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冒険者の旅  作者: カルタへーナ
国紹介
7/10

『野蛮な槍衾』(=ハイヅ・サエト)

『野蛮な槍衾』(=ハイヅ・サエト)

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・・・ヴィウール王国・・・改訂中


 王国はマチェ氏族を中心としたカン族の末裔である遊牧系ケレト人と鈍海移民であるコーカソス族の末裔である巨人系エスマ人の2つの集団が入り交じった強国である。国内に大陸有数の一大ステップと肥沃な土壌を有しており、これが遊牧民と巨人系が定住を決意した理由であった。

 国土は南方との近接点となっているオスカン半島に位置している。今より400年前に半島を訪れた『デビィン朝スコイラ帝国』の侵攻軍もイピリム半島と並行して形でオスルへの突入を画策した。

 南方一帯を降した帝国は破竹の勢いでオスルへと進軍したが、疫病の蔓延に補給線の寸断による飢餓、慣れない土地での戦闘や本土での内紛や防衛線の崩壊に伴って最終的には撤退を余儀なくされた。しかし、この半島では帝国が撤退を決意する随分前にある一人の英雄によって侵攻軍は大陸外へと叩き出された。

 カーロイ・カサロヴァは2つの民族の血を引く戦奴だった。当時はまだ混血児への偏見が根強く残り、生まれてきた赤子は共同体にその存在を認められることは少なかった。

 彼も同じく、幼少時には故郷を追い出されたふた親を亡くし、エスマ人一家の下で側仕え兼護衛士として育てられた。しかし一家が困窮するとあっさりと手放され、幾つかの人買いの転売をへてケレト人に買い取られた。 

 ジェメに駆り立てられて最前線での肉壁としてその生涯を終える筈だったカーロイの才能は侵攻軍の到来によって、戦闘を重ねる度に覚醒していった。遅れて大同盟が結成されたときにはすっかり半島にひしめく諸勢力からは才能を認められており、晴れてオスカン半島方面軍総司令に就任。その責務を見事に果たした。

 ただし、兵士達の信望を集めても、民族、種族の対立を帳消しには出来なかった。そこで、彼はついに隠していた野心を浮上させ、半島統一国家の出現を実現させるべく、半島の民を分断して治めようと試みるようになる。それは彼にとっては正当な復讐だったのかもしれないが、ひとまずは殺し合いをやめることができた民達には強い失望と怒りを与えた。カーロイの野望は勝利の宴での暗殺で頓挫する。その後のたいした混乱もなく切り分けが出来たことは相次ぐ戦乱の結果、皆が消耗し継戦能力を損失していたことも大きいが、半島人でさえ、平和を求めたからであろう。唯一喜ぶべき事は少なくともケレトとエスマの両民族だけは王国の名の下に共生が始まったことかもしれない。

 豊穣な農業地帯を版図に加えているので国力は高いが、その地を巡ってケレト系とエスマ系農民の衝突が絶えない。というのも、両民族は家族(血縁や氏族関係だけでなく共同体関係者も含む)を重視するからだ。こうした衝突が時として紛争に発展する場合さえある。

 当面の脅威は南方大陸ヌムの新興であるアスラン・フィージカと同盟を結んだ北上を狙うアースゲット王国だが、鈍海最強勢力である星抱神国も同時に危険視している。

 王国の東部地域に布教官(各信仰の広報係)が次々と送られ、深刻な問題となり、2代前の治世時に領土から追い払われたが今でも衝突が続いている。王国としてはまだ話の通じるアースゲットより、星抱神の御名を唱える狂信者気取りの神国が頭痛の種なのだ。

 現国王は幼い頃に南洋で海賊に捕まり、共和国に保護され、統一連盟への留学経験のあるヨージェフ・チス・ヤルナキ1世である。開明的な王で、エマス系でありながら国内の両勢力の糾合に腐心している。臣下からの信頼は厚いが、一方で「平和狂いと悪徳商人共の猟犬」と暗に傀儡である可能性を揶揄されてもいる。しかしこの王が行った功績は大きい。

 建国時から王国は辺境であった大陸オスル東部域ではなく、文明的とされる西部域への勢力伸張を常に模索していた。当時のオスカン半島にはカーロイ謀殺の副産物とも言うべき暗黙の相互不可侵が蔓延していたため、諸勢力が国内か半島の外に不満のぶつけ先を求めたのだ。必然的に王国の標的はオスル中央部とクレヨン半島に定まる。

