第十一話 デューネ
霧の中から出てくると、大分陽が傾いていた。
岸に漕ぎ寄せると、マルセロさんと工作所の二人が、ゴブリンの巣の近くに建てた丸木小屋で待っていてくれた。
「今まで待っていてくれたのか。すまなんだ」
「なあに、こいつを建てていたんだ。ついでにあれもな」
親父さんが指さす先には、ゴブリンの巣の入り口に木のドアがついていた。
冬になる前に付けてあげたのだそうだ。
まだ寝ているのだろう。扉は閉じられている。
「何にせよ、無事でよかった」
岸に上がるのに手を貸してくれながら、工作所の二人が労ってくれた。
「で、どうだったんだ?」
「ここでは、ちょっとな。話すなら町長と大司教のいるところで話した方が良いと思う」
「そうか、分かった。お前達が帰ってきたら、上水道管理事務所で話が聞きたいと言っていた。呼んで来るからそこで待ってろ」
今回の探索については、アドルフさんに口止めされている。正確には、結局霧に押し戻されて駄目だったと町で話すことになっている。
ここから上水道管理事務所までは、急な階段を登って展望台まで上がり、ソリに乗るか、板切れに乗ってソリの通るところを滑り降りて行かなければならないのだが、今はパウルさんがいる。
ウィンドウ・バリアで作ったお椀に乗って何往復かすると簡単に行き来できた。
皆を送ったあと、私とパウルさんだけが湖に残る。
「さて、いいぞ」
「デューネ。出て来て」
湖に向かって声を掛けると、水の中から水色のワンピースを着た女の人が出て来た。アンダインだ。人の姿に変身できるらしい。名前も皆で考えて、デューネと呼ぶことにした。彼女には船に乗らず湖の水を通して来てもらい、ここで待ち合わせた。
理由は簡単だ。
「では行くぞ」
パウルさんの操るお椀が私達を乗せて空を飛ぶ。
一旦上昇し、森の上を飛んで行く。
「凄い! これが空を飛ぶってことね」
彼女の家の近くで飛んでも良かったのだが、どうせなら広いところで飛んだ方が良いに決まっている。
いつの間にか、元の白い姿に戻った黒子もすぐ横を飛んでいる。
デューネと一緒に手を振ると、クアクアと鳴いた。
「見て! あんなに遠くまで見えるわ」
中の原の南を見ると、夕日を浴びた平野が見える。所々に家の塊りがあるのは村だろう。初めてコウモリを退治した砦も見えた。
滝の傍を降りていく。目の前の水の量が凄い。
下を見ると滝つぼに吸い込まれそうな気持になって、思わずデューネにしがみついてしまった。ニヤッと笑ったデューネが水を引き寄せるもんだから、水が顔にかかってしまう。
はしゃぎながら降りて行った。
滝つぼの池に着水し、ハイタッチして飛行記念を祝った。
ゆらゆらと岸に向かうと、アドルフさんと大司教様、大司教秘書様の三人が出迎えてくれた。
アドルさんが自己紹介の仲立ちを務めてくれる。
初めての飛行体験で、デューネも機嫌が良い。
「この上の湖に棲む水の精よ。この姿をしている時はデューネって名乗ることになっているの」
パウルさんと私を見る。二人してニコニコして頷いてしまう。
「お話を伺いたいので、あちらへどうぞ」
アドルフさんが指し示す上水道管理事務所の窓からは、皆が窓から覗いている。
総勢十五人が入ると流石に狭い。
とりあえず、ソファには、デューネとアドルフさん、大司教様と秘書様に座って貰い、私達は後ろで立って見ていることにしたのだが……。
私はデューネの横に座ることになった。
そうしろ、とデューネが言うからだ。
ある意味公式の場だ。正直、緊張して汗をかく破目になった。
「良くぞお姿をお見せ下さった。まずはこれをお受け取り下さい」
秘書様が差し出したのは、小さなケーキの詰め合わせの箱と、色々な果実酒を詰めたバスケットだった。
機嫌よく受け取っている。
「今まで同じものばかりお供えして申し訳ありませんでした。次からはもっと工夫して、街道クッキーとかも取り混ぜてお供えさせていただきます」
ベアトリクスが得意げに胸を反らしている。入れ知恵したに違いない。
「そうしてもらえるとありがたいわ」
下へも置かぬ扱いだ。女神様というわけではないのだが、どうしたことか。
その理由はすぐに分かった。
