第四話 禁漁区北部
禁漁区合宿三日目だ。
今日はいよいよ、北岸領域だ。
北岸の狩りは中の原最北部に潜んでいるかもしれない魔王軍残党の偵察も兼ねている。少々緊張感がある。
もっとも禁漁区の北は猟師が遠征してクマやオオカミを狩っている場所だ。それほど切迫しているわけではない。
船を漕いで、北岸拠点の候補地に上陸する。
川が二本流れ込んでいるところが砂浜というか砂利浜になっていて、その背後の山際まで雑木林になっている。平坦な場所は南岸のゴブリン達の巣と同じくらいの広さがあり、地形的には十分だ。
問題は、背後に迫っている山がなだらかなせいで、南岸との連絡に使う篝火を焚くのに丁度良い場所が見当たらないことなんだそうだ。見晴らしの良い高台が良いらしい。
「ならば、あそこを削って見張り台を作れば良いだろう」
東側の尾根を指さして地形を変更しようとするのはパウルさんだ。
なにせ拠点作りの実績がある。
「あの尾根を削って櫓を組んでおけば、向こうからも見えるだろう。ゴブリンは穴を掘って暮らすとしても、儂ら人間は何か建物を作っておいた方が居心地は良いぞ。町長に話して許可を貰っておこう」
あっさりと解決してしまった。
どうやらゴブリンと人間の共同生活を考えているようで、南岸を第一の村、北岸を第二の村にする構想らしい。南岸を人間との交易拠点、北岸を北方監視の拠点として考れば丁度良い。
ロビンソンさんは無論異存はない。
ゴブリン達も喜んでいるようだ。長老の話では、今の洞窟は少々狭い。いずれ数が増えてきたら拡大するか、群れを分けるか考えなければならなかったらしい。ただ、人間と共に暮らす以上は、ゴブリン達の一存では決められない。こちら側からの提案は渡りに船なのだろう。何年か先の話だろうが、見通しが立つのは良いことだ。
拠点候補地の確認が終わったら、探索開始だ。
川の上流は滝になっていて登れない。先っぽを削られる予定の尾根を登る。滝の先の川を辿っていくと小さな池があるらしく、そこが今回の目的地だ。
日暮れまでに南岸に帰れない場合は野宿になる。
あいも変わらず道なき道を進む。幸いにも急な斜面をよじ登ることはないが、平坦な土地を進むわけではない。
遅れないようにとベアトリクスと私はロープで繋がれて、まるで罪人の様に引っ張られた。ロープの先はパウルさんが持っている。腰に巻き付けてあるので、引っ張られたら否応なく歩かされる。
「あの二人、なんであんなに元気なのよ。リュドミラなんか鍋を背負ってるのよ」
昨日も同じようなことを言っていたような気がする。
「ボニーはエミリー先生に鍛えられてたんでしょ。リュドミラは、夕べ早くに寝たから元気なのよ、きっと」
私も同じようなことを言っている。
どうにも鍛え方が足りないのは私達だけだ。
二人してヒイヒイ言いながら、それでも何とか二時間歩いてお昼ご飯になった。
その後、さらにヒイヒイと二時間かけて滝の上に出た。そこからは、無事に戒めも解かれ、川沿いに一時間歩いて目的の池のほとりに着いた。
禁漁区はこの池の北岸までになっているそうだ。もっとも、水の補給をする分には問題ない。北岸には猟師がいるかもしれない。
一休みした後、皆で相談する。
この後どうするかだ。
ロビンソンさんが、北の魔物の偵察に行くときは、ここでゴブリン達とは別れるらしい。そうしないと猟師に見つかるかもしれないからだ。この先へは、出会った動物をお供にさらに北上するらしい。その間、ゴブリン達は滝の周辺で魚を獲ったりしているのだそうだ。
既にお昼は過ぎている。日が落ちるまでは時間があるにしろ、進めば野宿は確定だ。かと言って、獲物を獲らずに帰るのは少々寂しい。ましてや、私とベアトリクスは上陸してから大半を繋がれて歩いていただけだ。進もう、ということになった。
ゴブリン達は慣れているのか、水浴びした後であっさりと川を下っていった。
