

 ここまでの大事業を成し遂げるためには膨大な物資と資金が必要となる。とてもではないが、当時の帝国にはそんな力は軍事以外には持ち合わせが無かった。だから目敏い商人達が流れを作った。

 ネズサ朝の征服と同時期に通商連合の議席を与えられた帝国だが、大砂漠の地元交易網に食い込むことは、大陸オスルの何の組織も今まで全く考えたことも無かった。しかし、その恩恵が莫大な富として帝国経済を潤し始めると、掌を返した様に利益へ殺到した。特に熱心だったのが、当時その先進性を誇りとしながらも長年殺し合いを続けていた衰退前のクレヨン半島生まれの商人達だった。彼等を中心としたオスル商人による南方利潤に群がる集団はホアナが更なる大陸奥地への進軍を実行せざるを得ない立場であることを聞きつけ、独自の支援者(非公式)として協力したいと申し出た。帝国軍の南征に相乗りして商売の新天地を無傷で発見・開発・育成し、最後には掠め取ろうと目論んだのだ。帝国上層部へも入念に事前投資と称する賄賂をバラ撒いていたので、ホアナと帝国から暗黙の了解を得ることは容易かった。どちらも損はしないし、素晴らしい見返りが転げ込むことすらあるのだから。

 しかし計算違いもあった。彼女が強すぎたのだ。当初からの目的である潜在的反帝国分子のすり潰しは見事に成功していたが、当事者であるホアナ自身は全く死ななかった。それどころか、多大な功績を南方で量産し続けているのだ。帝国と彼女の働きの評判を聞きつけたヌムの民達が彼女を頼り始めたからだ。弟の行方を見つけるまで帝国への帰還は認められない(直接報告する為の一時的な帰参はあった)魔将は、既にヌムの大地に骨を埋めることを決断していた。その決意を察した麾下の遠征軍将兵達や保護下の大陸民、そしてヌムの民達が彼等なりに彼女を支えたことも、彼女を生かした大きな要因だったのだろう。

 皇帝は日に日に増強される遠征軍に頭を悩ませた。未開の地で(オスル認識)1人の年配女性がただ健気に、ただ愚直に孤軍奮闘しているという話は誇張と婉曲とデマと真実を見事に絡み合わせ、壮大な英雄譚として大陸中に広まっていた。戦争だらけの大陸の空気に嫌気が差して、燻っていた者達が南方へと歩みを向けたのだ。この流れに商機を嗅ぎつけた商人の集団の思惑も相まって、一種の社会現象として成り立ってしまったのだ。俯瞰図として見れば明らかに帝国と遠征軍はヌムの泥沼に腰まで浸かっているのだが、切り上げる時期を完全に逃していた。しかし、いつかは終わりが来るものだ。

 遠征行も既に12年目に差し掛かる時期だった。ヌムの北東部一帯から東洋世界に跨った航路貿易を牛耳る浮遊都市の地上補給地域を兼ねる傀儡のペンジル部落連帯が再びデルタ地帯に足を踏み入れた。前回から6年ぶりの越境である。今回は長年昔話にしか登場しなかった浮遊都市直属の英勇戦士達も参加していた。つまりこれは浮遊都市が本腰を入れて勢力拡大を企図したことを意味する。前回は防衛戦に徹するだけで済んだが、今回は敵補給地である連帯域への侵入も行う必要があることをホアナ達は頭に入れていた。遠からずその案は実行に移される。延々と続く支援を受ける連帯軍勢と古代の叡智で固められた英勇達の勢いを削げなかったからだ。

 ヌムの人間でさえ滅多に立ち入らない連帯支配地域へは、ホアナを含めた少数の兵士5000人だけが潜入する計画となった。といっても遠征軍選りすぐりの精兵揃いでもあったのだが。当初は上手くいった。浮遊都市への補給を行う機能を兼ねそろえた都市を深入りしない程度に叩いて回ったのだ。だが実際は、速度を生かしたこの戦術は浮遊都市には効果が無かった。長い年月を掛けて領域空中に浮遊させた小型の監視板からの情報で逐次彼女達の場所を追跡していたのだ。そして、遂に魔将が予定通りとある補給都市と交戦を始めた通達を受ける。

 全くの不意打ちだった。浮遊都市は普段は魔導技術で姿を隠匿しているため、誰もその存在や姿形について知らなかったし、接近に気づくことも無かった。全体像を突如として露出させたその姿は、鉢植えをそのまま縦横に巨大化させた様相であり、まごう事なき覇者たるスコイラの後継を名乗るだけの畏怖と権勢を兼ね揃えていた。“大空戦争”時代に竜人が創り出した軍事施設としか機能しない浮遊島よりも、その体内に小規模でも1つの国を内包する浮遊都市は、時期と場所さえ違ったならば、女将軍を含めた軍団の総員を魅了する光明を放っていた。

 しかしこの光明は、都市にとっての邪魔者を業火に堕とすべく機能する役割を持っていた。絶望的な戦いを強いられた軍団だが、恐れる者など誰もいなかった。ホアナがその首筋と右肩を光線に貫かれ、大量の出血の中なすすべなく息絶えたその後でさえ、彼女の遺体の脱出と本戦の詳細を伝える少人数の部隊の離脱を支援すべく全力を賭して最期の1人に至るまで隊列を崩す者はいなかった。彼女の遺体を見た人間はその悔いも無く恐れも無く、当然のように全てを受け入れたかのような貌に驚いたという。彼女の最期の言葉は、陛下に合わなくちゃ…、ただそれだけだったそうだ。享年52歳、53まで僅か3ヶ月足らずだった。

 彼女が探し続けていた弟は、南に逃げたと見せかけて東に脱出していた。ラーチェロ高原の逃亡先で、川船市の一介の人夫として働いていたが、皇帝が密かに放った追跡部隊に命を刈り取られていた。ネズサ朝陥落から4年後のことで、遺体は本国へと持ち帰られ、確認の後、帝城外壁に築かれた堀の番虫の餌となった。

 ホアナの訃報は恐ろしい速度でヌム中に広まった。浮遊都市も意図して拡散させた。これにより、帝国の入殖地は勿論、大陸と取引をする諸都市・国にも動揺が伝播した。特に部落連帯の侵攻目標だったデルタ地帯は大混乱い陥ったが、防衛に居残った帝国遠征軍と現地の有力者層は来るべき時が来たとして、それぞれが準備を進めながら、その胸の煮えたぎった釜の蓋を押し破ろうとする復讐心を自制していた。

 ザワヒ・ラクルシャ・ダマーイの支配層は満足していた。近年の帝国という得体の知れぬ余所者にヌムの土地を汚されることに危機感を抱いていた。ましてや、その急先鋒が蠍のような女傑だったなど我慢できるものではない。そして、彼らの経済圏が急速に萎みだしたのも気に食わなかった。これまでは東方航路を一手に握っていたので、ほぼ独占的に富を収集できたが、得意先である亜大陸諸国との往復は時間が掛かる。その間に、いつの間にか大陸諸国が南方世界と協力して東方世界との貿易路を陸路で確立した始めていたのだ。おまけに、連盟などという得体の知れない連中の後押しを受けた勢力達が海路・空路の開拓を模索し始めているときた。

 スコイラ帝国から自立して300年を経た浮遊都市だが、支配者面するのに慣れてしまい、ヌムの民の心を掴む想像力が欠如していたのだ。仕方がないから、侵略と恐怖という最も単純で後味の悪い即効薬に頼ることにした。ただ効果はあった。いくら歳を食ってもその力と存在感は健在であったし、ヌムの小中勢力はさっさと自らの独立のために浮遊都市側へつき始めたのだ。ザワヒ・ラクルシャ・ダマーイは再びその存在を南方大陸に轟かせることに成功したのだった。後は、勝手に大陸人、ひいては帝国が自滅するのを待てばよかった。

 一方の帝国はホアナの死を淡々と受け取った。予定通りのことが起こっただけだからである。しかし、問題はその死の背景と南方情勢の激変だった。このままでは南方大陸に築き上げた勢力圏全てが消失してしまう上に、その反動で帝国本土の荒廃は確実であり、何よりも恐ろしいのが、帝国という枠組みそのものが崩壊する可能性だった。既に南方現地からの報告によれば、ヌムの民達は帝国と浮遊都市とを秤にかける構えを見せており、有力勢力はどちらの消耗も大歓迎だと静観する姿勢をとっていた。大陸側も、帝国から離脱する動きを見せる者も既に出始め、諸国は騒動の結果次第ではと牙と瞳を正眼に構えていた。

 皇帝は事態の打開に2人の人間を呼んだ。1人は140歳を超えるシーニャ派の元賢者の女である。紫色の髪をはためかせて、高価で高度な魔導器の装飾品を煩く鳴らしながら偉そうに謁見の間に現れた。もう1人は、並の男2人分の身長を持つ大男である。覇気と似て似つかぬ陽炎の如き雰囲気を全身に漂わせ、波に打たれたかのような癖のある黒髪と鉱石が埋め込まれたような眼をした彼は、静かに謁見の間に現れた。

 男は嘗てスコイラ帝国が遥かオアシス地帯を征服した際に手に入れたマフタル・リュダと呼ばれる異界の戦略級兵器である。ある古代オアシス都市が繁栄を誇っていた頃にその叡智と富を結集してこの地平に呼び出されたのだった。1000年近い時を生きており、幾度もの国や勢力や権力の滅亡を見てきた。男が使用された際には必ず大殺戮か大破壊が、運が良ければ大繁栄が起きるのだが、複雑な契約体系と呪術的因子の代償性の問題で力を制御されている。そのため、敵国を滅ぼすのと引き換えに、気付いたら自国が滅ぶ結果を招くこともあった。その使い勝手の悪さとそれを差し引いても有り余る膨大な力を雇い主が持て余すことが常であり、歴史に稀に現れては消えるのを繰り返した。

 3つの大征伐軍の内、1つを壊滅、1つを発狂死させられ、帝国各都市へのスタンピード攻撃により凄まじい被害を被ったスコイラだが、手に入れた男の価値を誰よりも知ることとなった。こうして帝国はその絶頂期を迎えることになるのだが、衰退は免れず、やらなくてもよかったオスル侵略に乗り出した。男も当然駆り出されたが、活躍の場はなきに等しく、戦役末期に管理部隊の護衛が丸ごと裏切った結果、後のファムゴン朝を立ち上げる集団に仕えることとなった。扱いを極々小規模に抑える措置が取られ、ファムゴン朝はイピリム半島に腰を据えることができたのだ。そして王朝が帝国に下り、雇い主も帝国へと移った。

