第三話 クマ退治
禁漁区合宿二日目だ。
今日は船で湖に漕ぎ出して遠出し。昨日のクマの縄張りをよりも遠い所に行く。
船は上水道管理事務所が持っているもので、中の原川を往来する十人乗りの川船と同じ大きさだ。櫂が左右に2本ずつついているから、後ろはパウルさんとロビンソンさん、前は私達一七五の会が交代で漕いだ。
いずれ湖畔のどこかに山小屋か何かを作ってゴブリン達の拠点にするつもりだから、その候補地の選定も兼ねている。船を引き上げられる岸の近くが良い。何かあったら湖に脱出できる。
ゴブリンの巣のある岸辺からせいぜい半日船を漕ぐ範囲までが丁度良い。今のところ、川が流れ込んでいる所を除くと、木が覆いかぶさっていたり、崖になっていたりする場所しか見当たらない。
「ほら、しっかり漕がんか。四本も櫂がついておるのに、全然進まんだろうが」
パウルさんがベアトリクスにハッパをかけている。
「そんなこと言ったって、初めて漕ぐんだもん」
「ボニーはしっかり漕いどるじゃないか」
「ありがとうございますぅ」
「ボニーは猟師の親御さんに教えてもらってたからでしょ。こっちは小さい頃から孤児院にいたんだから、そうもいかないわよ」
悪戦苦闘もいいとこだ。櫂の先を水に入れて手元に引くのだが、碌に動かない。私とベアトリクスは交代しながら漕いでいるのだが、宙に浮かしたり手が滑ったりして、一回漕ぐ間にパウルさんなんか四回くらい漕いでる。
「どの位漕ぐんですか」
「北東の端まで行く。今から音を上げ取ったらいつまでたってもつかんぞ。リュドミラ。お前も手伝ってやれ」
「わかった。えーと、どこに座るの?」
「なんじゃ、そんなとこから始めんといかんのか?」
一人では無理だ。一本の櫂に三人で掴まって漕いだ。
湖岸に沿って休みながら三時間ほど漕いでいくと、平坦地があった。
「あそこで上陸しようよ。もう手の皮が剥けそうなんだけど」
「どうだ。ロビンソン?」
「いいですね。あそこに寄せましょう。あの先は船を寄せるところがしばらくありませんから」
「良かった。もう汗びっしょりよ」
「湖で顔でも洗っておけ」
言われる前にリュドミラが手で掬った水で顔を洗っている。
「気持ち良いよ」
「私もやろう」
船べりにへばりついてバシャバシャやっているうちに岸に近づいたので、そのまま寄せて上陸した。
湖の北東部だ。ゴブリンの巣が南部にあるから、半周近く移動した。
湖を歩いて一周すると、道が無いから五日以上かかるそうだ。猟師の足で五日なら私達なら十日以上かかる。
「ここまで来たら、新しいのが出て来るの?」
「うーん。本当なら昨日のクマの縄張りを出とらんかも知れんが、今は東からなだれ込んで来たのがいるから大丈夫だろう」
「ここにしましょう。とりあえず休みたいです」
「もうちょっと、鍛えんといかんぞ」
呆れられてしまったが仕方がない。もう手が真っ赤だ。
平坦地の真ん中には蛇行した小川が流れていて、河口付近で何本かに分かれている。湿地になっているようで風が吹くたびに生い茂った薄茶色の葦がさわさわ鳴った。
小ぢんまりとした、いわゆる三角州とでも言うのか。
小川の奥の方を見ると、左右の傾斜が湖から遠ざかるに従ってだんだん狭まっている。その先は谷になり、遂には山と山の合間の峠に繋がっている。
「どうやら、偵察が終わったようだ」
ロビンソンさんが放った鳥が帰って来た。
ベアトリクスが絵を見せると、クマを一回突っついた。
「よおし。クマがいるようね。頑張って退治しようか」
「お師匠様ぁ。今日は私達だけでクマを倒しますからぁ」
「お、どうした? やる気じゃないか」
「リュドミラの考えた作戦があるのよ。まあ、見てて」
とりあえず、今日も鍋だ。
昨日来たのだから、今日も来るだろうと予想した。
よしんば来なくても自分達で食べてしまえば良い。
なるべく臭いが拡散しない様に、湖から離れた左右の傾斜が迫ったところまで進出した。
穴を掘り鍋を仕掛ける。今回は隠れる所が少ないので二班に分かれた。一班はロビンソンさん率いるゴブリン斥候隊。もう一班が私達だ。傾斜地ではないので、身体に草を巻き付け茂みのふりをして待つことにした。
クマがいるのは小鳥の偵察によって判明している。天気も良く湖から緩やかな風が吹いている。
いけるはずだ。
待つこと一時間。ロビンソンさんから合図があり、果たしてクマは来た。
例によって、周囲の安全を確認するようにゆっくりと近づいてくる。
今回は風の魔法で臭いを消すのが一班だけなので、ロビンソンさん達はやや離れた場所で待機してもらった。
クマはしばらく周囲を警戒した後、穴の中の鍋を食べようとして頭を突っ込んだ。
掛かった!