 中央部は“大空戦争”や“南海大戦”などで直接的な被害を被りながらも、戦後には敵の技術を吸収してより強靭な発展を遂げてきた。皮肉にもそれが、中規模国家の興亡と自立した荘園・都市の発達を促すこととなった。

 要は局地戦が絶えない地域に育ったのだ。王国出身の傭兵にとっては稼ぎ場であり、王国にとっては迷宮などの利権が期待できる餌場として映った。

 新国王戴冠後の中央部遠征は王国の恒例行事となってしまった。しかもその通り道でも略奪するのだから中央部までの回廊には各国の堡塁が無数に築かれて、現在でも機能している。

 クレヨン半島は、カン族の宗家嫡流の一派によって帝国崩壊後から300年間統治されてきた歴史を持つ。同じカン族の一派だったマチェ氏族の末裔であるケレト系が国内で力を持っている以上、半島侵攻の大義名分には事欠かなかった。

 けれどこれらの遠征行の実態は散々たるもので、中央部への道沿いの国々が回廊の武装化によって通行税を望むようになり、中央部での収穫高によっては共闘したり敵対したりといった複雑な関係に落ち着いた。

 半島側は土着勢力の思惑に翻弄され続け、確固とした土台が築けぬまま撤退を余儀なくされるのが都度であった。酷い時には半島で流行った疫病で国王が病没し、本国で内紛が起きてしまう失態が起きる。これらの諸事情で、王国の遠征は王国の権威を内外に知らしめる度胸試しのような扱いとして続けられている。

 “100年戦争”後の大国化の波には半島も打ち勝てなかった。半島の歴史は移民の流入と妥協の連続である。ある種が国を興すと、その国との抗争に敗れた種は四散する。だが半島では過去の抗争で四散した民達の共同体が強力な権力を秘めていた。

 何故ならば、単純な人口比は一国の宗種を遥かに上回っており、複数の国の境を跨いでいるので手出しが難しい。そして僻地を牛耳るだけの統制が取れていた(抗争を繰り返した経験から)。オスカンの国々としても、辺境の盾になる彼等を利用しない手はなく、商売相手としても活用できるうえに、無駄な殺し合いは散々だと考えて、従属勢力として手懐ける方針を貫いていた。両者は時に騙し、時に利用し、時に団結し、時に殺し合いながらも半島を統べていた。

 大国化の流れは王権の伸張と相まってオスカンの国々を刺激した。より強く強靭で大きな国を目指しだしたのだ。だがそれは共同体勢力も同様だった。本格的な併呑が開始される前にこちらが飲み込む感覚で建国を画策したのだ。元々彼等は動乱期を待ち望んでいたのである。願ってもない機会だったのだ。

 この時期を境にオスカンでは領土争いが過去類を見ないほど激化する。その中で王国は最大の競争相手だったアースゲット王国を封じ込めたことに調子づいて同盟勢力と共にボルル王国領や共和国殖民圏を攻撃し、中央部やクレヨン半島への進出を画策した。

 この方針が共和国の危機感を煽ってしまい、分裂気味だった中央部を反王国の意思に傾斜させられた挙句、大国化を模索していた回廊沿いの国々に仲介を行なって合同公国を建国され、ボルル王国の共和国圏入りを決意させる結果を迎えた。

 星抱神国とアースゲット王国は従属国や併合地域・不安定地域への対応で介入を控えたが、国境沿いに展開する貴族・豪族や軍閥は少しでも領土を拡大しようと牙を研いでいた。

 ヨージェフ王戴冠にはその特異な前歴に反発の声も上がったが、王国の爆縮並びに暴発による半島情勢の流動的悪化を望まない共和国やアースゲット王国に加えて国内の西域派(西との繋がりを確保したい勢力)の後押しにより流れが決まった。

 王は即位後2年に渡り、出自や身分を問わない巨人系と遊牧系から創設された親衛隊を率いて、反抗的な土豪を沈黙させていった。その後の暫定処置を巧妙に配慮した結果、王国は少なくとも表面上は一枚岩となったかに見えるようになったのである。

 次に彼は未だにボルル王国との境界線の実効支配を続けるサマゴス山脈共同体を手懐けることで、共和国圏との安定した関係を構築した。北部は合同公国とその背後に控える神聖王国が睨みを効かせているかに見えるが、中央部の伝統である内輪揉めが既に始まっており、その余波で合同公国にも戦火が巻き付く可能性が高まっていた。

 王は合同公国に共和国を介した交易よりも隣国である王国から直接商品を輸入させることを提案し、その裏で公国に神聖王国内に健在である親ヴィウール勢力を使った公国擁護策の展開を約束していた。