 帝国はマフタルの扱いに困り果て、彼の研究と解明を兼ねた幽閉の選択肢を取ることにした。本人は意外と楽しんでいるようで、これまでの皇帝の幾つかの命令には素直に従っている。老女賢者の方は、シーニャ派がまだ帝国に成りきれないコスタンリ王国時代に企てたクーデター計画を未然に防ぐべく、国王の側近や妻子と高弟を皆殺しにした罪で同じく囚われた幽閉仲間だった。いろいろ当時としては知られたくないことを知っていたがために最高級の待遇を国王直々に約束され、閉じこもることにしたのだ。秘密の価値が無に帰しても、幽閉先(皇室直轄の秘密大迷宮)を気に入り、管理長補佐として居座り続けている。彼女は男の監視役として呼ばれたのだが、図々しい態度に疑問を持った皇帝が尋ねたところ、すっかり学友になっていたのだという。

 何はともあれ、南方を知り、浮遊都市の建設にも携わった彼以上の適任はいなかった。皇帝は南方へ送る予定の2万の兵士(攻城戦経験者多数)と魔将の【萌葱】【朱鷺】【琥珀】【亜麻】の4名と他7名の英勇の総指揮官に彼を奉じた。突然降った様に現れた男に指揮の全てを任せるなど狂気の沙汰だと各指揮系統や英勇・魔将から非難が発せられたが、男が、たった1人に全てを務めさせる程にあなた方はヌムを知らない。ダマーイも知らない。南方人も知らない。私は知っている。私が知る限りのことを知っている。私は願いを果たす。如何なる犠牲を払おうとも…。安心なさい、あなた方を失望させません。例えあなた方全てが地に吸い尽くされようとも、最後に彼の地に立つは帝国の御旗となるのです…、と静かに語り掛けると一様に皆は沈黙した。マフタルから発せられる空虚の内側に蠢く不気味さを感じたのだ。

 結局一同が男の指揮に異存を挟まなくなり、援軍は完成した。しかし、南方への旅の道中でさえ援軍は男を不気味に思った。天地がまるで自分達を南方へと誘うかのように順風満帆に動くのだ。恐ろしい速度で彼等はヌムへと引き寄せられていた。常世と幽世の狭間を生きる船乗りと翼乗りは援軍は悪魔と取引したのでは無いかとさえ噂したのだった。けれども、元賢者の老女がマフタルと彼等との間を仲立ちしたことで、その距離は急速に縮まった。男もまた、この地平に囚われ歩む他無い虚空の旅人だということを援軍の兵士が感じ取ったのだ。男も自身の物語を語った。誰も聞く者がいなかった話を。後にこれは男の生涯の役目となり、書き記された文章は翻訳され、世界中で読まれることとなる。

 マフタルを総司令として認めた援軍はヌムのアーザデルタに築かれた帝国の勢力圏に近づくにつれ、南方から脱出を図る船団に次々と遭遇した。商人は勿論だが、南方人から迫害された元入殖民も含まれ、また、帝国の脱走兵やホアナの英雄譚に憧れて南方に赴いたオスル人も多かった。呆れたのは、試しにそれらを臨検すると、略奪したと思われる金品・神聖物・生活必需品・人・歴史的逸品・生物等を満載にしていたことだった。所詮は彼等にとって南方は宝の収奪地でしかなかったのだ。そんな彼等に援軍は一片の同情すら抱かなかった。デルタ地帯の湾内に突入した遠征軍は脱出を図る船団に停止と反転命令を発した。事前に援軍の到着は通告されていたし、湾を封鎖するよう伝えたにも関わらずこの体たらくである。援軍を見ても脱出を続ける船は無慈悲に沈められていった。

 援軍を迎えたのは完全に戦意を喪失したホアナ麾下だった兵士達と行き場のない入殖民、いつ裏切るともしれない現地勢力の代表だった。マフタル達は合流した現地の情報部隊と南方情勢や内情を共有し、南方諸勢力の殆どがこの戦争を様子見することが分かった。また、デルタ地帯の親帝国友邦全てが浮遊都市と内通してはいるが、ダマーイを信用しておらず、重要情報は辛うじて流されずにいて、帝国が敗色濃厚となる時には蜂起する予定だと判明した。浮遊都市は本体を動かす気はどうやらないようで、支配地域に引きこもり、引き換えに侵攻軍を増強しているらしいことが伝えられた。

 そして、ホアナの遺体を逃すために奮戦した将兵全員が三つ裂きのうえ、糞尿に塗りたくられて市街へと投げ込まれた事実を知った。士気の急激な低下と現地民の早すぎる内通の決断はどうやらこの非道に触発されたらしい。彼女の遺体は、何人も暴けない各部族だけの迷宮墓所を造ることで有名な岩人系のアイダ人達により、大切に彼等の墓所内で保管されていた(何処も彼女を受け入れたくて揉めた)。

 マフタルは圧倒的に足りない兵力を補うために、デルタ地帯の入殖地域全土から資金を捻出するように命じた。拒む者には容赦のない制裁が与えられた。身内で身内の略奪を終えた援軍は直ちにヌム全土に傭兵或いは義勇兵の募集を掛けてみた。この募集は、南方大陸諸勢力の反応を測る情報収集の役割を兼ねていたし、日和見を決め込んでいる指導層に抑え込まれた反浮遊都市派の動きを補佐することも意図されていた。同時に、帝国軍はデルタ地帯に足を踏み入れている侵攻軍先遣に対してゲリラ色が強い局地戦を仕掛け、足止めすることも忘れなかった。つまりデルタ地帯の現地民に踏み絵を迫ったのである。戦果は微々たるものだったが、指揮を取るダマーイの英勇戦士の何人かを確実に仕留めることで、改めて帝国の力を大陸に知らしめたのである。

 そして、募集の思惑は見事に当て嵌まり、ヌム各地から種族と人種を網羅する兵士が集まり始めた。追従して非公式に帝国側へ援助を打診する国も出てきた。思惑はバラバラの寄せ集めだったが、戦闘経験豊富なプロに加え、現地を知る者たちである。帝国援軍は、自分達2万が浮遊都市に肉薄するまでに張り巡らされている防御線を貫く使い捨ての役割を略奪品の90%の権利を約束した傭兵軍に、そして矛をようやく闘志を再燃焼させた遠征軍残党に任せることになった。両者共に戦意は十二分に整っている。富と栄誉と復讐の一石三鳥が約束されたからだ。

 マフタルは反抗軍を手始めにデルタ地帯で足踏みする侵攻軍を大きく迂回し、部落連帯の領域へと雪崩れ込ませた。虚を突かれた部落連帯は混乱し、初戦と言える初戦も展開できず、要塞や砦の鎧袖一触の陥落を許してしまう。反抗軍は巧妙に長期戦を避けながら、補給都市のみを標的とした略奪の限りを尽くす事に集中した。元々部落連帯は浮遊都市配下の補給都市の武力と富に付き従っているだけの寄せ集め集団である。300年に及ぶ統治といっても、浮遊都市は何一つこれら部落連帯に利益をもたらさなかった。反抗軍は浮遊都市支配地の分断を狙ったのである。結果として、補給都市の腑抜けぶりを目の当たりにした部落連帯には亀裂が生じ、密かに反抗軍に協力する集団や、周辺国へ擦り寄る集団が出てきた。

 反抗軍は、都市の攻略を中核部隊の帝国援軍が、陥落後の掃討と略奪を傭兵軍が、立ち向かう正面武力の露払いを遠征軍残党が負うという役割分担で快進撃を続けた。戦力の消耗は気にならなかった。勝つ度に膨れ上がる略奪品の噂を聞き付けた傭兵が続々と後に続いたし、周辺勢力も慎重な姿勢は崩さずに連帯勢力圏への侵食を開始したからだ。傭兵団に偽装した正規軍を送り込んでくれるところもあった。南方大陸がダマーイへ長年積もらせた不満が噴き出たのだ。侵攻軍は、前後どちらに展開するかで意見が割れて二の足を踏み続けていた。そうこうする内に、大半が浮遊都市出身者が属する各司令系統を除いた兵士達が故郷の惨状を聞きつけて大量脱走が発生した。各レベルの司令部が裏切り者を殺し尽くせと喚いたが、あまり効果が無かった。

 どうしようもなくなった侵攻軍は浮遊都市へと連絡を取り、近くの補給都市で合流し体制を立て直すことにした。浮遊都市とて決戦の必要性を感じてはいたが、元が交易主体の城塞都市として造られただけに、エネルギーの消費が桁違いのダマーイは全体が戦闘用には出来ていなかった。反抗軍と戦うためには、極力移動を抑えて力を蓄える必要があったが故に、これまで温存に徹していたのだ。ちょうど中核の帝国援軍が大規模な補給都市の攻略に手間取っていることを察知していたダマーイは、その横腹を突き破るべく、格好の機会を見つけたと思っていたのだ。

 彼等が無事に補給都市で合流し、連絡橋から受け入れようとし始めたその時、反抗軍12万が稜線の陰から姿を見せた。マフタルは浮遊都市の防衛機構の監視船の構造を元シーニャの賢者であった老女に乗っ取らせ、欺瞞情報を流し続けていたのだ。また、侵攻軍を相手にしなかったのも、最終的に彼等自体が浮遊都市をおびき出す餌として機能するように仕立てた目論見は見事に当たったのだ。

 連絡橋によって地上に結節された浮遊都市に自由は無い。お得意の魔導結界も構造的理由から満足に展開できず隙を晒す格好となっていた。反抗軍は容赦無く襲いかかったのだ。

 浮遊都市は2ヶ月耐えた。光線の射出溝を虱潰しに溶解させられ、オアシスの水は汚染され、飛行機能の中枢を占拠されても抵抗を続けた。

 反抗軍も、凄まじく奮闘した。マフタルは浮遊都市が侵攻軍の回収を諦め、補給都市を見捨てて連絡橋を強制切断し、上空から地表に放った巨大なエネルギーの塊の威力を相殺しただけでなく体内に飲み込んで完全に無力化した。それに留まらず、力場を操り、逃走を図った浮遊都市を一定空域に拘束し、体制の立て直す隙を与えなかった。そして、都市が放つ光線を屈折させ、味方の損害を軽微に収め、戦局最終面でエネルギー中枢に立て篭もった守護体と交渉し、不干渉を約束させた。

 元賢者の老女は目立たないようで攻略戦の成否を決める重大な任務を果たした。浮遊都市各所に張り巡らされた制御信号の伝達路を侵食し、信号の解読と逆探知を繰り返しながら、ダマーイの司令系統及び秘匿施設等を暴き出していった。そして、浮遊都市上層部が地下層とそれに連なる区画の切り離しを試みた際には、その企みを粉砕し、反抗軍を都市内に踏みとどませることに成功する。また、自身の肉体を魔導獣(肉体を技術的に変質された生物)へと変貌させダマーイの防衛力として供給される守護獣の生態プラントを焼き払い、敵の生活ラインへの汚染を加速させた。

