第七話+八話 下水道の見取り図
ベイオウルフが遅れて合流してきた。
元々、このパブで落ち合う予定だったのだ。
彼女が日替わりランチを注文すると、早速ベアトリクスが下水道の見取り図をテーブルに広げる。大きさが四分の一くらいになっているのは、ベアトリクスが模写したからで、本物は店に置いてきたらしい。
「これは良く出来てるな」
「そうでしょ、このサイズに模写するのは結構面倒だったんだから」
ベイオウルフのほめ言葉にベアトリクスが有り余る胸を反らす。
「でも、衛兵隊で見たものとは少し違うな」
「えっ、そうなの? どこどこ?」
例えばここだ、とベイオウルフが指差すのは、東西に長い長方形の下水道網の北東の隅に隣接して、北へ延びた四角形の部分だ。
神官職にある私は、その四角形の部分が何なのかを知っている。
「ここは地下墓地ね」
町史によると、中の原の町は、中の原川の湾曲部に六十年ほど前に建設された町なのだが、元々の町はさらに東にあったのだ。今の町のある所は、北の山の尾根から続く一段高い荒れた台地で、そこを平らに整地して新しい町を建設した。
町全体で引っ越したのだ。
理由は外敵への備えである。高い位置に壁を巡らせた方が守りやすいからだ。
元々、教会は台地の東の端の突出部に町を見下ろすかのように建っていて、町の西の端にあった。今は町の東の端にある。
教会の正面は西だったので、かえって都合が良くなったかもしれない。教会の北側には墓地が広がっており、それは今も同じだ。
地下下水道は、新しい町を建設する時に整備されたそうだ。旧市街地は建物の建材を再利用されたせいで、今は原っぱになっている。
「地下墓地だから衛兵隊の見取り図には載ってないんじゃないの?」
ベアトリクスが言うが、ベイオウルフは意外な事を言った。
「確かに衛兵隊の見取り図に地下墓地は書かれてないんだが、分からないのはこの通路なんだ」
ベイオウルフが指摘する場所は、下水道と地下墓地を結ぶ二本の線だった。
「この見取り図によると、下水道と地下墓地はここの通路で繋がっていて、行き来出来るようになっている。この印は扉じゃないのか? 今まで何度も通ったし、昨日も三人でここを通ったけど、どこにも扉なんて無かった。後、この扉は小さな部屋のもののようだけどそんなものも無かった」
確かに下水道の壁には扉なんて無かった。
「この見取り図に間違いは無いの? 書き写す時に見間違ったりさあ」
「書き写しの間違いは無いはずよ。アンジェリカさんにも見てもらったんだから。でも気にはなってたのよ。実際、昨日入った時は扉なんか見なかったしね」
「埋めたのかもしれないね」
「なんでそんな事するの?」
ベイオウルフの言う扉を埋める理由なんて思い当たらない。
「侵入防止か浸水防止かどっちかね」
「そんなとこかな」
ここ見て、とベアトリクスが指差したのは疑惑の地下通路だ。その通路は下水道の扉らしき印から東に延びて北へ折れ曲がり地下墓地へと続いている。そして、その折れ曲がったところには、南側へ延びる通路が教会のある辺りに続いていた。
「教会への侵入防止って事?」
「それ以外には思いつかないのよ。地下墓地へはわざわざ下水道から入らなくてもいいでしょ」
地下墓地へは、旧市街地跡地に降りていけば誰でも出入りできるのだ。入口の扉には鍵が掛かっているが、子供だけならともかく、墓守の人に頼めば大人が止められることはないはずだ。孤児院で社会見学に 行ったときにそう説明された覚えがある。
「浸水防止っていうのは?」
「放水対策じゃないかな。地下墓地へ大量の水が流れ込んだら大変だからね」
下水道は、町の西北にある取水口から中の原川の水を取り込んで水路に流し、町の東南にある排水口から放流している。取り込む水の量は取水口の水門である程度調整して一定量が常に流れる仕組みになっているのだが、一か月に一回、取水口の水門を一旦完全にせき止めて水を抜いた後に、全開放して大量の水を一気に流し込み、水路を掃除している。それを放水と呼んでいるのだ。水路に迷い込んだ魚やなんかが魔物になるのを防ぐ意味もあるそうだ。
「まあ、分かんないけどね」
「次に行くときによく見ておこうか」
お昼休みが終わったベアトリクスは仕事に戻り、ベイオウルフと買い物に出た私は、まずは油を買うために道具屋さんに行くことにした。
行きつけの道具屋さんには猫がいる。
店長さんが飼っているのだ。
孤児院では家畜は飼っていたが猫は飼えなかったので、町へのお使いの時は急ぎの用で無い限り必ずこの店に来ていた。
ここの猫は人見知りしないのか、ゴロゴロと喉を鳴らしながら頭を擦り付けてきて、撫でても逃げない。孤児院の皆と一緒に来たときは交代で抱っこしたりしていたけど、先生達のお使いでなにか小間物を買うときは必ずここで買っていたので、優しい店主さんは何も言わなかった。
