野戦陣地の罠
生まれて初めて中の原地区を出た。
目の前には、東の原の風景が広がっている。
今立っている地は東の原との境目になる峠のてっぺんだ。峠と言っても名ばかりで獣道を登って来た。
「魔物退治を志して早や四か月。王弟殿下の依頼を受けて、はるばると進み出でたるは、魔王軍の立てこもる北東の森。通称魔の森なのでありました」
そう、魔の森に向かうのだ……って、違う、違う。
「あのー、パウルさん。勝手にナレーション入れないでください」
「いやー、すまん、すまん。お前さんが随分と感慨深げに森を眺めておったのでな」
お約束だよ、と笑っている。
まあ確かに、中の原と東の原の境の峠に来て、感慨深かったのは確かだが……。
後ろを振り返って中の原の風景を見る。
同じような山の風景が広がっている。
「あまり変わり映えがしないですね」
「当り前だ。中だ、東だ、と人が勝手に言っているだけで、峠を越えたとたんに山の風景が変わってたまるか」
夢多い乙女心の分からないオッサンが、けんもほろろなことを言う。
「しかし、あの川の向こうを見ろ」
パウルさんが指を差すのは峠の麓の少し先を流れている川の向こうの森だろう。
「黒いですね」
「そうだ。魔物が棲む森だ」
視界の先にあるのはセルトリア半島北東部一帯を占める森で、人の手が入っていない未開の森だ。古来何故か強力な魔物が湧いてくる場所で、容易に侵入できないとされている。遠目からでも明らかに黒い色をしていて普通じゃない。
森の北と東は海に面している。断崖絶壁が連なる過酷な海岸で海からは上陸できない。しかも、その断崖は真っ白だ。この島が白い島と呼ばれる所以らしい。
「儂らの仕事は、あの黒い森からこの峠に向かってくる魔物を阻止する野戦陣地を築くことだ」
「どう考えても攻めてきますよね?」
「まあな。勝負は夜だ。昼間にアンジェリカと魔法兵が幾つか堀を掘って土塁を組んだが、連中が攻めつぶしに来るとすれば夜だろう」
「大丈夫でしょうか?」
「初戦がカギになる。相手の出鼻をくじいておけば、しばらくは時間が稼げると思うぞ」
今いる峠から東に向けて尾根が広がっている。その途中に削り取られたような断面を見せる崖がある。崖の下へは刻み込むように作られた階段を降りて行くのだが、崖の左右を迂回するように下っても良い。
崖下にはなだらかな森が広がっていた。パウルさんが風の魔法で木を切り倒し、アンジェリカさん率いる猟兵隊魔法兵が掘り返して借りの陣地を作った。
陣地の左右は険しい谷になっている。大勢で攻めて来るとすれば正面、つまり東から尾根伝いになる。
「ここから西へ行くと儂らが泉を作った魔物の通り道だ。ここの峠を塞げば中の原にくる魔物の数を減らせるはずだ。」
「魔物はこの崖を登って来たんですか?」
「崖の左右を見てみろ。なだらかな斜面になっておるだろう。崖は尾根の一部でしかない。だから、ここで阻止するのが難しかった。儂らは崖の前面に陣地を作ってこの尾根を登らせないようにするんじゃ。この峠の南には東の原猟兵団の山砦がある。ロバーツ様は、こことその山砦との二か所で魔物に圧力を与える気だ」
「壮大ですね」
「うむ。流石はロバーツ様だ。参加出来るのは光栄なことだぞ」
「その割には依頼を受ける時には皆さん平気だったような……」
ロバーツ様のご指名と聞いて、声を上げたのは私だけだった。
「見栄というものがあるんじゃ。さりげなく依頼を受けて、さりげなく仕事を務める。実際には脚が震えとったけどな」
「なんで見栄を張るんですか?」
「実は儂も良く分からん。そういうもんだと思っとる。マルセロだって足が震えとったんだぞ。平気なのはベアトリクスくらいだ」
「良く分かりません」
そこへマルセロさんと心臓に毛の生えた魔法使いがやって来た。
「どう、そっちの準備は出来た?」
「うん。なんとか終わった」
「後は夜を待つだけね」
事も無げに言う。
