第五話 潜入⑥
酒の肴は干し肉だ。魔王が木のお皿を出してくれたので、食べやすい様にナイフで削ったのを盛りつけそれぞれ摘まむ様にした。
準備が整い、魔王が出してくれたお酒で乾杯する。魔王の対面に私、私の左に巫女、右がフィオナだ。
「かーっ! 美味しい! 何これ?」
「本当に、美味しいです!」
幽霊二人が一口飲んで大絶賛している。フィオナは酔うお酒は初めてのはずだが、大丈夫だろうか?
「久しぶりの本物の酒か?」
「千年振りだよ」
「私なんか、本物は初めてです!」
「二人共、ペースを考えるんだぞ。本当に酔っ払うぞ」
「口当たり良すぎて、ヤバいわ」
「いつもの様に飲んじゃ駄目なんですか?」
いつもの様に飲んだら、いつぞやの樽酒のオッサンの様に目を回してひっくり返るぞ。
「ジャンヌは我ら魔族の作った酒を飲んだ事があるのではないか?」
実は何度もあったりする。氷の島で副魔王と宴会した時に一回、エングリオの女魔族のとこにお泊りに行った時はその度に。でも、幽霊が酔っ払うとは知らなかった。
「はい。お陰様で何度か機会を頂きました。どのお酒も口当たりが良くて本当に美味しかったです。勿論、このお酒も」
私的には、今までで一番美味しかったのは、エルフのお酒だと思う。二番目は、ほんのちょっとの差で女魔族の作ったお酒だ。その差は、多分エルフのが集落で作ったものの選りすぐりで、女魔族のが個人で作った分だからだろう。魔王と副魔王のは、私の好みからすると、ちと強い。北方の人達はこっちを一番にするかも知れない。いずれにせよ、けた違いに美味しいのは間違い無い。
「そなの?」
「ジャンヌ、凄い。何度も飲んでるのね」
「え? うん。でも、巫女は氷の島で飲まなかったっけ?」
「あの時は、人間が持ち込んだお酒ばっかりだったよ」
そう言えばそうか。一回目は副魔王がフィニスの強いお酒が久しぶりだとか言って、そればっかり飲んでたんだな。副魔王が作ったのを飲んだのは二回目か。一回目の宴会以降、人間が行くたびに挨拶と称して副魔王にお土産のお酒と干し肉を渡している。二回目に行った時は、フィニスのお酒も珍しくなくなったせいか、自身で作ったのを飲ませてくれた。
「氷の島へは度々行っているのか?」
お、なんか口元に微笑み的なものが浮かんだぞ。
「以前お伝えした通り、二回ですね。三回目も行きたかったんですが、色々と忙しくなって。あっ、女魔族の方は蜂蜜酒渡したりするので何度も会ってます。今は、会えませんが」
「そうか」
また、カエルに戻ったな。
「ねえ、ジャンヌ、副魔王やジャンヌの友達の女魔族の作るお酒って、やっぱり、このくらい美味しいの?」
さては紹介して貰う積りだな。まさか、買うとか言い出さないだろうな。
「そうね……」
いっその事だ。そう思って、個人的見解を述べてみた。
「エルフのお酒が一番なんだ……。そ、それって、人間が作ったお酒も含めてるよね?」
「勿論よ。巫女も一緒に飲んだよね? 総大司教様の差し入れとか、大陸のやつとか」
「た、確かに」
「どう? 人間が作った超特上とこのお酒。どっちが美味しい?」
大陸ではセルトーニュ王家の宴会やお貴族様の宴会に参加したのだ。
「そりゃあ……、断然、こっち」
「でしょ?」
「だって、酔えるもん」
思わず笑ってしまった。今まで飲んでいたのは、果物ジュースだったんだな。
「気に入って貰えて何よりだ」
「いえいえ、こんな美味しいお酒、本当にありがとうございます」
「本当です。なんか、酔っ払って来ちゃったかも知れませんけど」
大丈夫か、フィオナ? もう二杯目だよ。干し肉、もうちょっと齧りな。
宴会は進み、それぞれ二杯目……フィオナは三杯目を……飲み干した。干し肉の山も少しだけ小さくなった。巫女と一緒に副魔王に会った時の話や、女魔族の所に人間四人でお泊りに行った時の話で盛り上がった。
「久しぶりだな。人間との戦いの前にこのように酒を酌み交わすなぞ」
久しぶり? てことは、以前は頻繁に飲んでいたのか?
「そうだな。以前は戦う前に飲み、そして戦った後に飲んだ」
まるでフィニスの元領主達じゃないか。趣味で戦争をやってるんじゃないか?
「趣味ではない。手段だ」
手段……。
「そうだ。本来、戦いとは、双方の主張が食い違い、かつ互いが妥協できぬ時に決着をつけるための手段だ。目的ではない」
「では、魔族と人間の間には、双方ともに妥協できない主張の食い違いがあったと言うのですか?」
「ジャンヌは聞かずとも分かっているのではないか?」
そうかも知れない。セレーナが言っていた、人間増えすぎ問題だ。エグワード様も、人間が魔物の領域の森をどんどん伐採するから魔物が襲撃して来たと言っていた。
「な、縄張りを……。双方の縄張りを尊重し、相互不可侵にすれば……」
「出来るのか?