 砲兵軍はダマーイの外殻を削りきれなかったものの、浮遊都市の内外壁要所を正確に狙撃し、都市内に圧力を与え続けた。それだけでなく、マフタルに決戦兵器を無力化された一瞬を突き、外部に露出したエネルギー核の制御装置を撃ち抜き、暴走させ都市直下部に大穴を開けた。また、ダマーイ内での戦闘で、各階層を隔てる関所の攻略及び、途中から設置されだした小型堡塁を容赦なく吹き飛ばすのに一役買った。

 遠征軍残党は、都市直下に穿たれた大穴奥にある飛行機能の制御中枢占拠の先陣を切り、兵力の7割以上を失いながらも橋頭堡を築いた。その後も全滅を恐れることなく、敵の精鋭が構成した防御線突破の先陣と撤退時の殿に率先して志願し、ダマーイ各戦線の崩壊を防ぎ続けた。

 傭兵軍は、大穴の橋頭堡から深部へと進出し、ダマーイ内部に広がる広大な地下層や都市層中間部での血みどろの市街地戦闘を制するのに貢献した。彼等の欲望に忠実な速効性と容赦無い残虐性はダマーイ民を震え上がらせ、その豊富な戦闘技能と戦術は攻略戦の随所で反抗軍の心強い支えとなった。帝国援軍が兵の損失を免れ、都市戦まで温存出来たのには傭兵軍の尽力が大きい。

 制空軍は対空砲火に曝され続けながら射出口を見つけて地上の砲兵に連絡した。また、内外壁に点在した小砦の破壊や、ダマーイ航空戦力の地表援護を決して許さなかった。そして、敵兵力の出撃基地を見つければ、果敢に攻撃を敢行し、入口をこじ開けて押し入り制圧することも多々あった。さらに、ダマーイ全体を観測し、動静を逐次報告することも忘れていない。それだけでなく、各戦線への援軍の輸送や補給物資の集積・運搬にも手を貸していた。

 地上軍は、侵攻軍を一撃で崩壊させた後に、一挙に大穴内の要塞に守られた制御中枢を占拠し、地下層内で繰り広げられるゲリラ戦には脇目も振らず

 貴族の私兵は勿論のこと、皇帝直轄の常備軍組織も配備されている陸軍大国だ。しかし私兵の中には他国の傭兵団も多分に含まれている。中には敵国であるハズの半島他国の正規兵もどきが混じっている。長い停戦期間は憎悪を煽ることもあったが、それぞれの国の問題を解決するために必要な期間でもあった。その利害が一致すれば敵とさえ手を結ぶことも厭わない情勢が造られた。

 海軍にも力を入れてはいるが他国の妨害で整備や配備が遅々として進まない。けれどそれは帝国の航空戦力の拡大と発展・発達を促進させ、化け物を育ててしまった。高名な竜喰人の輩出国でもある。

 帝国の魔導師はシーニャ派が全て取り込んでいるが、嘗ての魔導結社の閉鎖的な面影は最早なく、今では「塔」は立派な研究機関として様々な系統の魔導や思想、技術を発展させてきた。

 帝国の支配階層は85%がヒトによって占められている。そうしたことから、上流階級の他種族への偏見と差別は未だ色濃く残っている。未開拓の魔境が各地に根強く残り、それらの地域で生き抜いてきた民が大半を占める半島で支配権を握る為に、帝国は王国時代や黎明期の古参・名門貴族や領主を新たに侵略した土地に配置することで土着勢力の力を抑え、後世では書き換える遠大な統治計画を選択した。全ての原因は、半島に於いてヒトは少数派である事実の一点である。

 代表的な例では、ヌスロ候国は小人種の系譜が支配していたし、フロイシ伯領の指導層は巨人の末裔、ファムゴン朝は今は亡きスコイラ帝国に服属し、オスル侵攻軍に組み込まれていたヌムの鳥類系種族が撤退を機にオルグ藩国と同じように半島で立ち上げた王朝だった。メドゥマ同盟に至っては、魔境地帯に生存している人類諸種族・民族が利害目的の一致で団結していたに過ぎなかった。コスタンリ王国時代では獣人が民草の3割強も占めている。ただし、忘れてはいけないのがこれらの勢力はヒト種に対して理解があった例であって、大半の勢力はヒトを格下の種であり従うのが当然だと認識していたことだ。帝国はその強大すぎる軍事力に依って多くの種族や民族の認識を打ち砕き、今日の指導的な立場を勝ち取ったのだ。

 とはいえ、コスタンリ帝国の広大な版図獲得はなにも帝国が野心から行ったことではない。“半島統一戦争”は拡大路線を突き進んでいる連盟に倣った半島の国々が、豊かな大地を奪うべく我先にと競い合った事で発展した戦争だった。半島の貧しい国だったコスタンリ王国もシーニャ派の力を借りて、生存を賭けた死闘に乗り出したのだ。イピリムはこの時、半島の65%の地域が国家という概念を持たない部族や種族、民族が住んでいる蛮境といっても過言ではない状態だった。しかも半島に点在する強力な魔境によって地域が分断されていたこともあり、隣接する地域のことすら知らない有様の例もあった。

 けれども、統一戦争の戦禍は35%の領域に留まらず瞬く間に広がった。どの国も、複雑な半島情勢に翻弄されることを避けるために昔から周辺蛮族(国の見方)の対立や内部抗争に乗じたり、共通の敵を相手に同盟又は地位を保証するなどして蛮境の中に友好勢力や緩衝勢力を育成していため、これらを通じて全土が引き込まれてしまったのだ。魔境や蛮境を跨いだ勢力同士が衝突し合い、力関係がコロコロ変わりながら、時に徒党を組んで大挙して国の領域へと雪崩れ込む現象が日常となった。

 この戦乱を引き千切り誕生した帝国はこれまで周辺諸国が負担していた蛮境からの防衛を一身で引き受ける羽目になる。帝国の戦争観は周り全てが国力が上で非友好的なな背景や半島の歴史から、伝統的にヒト種、今ではコスタンリ人を支配者として認めない地域や勢力が多数存在し、それらが下地となった地下組織が暗躍している。帝政初期の過酷な占領政策はこうした動きに対処する側面を持ち合わせていたが、時が経つにつれ、手が緩み、反乱の火種は燃え盛る機会を狙っていた。

 現在の皇帝は、ペディオム・ザ・ニョン・イーオン5世




・・・モルタニア王国・・・


 王国はイピリム半島北東部を広く治める国家だ。版図内のイーロー山脈の尾根から中腹にかけて築かれた古代帝国の防衛都市を流用した要塞線で、山脈の先にある辺境帝国や尖兵である開拓旅団、精霊皇国に天上都といった強国の半島浸透を長年防いできた。その関係上、ワジッコ部族とは現在でも同盟関係にある。

 王国のほぼ真東の海洋にあったミカレイナ諸島群国とは嘗ての『ペルネオーン海神帝国』の属州仲間だった頃からの付き合いを持つ。そのため、友邦以上の関係性を築き、一時は同君政治を実現させ、クレヨン半島にさえ及ぶ版図を誇っていた。

 非常に勇猛で情熱的な土地柄で独立心が鷹揚であるため、コスタンリ=シーニャ帝国も長年苦戦してきた相手である。しかし近年、統一連盟によって諸島群国は陥落し南洋に於ける制海権を損失した。追い打ちを掛けるようにアレシア王国とヴィッチェオ共和国の攻勢でクレヨン半島列びに周辺海域の領土を失っている。

 追い討ちをかけるかのように副王制に抗う一部城塞都市の反乱や制海権の損失、帝国内の異端排斥運動と半島統一への気運の高まりといった大事に宮中は揺れ動いており、親帝国派貴族の呼応を警戒して現在慎重に動いている。王国は他の3国とは違い南洋進出のために安全の担保として帝国と婚姻を繰り返して人質交換も行っているので、権力層には帝国色が強い。

 王国は妖精の血を引く種族の「シマヌル」によって統治されている。しかし彼女等に国の概念は存在せず、自分たちの共同体内で遊びまわっている。各領地はこの共同体を中心に切り取りされているため、責任感は持っているようだ。実際の行政を行なっているのはヒトに巨人族やその血譜に繋がる獣人などだが、シマヌルは政治に関しては興味がないが、争いに関しては敏感であり、責任を持って対処することが多い。

 けれども根本は享楽主義的であるため、飽きてほっぽりだすことが常であり、激動の時代を生き抜くにつれ台頭した土地の実力者が副王として権威を獲得し、国土にのさばり始めている。王国内での彼らの縄張り争いは常に絶えないが、他国に付け入られることが全くないのは、間違いなくシマヌル達の功績だろう。

 彼女達の領域を版図に収めたダント・パカン侯がその能力に目を付け御旗として利用し周辺地域を征服したのが王国の始まりだった。パカン侯は崩壊しつつある自らの宗主『ネヴァンデ王国』を見限りシマヌル達の影に隠れて復古版古代帝国モルタニア州の絶対者として原住種を支配する思惑を持っていた。けれど、それまでの共同体という世界から解き放たれたシマヌル達の苦渋の選択で彼は抹殺された。その墓は今も嘗ての侯の領地と共同体との境目にひっそりと佇んでいる。

 イピリム半島は古代帝国時存命時には未開拓地域の認識で当時の大陸オスル中央部と並ぶ魔境の1つだった。存命時の開拓事業は沿岸部の複数箇所にある程度の殖民圏を配置できた程度で、帝国崩壊時にも開拓は完全に済んでおらず、現在に至るまでにも当時の種族の生き残りが数多く暮らしているため半島でのヒトは新参者なのだ。

 民族大移動でヒトの生存領域がロメルニス王国誕生時と同じく急激に増える結果となったがモルタニア王国内は混血が進んで緩やかな統合が興っている。他の国家が200年前後の建国であるのに対して500年の伝統と格式がある。

 風俗に女性の長を神聖視する伝統があり、代々偉大なる因子を受け継ぎし巫女を兼ねる女王が国を治めている。歴代女王とその側近達は国の誕生の経緯を知っているため、その事実を隠しながら同族を巧妙に束ねて君臨してきた。しかし、大国化の波に巻き込まれてもなお、お転婆を続ける同胞達に対して徐々にだが王国民の忠誠心が離反し始めていることに危機感を持っている。

 現女王は、イサベル・ナウロ・ド・マントレア1世




・・・オルグ藩国・・・作成中


 イピリム半島の南部に位置する国家。ヌム大陸北西部とのほぼ独占的な貿易が可能であり、今日までの繁栄の礎となってきた。というのも、この国家はヌム系民族が治めているからである。400年前のスコイラ帝国撤退時に取り残された南方系民や、その家族・子孫達が集った場所が版図となっている。