 いい加減神聖王の圧力や共和国に振り回されるのを耐えかねていた公国は交易路の安全が保障される限り了承するとし、妙なことをすれば神国軍閥を引き入れると脅しを添え付けることも忘れなかった。

 この政策で流れてきた質の高い公国製品は王国経由で南のアースゲットにも流出した。アースゲットの屋台骨である南方系の商業網はこぞって公国製品の買い付けを行うようになり、ヘルト人の北上を躊躇させるには十分な効果があった。

 ヨージェフがアースゲットの交易主力が南方に移ったことを掴んで立てた作戦だった。一方でヒュドリス帝国にも山脈共同体を通した密貿易を目溢しすることで、友好関係を維持させている。

 共和国は自国の貿易網を大幅にズラさなくてはならない事態となったが、来たる連盟との合作による東方開拓政策の前段階として、非常に喜ばしい事態だと捉えており、ヨージェフ王が推進する壮大な国策事業である「王の道」(自国領内の街道網設立)を連盟と共に支援している。ゆくゆくは半島全土にも古代帝国の《道》と合わせた巨大なインフラ網を張り巡らせたいと望んでいるのだ。

 そしてここ十数年の間に急成長し、山脈共同体を粉砕したルビキア人の大ルビキア帝国と同盟を王国は模索しており、複数の異種族や異民族の統治に長けたアースゲットへの緩やかな防壁を築く構えだ。共和国との問題を抱えるリポネア地方に広く分布するイッサ人の部族都市(部族毎の権威の証)への同王国による反乱の焚き付けは流石に看過できないからだ。

 だがしかし、東の鈍海の巨大勢力である神国に対しては流石にアースゲットと共同戦線を築けると王は確信している。そもそもの近年の情勢不安は神国との権益衝突が主な原因だ。また、神国も国内軍閥の増長や征服国の復興運動による内乱の兆しが見え始めている。決して無謀な賭けではなかった。

 しかし彼の英邁な統治は、彼自身の力によるものだ。カーロイの時と同じく、彼が死ねば王国の盛衰の双方とも水泡に帰すだろう。敵は常に遠くにいるとは限らないのだから。




・・・アースゲット王国・・・作成中


 王国建国の中核となったのはクサンティオ族と呼ばれるオスルより遙か東方の乾燥地帯から勢力争いに負けて鈍海を越えてやってきた氏族が率いた集団であり、異民族であった。現在も中枢は末裔であるヘルト人が占めている。王国の国土はオスカン半島南東部に位置している。

 鈍海移民である彼等は半島にとっては新参者だった。故に、移住した初期は他の勢力への服属を甘んじていたが、スコイラ帝国到来時に尖兵としての働きを勤め、半島での覇権を我が物にしようと画策した。

 結果的に大同盟とカーロイの働きで帝国が敗色濃厚になったとき、帝国からあっさりと見捨てられ、それまでも苦汁を舐める待遇が変わらなかったことから、帝国に対し今度は反乱を起こした。皮肉にもそれが大同盟の帝国への反攻の糸口に繋がり多大な功績を残した。

 一時期はオスカン半島全土を手中に収めたカーロイによるクサンティオ族全体の保護と国家建設が約束されていたが、“南海大戦”後のカーロイ暗殺で安定した半島統一国誕生の可能性が消し去られ、彼等の悲願はまたしても反故にされた。

 開明的なカーロイ以外の半島人からすれば、クサンティオ族は裏切り者同然であり、農奴や奴隷として扱うこともやぶさかではなかった。しかし、半島は戦後の荒廃と政治的混乱により各勢力は自分のことにかかりきりとなって、彼等への処遇は二の次だった。からヌムへの体のいい盾としての役割を押しつけられて建国を承認される。

 古代帝国時代、現王国領土は国防の最前線だったことからインフラ整備が版図中に張り巡らされており、また彼等もそうした遺産を尊重した(それまでの半島人は民族大移動の結果定住した蛮族に等しく、インフラの価値や大切さも分からずに荒らし放題)ことから生活水準は比較的高い。

 また、帝国在命時の鈍海での最大交易拠点が領内に存在していたため、優れた港湾設備が残されて、それらを活用して鈍海で一大勢力を築いていた。ただし近年は神国の版図拡大を危険視し(予想は当たったが、鈍海各地に点在している共和国・市国の交易植民都市を神国とのパイプにしている)交易路線をヌムに主力を移した。その他に市国や共和国への優遇措置などで利益を得るようになってきている。