「一部では、出来ていると思います」
北東の森がそうだ。中の原北部もそうだ。モランディーヌのハーピーの森がそうだ。女魔族の森がそうだ。火竜のとこだって、飛竜のとこだって、水竜のとこだって、デュラハンのとこだって、ドライアドの森だってそうだ。
「今はな。しかし、今の世代が死に絶えて、人間が更に数を増やせばどうなるかな? 森を伐採し、畑を作り、収穫を増やすために様々な工夫をし、もっと数を増やすだろう」
「さ、先の事は分かりません。でも、今の考え方を後世に伝えて行けば……」
ドライアドの森を守るために国を割ってまで建国したノーザン・グラムは、今でもその方針を堅持している。
「何年も、何十年も、何百年も、そうかな? 今のうちに数を減らしておいた方が早くはないか?」
結局はそこなのか? 人口を減らす以外に方法は無いのか?
「で、では、今回復活したのは……」
「そうだ。白い島の人間を大いに減らす事の出来る疫病蔓延を阻止する力を持つジャンヌをこの地において封印するためだ」
「…………」
そうかも知れないとは思っていた。しかし、こうはっきりと言われると……。
「とでも言うと思ったか?」
「へ?」
「違う。単に光の魔法の使い手と決着をつけたかっただけだ」
なんかニヤついているし、この人、こんなキャラだったっけ? カエルの呪いはどうなったんだ? いっその事、こっちがカエルの様に無表情になってやろうか?
「じゃあ、疫病は関係無いの?」
脱力している私に変わって巫女が聞いてくれた。
「関係無い。本気で疫病蔓延を妨害する気なら、もう何年か前に復活しているさ。現時点でかなりの準備が出来たのだろう? 仮に何年か前にジャンヌを殺していたとしてもだ。疫病と言うものは、数年で拡大の規模が下がるはずだ。その間、大勢が死ぬだろうが、白い島の人間が絶滅する様な事はないだろうさ」
じゃあ、何で今なんだよ。色々と忙しいのに。もうちょっと後でも良かったはずだぞ。
「なぜ今か。それは儂に勝ったら分かるさ」
結局、戦いなのか?
「やい! 魔王! お前! おかしなこと言ってんじゃないわよ!」
だんっ! と机を叩いてフィオナが立ち上がった。のはいいけれどゆらゆらしている。炎を吹き上げたのはいいが、なんか色が変だ。普通の炎の様に赤っぽいぞ。
「フィオナ、大分酔っ払ってるね。大丈夫かな?」
「酔っ払ってるの?」
「うん。だって赤くなってるでしょ?」
なるほど。顔が赤くなるんじゃなくて炎が赤くなるんだな。
「あの娘、何杯飲んだの?」
「四、いや、五杯目かな? どうだろう?」
ちょと、ヤバいな。私はまだ三杯目に手を付けたばかりだ。ペースが早すぎる。
「どうして、ジャンヌをこんなとこに封印しなきゃいけないのよ!」
「え? あ、フィオナ、その話は違うのよ」
やばい。ベロベロじゃないか。
「こら! 魔王! ジャンヌを封印したら、絶対に私が許さないからね!」
ビシッと魔王を指差して、そう言った後で、ふわふわと宙を飛び始めた。
「言ってやったあ! 魔王に言ってやったんだあ!」
えーと、どうしようかな。
ふいっとフィオナが飛んで来る。体の半分をテーブルに埋めて上半身だけを出している。
「わかったか、魔王!」
人差し指を延ばした右手を魔王に向けて突き出し、ビシッと決め台詞を言う。
そう言いながらも、左手を延ばして、お酒の瓶を取ろうとする。
「だ、駄目よ、それ以上は」
手を押さえようとすると、すり抜けた。いかん、触らせない様にしている。
「魔王、勝負だ! 飲み比べで勝負しなさい! それで決着をつけましょう!」
決着って、あんた、もう沈没寸前じゃない!
「私は、えーと何杯飲んだんだっけ?」
「六杯だ」
そんなに飲んでたのか! もう駄目だ。止めなきゃ。
「魔王! お前は何杯だ」
「三杯目だ」
「三杯目って事は二杯だな。ねえ、ジャンヌ、ジャンヌは何杯飲んだの?」
「え? 私は三杯目だから、二杯よ」
「ジャンヌは二杯。巫女は?」
「私も二杯」
「てことは、私達は、えーと、十杯だ。魔王は、まだ二杯しか飲んでない。もっと飲めよ! このままじゃ、私達の圧勝だよ!」
いつの間にか、三対一になってるし!
「ふん、構わんのか? 儂は人間との飲み比べで負けた事は無いのだぞ」
まさか、魔王がその気になってるし。
「よっしゃ! 勝負だ! 私ら最強の三人と魔王の勝負だ!」
巫女まで乗ってきた。もう知らんぞ!