「早速ですが、女神様の遺跡をお守り下さっていたお礼を言わせて下さい」
大司教様が頭を下げる。
「そう言われても、私は自分の棲み処を守っていただけよ」
「そのあなたの棲み処こそが、女神様の遺跡なのです。我らの伝承では、あの地に結界を張られ、守り人を使わすとのお言葉があったといわれております。その守り人こそが、あなたなのでしょう」
「そうなのかしら。良く分からないけど、私は湖から生まれた精霊よ」
デューネは首を捻っている。
「元々あの湖は、もっと小さなものだったそうです。その中の島に神殿の代わりになる塔を建てたのが我らの先祖。その後、我らの先祖は山を下りて川岸に住むことを選びました。そして、あの地を離れるにあたって、女神様に神殿の守護をお願いしたところ、今の様な巨大な湖が出来上がったのです」
塔の周囲の小さな池のような湖だけが最初からあったことになる。大体パウルさんの推測の通りだ。
「そして守り人が遣わされた。つまり湖からあなたがお生まれになったのです」
「ふーん。そうなんだ」
「それが、今から三千年程前だと伝えられています」
てことは、デューネは三千歳なのか。
デューネが人差し指をこちらに向け、人の顔に水を掛けてくる。
分かった、分かった、水の大精霊は年を取らないから永遠に二十歳だ。
満足そうだ。どうやら設定年齢が決まった。
「こちらからもお礼を言わせていただきます」
今度はアドルフさんだ。
「あなたのおかげで我らは常に清涼な水に事欠かなかった。おかげで人の生活は安定し、健やかに暮らしております」
「まあね。それが私の務めだからね。ただし、言っておくけど、人間の為だけに水を守っていたわけではないのよ」
「重々承知しております。そのお力の全てに対して、水無しでは生きてはいけない生き物の一部として、お礼を言わせて下さい」
深々と頭を下げた。
流石だ。
人間を生き物の代表と言わずに一部と言った。
傲慢にも、人間は女神様に特別に選ばれたのだ、と言う者がいる。そういった中で、セルトリアの行政官として国王に選ばれた人が、正確に教義の本質を理解している。
大司教様も深く頷いている。
「分かっていればいいのよ」
デューネも上機嫌だ。
「ところで、これからどうされるのですか?」
反面アドルフさん達は心配そうだ。それはそうだろう。女神様の遺跡を守り、湖を浄化している存在がいなくなってしまっては大変だ。
「そうね。時々この子達と一緒に外の世界を楽しんでみようと思っているの。私の家……あなた達の言う遺跡は結界と私の仲間の鳥が守っているし、月に二、三日程度湖から離れても水の浄化には影響ないわ。もちろん大雨が降ったりして水が濁ったら離れられないけどね」
それを聞いて安心したようだ。深く一息をついて、今後ともよろしくお願いします、と頭を下げた。
その後は、アドルフさんから、湖の周辺を禁漁区にしていること、今はゴブリンを住まわせて巣を作っていること、近い将来北岸にもゴブリンが巣を作るだろうこと、そのために北岸の地形に手を加えて見張り台を作ること、とかとかの説明があった。
デューネはいちいち頷いていたが、いずれ滝の上にある展望台を観光名所にしようと思う、とのアドルフさんの計画には難色を示した。大勢人が来るようになって湖が汚されることを心配している。
結局、案内がてら神官と衛兵の監視をつけて展望台への出入りを厳重にする、と約束して決着がついた。
どうせ展望台から湖への降り口は、展望台の地下の扉に鍵が掛かっている。展望台へも普通の人はソリを使わないと上がれない。
ついでに、上から下までソリで繋げて観光の目玉にしようと思っていると説明したところで、目の色が変わった。
「何それ? 私も乗っけてよ!」
案の定だ。しかも、あんたも来なさい、と私まで引きずり込もうとする。
「ならば、行くか!」
パウルさんが意気込んでいる。アドルフさんと大司教様を見ると、二人共ニコニコと頷いている。
何とかして逃げようとしたのだが、光栄なことなんだから大人しく行きなさい、とベアトリクスにまで言われてしまった。
光栄もなにも、どうしてニヤついているんだ!