 スコイラ帝国崩壊で南方大陸ヌムの北部から陸続きである超大陸西部域一帯が戦乱の時代を迎えたにも関わらず油断なく自国兵を傭兵としてヌムに派遣してきた。それだけでなくオスル諸国の南方権益を刺激しない程度に、それでも活発にヌムと交易を行なっている。領内には南方人の入植した(撤退時に取り残された人々の子孫も含む)街も多々あり、両大陸の重要な架け橋の1つとなっている。しかし、油断はできず長年南方と激しい戦いを続けているのも事実であった。

 一方半島の覇権争いにも熱心で、3代前の王の治世までにはサダ人が治めるのケルアイ王国の併合を終了させ、ウルガール王国との同盟によりマトバナ地方に席巻したエルドシア君主国を解体に追い込み、その旧領の回収にも貢献した。しかし“南海大戦”後にクレヨン半島の海洋都市国家と大同盟の中核を担ったラジュネッテ公王国(異民族統治の失敗と魔導教団の流入によりヨドンソォグ大王領とその他に分裂)の思惑の一致により生み出された傀儡の大ラネル帝国残滓を攻略しようとし、ヴィッチェオ共和国と衝突したのが不味かった。

 共和国の巧みな外交戦術と海上封鎖に並行した内部工作による鈍海移民だったセムカ人傭兵の蜂起等で国力の大幅な減退を招くことになる(南方権益を持っていなかったら滅んでいたかも)。次代からの王は国内の安定にかかりきりとなり、王国の支援を受けた君主国残党が中心となるサマゴス山岳共同体に逆に圧迫され領土拡大を中止に追い込まれた。

 ところがそのおかげで、南方権益の保護と発展が活発化し影響力を拡大できた。近年ヌムで台頭してきた新興のアスラン・フィージカも王国の存在を無視できず、お互いの後背の憂いを軽減するために、同盟を互いに結んだ。王国の再び半島を射程に捉えようとする野心が浮き彫りになった瞬間であった。

 クサンティオ人の容姿はヒトと酷似しているが、他者から見るとどちらかと言えばエルフ寄りだと言われる。学会でエルフの祖先か枝分かれした種族だとする学説が存在するが、エルフは否定している。しかし、精霊術と非常に似ている魔導を行使するので、根強く一定の信憑性を保っており研究が続けられている。そのため、モーレリア山脈連邦を始めとする各エルフ共同体とはダークエルフを通して繋がりがある。非常に高い品質の麦を産出し、蜜蝋や蜂蜜でも高いブランドを誇る。

 現在の国王はスイル・カルサンディブ3世




・・・ヒュドリス帝国・・・改訂中


 ヒュドリスはオスカン半島最南部に位置するペラクトス半島を中心とする土地と周辺海域を支配する国家である。古代の英雄であるエルサゴの故郷、アナイキス都市同盟もこの地で生まれた。

  ペラクトスは、複雑なリアス式海岸と厄介な海流の影響で外敵からの侵入を長年拒んできたが、陸路はニゲーア山脈を越えるだけで到達できるため、長年による山岳部族やその背後の民族による浸透に悩まされていた。“南海大戦”時には、クサンティオ族の手引きで無事にオスルへと渡ったスコイラ帝国軍にこの弱点を突かれ、後背にあるニゲーア山脈からの侵攻を許し呆気なく陥落した。

 実情は現在とは違うものの、当時も帝国を名乗る勢力が支配していた。民族大移動の際に、この半島も例に漏れずカン族に押し出された諸民族や種族がなだれ込むことになった。彼等の多くは極めて原始的な宗教を崇めていたが、ペラクトス半島の多神教信仰に甚く感動し半島の神を自分達のものに作り替えようとした。

 古代帝国の崩壊時に半島は、文化的聖地でありながらも帝国の属州の1つに過ぎない地位に甘んじていた反動から、帝国の知識を守り抜くために皇族の血筋や職人や技術者、神官を例外なく取り込んで帝政アクトム(祭壇)として仕切り直す構えを見せた。しかし、急拵えの体制ではとても民達の団結は期待できなかった。

 結局半島に流れ込んだ集団の要求に屈するほかなく、実権は奪われるが帝政を認める代わりにこれまでの多神教を捨て、彼等の宗教を崇めることを皇帝自らが布告する事態に陥った。その動きの過程で、古代帝国の知識や技術、記録が抹消されようとした。しかし、これで終わる多神教を崇める神官達ではなかった。