 長らく侵攻軍残党だと周囲から貶され、迫害の対象となってきたが“100年戦争”の際に好機を見出して自分たちの国家を打ち立てた。しかし、基盤が十分に整っていない状態で“半島統一戦争”が始まったためやむを得ず、当時、南方大陸西部に起こっていた国家の『ヒトヴィーク朝』に救援要請と服属の意を送った。これを機にスコイラ帝国を超える偉業を成し遂げられると考えたこのヌム国家は早速総督を送り支援を開始した。

 ただし、予想以上に泥沼化した長期戦に引きずりこまれる事態へと発展し、『ヒトヴィーク朝』指導層でも意見が分かれ始めた。そして半島の新興国が危惧したとおり、支援を打ち切られることになった。『ヒトヴィーク朝』はその5年後に滅びる。当時、南方ではスコイラ帝国崩壊の名残でマカハ大砂漠からラーチェロ高原まで戦乱の嵐だったために、国力をオスルへと振り分けたのが命取りとなった。

 幸いにも彼等の行動はヌム北部の民が知ることとなっていたから志願兵や他の国家からの微々たる援助に加えて、様々な理由で南方大陸では異端とされていた人々達を迎え入れてなんとか戦争終結まで保つことが出来た。南洋の海賊達もその頃からの慣習で藩国の船を襲わない不文律があるので自由に交易できる。両大陸の文化の衝突地としても有名で、性格がかなり異なる文化が併存している。

 帝国が南方大陸ヌムに獲得し過ぎた属国を巡る問題でヌムに深い造詣とツテを持つ藩国は重要な助言者として良好な関係を築けていたにもかかわらず、突然の手のひらを返すような異端排斥運動や統一野心の振興を剥き出しにしたコスタンリ=シーニャ帝国を相手取るのに急遽統一連盟に交渉先を振り替えている。ただ、藩国に限らず半島の帝国を除く勢力全てが帝国の変貌に困惑しており、仕方なく連盟に近づいているようだ。

 優秀な長弓騎兵の産出地のため戦場で大いに活躍する。ヌム系のヒトや種族が定住しており、偏見や差別は少ない。建国時に南方から来た総督はスコイラの遺児達のために戦場で死んだが、非常に現地に適した統治形態を残し、命を賭して国を護ってくれたので伝説となっている。総督の座を王座とするために藩王制を定めた。

 現在の藩王イッシュは、コーモア神に仕える神官の地位を持ち合わせている【総督代理(ハユミル】ケルボガ・アル・アクラド




・・・リエザ・アカテシア王国・・・改訂中


 王国はイピリム半島の北西部とイーロー山脈を跨いで統一連盟領の領域に突き刺さっている版図を治める両王国だ。半島は険しい地勢のため、独自の文化が数多く存在しており、独立心が強く、激しい気性の持ち主が多いとされる。王国人も例に漏れず同じ気質を持っており、半島の主要言語(アッペル語・カフト語・ケムラン語)以外の言語を国内に持っている。

 南部は山と岩盤が数多くあり、洞窟が張り巡らされている。北部は平地が8割で、残りの海に面した部分は厳しい断崖絶壁と岩礁の多い海岸地帯となっている。

 元々はパルマ皇国とチコ王国という別々の国同士だったが、“100年戦争”後に起こった統一連盟の躍進に危機感を抱き、コスタンリ王国を初めとする勢力が開始した“半島統一戦争”時に、2つの国が合併して出来た。とはいえ、実際は王の座を巡る王子達の内紛に漬け込まれ、そのまま現在は亡国のヴィジモ連合王国に乗っ取られたチコ王国が、復権を餌にしたパルマ皇国の支援で再び分離独立した所を無理矢理併合されたのだった。連合王国はチコの独立を防げず国力が衰退し、盟主の1人であったフロイシ伯に全権を全て奪われることになった(帝国に飲み込まれるまでは)。

 この併合は完全に王国人の期待を裏切ることとなったので、当時の両国人同士の衝突は日常茶飯事だった。皇国は当初自らの旗の元で統一しようとしたが、あまりの抵抗の激しさに譲歩し、王国を自治領として存続させ、入殖によってその統治を認めさせようとした。これらの殖民都市は予想通り旧王国民の憎悪の的になり、破壊・妨害工作等の露骨な挑発が繰り返されてきた。

 一方当時の半島中央部ではコスタンリ=シーニャ帝国の南征が完全に停滞していた。現在のオルグ藩国の前身となるスコイラの遺児達が結集した勢力は南方大陸からの支援を受けて砂と平原と山林に覆われた半島南部で粘り強い抵抗を続けていた。スタリポス方面はメドゥマ同盟との不毛な交渉を続けている最中であり、『ペルネオーン海神帝国』(南海に覇を唱えた大国だがミカレイナ諸島郡国に衰退した)の後ろ盾を得たモルタニア王国とは、同盟関係を鑑みて婚姻外交による懐柔が始まりかけていた。帝国からすれば突破口を開く気分で火種を抱える北の皇国に目を付けたのだろう。旧王国領に残り火が舞う公国は、この野心的な帝国の挑戦を受けることになる。

 敏感に反応したのはチコ自治領域(便宜上)の民達だった。帝国の苛烈な占領地政策は当時から有名だったし、チコの民は皇国の支援があったとはいえ、連合王国からの独立を勝ち取っている。そんな彼らを帝国が寛大な処置で扱うとは考えられなかった。同じく独立心に富んで国力が高いと踏んだモルタニアの民に対して外交戦略での屈服を試みる帝国だが、チコの民には何の接触すらなかったのだ。占領後の自身らの運命を露骨に示していた。

 チコの民と同じく皇国も覚悟を決めた。チコの領土を完全に手に入れるべく進めた殖民事業が裏目に出たのだ。殖民都市を見捨てれば皇国の権威は失墜するも同然であり、着々とイーロー山脈以北に勢力を伸ばしつつある連盟に併合されるのを待つばかりだった。王国民、皇国民関係なく武器を手にとった。先端が開かれたのは旧チコ領のオスク地方だった。厳しい地勢で知られるこの地帯はゲリラ戦に適していた。帝国の戦力はこの程度で止められるほどヤワではないが、制圧できる程でもない(帝国も既に急激な拡大で国内問題が紛糾しており、あらゆる方面への軍事力の分散が始まっていた)。

 帝国軍の指揮官達はチコとパルマの民の不仲を事前に知っていて、散発的な抵抗のみに留まり、派手な一撃を与えれば勝手に内部分裂で自滅し、容易に攻略できるだろうと踏んでいた。だがそれも恐れを知らない現地人達の昼夜を問わない連日の襲撃で考えを改めざるを得なかった。当初彼らの出撃拠点は皇国殖民都市だと考えられていたが、幾つか降伏を願い出た都市からの情報だと旧王国人の反乱勢力が独自に行なっていることだと判明した。

 帝国軍はここにきて戦略を大きく転換することにした。当時はまだ殖民都市は皇国本土からの補給がないと立ち行かなく、皇国本土との連絡線を断ち切れば抵抗する都市は当然だが、連鎖的にゲリラも干上がり末路は降伏か自滅の2択のみになる。帝国本土からの援軍で増強された遠征軍は、その圧倒的な兵力で堂々とオスク地方を横切り皇国本土の平地へと進出した。道中ゲリラの襲撃は衰えなかったが、火力にものを言わせた反撃で徐々に沈黙せしめた。皇国本土では帝国の予想以上の進撃速度に驚いてイーロー山脈の防衛陣構築は早々と放棄され、焦土戦術を行いながら当時の皇都へと兵力を集結させ始めていた。

 帝国は圧倒的に有利だったが補給線に大きな問題を抱え始めた。焦土戦術の結果、現地調達できるものは限られ飢えた兵士たちは互いの食糧を奪い合うことに熱中した。結局、帝国本土からの陸路による長大な補給線に頼る羽目になった(海路はカサマント系の海賊が跋扈中)。ゲリラは補給線を主目標に攻勢を仕掛けた。彼ら自身が奪った物資で存続できるからだ。

 そうなると帝国兵が目星を付けるのはオスク地方の殖民都市だった。皇国人が治めるとはいえ独立性を持つ諸都市は皇国の焦土戦術を拒絶し比較的余裕が残っていた。これまでは下手に刺激してゲリラに加担されるのは面倒だし、現地の地理に詳しい協力者を提供してもらう関係から見逃されていたが、確実に裏で皇国と内通しているであろう諸都市への警告の意味を含めて、略奪は黙認された。

 その後、殖民都市はゲリラの襲撃から補給戦を防御できる安全な要塞として帝国軍に活用される。各都市周辺に数百〜数千の軍隊が駐留し、それに向けての補給品の利権や商売で商業が活発化した側面もあった。また、イーロー山脈の皇国が放棄した砦を改築し魔物や山賊、稀に来るゲリラの防衛に従事できるようになった。補給線が安定し始めた。

 だが、都合の良い拠点を手に入れ、徹底した治安戦が展開されてもゲリラ勢力は衰えなかった。地表を追われた彼らは、オスク地方に張り巡らされた洞窟を利用した坑道戦術に切り替えたからだ。それでも物資の欠乏は深刻な問題のはずなのに、一向に襲撃は止むことがなかった。何かがおかしい、そう帝国軍は思い始めた。

 全ては罠だった。皇国と旧王国の民による一致した壮大な計略の一部だったのだ。ゲリラは反乱勢力などではなく、歴とした皇国軍(旧王国軍も加わっている)だった。土着民の積極的な協力のため、帝国軍を完璧に翻弄することに成功していたのだ。勿論帝国側も敵の捕虜や練度、装備の度合いから皇国本土からの支援を受けていることは勘づいていたが、2国人のしがらみを考えると、碌な連携など取れないと考えていたのだ。再び亡国となる危機に対しての王国民の覚悟と、退路を連盟に断たれた皇国民の覚悟を甘く見た結果だった。

 ゲリラの目的は帝国軍を挑発し領内奥深くに引きずり込むこと、それにより形成される長い補給線を不安定化させ殖民都市に帝国軍を釘付けにする2点だった。都市内に内通者や支援組織が存在することは占領軍も承知していたが、不利益な掃討を望まなかった(都市ごと寝返られたり皇国人の盾がなくなっては困る)。大勢に影響なしと踏んだからだ。都市ぐるみの陰謀とは考えもしなかった。

 帝国軍の機密や動静や内情はゲリラと背後の皇国本土に筒抜けだったとは夢にも思わなかったろう。援助は密かにオスク地方に築かれていた密輸業者や海賊の隠し港を軍事用に改築・拡張した基地を通して皇国本土から継続されていた。しかし輸送量には限界があり、皇国本土では既に帝国遠征軍が罠が張り巡らされていた皇都攻略をあっさりと完了させ、最後の引導を沿岸部に逃れ立て篭もるパルマ中枢に渡そうとしていた。運命の刻は迫っていた。