魔王軍に攻めかかられるかもしれないのに、よくも平気なものだ。
ベアトリクスは今回もマルセロさんと組んでいる。
違うところは、アンジェリカさん以外全員夜番なところだ。
全員泊りがけだが担当時間は陽が落ちてから翌朝までだ。昼間は攻めてこないだろうとの予測に基づいているのだが、もちろん猟兵隊が交代で配置についている。
アンジェリカさんは今回土木工事主体だ。東の原猟兵隊のアジトから中の原の山砦、そこからさらに中の原へと、毎日テレポートの魔法陣で通って来る。通う間も週二回の下水処理場の仕事と、リュドミラを連れてのネズミ退治をやるのだから、随分とタフだ。
「そろそろ休んでおいた方が良いですよ」
マルセロさんが気遣ってくれた。なにせ、日暮れ前からずっと起きていなければならない。お言葉に甘えて、休憩所で休むことにした。
夕べは今夜が徹夜になることを見越して、夜遅くまで幽霊屋敷の掃除をしていた。今日は少々眠い。頭からシーツを被って寝ておこうか。
日が落ちる前に目を覚ました。ベアトリクスが隣で大口を開けて涎を垂らしている。
揺すっても変わらない。仕方ない。
「アウェイク!」
ビクン! 一瞬身体を震わせたベアトリクスがパッチリと目を開けた。
「あんた、また魔法使ったわね」
睨んでくるが仕方ない。戦闘準備前に起きないのが悪い。
新しく覚えた初級神聖回復魔法のアウェイクだ。
敵が眠りの魔法や呪いを使ってきたときに使えば、熟睡中のベアトリクスを一瞬で起こすほどの威力を発揮し味方を救う。
気絶したゴブリンを見て気を失ってしまった私のために女神様が配慮してくれたに違いない。もっとも、あの時は死んだと思っていたのだが。
今のところベアトリクスを起こす以外に使い道はない。
ちなみにベアトリクスも新しい魔法を覚えた。水属性のウォーターという初級魔法だ。桶一杯分程度の水の塊を発生させることができる。ぶっかけ祭りの影響だろう。
皆が用意してくれた晩御飯を食べて準備をした。
半分の大きさの月明かりを頼りに、パウルさんとハンナさんと一緒に日が落ちて暗くなった山道を下って行く。崖の真横辺りでマックバーンさんの班の衛兵隊が窪みの中に潜んでいた。
「どうですか?」
「今のところは動きがないな。来るとすれば、もう少し夜が深まってからだろう」
目の前にはパウルさんとアンジェリカさんが作った急造の野戦陣地がある。
来るなら陣地が完成する前だ。来る以上はかなりの戦力で来るだろうと皆が予想している。そのまま魔物の襲来に備えて夜明けまで待つ。
月が西の空に低くなったせいか、月明かりすらなくなり真っ暗になってきた。
「今夜は半月だから来んかもしれんな」
長いこと潜んでいたら誰かが一言こぼした。
陣地の篝火がゆらゆらと辺りを照らすだけだ。
魔物は満月の時に魔力が上がる。そう言い伝えられている。
突然、地面が揺れたかと思うほどの咆哮が聞こえてきた。
遂に魔王軍残党の攻撃が始まった。
きっと満月まで待ちきれなかったのだろう。そんな悠長なことをやっていたらアンジェリカさんが陣地を完成させてしまう。
「お客さんが来たぞ」
マックバーンさんが弓に矢をつがえ引き絞った。
「ジャンヌ。出番だ。ホタルを上げろ」
「はい!」
出力を抑えた小さい光を左右の手に二つずつ乗せる。
通称ホタル。夜戦用の必殺技だ。
「フェイヴァラヴル・ウィンド!」
今夜は猟兵隊所属の魔法兵が私のサポートについてくれている。
パウルさんの上級魔法を魔物相手に使うためだ。
不慣れなせいで、不安定だがそれでも小さな四つの光がゆっくりと夜の闇に漂っていく。
「今だ!」
ハンナさんやベイオウルフを含む衛兵隊が弓を矢につがえた。
光量を上げて魔物達がいるであろう方向を照らすと、もぬけの殻の野戦陣地に群がる魔物の群れが見えた。
多い……。百、いや、二百を超えているのではないか……。
ロバーツ様がかなり狩り獲ったと聞いていたが、十日間の狩りが終わった後に森の奥から湧いてきたのか……。