リュドミラとベアトリクスが立ち上がって魔法を唱える。リュドミラはウォーター、ベアトリクスがその水を凍らせるフリーズ。念の為に目一杯を二発ずつだ。
それを見て、クマ目掛けて走った。
正確に狙うにはできるだけ距離を詰めなければいけない。
穴に首を突っ込んで暴れていたクマは、やがて先っぽに鍋をくっつけた氷漬けの頭を穴から出した。
「ディフェンド!」
まずは氷を固くした。クマを疲れさせるためだ。
そのままクマの正面に回り込む。ベアトリクスとリュドミラは反対側……クマの背後に回り込んだ。
クマは息が出来ず苦しいのだろう、狂った様に地面に頭を打ち付けている。
鍋はどこかへ飛ばされてしまった。
そろそろクマも限界か、と思った頃、ようやく氷が砕けて頭が顔を出した。
ゼイゼイと頭を振っていたが気付いたようだ。こちらを見る。
流石に怒り心頭だ。私のすぐ前で立ち上がって両手を振り上げ咆哮する。
これを待っていた。
クマは敵を威嚇する時に正面ががら空きになる。
こう見えてもフェンリルと戦ったんだ。クマの吠え声くらいでビビってたまるか!
「ホーリー!」
両手を突き出し、目一杯で放つ。心臓を狙った。
一瞬、ビクンと身体を震わせる。
次いで、ベアトリクスが雷の魔法を唱えた様だ。毛が逆立った。
クマは二発喰らって一瞬動きが止まる。
すかさずボニーが眉間目掛けて聖水の矢を放つ。
至近距離だ。子供のころから両親に、孤児院に来てからはエイミー先生に習ってきた。動きの止まった相手なら外す訳がない。
眉間に矢を受けたクマは一歩前に踏み出そうとしたが、そのまま前のめりに崩れ落ちた。
倒した!
三人共目一杯を使ったが、それでも七発しか使わなかった。
「やったー!」
四人で輪になる。
ゴブリン斥候隊が歓声を上げながら走って来て輪に加わる。
「やれば出来るじゃないか」
パウルさんの笑顔が嬉しかった。
無事にクマをテレポートで送り届けた後、折角だから平坦地の端まで行ってみよう、ということになった。
平坦地だから楽だ。小一時間で三方を山に囲まれた果てまで着き、お昼ご飯にした。山が近いので食べられる野草やキノコ、果物も手に入った。
「この先はどうなってんの?」
何にでも興味を持つ魔法使いがロビンソンさんに聞いている。
「この先の尾根伝いに二時間も上って行くと、そう苦労もせずに峠の上に出ることが出来るよ。そこまでが禁漁区だ。東中の原地区の平野部が見渡せる」
そう苦労もせずにか。ならば、安心だ。
「じゃあ、いっそのこと頑張って登って見ませんか」
折角なので提案してみた。
「帰りがおそくならないかなあ」
ボニーが心配している。
「今夜もゴブリンの巣に泊まるんだろう? 多少遅くなっても、夜行性だから迷惑はかけないよ」
ロビンソンさんのOKが出た。
クマを退治して勢いに乗っている。満場一致で行くことになった。
が、実際に峠を登っていく途中で、早くも調子に乗ったことを後悔した。
「考えてみたら道が無かったんだよね」
「全くだわ。ベイオウルフとヴィルがいないことを忘れてたわね」
普段は、二人がおぶってくれたり、引き上げてくれたりする。今日はパウルさんの方針で、自力で登り降りすることになった。
先行するゴブリンが垂らしてくれたロープに掴まって、草の根っこを踏んで傾斜をよじ登っていく。
何度も足を滑らせたので、足元は泥まみれだ。
何年も森の中で暮らしていた男性の、そう苦労もせずに登れる、という言葉を甘く見ていた。
始めのうちは楽だった。なだらかな稜線に沿って歩いて行くだけだった。
途中から、草が生い茂り、傾斜は急になり、背丈ほどの落差の崖があり、遂には真っ直ぐ登れないので一旦下って迂回したりして、今や崖に近い斜面をよじ登る破目になった。