 合図の火矢がオスク一帯の夜空に一斉に放たれた後、突撃の咆哮が唸りをあげて帝国軍へ打ち寄せた。皇国の総攻撃が始まったのだ。殖民都市は攻撃への対処に手間取る帝国軍が出払った混乱に乗じて、蜂起した。事態に気づいた帝国軍が引き返そうとしたが、その眼前で自らの戦利品であるはずの要塞化した都市の門が固く閉ざさされた。

 投降を拒否した部隊が徹底して最早反乱勢力のゲリラの皮を脱ぎ捨てた皇国軍に駆り出される一方、殖民都市の勧告に従い大人しく軍門に下る部隊も数多くいた。敵と味方に分かれても、共に過ごした時間がある以上、どこか人間は冷酷になれない一面を持っているのかもしれない。補給戦の防衛担当の指揮官は攻撃が開始されてから、直属の精鋭部隊に守られながら5日5晩抵抗を続け、最後は小さな洞窟の中で側近共々自決した。

 オスク地方の帝国軍を無力化した皇国軍は、帝国が事態を既に把握しているだろうと予測した。帝国が拡大できた要因の1つにシーニャ派独自の魔導波による伝達網の存在がある。時間を無駄にはできなかった。展開する皇国軍は勝利の勢いを殺すことなく戦力の3分の1のみでイーロー山脈の帝国軍が接収した砦の強襲へと向かう。

 ここにきて皇国軍は山脈各地の小規模な野営地に散らしていた航空戦力を投入した。ゲリラ戦は帝国軍を点と線の確保で忙殺し、面を把握できないようにする目的もあったのだ。有利な位置で防御できると考えていた砦の帝国軍は突如として現れた航空戦力の奇襲で虚を突かれ一時混乱したものの、速やかに立て直すことに成功する。けれど本命は地下通路からの歩兵だった。

 これこそ皇国が帝国に打ち勝てた勝因だろう。皇国民も王国民の区別など不要だった。皆が自らの国土を守るために手を取り合ったのだから。オスク地方に張り巡らされた坑道は帝国軍が感知できないほどに巧妙に隠匿され、何本かはイーロー山脈内部やその地下を貫通し皇国本土にまで開通していた。砦への奇襲に使われた地下通路も砦奪還用に事前に仕込まれていた坑道の1つだった。航空戦力に帝国兵が気を取られた隙に地下通路から歩兵の大部隊が突入し、比較的短時間で攻城戦は皇国側が勝利を収めた。帝国遠征軍6万は、完全に本土から切り離され平野部に囚われた。

 遠征軍司令部は事態を正確に読み取っていたが、八方塞がりに変わりは無い。補給線消失は、皇国軍が声高に喧伝するため既に全兵士の知るところとなっている。軍内の士気はますます悪化し、食料の奪い合いが目に余るほど激化した。輜重部隊や勇敢にも同行した数少ない従軍商人へ略奪の触手を伸ばす例や、これらの被害者自身が加害者の場合もあった。その上、今次遠征軍の7割を占める非占領地からの徴収兵内部の一部勢力が不穏な動きを見せ始め、敵への投降や脱走も頻発するようになっている。遠征軍は瓦解寸前だった。皇国側も言動とは裏腹に、決戦では負けることを分かっているため、攻撃手段は散兵戦に限定していた。

 しかし前にも増して時間や場所を問わず、何処からともなく襲いかかってくるゲリラの恐怖は、兵士の神経を確実に擦り減らしていた。これらの動きで、平野部の平定のため広がっていた遠征軍は連絡網を寸断され身動きが余計に取れなくなった。司令部も未だに頑強な抵抗を見せる沿岸部の要塞都市群を攻めあぐね、焦りを見せていた。そして遂に沿岸部攻略を諦め全軍の撤退へ舵を切ろうとした時に皇国の反撃は始まった。しかし遠征軍中核部隊は必死に連携を保ちながら皇国の追撃戦を受け流すことに成功していた。

 遠征軍の大部分はイーロー山脈を突破する頃には4万を切り、オスク地方を通過した後には、さらに数を減らして僅か1万8千足らずの兵だけとなった。その半数が非占領地出身の兵士や傭兵だったのも当然かもしれない。

 遠征軍の激しい消耗はコスタンリ帝国の宮廷に嘗て無い衝撃を与えた。短期間に1つの戦域でここまでの損害を出すことは久しかったからだ。皇帝だったペーニョ・セ・マルド・カルチマンキ4世でさえ耳を疑ったほどであった。


「何かの間違いでは無いのかね?」

 

 【微笑王】の敬称を気に入っている40代半ばの皇帝はゆっくりとした口調で、だが反論を許さない目をして臣下に尋ねた。


「いいえ陛下、誠に遺憾ながら事実のようです」


 コスタンリ王国だった時代から仕えている70近い老臣は、静かに返答した。他にまともに問答できるものは存在しなかった。皇帝は微笑みを浮かべながらこれまでに冷酷な粛清を躊躇なく実行してきたのだ。いつもは尊大なシーニャ派の賢者も、皇帝の膝下で緊張した面持ちで事態を見守っている。


「出征している我が弟は無事なんだろうね?」


「不明です陛下。不足の事態に備えて公爵様には正規軍の中に地位をお与えしたのですが… しかしどうも話を聞く限りではその正規軍が殿を務めたそうに御座います。絶望的な撤退戦でしたから恐らくは… 

 敗残兵どもに聴取しても良いでしょうが、お察しの通り我が帝国の臣民とはとても言えない者ばかりです。期待すべきで無いでしょうな…」


「帝国に敗北は許されない。私が望むのは勝利のみだ。惨敗兵は適当な名目で全員殺してしまおう。帝国に楯突く叛徒へのいい教訓を示せるだろう」


「陛下、まさか本心ではありますまい。生き残った正規兵達や死んだ者の家族が黙ってはいません。

 それに南方や西部で今尚血を流している臣民達ですら全員殺さなければならないでしょう。彼等は敗北こそしてはいませんが、勝利に手が届くこともないと知っているのです。

 ですが帝国の臣民を逆賊に仕立て上げるなどあってはならぬことです」


 皇帝は静かな口調で一言一句吐き出される彼の言葉が謁見の間に響くのをぼんやりと聞いていた。幼い頃から常に傍に控えていた老人の言葉は誰にも増して皇帝の耳に滑り込んでくる。父や祖父の代から帝国に付き合っているこの老体は自分なぞよりもこの国を知っている。

 コスタンリ王国の併呑地域が拡大するにつれ、広大な領域を治めるべく宮廷は大勢の人材を登用しなくてはならなかった。質が低すぎる者、内部破壊を企てる逆臣や野心家、恩を売りたい小役人、挙句は貴族や豪族・土豪の息が掛かった奸臣どもが自代までの帝国には跋扈していたのだ。

 老臣は皇帝に誰をどの様に見定め、どう活用するか、またはどう切り捨てるか、どう扱うかを享受してきた。カルチマンキ4世は自分の地位がこの男無くして成り立たなかったことを嫌というほど知っている。ペラペラ戯言を並べる家臣はすぐに始末できたが、この老人についてはそんな考えなど微塵も抱かなかった。

 それにそもそも今回の戦いなどさして重要ではないのだ。帝国軍の主力が“半島統一戦争”を経るうちに皇帝直属の常備正規軍がその大半を占めるようになると、併呑地域出身者や貴族に取り入ることで生き残りを図る祈り小屋主流に反発した土着宗教との融合や共生を唱える原理派や権力層から嫌われているシーニャ派が頭角を表し易くなった。

 貴族達は自らが踏み付けていた者達が這い上がって来たのを認識し、焦り始めた。ましてや当代皇帝が粛清に次ぐ粛清で次々と宮廷中枢を一掃し、身分や種族問わずに有能な者を登用し始めているのだから余計に怖くなった。宮廷工作や反乱が活性化し、今回の戦争もその一環だった。

 帝国は現在大規模な要塞化工事をイーロー山脈へ施している最中だ。同じくイーローの一角を版図とするモルタニア王国とどうしても歩調を合わせる必要がある。連盟の侵食を何としても防ぐことで両国は一致している。そして南の抵抗勢力オルグへも、秘密裏に講和の打診を行っていた。南方から受け入れた支援者達の声がオルグ内で大きく反響し、勢力として分裂の危機に陥っていたからだ。帝国は主力部隊を西に大きく勢力圏を保ち続ける敵性集団と反乱の火種をチラつかせて政治的な揺さぶりを掛けてきている自治領や土豪、半属国、貴族領に絞ろうとしている。

 事態を避けるために貴族は自分達の力を示そうと無理矢理押し通したのが皇国への遠征だった。皇帝は半島人の独立癖から、接触方法さえ間違えなければそう遠くない先に、連盟よりも半島の帝国との友邦関係を選ぶと予測していた皇国領域への侵攻を渋ったものの、不穏分子共の力を削ぐ良い機会だと最後は了承したのだ。初期の遠征軍2割の兵士と戦役の途中で本国から送られた増援が正規軍だった。彼等の任務は可能な限り正規軍以外の兵を削り取る事にあった。

 カルチマンキ4世が不機嫌なのは最後の最後に彼等が殿を選択し、無視出来ない損耗を出したことにある。直属の精鋭の比率が下がるのは力の低下を意味する。そして思ったよりも不穏分子の兵力が生き延びたことも危険だった。そんなことはおくびにも出さず、彼は決まり文句を言ったに過ぎない。

 しかし一方で、弟の身を案じていることも事実ではあるが、どうやら帝王として割り切る必要があるようだ。熱くなった心を沈めると、老臣に声をあげようとした賢者に微笑みを向けて黙らせた。今回の戦役の手痛い戦果は帝国外の脅威を増長させることが容易に想像できた。


「メドゥマ同盟あたりがうるさそうだな… ああ、カサマントもか…」


 メドゥマ同盟は帝国が現在最も苦戦している勢力だ。圧政による支配からの解放なる常套句を謳っているが、内実は原住部族や種族の利害調整機関であり、自らの権益のことしか頭になく、常に分裂状態で糸口を一本に絞れず戦線は難航していた。

 その支配地域は半島で最も過酷で広範囲に及ぶ魔境のため、実力は一切油断できず、閉鎖的な為普段は仲間内で殺し合ってるくせに、勢力圏を脅かす者には団結し容赦のない反撃を加えることで有名だ。そうすることが自らを守ると確信しているのだ。

 帝国は版図外のスタリポス王国側に隙を作る形で勢力圏を半包囲下に置き、ゆっくりと彼らを王国側へ押し出すことですり潰す戦略を敢行しているが同盟の抵抗は凄まじく、戦闘、交渉、停戦、挑発、また戦闘の繰り返しで着地点を見失っている。

 ようやく同盟内部の幾つかの勢力を手名付けたり、共闘の手筈を整えたものの予断を許さない状況だった。同盟情報網は元々が戦乱の地で鍛え上げられた故か研ぎ澄まされており、帝国との全面衝突が始まって以来、帝国内部の不満分子を吸収し拡大を続け巨大な規模を誇るようにまで成長し、当局は幾度も裏をかかれている。今回の事態もかなり正確に把握していると思われた。果たして大人しくしているかどうか。