禁漁区の北は、なだらかな地形が広がっていて歩くにはそんなに苦労がなかった。
ロビンソンさんが操る鳥が偵察をしてくれているので、特に危くもない。
ベアトリクスが、人とゴブリンと動物といくつかの魔物……魔獣やオークやオーガ、果ては、トロル、サイクロプス、フェンリルまでも描いた絵用意している。帰ってきた鳥に見せたら、動物だけを嘴でつついていた。クマもいないらしい。
ありがとう、と水を飲ませてあげる。ロビンソンさんが小袋にいれていた芋虫をあげたら、食べた後で鳴き声を上げて飛んで行った。
「鮮やかなものだな」
パウルさんが感心している。
「この絵は良く出来ているね。ベアトリクス、良ければ僕に一枚くれないか」
「いいわよ。どうせなら、もっと、丁寧に描いたやつをマルセロさんに防水加工してもらうから、それをあげようか」
「それは助かる。是非お願いするよ」
流石だ。似顔絵だけで生活費が稼げてしまうだけのことはある。
「院長先生も描いとこうか?」
「ならば、魔王も描かんといかんな」
「魔王って、見たことないんだけど」
「カトリーヌ司教に角と牙を生やしておけば大丈夫だろう」
不遜な事を言う魔法使い二人のヒソヒソ話は、聞かなかったことにした。
クマすらいないようでは魔王軍の侵入はないだろう。
安心して森の中を進んで行く。
軽く登ったり下ったりしているうちに、北の方へ流れている小川に出くわした。
流れを追いかけていると、本格的な下りになった。
今日はここまでにして、比較的見晴らしのよさそうな木に登る。
目の前には、何と言うか、東西方向に掘ったもの凄く大きな溝のような地形が横たわっている。
この先はずっと下りが続いている。下りきると平坦な森が続いている。渓流だろうか、森に切れ目がある。切れ目の向こうはまた平坦な森が続き、途中からせり上げるような山並みになっている。
溝の西は段々と狭まっていき、東は逆に昨日行った禁漁区のあたりから南に開けているそうだ。
向こう側の溝の縁よりこちら側の方がかなり高い。
聞くところによると、禁漁区ではゴブリンと別れた池が一番高いところにあるらしい。道理で道中が大変だったわけだ。
「ロビンソンさんはどこまで行ったの?」
ベアトリクスが言うのは、私達が東の原で戦っている間の偵察行の事だろう。
「丁度、反対側の山並みの天辺だよ」
真正面を指差す。
小川を追っかけて降りて行って、そのまま山を登ったらしい。さぞや大変な道中だったろう。
ここからなら丸一日歩けば着くよ、とことも無げに笑っている。
「天辺から何が見えたの?」
「ここと同じような光景さ。あの山並みの向こうは、低くなっていて、森が広がっている。所々に小さい池があって、その先は万年雪を被った山に繋がっていた」
「魔王軍はいたんですか?」
「僕が見たわけじゃなくて、鳥を操って見て貰ったのだけど、二本脚で歩いている連中が幾つかの池の周辺で群れを作っていたらしいよ」
ベアトリクスと私に返してくれた答えからすると、平和に暮らしているような気もする。
「一つ問題があってね。砦の様なものがあったらしい。そこには随分とおっかないのがいたから慌てて逃げて来たようだ」
鳥が逃げるとは由々しき事態だ。
「何がいたのかなぁ。よっぽど強い奴なんでしょうねぇ」
「ワイバーンかも知れんな。鳥が逃げるのだから空を飛ぶ奴だろう」
「ワイバーン、見たいなあ」
ボニーとパウルさんがおっかない話をしている途中で、リュドミラが無邪気な声を上げた。思わず皆で笑い出してしまった。
「リュドミラはどうしてワイバーンが見たいの?」
聞くと、背中に乗って空を飛んでみたいらしい。
ワイバーンが大人しく背中に乗せてくれるとは思えないが、空を飛んでみたい、という気持ちは分かる。
「なんじゃ、そんなことか。儂が空を飛ばしてやろうか?」
えっ!