「ボニーもリュドミラも、なんであんなに簡単に登っていくのよ。信じられないわ」
「ボニーは猟師よ。普段から木にでも登っているのよ」
リュドミラは鍋を背負っているくせに元気に登って行く。
「子供は元気なのよ。それに農作業で鍛えてんでしょ」
見習い期間中のほとんどを農家の手伝いで過ごしていた。持久力が違うのだろう。
ベアトリクスと二人、ゼイゼイ言いながら登った。
途中何度か休憩を貰い、急な斜面をよじ登ったり、楽な所を進んだりしながら、ようやく頂上と思しき所に到着した。木が生えていて周りが全く見えないが、前も後ろも下りになっているから間違いないだろう。
水を飲んで一息ついて、皆で木に登る。
パウルさんが目の前の枝を風の魔法で切り払ってくれた。
湖の周辺は周囲よりも一段高いところにある。まだ日が高いので遠くまで良く見える。
「光って見えるのが川だ。東西に流れとるのが中の原川、南北に流れる支流と交わった所に集落があるだろう。このまえ一泊した東中の原だ」
パウルさんが観光案内をしてくれる。
東中の原と言えば、メイベルさんやロウリさんと一緒に露天風呂に入って鯰を食べた村だ。
「支流を北の方へ目で追ってみろ。山の中に入って行っとるが、森の切れ目の様になっているじゃろう。あの切れ目が渓流じゃ」
切れ目は途中で手前、つまり西の方へ曲がり、湖の北への方へ続いている。
渓流の先は起伏のある山地になっていて、その遥か先には万年雪を被った本当に高い山々がそびえている。
ゴブリン達が切れ目の一角を差して騒ぎ始めた。どうやら、かつての自分達の棲み処のあった辺りを二か所共見つけたようだ。
良く見えるものだ。私には全く分からない。
その内の一か所は、私達がゴブリンを一方的に襲って皆殺しにしたところだ。
あの時は降伏勧告も何もなかった。私も退治するのが当然だと思っていた。
あの時、最後まで抵抗を止めなかったのは、全滅することによって私達の探索をとどめ、本拠地にいる子供やお母さん達を守るためだと聞いた。
今にして思うと戦う必要などなかった。
ゴブリン達がしんみりしている。
きっと、死んでいった仲間達を思い出しているのだろう。
少しいいいかな、とロビンソンさんが話しかけてきた。
「ゴブリン達が、あの時の仲間たちのことを知りたがっているんだけど……」
ゴブリン達は様子を伺うように私の方をチラチラ見ている。
「勇敢でしたよ。最後の最後まで戦い抜きました。だから、私ともう一人の神官とで、きちんと戦士として弔って埋葬させてもらいました」
そう伝えると喜んでくれた。事実そうだった。
弔いについてはウィリアムス神官の教えでもあった。
戦いが終わった以上、もはや敵ではない。勇敢だった戦死者として気持ちを込めて弔いなさい、と言われた。
それにしても、無力と言うのはやるせないものだ。
もし私に院長先生ほどの力があれば、殺さずに気絶させておいて、ロビンソンさんを縛り上げてでも話を聞けたはずだ。
静かになった空気を察したのか、パウルさんが、湖を見よう、と言い出した。
皆で西側の木に登る。
湖はいつものように静かに水をたたえている。
真ん中辺はこれもいつものように霧に包まれている。
パウルさん曰く、原初の遺跡、もしくはその偽物だ。
「せっかく、船があるんだから、今度あそこにも行って見ようよ」
恐れを知らない魔法使いが言い出した。
「行っても良いが同じことの繰り返しになるぞ」
霧の中心に向かって言った船は、いつの間にか向きを変えて元の場所に戻って来る。
「行ったことあるの?」
「何回か行ったが全部途中で戻ってきてしまった」
なるほど、実体験に基づいていたわけだな。