 カサマントも頭痛の種だった。この島国はある程度力を持った王朝や国家が登場する度に大陸への野心を隠そうともしない。現在の帝国は、“100年戦争”中に大陸に獲得した傀儡国家の大半を損失しているにも関わらず、海軍を増強し、機会を窺っているのだ。

 少し前に、内紛が絶えない神聖王国内で意図的に混乱を助長させ、一定域を無政府状態にした後に秩序維持を名目に地域を飲み込んで理想的な傀儡国家を作ろうと企てたことがある。しかし、傀儡勢力を複数擁して天秤に掛けるはずが、大陸同盟と手を結んだ野心的な魔導教団のクーデターを看過し、直後に蜂起した農民反乱を鎮められず泥沼に陥り、出方を伺っていた神聖王直々の介入でより大きな国の誕生を黙認せざるを得なかった。地域のパワーバランスを王国側有利に削り取られ、すごすごと引き揚げたのは有名な話だ。

 これを機に、帝国与し易しと傀儡国やその周辺国が独立や反抗、奪還或いは制圧を実行に移したものの、速やかに援護を送られ反攻を企てた国々は手痛い反撃を受けた。けれど度重なる戦役で本国の情勢が不穏になり、周辺蛮族の境界侵犯や本島周囲の同盟・傀儡・入殖地域の離反が相次いだ。結局本島防衛の為に少なくない数の島外地域の破棄が決定され、少数の死守するべく定められた島外領での影響力が強められた。反面、大量に復員してきた現地行政・軍部関係者とその家族が本国内での重しとなり、統治体制が揺れ動くこととなった。

 当分の間の軍事政策を帝国は断念し、現在は外交路線へと舵を切り盟都への対抗心を露わにした北海の国々と個別に交渉し同盟への分断工作を行いながら友好関係を保とうとしている。半島には帝国内の交易拠点を踏み台に影響力を広げるべく画策している。

 最近では、帝国の有力貴族に自国の帝室貴族(帝室と縁戚関係にある)の娘を嫁がせた。しかしその娘の付き人に潜り込んだ贋金作りの集団と護衛・工作部隊の存在が発覚し、カサマントが帝都中枢に狙いを定めていることが判明した。娘ごと追放処分にしたものの、難癖をつけてきて関係が拗れている。

 

「御意、間違いなく再戦をちらつかせ交渉を優位に進めようとするでしょう。しかし此度のこと、考えようによっては好機です。誠に不謹慎ですが、陛下も帝国の拡大が永遠に続くとは思ってもおりますまい…

 既にあらゆる箇所で問題が起こっています。解決する時間が必要なのです陛下」


 今度こそ帝王の間にいる全員が凍り付いた。老人はやんわりと、だが明確に帝国の拡大の停止を訴えたのだ。それも一番の当事者たる帝王の御前で。

 廷臣達は怒りよりも帝王の逆鱗を恐れ、シーニャ派は憐れむ視線を老人に投げかけ、祈り小屋の関係者は冷笑しながら怒りを噛み締めていた。

 

 カルチマンキ4世は老臣から視線を逸らさなかった。その微笑は引っ込められ、無表情な顔で彼の全身を眺めていた。彼もまさかこの場で持ち出されるとは思わなかったのだ。しかしこの問いは帝国のみならず今後の半島の運命をも左右する決断となるだろう。

 剣の柄にゆっくりと手を添える仕草をしながらも、戸惑いながら横目で自分と老臣を見比べる直属の騎士を皇帝は静かに制した。


 緊迫した時間が流れた。老人は皇帝をはっきり見据えていた。

 沈黙は皇帝の臣下への問いかけで破られる。冷気に勝るとも劣らぬ気配を帯びた低い声だった。


「…カサマントの牙たる海賊どもは本島の蛮族の対処で外には手が回らぬ。

 同盟にしても、間も無くシーニャの忠臣達が策したクーデター計画が始動する。国内の奸臣にしたところで、強い反感を持っていたとしても何もできんよ。

 それよりも我は忠実なる民とそれ以上に忠臣である戦士並びに騎士諸兄をなぶり殺した者達を許さぬ。大臣、再びの皇国への遠征は可能かね? それも倍の規模で…」


 問いかけられた大臣は震えが止まらずに、辿々しい口調で短く意見を述べた。


「不可能です陛下。連盟がイーローに到達しました…」


「いつの事だ? その件は速やかに報告せよと念を押した筈だがね…」


「4日前に御座います。プロウディネスのタロボク州とオルキ州が制圧されました。17日前に発動された精霊胎動殻への総攻撃は陽動であった模様です。

 隙を突かれた両州は抵抗する間も無く閉鎖され、観測員からの一報が遅れました。本日明朝に正式な通告を連盟公使から受け、先ほどようやく確認が取れたところです」


 カルチマンキ4世は腑が煮え繰り返す思いだった。連盟の情報作戦は納得できたが、皇国側へは先んじて伝えていたに違いない。これまでの講和の慣わしでは徹底抗戦の構えを見せつつ、現地軍同士が不可侵地帯を大雑把に決めて、その地の有力貴族、次いで帝都へと連絡が飛び、正式に成り立つものであった。しかしそれを行わず皇国側から直接帝都への特使派遣が届けられたのは8日も前だったからだ。


 皇帝は今度は怒りを隠そうともしなかった。その鋭い目線は、部屋の奥に控えていた皇国からの使者を突き刺した。しかし使者は、老臣と同じように皇帝の目線を受け入れた。深い決意を宿す目だった。

 

 小さく息を吐いた皇帝は2、3度頷く。


「連盟の後ろ盾を期待しているのか…? 彼らがタダで力を貸すと? 健全な国の選択とは思えないが…」


 オスク系の山岳獣人である大使は、謁見の間に通されてからも無視されていたから、帝王直々のお声がけにとても驚いた。それは帝国が存外真剣に皇国を見据えていることを示唆していたからだ。


「神さえも微笑み返す慈悲深き皇帝陛下。我が国はその覚悟も辞さないというだけに過ぎません。ただそれだけです。

 我々の望みはただひとつ、我らの新たな建国を他でも無い陛下、貴方様の帝国に認めていただきたいのです。他には何も望みません。

 陛下が望むのならば、我が国に拘留してある全ての捕虜を無条件で直ちに解き放つことも可能なのですから…」


 使者のその言葉に皇帝を始め、部屋にいる全員が目を見開いた。遠征軍には少なからず彼らの肉親、血族、師弟、友人が参加しており、決して無関係では無いのだ。


「ほう…、貴国はただの蛮国ではないというわけだね。いやしかし、それはまだ分からん。捕虜と言っても人の形を保っているとは限らぬ… 

 これはなにも我が弟のことだけではない。この場にいる全ての家臣に共通する想いなのだ」


 皇帝は大使へ捕虜の扱いようによっては国の命運もどうなるか分からないと脅しをかけてきた。

 皇国上層部の選択肢に再戦の文字は入らなかった。一部の者達が徹底抗戦を叫んで入るがそれをするには余りに皇国が被った犠牲は大きすぎた。つまりそれ程に殿を担った帝国正規軍に恐れをなしたのだ。

 彼等は皇国側の追撃の楽観を呆気なく挫いた。大局を捨て局所での勝利に拘り、皇国に出血を強いたのだ。皇国の戦役の勝利には皇国きっての名将とその仲間達の活躍が大きく貢献している。皇国が精霊皇国や天上都、ワジッコの蛮族からの攻勢を退け統一戦争を生き延びたのも、チコ人達との和解や彼等の協力を取り付けたのも彼女等の功績だった。彼女達は民達にとっての希望の星だった。彼女達がいたからこそ、長きに亘った占領や戦争に耐えられたのだ。

 正規軍は彼女達を抹殺する為に開戦前から入念に計画を練っていた。退却戦という一歩間違えれば敗走からの全滅に晒される危険の中で作戦を貫徹させたのだ。正規軍司令部は遠征軍の3万を生贄に捧げることで見事に彼女達を引き摺り出すことに成功した。そして帝国の継戦の意思を破壊すべく狙うであろう温存してある正規軍司令中枢を囮に使うことで皇国英勇達の孤立化を成し遂げたのだ。

 巧妙に決戦の構えを見せることで、彼女達を引き付けた正規軍は仕掛けてあった死骸珠を遠隔起爆させ空間隔離を実行した。球の触媒に使われた屍の山が召喚獣となって英勇達に襲いかかった。同時に、正規軍は死体の山に隠れていた第64大隊の600人に合図を送り、決死の攻撃を開始した。この大隊は正規軍内の最精鋭の1つであり元来の運用目的は内外の英勇の排除に重点を置いている。たった10数名を狙うのに最精鋭の半数以上を投入する作戦に皇国は敵の強い意思を感じた。

 大使は彼女達と親交があった。あの独特な英気と時折見せる無邪気な笑いがいつしか彼を癒していたが、そうしたことはもう2度とない。全滅を覚悟で仕掛けて来た敵の奇襲に対応しきれず、球の破壊による突破で血路を開こうとしたが、待ち構えていたシーニャの高弟の自爆に巻き込まれて、躰がバラバラに吹き飛んだのだ。戦闘終結後に兵士達が遺体を探したが、破片だらけで誰が誰の物かさえ分からず、運良く救出された英勇の生き残りも一生回復できない傷を体や心に負ってしまった。彼女達の死が皇国に落とした影は大きい。

 皇国は帝国の底力の一端を思い知ることとなった。これだけの惨事を易々と引き起こせる隠し球がウヨウヨと敵本土には健在なのだ。また、メドゥマ同盟からの情報によれば近く南方戦域から多数の兵が撤退を開始するとのことで、加えて今回の遠征軍は帝国貴族による独断編成の意味合いも強かったそうだ。つまり皇帝が本腰を入れる決断を下せば第2次侵攻も十二分に有り得る。しかし英勇達の損失で混乱した皇国を再び冷静にさせたのが連盟からのイーロー到達の通知だった。

 こうなった以上、もはや一刻の猶予も許されない。大使を送り込んだ上層部の危惧は、帝国が皇国の頭を飛び越えて連盟と協議し、周辺国抜きに互いの領域を確定することだ。何としても大使は皇国を両大国の緩衝国家として生き延びさせる必要がある。


「恐れ多くも半島に鎮座する栄えある帝国を統治する陛下、我が王国はそのような野蛮な振る舞いなどもってのほか… ご安心ください陛下。我らにも陛下の慈悲にも勝るとも劣らぬ心が御座います。確かに激戦でしたが、帝国の誇りを持ったまま我が陣営に降った方も多数いるのです。しかし、なにぶん数が多く、誰が何処に居るかなどはまだ分かっておりません。そのことだけが、私どもの唯一の心配事なのです」