結局……。
「えーと、十、二十、三十……」
翌朝、テーブルに刻み付けた飲んだ数を表す線を巫女が数えている。
「魔王は五十一杯でいいのね」
「ああ、構わんぞ」
巫女が聞くと、青白い顔をした魔王が魔法で出した水を飲みながら返事をした。
「えーと、こっちが、フィオナが六杯、私が十一杯。で、ジャンヌが三十五杯だから、三人合わせて五十二杯でいいのね」
「ああ、構わんぞ」
勝ってしまった。
「ジャンヌって酒豪なんだね」
「え? 違うわよ。一人当たりの数だったら、魔王の方がよっぽど多いのよ」
酒豪なんて言われる筋合いは無いぞ。
「儂が作った酒を三十杯以上飲んだ人間はジャンヌが初めてだぞ。しかもけろりとしておるではないか」
え? そうなのか?
「ほらあ、私だって生きてる時は結構強い方だったのよ。相手はごつい男の戦士ばっかりだったし。その私の三倍以上も飲んでんのよ」
「え? いや、ほら。それは、年齢差みたいなものだし。あっ、そうだ。巫女は本当に酔えるお酒は千年振りなんでしょ? きっと長い事飲んでなかったから弱くなったのよ」
絶対そうだ。千年も飲んでなかったら、生まれて初めて飲む様なもんだろう。
「幽霊が?」
魔王と巫女と、二人同時に突っ込まれたな。
私の酒量は兎も角も、魔王との対決には勝った。
「で、いいんですよね?」
「そうだな。儂の負けだ」
よっしゃ! 被害者ゼロで勝ったぞ!
巫女とハイタッチする。フィオナは二日酔いなので、隣で寝ている。後で教えてあげないといけない。
「じゃあ、私達外に出られるの?」
巫女が聞いてくれた。
「そうだ。今、発動したテスタメントの魔法陣には霧が立ち込めている。その霧と、この神殿の外の霧は繋がっている。資格ある者であれば、内からでも外からでも通り抜けられる」
「資格ある者?」
「ああ。テスタメントを発動し、儂を倒した者、つまりそなたらだ」
「私達三人だけ?」
「いや、初めて通過しようとする者はそなたらと同時でなければならぬが、一度そなたらと共に通過した者は何度でも通過出来るようになる。その場合、他の者は一本のロープを通してでも良いからそなたらと繋がっていなければならないがな」
なるほど。霧が有資格者とそうじゃない者を分けるのか……。
あれ? ちょっと待てよ。
「あの。入って来る時にテスタメントを発動した場所は、人間がつくったんじゃないんですか?」
霧の結界なんて精霊と一緒じゃないか。
「誰がその様な事を言ったのだ?」
誰だっけ?エリクソン様は言ってないな……。あれ?
「誰が作ったんですか?」
「フフフ、人間以外の誰か、だ」
「教えてくれないの?」
「知りたければ、自分で調べる事だ」
あらら、また素気なくなったな。でも表情はカエルみたくなく穏やかだ。
「ところで、時間の感覚が無いんですが、今はどの時分ですか?」
「今は、昼過ぎだな。太陽が真南から西へ移動し始めた時間だ」
朝かと思ったが、半日ズレたか。
「では、明日の夜明け前までここでお世話になって良いですか」
「構わんぞ。一人寝ておるしな」
フィオナが寝ている隣の寝室を見やる。
一時はどうなる事かと思ったが、お陰で平和的な対決が出来た。本人は宣戦布告した直後に寝てしまったが、そして今も寝ているが、今回の対決の最大の功労者だろう。
「いや、そこは、飲み勝ったジャンヌでいいんじゃない?」
いい事言ってるつもりなんだから、突っ込まないでよね。
私達は脱出……どころか自由に通過出来る事が分かった。魔王はどうなるのだろうか?
「儂はこのままだな」
「このまま? と言うと……」
「ここにいるだけだ。封印されたからな」
「もしかして、出られないんですか?」
「そうだ」
どう言う事だ。いつぞやの暗い世界から渡って来る能力を失うんじゃなかったのか?
「そなたらと戦って負けた場合はな」
「えーと、飲み比べでは?」
「同じ事だ。渡る能力、つまり、ここからあの世界へ渡る能力を失ったのだ。そして、この地に封印されたわけだ」
「じゃあ。今までに封印された魔王も皆どこかの洞窟にいるのですか?」
天変地異でも起きたら全部出て来るかも知れない。
「いや、奴らは討たれた後、その場でテスタメントを発動されて封印されているはずだ。この地で殺されると魂魄は元の世界に戻る。光の魔法は魂魄に直接影響を及ぼすから、殺された後で浴びると弱体化してしまうのだ。いずれにしろ、残ったのはこの世界に出現するために使った仮の肉だから、腐って果てただろうさ。洞窟も維持出来無くなっただろうから、何かのきっかけで崩れたか、もしくは討った者が破壊して埋めたのだろう」
え? じゃあ、目の前にいる魔王だけが元の世界に帰れなくなったのか?
「そうだな」
そんな……。どうしよう……。順番を間違えた……。魔王が元居る世界に帰れなくなるなんて、思いもしなかった。