「行きたい!」
リュドミラがパウルさんを揺すっておねだりしている。こうなると時間の問題だな。
案の定、来週一日時間を見つけていくことになった。
今回のように泊まり込んでも良いが、リュドミラが畑に撒いた種が芽を出す頃だ。鳥についばまれたりしないように面倒を見なければならないらしい。
何の種を撒いたのか、と聞くと、小麦と蕪、と返ってきた。
ふと、ゴブリン達が、あの霧をどう感じているか知りたくなった。
彼らの巣穴は湖の近くにある。日頃見ているはずだ。
ロビンソンさんを通じて聞いて見ると、良く分からないが力のある場所だ、と返ってきた。
怖くはないか、と聞いてみると、そういうものではないらしい。
害は無さそうなので放っておいても問題ない、と判断していた。
行きたいか、と聞くと、露骨に嫌そうな顔をされた。何があるのか分からない所にわざわざ行く必要はない、と考えているみたいだった。
あまり関心がないようだった。好みの違いなんだろうな。
暗くなるまでには船に乗りたかったので、見物しただけで帰ることにした。
帰りは当然下りだが、ベアトリクスと二人で盛大に滑りながら降りて行った。
そんな状況でも、一旦下に降りてしまえば現金なもので、薬草も果物もキノコも採るだけ取って帰った。
陽が落ちた頃、ゴブリンの巣に帰り着くと、出迎えに外で待っていてくれた。
「お風呂を用意してくれているようだ。君達は先に入ればいい」
「お風呂? ゴブリンもお風呂入るんだ」
「その先の山肌に穴を掘って蒸し風呂を作ってるんだ。お湯を貯めた浴槽には入りたがらないけど、蒸し風呂は好きみたいだ。布を体に撒いて入ってくれば良いよ」
見るとお母さんたちが、人数分の布を持ってきている。
案内された入口は、脱衣所よろしく柵で囲ってあって外からは見えない。
中に入ると、座れるように段差があって板が敷いてある。反対側には近づくだけで火傷しそうな石が置いてあった。石の上には煙突がある。石に油をかけて焼いたのだろう。
「これかな?」
「水をかけるんだよね」
「少しずつかけるんだよぉ。湯気が熱いから気をつけなきゃだめだよぉ」
焼いた石に水をかけて湯気を作る。木の枝に布を貼り付けた扇で仰いで湯気を部屋に行き渡らせると、丁度良い熱さになった。
しっかりと汗をかいた後で、水を浴びて着替える。
外に出ると、ビールを入れたお椀を渡してくれた。
「悪くないわね」
「最近はゴブリン達も、お風呂上りに僕が買ってきたビールを飲むようになったんだ」
ロビンソンさんは週末に町に降りて来る。その時に買っているらしい。
「大丈夫なんですか? ほら体に合うとかあるだろうし」
「元々、果物を発酵させて作ったお酒は飲んでたんだ。飲んで体調を崩す者もいなかったし、一日に一回一人一、二杯程度なら大丈夫だろう」
「そう言えば、一緒に蜂蜜酒飲んで騒いだことがあったわね」
ゴブリン救出作戦の時の事だ。
「そうそう、あれで味を占めたみたいでね。今じゃあ、ビールだけではなく、蜂蜜酒、ワイン、ゴブリンが作った果実酒と日替わりで飲んでいるんだよ」
「毎晩飲んでるの?」
「子供達や身重の母親を除いて、皆で風呂上がりの晩酌をするのが恒例になってしまった」
「中年太りになっても知らないわよ」
崖や木を敏捷に登っていく彼らが中年太りになるのは想像できない。飲み過ぎには注意をして欲しい。
とは言え、折角の親睦の場だ。
パウルさんやベアトリクスと言ったムードメーカーもいる。その夜は夜行性のゴブリン達と盛大に騒いで、翌朝いつまでも寝ている魔法使いをアウェイクの魔法で起こす羽目になった。
この魔法を授かった理由は、ベアトリクスを起こすためかもしれない。