 大使は一旦言葉を切ると皇帝の出方をまった。

 彼の顔には既に微笑みが戻っている。大使が捕虜を盾に宮廷に揺さぶりを掛けていることを察したからだ。それに弟は皇族としての誇りを保つために過去に何度も戦場で敵に人質として投降している。今となっては弟をカルチマンキ4世は政治交渉の道具としてしか見ていなかった。今回も期待していいようだ。

 そして彼は既に皇国側に戦役の続行が不可能なことを知っている。彼は皇室顧問団の名を借りた独自の諜報機関を受け継いでいたからだ。王国時代には商人に偽装して情報を集めたものだが、帝国への変貌と共に新たな血を受け入れ、周辺勢力支配域にほぼ単独で潜入し、独自の外交チャンネルを設置することだ。そのため、皇国の窮状を正確に掴んでいたし、早期の講和の声が多数を占めていることも知っていた。

 唯一の誤算は、想定以上に遠征軍が生き延びたことや諸侯が捕虜となっていることだ。遠征軍敗退の報は雷が如く帝国中に駆け抜けている。貴族達の間ではさっそく権力闘争が幕を開け始めた。捕虜の返還交渉は寧ろ牽制として使えるとカルチマンキ4世は考えている。

 道は決まったが、それにはいくつか気になることもある。


「なるほど大使、それは確かに貴国にとって神経を使う問題だな。だが帝国の臣民には祝福と呼んでも差し支えない知らせを産むかもしれないのだ。くれぐれも丁重に扱うように。

 さもなくば私が命じなくとも家族を想う人々が貴国への怒りを抱くのだ…」


 ここで帝王は一旦言葉を切り大使の反応を確かめる。

 彼は深く深く頷いて同意の意思を示した。気付けば部屋にいる全員が自分に注目している。それはあの老臣も例外ではなかった。

 ここからの言動で王国の運命が動くであろうことをヒシヒシと感じた。


「ところで… 確か私の記憶違いでなければ貴国は王国ではなく皇国だったはずだね? 先程から話すあなたの公用語(帝国公用語)は北方の獣族共の訛りとも違いオスク寄りの方言だ。今までのパルマの使者に獣族は含まれなかった… 

 大使、少し前に皇国はチコの民の王国を征服したそうではないか? その王国はオスクの大地の全てを版図に組み入れていたと聞く… それでは先程から貴方の使う“我が国”とはいったいどの国を指すのかな?」


 皇帝はやんわり内部分裂の可能性を指摘した。大使は皇帝の造詣の深さに多少の驚きを感じながらもゆっくりと返答した。


「唯一無二の玉座と宝冠の継承者たる陛下。全くのご指摘で御座います。“我が国”とは皇国のことでは御座いません。しかしチコ王国のことでもないのです。

 この度の戦で、かつての両国の民達はお互いの不信を幾分か取り除くことができました。そこで、この際なのだからと真の意味で国を統合することとなりました。

 帝国、ひいては皇帝陛下、あなた様に認めて頂きたい国とはその新たに生まれた王国を指すのです」

 

 カルチマンキ4世は大使の言葉を聞き逃さなかった。

 彼が持っているチャンネルはそう高い地位のものではない。つまり極少数の者達が決定したことだ。それが公表された時、間違いなく大きな波を巻き起こさずにはいられないだろう。

 皇帝は大使の両脇に立っている大臣達の1人に目配せした。連盟のイーロー到達を報告した大臣だった。彼は皇帝の側近で、帝国内外の危険分子に対して諜報・謀略・防諜を担う仕事をこなしている。

 

 追い詰められた国家同士の合併は諸刃の剣以外の何者でもない。必ず付け入る隙がある。

 まずは情報の真偽を確認し、これからの帝国の為に手を打つことがこの大臣に命ぜられたのだ。

 大臣は瞼の動きで返事を返した。


「大使殿、して、その国の名は?」


「リエザ、リエザ・アカテシア王国に御座います陛下」


「アカテシアね… そういえば皇国側のイーロには古代帝国の防衛都市(魔境監視用)の遺跡があったな。アカテシアとは古代のその地区の名前であろう? そしてリエザはオスク語で“双身”を意味したはずだ。

 “双身のアカテシア”とはまた大した名前ではないか… 

 おや? 大使殿、我が国とて蛮国ではないのだ。いずれ版図に加えるであろう国のことは知る必要があるのではないかな? 無論、逆も然りだがね」


 今度ばかりは皇帝がまさかオスクの言葉を知っているとは思えず、大使は驚きを隠せなかったのだ。


「偉大なる皇帝陛下。最早貴方様を表す言葉が思いつかないほどに私は感激しております。帝国皇帝たるあなた様に覚えてもらえることは私どもには大変名誉なことなのです。

 陛下、是非とも我が国のことをお認めください。連盟がイーローに到達した今、半島の情勢は激変するでしょう。明日にでも連盟の介入が始まるやもしれぬことは英明な陛下もご存知のはず… 

 我が国のみならず、イピリムに存在するあらゆる国々が時間を必要としています」


 大使の発言は半ば懇願にも似ていたが、まさしく半島諸勢力の心情を代弁していた。連盟の介入が始まれば何のために“半島統一戦争”を生き抜いたのか、これまでの犠牲の意味が無くなってしまうからだ。


 カルチマンキ4世は王国を傀儡の同盟国として仕立て上げることも視野に入れたが、注ぎ込むだけの時間と金と労力は今の帝国の内情を考えると非現実的だった。

 まずは内部の歪みを治しつつ、時間をかけて半島を我が物とすべくその意思を後世に託すことが最善の策だと皇帝は考えたが、迷いが生じた。


 老臣は皇帝の心中を読み取り、最後の一押しを加える。


「陛下、この部屋を御覧ください。いや、この部屋ばかりではない。この宮殿をご覧なさい。とても半島を治める陛下が居られる場所とは思えぬほど質素です。

 遙南方のヌムの小国の君主達でさえ、自らの栄誉を誇るために宮殿は豪奢に彩ります。しかし我が国は違う。コスタンリ王国は連盟に恐怖した亡国の唾棄すべき愚か者どもが始めた戦いに巻き込まれました。その身を守るために王国は周囲を飲み込み今の帝国の栄光を掴んだのです。

 その中核を担ったシーニャの魔導師達が我が国に力を貸した理由は陛下もご存知のはず… 我が国が唯一半島に逃れた孤児の彼らを匿ったからです。〈貧しかれど暖かく迎えよ〉と謳う祈り小屋の教えに従って… さもなければどうして小さな山岳と渓谷を治めるだけの貧しき国に助太刀をするのでしょうか?

 王家は代々質素を誇りとしてきました。自らに入る富を臣民に分け与え耐えることこそ国を治める者の義務と信じていたからです。当時を知る者が今の帝国を見れば、誰もが豊かになったと考えるでしょう。しかし、その富は果たして臣民に分け与えられているのでしょうか? 

 そして陛下、なにも現在の帝国臣民が旧王国の民の血を引くのを指すのでは無いことも定期の視察行脚でご承知の上でしょう。

 帝室へと変わろうとも、未だ王家の意思を祀ろっていることは宮中の誰の目にも明らか。ですがそれを宮廷という小さな籠の中に閉じ込めることは帝国に何の利益も齎しません。

 陛下、どうぞ今こそご英断を… 陛下が古き考えをお捨てになろうとしておられることは私も存じています。それが帝国の未来のためになることも… 

 しかし陛下、私は貴方様にコスタンリ王家の血を引くことをお忘れになってほしくは無いのです。何故ならば、私自身も王国に迎え入れられ命を繋いだ1人なのですから…」


 まるで祈りのような、或いは願いのような忠臣の進言は謁見の間に響いたことを大使は感じた。

 帝都に辿り着き、帝城に通され、帝王へ謁見した今までの間には、ヒト以外の異種族達は鳴りを潜めていた。この部屋の皇帝の側近達もヒトで締められている。

 けれどもこの老臣は違った。時折淡く煌る黒い体毛が身体中を覆い、並よりも低い背丈だがその体躯は獣じみた獰猛さを放っている。しかしおそらく誰もが見透かされる様な、それでいて暖かな温もりを感じさせる瞳を見れば、恐れなど微塵も抱かないに違いない。しかし大使は同じ獣人であるが故に嫌でも老人の秘めた闘志と歴戦の凄みを感じずにはいられなかった。

 帝都入りした時から案内役を務めてくれた彼だが、大使はこの瞬間のために自分を導いたのではないかと疑問に思った。皇帝と側近しか存在しないこの場だからこそ老臣は想いを打ち明けたのだろう。半島の国々を代弁する大使が来たからこそ成功できたのだ。


 彼の言葉に、賢者は複雑な思いを抱いた。シーニャ派は少数精鋭を誇っていた筈だが、世俗化に伴い膨大な人員が流入し、地位をめぐる権力闘争とは無縁ではいられなくなっている。これまでの掟もいずれは形骸化してしまうのではないかというのが高弟達の懸念だった。かく言う自分でさえも、派閥駆け引きが拮抗したために引っ張り出された身であるがために、嫌でも現状には憤りを感じている。高弟達は意外にも忠誠を誓ってくれているが、そんな彼等でも組織の変質を抑えきれなくなるのも時間の問題だろう。


 祈り小屋の司教達も本山の腐敗が始まりつつあることをひしひしと感じ取っていた。各地の貴族が近しい人間を本山へと送り込み、影響力を拡大させ始めている。それに抗う者達も動き出してはいるものの、司教らは自らが無力であることも分かっていた。カルチマンキ4世に公然と政治中枢から祈り小屋を切り離そうと画策する意図を見せ付けられては、帝都や宮中に送られてくる司教も厄介払いされた者が多くなるのも頷ける。


 彼らだけでなく、この場にいるすべての人間が変化を感じ取っていた。もはやこの国は王国では無いのだ。帝国という途方もない何かへと変貌を遂げつつある。

 変化は致し方ないことなのは間違いないが、果たして自分たちはその変化を活かせるのか、皇帝を始めこの部屋にいる大使を含めた誰1人としてその先を見通せる者などいない。


 だが1歩を誰かが踏み出さねばならないことは知っていた…


 皇帝は静かに立ち上がった。その顔には迷いがない…

 賢者や近衛隊士も大臣達と同じ位置へと下がる。玉座から立ち上がり発せられる言葉は、勅令の意味を持つ。

 大使も周りに習い、静かに皇帝を直視する。


「レニョ。私は今日、この時、我が帝国を大きく変える決断を下したようだ。しかしそれはおまえの決断でもあるのだよ。貴方がいなければ私はこの決断を引き伸ばし続けただろう。私でさえ恐れたからだ… 