 自らが崇める神の神殿を知識と記録の保管庫とし、何者も侵せない聖域としてアクトム帝国からの分離独立を敢行したのだ。怒り狂った異民族指導層や顔を潰された皇帝は彼等を地上から一掃しようと軍を差し向けたが、この対応は寧ろ新旧帝国民双方(異種族や異民族も合わせて)からの反感を買うことになった。

 どうしようもない内部分裂の結果、帝国の崩壊を望まない異民族指導層や帝国の権力者は神官達と妥協して独自の自治権を認めることで合意した。その調停の席でも互いに一触即発の状態だったが、ある異民族有力一族の子弟である青年の何気ない一言で大きな転換期を迎えることとなる。


「同じ神々を崇めたいんだから、いっそ全部ひっくるめたら良いんじゃないかな?」


 帝国と異民族の古き神々は神殿に保管され、新しい神々が創造された。とはいっても両者の神々のいいところを統合しただけだったが。

 一方で、その効果は絶大だった。異民族と半島土着民達の摩擦は驚くほど減ることになった。帝政アクトムの新しい夜明けは、まだまだ油断のできない火種を抱えてはいたが、帝国の民達ははっきりと明日を見据えていた。

 半島は豊かな海の恵みの他にオリーブや小麦などの一大産地ではあるが厳しい地勢に潜む魔物や迷宮と常に相対する危険が付き纏っている。そのため治安の浮き沈みが不安定な面を持つ。古くから多神教国家であり、現在では異民族の神を取り入れた神々を崇めている。古代帝国もこの半島の哲学を信望したのだが、近年では陰りが見え始めた。

 “南海大戦”はこれまで続いていた安定を大きく覆すことになった。大陸オスルでの異民族との衝突を運良く免れた帝国は平和に浸かり切っていた。国防を担う軍隊は嘗ての徴兵常備軍ではなく、外国籍の傭兵が大半を占めていた。

 鈍海と南海との通り道を抑える帝国は、その立場を利用してちょっかいを出しては金で解決する予定調和と宮廷内抗争でスリルを満喫していたが、そんな小手先の手段が南方大陸ヌムの北部域全土に加え、超大陸との接続地域を含む東部奥地までの版図を傘下に収めた帝国の精兵に通用する訳がなかった。

 開戦初期から続いたスコイラ帝国による占領は、南海勢力の急騰による大戦の自然停戦、そしてスコイラ本土の再服による正式な撤退勧告に至るまで実に60年に渡ってペラクトス半島は南方人に統治されていたのだ。

 初めは帝国奪還を謳う抵抗運動や皇室直轄領を中心とする組織的抵抗が活発だったが、皇族の内紛に漬け込んだ硬軟合わせた統治政策や神殿を中心とした(長らく帝国の馬鹿げた政治ゲームを非難していた)地方行政が功を奏し、次第に反撃の狼煙は萎んで消えた。終いには帝国民も南方の気風や文化を取り入れ始めたのだ。

 というのも“南海大戦”では、大同盟結成の是非を握る聖地であった中央部の地方都市が転移城門を利用したスコイラ帝国の空挺作戦の餌食となり、早々に掌握されていたのだ。大陸諸国は大同盟の大義名分を与えられぬまま、個別に突如として各地に降って出た大軍勢に対処しなくてはならなかった。

 当然、陸続きで地盤が築かれたオスカン半島の更に奥深い旧帝国のことなど2の次以下であり、帝国民が絶望したのも無理はなかった。途中まではクレヨン半島の海洋都市国家が密かに支援を続けていたが、戦争の長期化を見据えたペラクトス半島全土の要塞補給基地化が始まると程なく潰えた。

 カーロイ率いる大同盟軍がオスカンから帝国軍を叩き出した際に、ペラクトス半島はスコイラ遠征軍の避難場所として未曾有の混乱に陥った。反面半島駐留の指揮層は冷静で、半島に築き上げてきた幾十もの防御壁で撤退の時間を稼ぎ、半島から去る者や残る決意を固めた者を分別し、敗走する兵士が賊徒にならぬように後方管理と治安維持に注力したのだった。

 こうした撤退行を最大限に手助けしたのは半島民達であったことも忘れてはならない。これらの手際や半島の複雑な事情と住民感情を知ったカーロイは憎しみを出す間も無く舌を巻き、半島への態度を改める決意をした。

 しかしそんな小さな良心とは無縁なのが、大同盟軍の7割強を占める大陸西方(大空地以西)出身の兵士達だった。彼等は半島を悪魔の軍勢を長年支え続けた魔窟であり、旧帝国民達は南方に大陸を売り渡した裏切り者の血が流れているのだと純朴に信じていたのだ。