上気して頬を紅潮させているデューネに、しっかりしなさい、と支えて貰いながら事務所に戻った。
「気に入ったわ。しばらく人間に会ってなかったけど、色々変わったみたいね」
満面の笑みだ。きゃあきゃあ言いながら三回も乗った。さもあろう。付き合わされた身にもなって欲しい。
「以前にも人間にお会いなされたことがあるのかな?」
「この辺りの猟師って言っていたわね。確か名前は……」
アドルフさんに聞かれて答えた名前を聞いてびっくりした。初代国王様の名前だ。
もしや、こういう人では、と人相やら特徴やらを言うと一致する。
知ってるの? と聞いてくるから、初代国王だ、と答えたら、ウフフ、と笑った。
「へぇー、国王になんかなったんだ。腕の良い猟師になって、地元の気の良さそうな娘と結婚して子供にも猟を教えたい、とか言ってたけどねえ」
どういう関係なんだろうか。何分、男と女だ。聞いて良いのかどうか分からない。
「知り合いだったの?」
恐れ知らずの魔法使いがいるのを忘れていた。
「知り合いっていうのかな。あなた達人間は光の魔法を使う人が少ないんでしょ? だから、私が始めて会って話をした人間だったのよ。何回か会いに来て、色々な話をしてくれたわ。時々ワインやパンとかも持ってきてくれたの。霧の結界が手を繋いで何か歌を歌えば次の段階に行けるように提案してくれたのもあの人よ」
そうだったんだ。だから、歌っている地域が限られているんだ。しかし、ライトがそんなに希少な魔法だったとは知らなかった。
元々は、霧の中でライトを使えば反対側に跳んだらしい。そして、反対側からもう一度ライトで照らすと霧の中に行けるようになっていた。しかし、ライト二回では単純すぎると、歌を歌う方法に変えたのだそうだ。ちなみに、一人の時は自分一人で両手を繋ぐそうだ。歌は何でも良く、手を繋いで歌を歌うことが大切らしい。
つまり私達は運が良かった。
そうなると手繋ぎ歌と原初の遺跡の関連が曖昧になる。しかし、そこはデューネも知らなかった。
「戦うことになった、って言ってね。その後はお供え物ばっかりがきて本人が来なくなったの。戦死したのかと思ったけど、随分と出世したのね」
ウフフ、と笑う。
楽しかったんだろうな。
北部の魔王軍の話も出た。最悪攻め込まれる可能性がある。アドルフさんとしては、デューネの立ち位置を確認したいのだろう。
デューネは、あいつらは嫌い、と言った。大昔、この辺りに出没した時に、随分と水を獲物の血で汚していったらしい。
何度か大波を浴びせかけて撃退したようだ。
「基本的には中立よ。でも湖を汚したり、私がこの姿でいる時に攻撃してきたら、あなた達には関係なく敵対するかもね。言っておくけど、人間が同じことをしても攻撃するわよ」
「それで結構です。我らの内で不心得者がいたら、湖の守護者としての務めを遠慮なく果たして下さい」
毅然としている。やっぱり大した人だ。
その後はざっくばらんな雑談になった。
折角来たんだし、奢ってあげるから町で一杯やろう、とベアトリクスが提案すると、のってきた。
夜はどうやって帰るんだ、と聞くと、これをあげる、と指輪を渡された。私が合言葉を唱えると、指輪を通して呼び出せるし、うちに帰ることも出来るらしい。
デューネが私に用がある時は、指輪が光るそうだ。
お守りよ、と笑っている。
青い石の白銀の指輪だ。水色といっていいのか。表面は淡く、中心は濃く。
「凄いな。流石は精霊だな」
見せて貰ったパウルさんなんか、手に持った指が震えている。見る人が見れば凄い物なのだろう。
「どうってことないわよ。暇つぶしに作ったようなものだしね」
素っ気ない言い方だが、きっと初代国王様と会えなくなったから寂しくなって作ったんだろうな。
「失くさないでね。もし他人が指にはめたら、壊れて湖の水があふれ出てきて洪水になっちゃうからね」
パウルさんが慌てて私に戻した。
指輪をはめてみると、丁度良い大きさに変化した。
水色の石を覗き込んでみると、中心の濃い部分がゆっくりと渦を巻いている。
「これからは、私と話をする時はジャンヌを通してね。その代わり、この子はある程度私が守ってあげるわ」
ある程度とはどういうことか、と聞くと、周囲に大量の水が無ければ十分な力を発揮出来ないらしい。その代わり大量の水なら、湖、池、川、人工の堀、なんでも良いらしい。
「凄いじゃない」
ベアトリクスが目を真ん丸にしている。
「いいのかな。そんな私なんかに……」
「その代わり、少なくとも月に一回は何か美味しい食べ物を奢りなさい」
なるほど。雇いの用心棒みたいなものだな。
それにしても、水の精が守ってくれるなんて大変なことだ。
黒子にもお礼を言わないといけないな。お土産は、オーウェンさん特製の干し肉でいいだろう。
ありがとう、と手を取ってお礼を言うと、うちの鳥が懐いた分も含めてよ、と握り返してくれた。
「そう言えば、あの子は一体何なの?」
「良く分からないわ。鳥か何かの精霊かもね。いつの間にかうちの近くに棲み始めたのよ。湖の監視を手伝ってくれてるから、今じゃパートナーみたいなものかな」
「ふーん。色々不思議なことがあるものね」
「まあね。私達の世界じゃ理詰めで考えても分からないことが多いから、いちいち気にしてられないわ」
深く考えるな、ということか。確かに、この世の全てを理解するのは不可能だろう。デューネが分からないのなら、考えるだけ無駄なんだろう。
その夜は、アドルフさんが鳥の頭亭を貸し切りにしてくれて、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎになった。
デューネは、とある所のお嬢さんと言う触れ込みだ。
何とも怪しい理由だが、そこはオーウェンさんだ。初めて来てくれたんだからサービスしとくよ、とウィンクしてくれた。
詮索なんて野暮なことはしない。流石は自警団長さんだ。