時折光って見えるのは鎧兜に身を固めているからだろう。
大きいのはトロルだろう。三つ見えた。
残党とは言え、やはり魔王軍。一筋縄ではいかない。
味方が皆一斉に矢を放つ。
囮に使った野戦陣地は崖下に作った。崖の上と左右から狙い撃ちに出来る。私達は崖の横の一方から攻撃を仕掛けた。マルセロさんとベアトリクスのいる班は反対側から矢を射かけている。
魔物達は罠に誘い込まれたことに気付いたようだ。こちらに向かって喚き声を上げていたが、一旦下がり、斜面を回り込んで私達の方に来ようと向きを変えた。
「いまだ! 打ち上げろ!」
東の原猟兵隊長が大声を上げると、魔物達の足元に何十もの薄黄色い光が浮かび上がった。
何事かと立ち止まる魔物達。
その瞬間、地面から一斉に魔法が吹きあがった。炎、氷、雷、風、土、そして、ホーリー。
一本の白い光が、魔物の身体を足元から貫通する。マルセロさんのホーリー・ランスだろう。魔物達は鎧や楯では守れない下からの攻撃に無防備過ぎた。
恐らくオーガも混じっているに違いないが、魔法防御は前面と側面に張り巡らせるものだ。足元にまでは及んでいない。
陣地を作っている平坦地の真ん中あたりまで魔物をおびき出した。そこには、地面に埋め込んだ四角い石の表面に描いたマルセロさんの魔法陣がある。解放の合言葉で一斉に発動した。
私達だけではなく猟兵隊魔法兵も含めて、初級から上級まで、数打ちゃ当たるとばかりに仕込んでおいた。狙いが外れ派手に宙に打ちあがっているのもあるが、魔物の戦意を削ぐ効果は十分にある。
恐らく想像だにしなかったであろう方向から攻撃を受けた魔物達は、明らかに動揺し元来た方向へ逃げ始めた。
しかし、三本の竜巻が吹き上がって行く手を阻んでいる。既にパウルさんが仕込んだトルネード・ウィンドが発動している。
「よし! 囲め!」
二つ目の号令が下る。これも合言葉だ。
竜巻の手前の地面から氷の山が二つ盛り上がると、あっという間に近くにいた魔物を何匹か飲み込み、完全に逃げ道を塞いでしまった。
今度はアンジェリカさんの仕込んだ氷の魔法、グレイシエイトだ。
目の前の味方を飲み込んだ氷に退路を閉ざされた恐怖はいかほどのものだろう。
逃げるに逃げられなくなった魔物達は、泣き叫ぶような声を上げながら、崖下へと逃げてきた。
崖には真ん中に岩棚があり、そこでは銀の切っ先を輝かせた手槍を手に持つ猟兵隊が控えている。
一斉に手槍を投擲する。楯をかざしてかわす魔物もいたが、串刺しにされるものもいる。
手槍にはロープが結びつけられており、投擲の度に引き上げられては何度も打ち込まれる。
ロープを掴み引きずり落そうとする魔物もいたが、なんの効果も無かった。魔物相手に力比べをする必要はない。そんな手槍はあっさり手放し新しい手槍を使っている。
その間も矢は放たれている。逃げ道を無くした魔物は楯をかざして上からの攻撃を防ぐのがやっとだ。
「おまけだ。潰せ!」
三度、号令が出た。
崖の上に転がしておいた人の頭位の大きさの石が、幾つも宙に浮きあがる。
これは魔法陣ではない。崖の上にいるパウルさんや猟兵隊魔法兵のクランプ・ストーンだ。魔物の頭上にゆっくりと移動させたところで、一気に魔物に向かって落ちて行った。
魔物が着ているチェインメイルは打撃に弱い。石の自重に落下速度を加算した打撃力が、構えた楯ごと、頭を、肩を、腕を潰した。
何度か繰り返されると、まともに立っている魔物はほとんどいなくなった。
「一斉攻撃だ。かかれ!」
突撃の号令が出た。
私達が居る反対側の窪みから色々な魔法が放たれた。火球が飛んでいるのはベアトリクスだろうか。
魔法の援護の元、垂らしたロープを伝い降りて、手槍を背負った猟兵隊が次々に崖下に降りていく。地面に降りると同時に手槍を構え、もはや立ち上がることすらままならない状態の魔物達に突っ込んで行った。