 大使殿、よかろう、帝国はリエザ・アカテシアの誕生を歓迎しようではないか。我が国がこれから迎える友邦の1人としてね… 

 半島のこれからは敵の敵は味方という言葉が正式に機能するようになる。帝国は友邦といえどもその挙動を決して見逃したりはしない。大使殿、このことを心に刻み込んでもらいたい。

 王国とは長い付き合いになりそうな予感がするからね…」


 カルチマンキ4世は、微笑みを顔一杯に広げながら老人の名前で彼に呼びかけた。

 

 大使には半島情勢が帝国と同じ土俵に立った諸勢力による次の舞台へと移ったことを忠告し、釘を刺した。彼は微笑みを浮かべて自分を見るその緑の目に、冷酷に獲物を品定めする鋭さと、微かな期待を持ち合わせた輝きを見た。


 この言葉で場を締めくくった皇帝は10年後、何者かに暗殺される。

 大改革に反発した五体満足で帰ってきた弟とその妻の実家が共謀した反乱を血祭りにあげた2年後のことで、改革の余波でガタガタになった宮中が落ち着きを取り戻した頃合いだった。

 レニョはその報が知らされると、屋敷裏にあった妻の墓の前で心臓を突き自決した。子はいなかった。

 暗殺された皇帝の改革で、確固たる権力機構を持った帝国の治世は揺るがず、王朝が交代しただけに留まる。


 暗殺の立案実行者と共謀者は皇帝の死後16年目にして全員が殺害された。その6年後には7人の黒幕の内5人までが事故死した。残った2人の内1人は口封じで殺され、最後の1人は暗殺から31年後に自領にある橋桁から吊るされていた。カルチマンキ4世が作り上げた帝国の彼に対する最初で最後の奉公だろう。

 

 以降の半島は帝国と連盟、三王国(後の連合共和国)や大陸同盟、時にヌムの勢力達の代理戦争の場となった。

 

 リエザ・アカテシアの王都はイーロー山脈の盆地にあり、有事の際には国土奪還の拠点となる天然の要害を持つ城塞都市と化す。南部は鉱山と牧畜が主であり副次的に漁業が行われ、ドワーフや山岳獣人が暮らしている。北部は造酒産業が盛んであり、ブランド化され重要な輸出品の1つ。又、海軍力も侮れず水棲系種族も多数存在している。

 連盟領域と半島を繋ぐ数少ない窓口としての立場を堅持してきたが、抑止力として招き入れた『カサマント帝国』勢力が思った以上に増長し、保護を名目に帝国の事実上の属国として占領されたことがある。その時に王都で立て篭もった者達を救出しただけでなく、共闘しながら帝国を半島から追い出したのは皮肉にもコスタンリ帝国であった。

 カサマントはその後連盟によって大陸に残った最後の属領ごと叩き出された余波で解体されるのだが、連合共和国として再建され、急激な版図拡大を警戒した5年前の“海峡戦争”で連盟に敗退したにもかかわらず強化された連盟艦隊と張り合えるだけの国力を未だ保持しながら国内を締め上げている。

 王国はその後もカサマントと適度に交流を続けているが、もはや信用していない。そしてルピリカ大陸で経済開発を推める連盟と帝国の両者への支援口として王国最大最高の港町を共同開発するといった実績を成し得てた。だが近年の帝国内における異端狩りと半島統一の気運沸騰による北部獣人の亡命問題や安全保障の見直しが急務となり、以前から画策していた統一連盟との長年の交渉が実り始め、協調関係を結びつつある。しかし王国人はタダで連盟に王国を明け渡す気など微塵も無い。

 現国王はアトル・ヤイケ・デュニース・フェルドナ2世




・・・スタリポス王国・・・作成中


 イピリム半島の南西部を版図に収めている。古代帝国時代の開拓で各種インフラが完備されており、メンテナンスを怠らなければ未だに機能するため、沿岸部を中心に比較的豊かな大地が多い。オルグ藩国を通した南方や北海の国々との交易も盛んであり、国家の財を成してもいる。“半島統一戦争”を生き延びた一国であり、再びイピリム制覇を掲げ出した帝国への警戒措置として、これまで閉ざしてきた連盟への窓口を開放した。

 統一戦争当時、現在の国境線の元になったディエモ山地に沿って国土が保たれたが、代償として王権をヒトから竜の血を引く山岳種族の「イェルコ」に奪い取られた。だが、山脈の他の種族や民は不服としそれぞれの自治権を強め始めた。この流れに帝国領から逃走した旧メドゥマ同盟残党が介入し事態の収集が付かなくなり始めた。ここで偶然の一致か、山岳の一部を根城にしていた魔導結社「アディノ」による魔導技術の一大革新が起こる。

 アディノはこの技術革新を自分達では扱いきれないと確信したため、より強大な協力者を求めた。時のイェルコ指導者であるカイケ・ケルドスアンであった。彼は、半島の混乱状態が結局は豊穣な大地の奪い合いの延長線であり、貧しさが原因だと見抜いていた。同時にこの技術革新がこの大地に豊穣を生み出す可能性を見出した。大変な犠牲を伴うけれども。セペトは危険を承知で技術を国中にもたらした。自身はその行脚の最中にイェルコ有力者層の謀略で暗殺されたが、技術の価値を国中に知らしめることはできたのだった。

 イェルコのこの失態を王国諸民は好奇と捉え、彼らを引き摺り下ろしにかかった。イェルコ側も絶滅は避けたくて大きく譲歩し、王権はヒトの旧王族の手へと移った。しかしこれは見せかけに過ぎず、王権は完全に空洞で権威はないに等しかった。再び権力を手にした王族は失望しアディノに全権を委ねるという暴挙を実行した。結社は自身らの影響力と存在を残すために当時の首領の娘を王族と婚姻させ、残りのメンバー全員が技術指導員として各地へと散開させた。

 アディノの企みは彼らの限界を表していた。結局、メンバーの大半が技術の独占に失敗し各土着勢力に吸い取られてしまった。残ったのは王族と結ばれた血縁のみで、組織力の大半を損なったアディノにそれを活用する道など用意できるはずもなく、最後は空中分解して消えた。だが、技術の利用価値について王族は嫌というほど分かっていたから密かに研究を続けていた。各勢力は技術を戦争に利用し続けたが、果てのない消耗戦で3勢力の拮抗状態となった。そうなった時初めて、皆はこの技術の真価に気づく。転化に成功すれば、嘗てない繁栄と豊かさを与える可能性を自ら放棄したと彼らは理解した。

 王族はその時自らを調停役として買って出た。最後に技術の真髄を理解して発展させたのが役立たずの筈の王族だったとは皆が想像できなかっただろう。各勢力はすがる他なかった。王国は3大領地に分割され、地域ごとに大きく文化形態が異なる。しかし、民は豊かさを与えた王族への感謝を忘れずにいまだに語り継がれているため、有事の際は国難に対し容赦なく立ち向かうだろう。

 技術(レダミンの清流)を利用した魔導生物が盛んであり、魔導人形ゴレムとはまた違う。ゴレムの聖地である合同公国と比較されることがあるが、公国支配層のドワーフからは嫌がられる。ドワーフ達はゴレムに絶対的な自信を持っているが、わざわざ王国に魔導人形の技術を修行しにくる者が絶えないのも事実である。

 大陸オスルにとっては外洋を遥か西へと突き抜けた先にある新天地に領土を持っている数少ない国家である。また、新天地の手前にあるルピリカ大陸をアレシア王国と共に発見もした。しかしこれらは急速に力をつけてきた連合共和国の傘下である半島沿岸にも襲撃を開始したカサマント系海賊の度重なる通称破壊や港湾破壊による交易能力の低下と南方大陸ヌムでの同盟勢力の崩壊等の失政から生まれた副産物だった。王国へと退避したヌムの食客達が途方に暮れている廷臣達に吹き込ん伝説だったのだ。

 古代ヌムの西岸から奥地に跨る大帝国を築いたコラカル人(遊牧勢力の台頭と巨大宗教の内部分裂、慢性的な気候変動や魔境の開拓失敗を受けて権力の座を追放された)は外洋の先にある大地から空を超えて移ってきた民であり、その大地には真銀の灰が一年中吹き出でており、桃色に輝く水を吐き出す滝が流れ、七色に光る魔石を散りばめられた都があるというのだ。真偽も不明な伝承どころか完全な夢物語に等しい内容だが、北海大陸同盟圏のユーナミス大陸先住民が行う北極域移動の逗留先には間違いなく外洋を超えた先の新大陸が含まれていることは同盟圏では有名な話であった。

 貿易業の失墜が連鎖して国内産業の頓挫を招き、再び内戦の火種がチラつき始めている王国に手段を選ぶことは許されなかった。国家の命運を賭けた一大事業を王国は先ず統一連盟へとあくまでも個人事業として打診を行なった。そうすれば連盟の半島進出を嫌う帝国が間違いなく介入すると読んでいたのだ。当時大陸では南海勢力の躍進や連合共和国の海洋進出によって海を強く意識していた。政治・軍事・技術的にもこの大事業に大国は注目せざるを得なかったのだ。

 反応はすぐに現れた。帝国がジェスコ市国を通じて密かに事業の支援を申し出てきたのだ。この情報を嗅ぎつけた連盟も水面下で工作活動を活発化しようとした矢先、駆け引きに巻き込まれるのを嫌った王国が堂々と事業への援助を表明した。見事に引き摺り出された両大国は今度は王国主導の下、支援を巡って競合と妥協を余儀なくされた。落ちぶれた海洋国家等の参加者を揃えた探索艦隊が粛々と出来上がりつつある中、この事業はいつしか対カサマント様式を帯びてきた。

 けれどもそうした不穏な政治情勢は海には無関係とばかりに壮大な船出を迎えた当時の最高の質を備えた探索艦隊は外洋へと繰り出した。彼等は危険が渦巻く未知の魔海を9日の漂流と37日の航海を経て遂に伝説の大地へと到達することになる。しかしそこは厳密には同盟圏が把握する新大陸ではないことが現地勢力からの享受によって判明したのだが、大陸東側に数世紀前に進出していた新天地勢力(こっちが新大陸系)との邂逅に成功し、5ヶ月過ごした大陸から彼等の引率に従いさらに19日の海路を踏破して新天地へと辿り着くという偉業を探索艦隊は成し遂げたのだった。余談だが王国は新天地勢力と友好関係をちゃっかりと築いて、一部領土を譲渡されるという思わぬ拾い物をした。

 長大な貿易網を手に入れて国の存続が許された王国だが、維持に必要な負担に苦しめられることが懸念された。その負担の一部を肩代わりした帝国と良好な関係を結んでいたが、唐突な帝国の変容を危険視し、同時にカサマントの外洋航路進出の強化を快く思わず、連盟への接近を決断した。アレシア王国とは新天地領土を持つ者同士、苦楽を共に歩もうとしている。

 現国王は、ガイヘナ・リッダ・ブケルケ3世

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