 勝利した軍隊にありがちな暗い欲望が爆発した。カーロイの警告など騒音の中の奇声と同じで無視された。半島全土に略奪・放火・強姦・虐殺・無差別破壊・宗教的奇行が蔓延った。カーロイ麾下の精鋭部隊は例外だったが、オスカン半島出身の兵士達の中にも増長し渦中に加わるものが続出した。カーロイの半島統一を決断させた遠因になったという。

 だが、時が経つにつれオスカン系の兵士や民達も思い知ることになる。西方諸国が決定権を持つ首脳部には各国の領土拡大の目的が秘められていることを。カーロイの元にもたらされる情報はどれも半島の切り分けが事前に密約されていたことを示唆し、既成事実が完成するのも時間の問題になっていた。

 遂に彼は大同盟に反旗を翻したのだ。大同盟軍は何一つ分かっていなかった。自分達ごときはこの地では所詮、カーロイ無くして立ち行かないことを。

 大軍であるだけの分裂気味の余所者達は残虐なゲリラ戦を展開するカーロイ軍に終始圧倒され腰砕けとなり、程なくして這々の体で逃げ出した。彼の野望が暴かれて、堂々とだが慎重に暗殺されるのはこの8ヶ月後のことであった。

 カーロイの暗殺後もまだペラクトス半島は纏まりきれなかった。西方人やオスカン系にも裏切られた半島は軍閥が割拠する情勢下に置かれていた。

 ややこしい事に、軍閥の性格も様々で旧帝国系や南方系、宗教派閥や大同盟が設置した暫定統治政府(スコイラ時代の有力者層)残党、果てはスコイラ時代の傀儡政府の旧帝室血統系が誕生する始末であった。目的もバラバラで、自然な成り行きで軍閥化した場合や自存自衛・ヌムへの帰属・旧帝国復権・半島統一・オスカン半島への報復などが叫ばれていた。

 しかし大半の主張は行動の正当化のこじつけ(信念の元に人々を守る軍閥も少数だがある)であり、犠牲となるのは半島民であった。

 この情勢に目敏く利用価値を見出したのがヴィッチェオ共和国である。共和国は早くから南方との繋がりを重視しており、スコイラの建て直しにも一枚噛んでいた。

 共和国は一時期旧帝国領として登録されていたことがあるものの、商人気質らしく政治ゲームに巻き込まれるのも振り回されるのも嫌って、治外法権を早々に認めさせ、時に歩調を合わせ時に衝突しながらも共生してきた。しかし、共和国は良くも悪くも自国の利益を最大限重視するのだった。

 当時大陸オスル東部には無尽蔵な奴隷を供給することで大国の地位を欲しいままにした『オトケヴィクシ邦圏』が席巻していた。東部に繋がる鈍海への進出は海洋国である共和国では利益に直結する。また、犬猿の仲であったジェスコ市国が先に拠点を築いているのも気に食わなかった。

 安定した交易路を作り上げるにはオスルとヌムの接岸点であり、鈍海への出入り口にあたるペラクトス半島に共和国の秩序と平和が訪れる必要がある。半島制圧に必要な大義名分も辛うじて揃っていた。この話に飛び付いたのが大同盟の中核を占めながらも旨みがを得られなかったモーレリア山脈西の南海に面するラジュネッテ公王国だった。

 共和国には大同盟とスコイラ帝国の和平交渉の仲立ちの過程で手に入れた南方に人質として留学していた旧帝室直系の皇子が健在だったのだ。半島軍閥の大半の主張を叶える隠し球だった。

 共和国や公王国の支援を受けた皇子の勢力は次々と軍閥達を吸収しながら半島を飲み込んでいった。人々はこの皇子に望みを懸けたのだ。例えそれが共和国と公王国の属領になる定めだとしても。その願いは違う意味で裏切られた。

 皇子の野心はペラクトス半島全土の平定とさらなる拡大にあった。支援に送られてくる西方人の兵士達は軍閥を吸収する毎に比率が低下し、公王国は彼を放っておくと管理下をすり抜ける危険性に神経質となり始めた。

 反面共和国は半島の復興開発を持ち前の経済力で擁護することで経済支配を確立させ、早々に鈍海利権や周辺海域の安全を確保するだけで事足りた。ペラクトス人達がこの皇子のことを認めている間はそれでよかった。