皆、仰天する。そんな魔法が使えるのか!
「簡単じゃ。ウィンドウ・バリアに乗れば空を飛ばせてやれるぞ」
確かにその通りだ。考えもしなかった。
コウモリ退治やガーゴイル対策で魔物を受け止める役目をはたしている時に思いついたそうだ。人を乗せるのは今回が初めてらしいが、きっと大丈夫だろう。
乗りたい、乗りたい、と皆で騒いだら、帰り道の途中で乗せてもらえることになった。
乗せて貰ったのは滝の上だ。
湿らせた枯葉に火を付けて煙を起こす。煙を巻き込んで作った薄灰色のウィンドウ・バリアは形がハッキリと見えた。
それをパウルさんが両手で操るのだが、水をすくような形を手で作ったら、ウィンドウ・バリアもお椀のような形になった。
きっかけを作ったリュドミラが一番に乗る。二番目は保護者よろしくロビンソンさんだ。後はくじ引きで、ゴブリン達が勝った。流石は精霊、運が強い。
リュドミラ達を乗せた煙のお椀は、一旦上昇した後、森の上をしばらく左右に飛んだあと、ゆっくりと滝に沿って降りて行った。
乗っている皆は、大はしゃぎだ。ロビンソンさんまでがはしゃいでいる。
そのまま着水して、ゆらゆらと船のように水面を漂い、岸辺に辿り着いた。
魔法を解除したのかお椀が消えた。リュドミラ達が河原に立って歓声を上げながらこちらに向かって手を振っている。
次は私達の番だ。
三人で乗り込むと、お椀はゆっくりと上昇していった。落ちないように、しっかりとお椀の縁に掴まる。
風を受けながら、夕日を受けて黄色に輝く木の葉を見下ろすと鳥になった気分だ。滝の下ではリュドミラ達が見上げている。手を振ったら振り返してくれた。
降りる時は、随分と滝に近づいた。しぶきがかかって、きゃあきゃあ、言ってしまった。残念ながら手を延ばしても届きはしなかったが、目の前を水が流れ落ちて行く様は、すげー! としか言い表せない感動があった。
滝から離れた場所に着水し、ゆらゆらと川岸に辿り着く。ちょっとした飛行体験はお終いになった。
空を飛ぶということはこういうことなんだ……。
皆でお互いのニコニコ顔を見回した後、肩を組み輪になってはしゃいだ。
一人になったパウルさんがどうするのかと思ったら、見えないお椀に乗って降りて来た。
そのまま湖の方へ飛んで行く。
慌てて追いかける。
ベアトリクスと二人でヒイヒイ言って、何とか湖が見えるところまで辿り着くと、日暮れの中でパウルさんが湖面を滑走していた。
お椀は目に見えないの。水の上に立って進んでいるように見える。水しぶきを上げながら凄いスピードで移動している。
右から左へ横切ったかと思うと、水面に大きな弧を描いて戻ってきた。
正面に来たところで、上に飛び上がって一回転して着水する。
凄い、凄い、と皆で一緒になって歓声を上げて手を叩く。
もう一回、とばかりに右の方へ行き、くるりと廻って帰って来たかと思ったら、今度は随分と高く飛んだ。
一回、二回、と宙返りし、三回目で、悲鳴が上がった。
ドボンと音がして、湖面に水柱が上がる。
着水と言うのか、落水と言うのか……。
大丈夫ですか、と声を掛けながら慌てて皆で岸に近づいていくと、プカプカと浮かんでいた。そのまま平泳いで岸に上がってくる。
「いやあ、調子に乗ってしまったな」
頭を掻きながら笑っている。
「お約束をきっちり決めてくるところは流石ね」
ベアトリクスの言葉に皆で大笑いした。
服を乾かすために焚火をし、ついでにゴブリン達が獲ってくれた魚を炙る。船に天幕を乗せているので、その夜はそのまま野宿した。
後日、ゴブリン達と一緒に、湖の上をふわふわ飛んでいたり、まるで水すましのように湖面をクルクル移動していたりするパウルさんの姿が目撃されるようになるのだが、それは私達だけの秘密だ。