 皇子はこれまでの半生を南方で過ごした事によって完全にヌムの価値観でしか物事を考えていなかったのだ。南方の君主は神の代理人であることが多い。その下に抱く臣民は皆が神の下僕であり忠実な信徒であるというのが権力層の理屈であり国体でもあった。

 南方の厳しい風土に住まう民達が、心強い権威と権勢に満ちた精神的支柱を指導者に古来から求めてきた結果であった。しかし一応は大陸オスルに属するペラクトス半島では事情が違う事に皇子は無頓着だったのだ。

 政治体制や経済構造、建築物は勿論のこと習慣や宗教観に至るまで半島の全てを南方風に作り変えようとした。神の化身たる君主に対しての反乱は皇子にとってあって良い筈がなく、徹底的な弾圧が実行された。

 こうなると彼に希望を託したペラクトス人や撤退時に残った南方人ですら失望し人心は次々と離れた。皇子による皇子のための建国に誰も力を貸した覚えは無かったからだ。しかし、皇子が率いる軍隊は西方の強い支援を受けて半島最強の力を持っている。逆らうには半島の民では力不足だった。

 ここにきて力を取り戻してきたのが、宗教系軍閥だった。アクトム帝国時代からの神殿を中心とした神官組織はスコイラ帝国によって力を削がれたものの、地方に強い影響を持ったまま統治機構に組み込まれ存続を許されていた。

 半島に大同盟による暴力の嵐が吹き荒れた時も真っ先に人々を受け入れて守り抜いたのは彼等だった。軍閥時代に陥った半島で彼等が声高に唱える原理主義的な復古思想は希望を失った人々の心に強く響いた。民心が徐々に彼等に集まり始めると、自然と旧帝室血統系の軍閥がその流れに結び付いてくるようになる。

 ペラクトス人によるペラクトス人の為の統治を行なってきた旧帝国の幻想を見出せる勢力は次第に各地で支持を得始めてきた。

 事態に激怒した皇子は彼等を踏み潰そうとしたが、その段階ではすでに彼の言葉を聞くものは誰もいず、地位を保障してきた西方の派遣軍もいい加減半島の混乱の巻き添えになるのは懲り懲りだとあっさり離反して、逆に退位を迫った。今度は完全な西方系の王が戴冠を控えていたからだ。

 皇子は供や財産の持ち出しすら許されず身ひとつで逃げ出した。その先で南方への航海中に船を襲った半島系海賊から乗客を守ろうとして刺し殺された。殺した後、彼の素性に気付いた海賊は死体を船首に括り付けてしばらく語り草にしたという。

 話は一部始終を見ていたアクトム亡命政権(西方系勢力に権力が移行した際に軍閥から変化)関係者の乗客から半島全土へ伝わり、海賊は4ヶ月後に仲間の裏切りで突き出され、古代の聖地で火炙りにされた。皇子だったボロボロの残骸は丁重に扱われながら歴代皇帝の墓所へと埋葬された。刻まれた名は生前彼が嫌っていた旧帝国風のアルタイシス・ユリテラニス1世である。

 半島のその後は公王国の完全な傀儡となった最大勢力は『大ラネル帝国』を名乗り繁栄を謳歌し、その他にも点在する亡命政権も共和国と公王国に反発する西方国家から支援を受け始め、共闘体制を築きつつあった。

 だが帝国と亡命政権の戦いは西方諸国の関心を失い、いつしかオスカン勢力と南方勢力の代理戦争じみた性質を持つようになってくる。亡命政権側は反帝国で一致していたが、指導者に旧帝室の血縁者が収まっている為、主導権争いが絶えなかった。事態を憂慮する各政権を実質的に取り仕切る神殿勢力達は衝突を回避する方針で貫きながら帝国包囲網を狭めていった。

 これより30年後の異民族統治の破綻による公王国本土の弱体化と、南海地域の覇権争いから共和国以外の都市国家を排除できたジェスコ市国の暗躍が再び半島を揺れ動かす。市国と密約を交わした亡命政権の1つが反帝国同盟に奪取された地域を奪い返すべく出立した共和国艦隊と帝国軍の隙を突いて帝国の首都に突入したのだ。

 巧妙に数ヶ月掛けて立てられた作戦で、1日にして大ラネル帝国は崩壊した。西方の傀儡はここで潰えたが、亡命政権はその正当性で再び揉め始め、半島と周囲の島々に点在する共和国系領土に散った帝国残党も健在であった。それに当時の超大陸を揺れ動かした巨大な出来事が重なった。

 超大陸東方世界の巨大山脈地帯を生息地とする騎龍族が統一され、全方位に向けて侵攻を開始したのだ。また、押し出された周辺騎馬民族達が再び新しい土地を目指して各地域に流入し、第2の民族移動が行われた。超大陸東部・オアシス世界・砂漠地帯では幾つもの国が滅んだ。ところが肝心の龍騎族はなにぶん絶対数が少なく、広い世界に慣れていなかった為、領域が拡大する毎に気流に乗って集団から離脱する者が続出した。それには少なからず各地の空族(空を流れる民)との邂逅もあったのだろう。その他に環境が変わったことで風土病に犯される龍や人員が続出し70年足らずで元の住処へ引っ込んだ。後に残ったのは押し出された騎馬民族達による冷酷な破壊の後だけになった。

 これまでの大ラネル帝国の主な敵は亡命政権の他にスコイラ帝国崩壊によって分裂したヌムの土地に割拠するスコイラの地方分権の1つだったルオム・スコイラだが、騎馬民族によって国家自体が空洞化され、彼等に服属する始末。

 一方のヌム北東進出は地域に台頭し始めていたマフン朝の尽力で頓挫し、いよいよ騎馬民族達の欲望はオスカン半島と最前線にあるペラクトス半島に向けられた。

 情勢を坐視できない亡命政権達は早々に一致団結(神殿組織が頑張った)し、ヌムに権益を持つアースゲット王国を巻き込んで西方世界に危機を訴えたが当時の西方は氏族・一族・部族の力関係で成り立っていた国家構造が王権の台頭と発展で揺れ動かされ、壮絶な内紛が巻き起こっていた。遠い世界の事など構っている暇は無かったのだ。

 半島情勢に関与したジェスコ市国も資産をいそいそと回収し始め、亡命政権達が抗議すればあれは昔の市国指導層が勝手に行なったことで(市国の名門同士の抗争は有名であった)現在の市国とは無関係であると惚けられた。それでも個人主義の市国らしく勇敢な幾人かの商人達は協力姿勢を見せてくれた。結局西方で駆け付けてくれたのはレンドス島騎士団とヴィッチェオ共和国だけだった。

 とはいえ、滅亡の淵にあった半島にとってこれほどの助けでも救いだったのだ。マフン朝との10年近く続いた連携作戦で騎馬民族の半島侵略は防がれたのだった。騎馬民族側でも、諸部族の連合体であるが故に立て続けの敗北で分裂が加速し、ルオム・スコイラを巻き添えに自壊した。

 この戦いで、亡命政権達は遂に夢見ていた合体を成功させ、ヒュドリス帝国としてペラクトス半島に秩序と平和をもたらしたのだった。東方世界の一部を領有することも出来た。また帝国は市国を信用せず律儀に最後まで戦い通してくれた共和国の肩を持つように見せかけた。競合させた方がより利益が見込めると考えたからだ。

 その後のオトケヴィクシ邦圏の破壊に始まる“魔王大戦”・“100年戦争”等の動乱への出兵や東方交易路防衛戦と付随するヌム系部族・領主との争いから急激に軍部の力が増し始めてきた。しかしこれは帝国宮廷と最早密接に癒着してしまった宗教派閥(神殿組織の政治的変質)と政治への反感から来ている。

 両勢力の緊張関係が危うく保たれている中、超大陸側の東方領域に近年台頭する新興のアスラン・フィージカに近隣領土を全て奪われ、勢いに乗った彼等によって押し出される形で大陸ヌムからの撤退が行われた。これは少なからず帝国に打撃を与え、国政は酩酊している状態である。加えて半島海域の有力な海賊の頭目であったケマル・ハミドウがアスラン・フィージカに与して制海権を奪い取られた。

 帝国本土が無事なのはヌムでの撤退戦を生き延びた精兵や各地の古参兵の温存に成功し、海域を越えようと試みたアスラン・フィージカの4万の兵士を全滅させたからだ。だがこれで宗教派閥と軍部との対立は決定的となり、ヒュドリス帝国は厳戒体制下にあると言っても過言ではない。共和国の領事は本国にクーデターの可能性を報告している。

 危機的状況の中、古代の神々の神殿は未だに知識と記録を大切に保管している。原理主義を唱える神殿組織の土地を中心に一定領土の自治を認められており、いざと言う時のための民達の避難場所としての要塞化を始めている。

 しかしヌムの野心豊かで暴力的な勢力の脅威にさらされる時代に耐えられるかは分からない。ゆっくりと、だが着実に斜陽を進む国を周辺国は冷静に観察している。

 現在の皇帝はアンドロニコス・カンタクゼノス2世

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