今日も猫は居る。もう結構お年寄りなんだろうけど頑張って客寄せを手伝っているみたいだ。
この猫も中々精悍で、以前小鳥を入れた鳥籠を手に持ったお客さんが来た時に、カウンターの上にいた猫がゆっくりと立ち上がり飛び掛かろうと身構えたのを見たことがある。
籠を見下ろす鋭い目を見て、流石は猫だ、と思ったものだ。
ベイオウルフの報酬分を入れてある一七五の会用の財布で油を買った後、いつものように二人で猫を触っていたら、ふっと、下水道に入った時のベアトリクスの言葉を思い出した。
下水道に猫を放せばいいとか言っていたような。確か、ベイオウルフに言われたんだっけ。下水道では猫よりネズミが強いとかなんとか。
もし、退治せずにほっとけばどうなるんだろう。
どんどん増えて下水道に溢れかえるほどに増えていったら、一回で大量に退治出来るかもしれない。
今度、頭の良いベアトリクスに相談してみようか。
そんな事を考えていたら、商品棚の品物の一つに目が止まった。
「ねえ、ベイオウルフ。一七五の会のお金で買いたいものがあるんだけど、いいかしら」
二日後、二回目のネズミ退治をするために、衛兵隊の詰め所へ行くとベイオウルフが待っていた。
ベアトリクスが来るまでの間に二人で松明を作ることにする。
「ねえ、ベイオウルフ。上手くいくと思う?」
「どうかな。この間は七匹倒した。今日は十匹倒せるかもしれないし、空振りかも知れない。やってみないとね」
「空振りは嫌だな。生活出来なくなっちゃうよね」
「弱気じゃないか。昨日の訓練で音を上げたのか」
「そうじゃないけどさ。昨日、訓練に付き合ってくれた人達が言ってたよね。ネズミに苦戦するときもあるって。あんなに強いのに」
「何事もやってみないと分からないってことさ」
昨日は、ベイオウルフのアドバイスに従って、体験訓練を受けて来た。衛兵隊の人達は皆私達がネズミ退治をやっている事を知っていて、熱心に教えてくれた。衛兵隊不人気任務第一位を私達が請け負っているからだろうが、それ以上に、碌に訓練を受けていない者が魔物に立ち向かう事を心配してくれているようだ。
ふと、疑問に思ったことを聞いてみた。
「衛兵隊が魔物退治に行く時ってさ、空振りの時はあるの?」
「そりゃあ、そういう時もあるさ」
「怒られたりするの?」
ベイオウルフの目が丸くなった。
あれっ? そんなに変な事聞いたかな?
「衛兵隊に入って初めてネズミ退治に参加する事になった時にね、同じことを先輩に聞いたんだよ」
クスクスと笑い出した。
思い出し笑いというやつね、これは。
「でね、返ってきた言葉がね。次だ、次!」
「どういうこと?」
「上手く結果が出なくても、次に頑張れば良いってことさ。怪我をせず無事に帰ってきたら、そう言って貰えるから心配するなって」
そう言って笑った。
ベアトリクスが合流し三人そろったので、準備を整えてハンスさんに出発することを伝えに行った。
「なんだ、その黒いのは?」
いきなり指を差される。
「黒じゃありません。黒紫です」
「………………なんだ、その黒紫は?」
ハンスさんは両手を広げ大げさに肩をすくめると、それでもきちんと言い直してくれた。
私とベアトリクスは麻袋を被っているのだが、前回通報されたから、道具屋で買った染料で黒紫色に染めて袖も作った。ベイオウルフにも作ったのだが、勤務中だからと衛兵隊の皮鎧を着ている。
アンジェリカさんの魔法から思いついたのだ。
「ほう、考えたな。なかなか良いじゃないか」
褒めてもらって嬉しかったので、どうですか、とくるりと反転して背中を見せた。
背中には一七五の会と刺繍してある。
なぜか大笑いされた。
今日に間に合うように夜遅くまで頑張ったのだから、笑わなくても良いのに……。
出発前にも関わらず、既に止めを刺されたような気分になったが、気を取り直して、まずはバケツを持って鶏ガラを貰いに鳥の頭亭へ行く。
裏口で三羽ほど貰った後、しばらく足を運び、とある小屋ほどもない大きさの建物の重い鉄の扉の鍵を開け中に入って松明に火をつけた。
下水道は地下二階建てになっており、地上から地下一階へは階段で降りていける。というか、壁で囲まれた階段しかない。地下一階の下水道は、お通じ専用の配管が通っているらしく人は入っていけないらしい。もっとも、入る気にもなれないが。
そこから少し離れたところにある鍵付きの重い扉を開けると部屋があり、その真ん中に口を開けているのが、地下二階への入り口、通称竪穴だ。竪穴は階段ではない。一辺が両手を広げた程度のただの穴だ。
ネズミが魔物になって大きくなることは分かっていたので、地上に上がって来ないように竪穴にしたらしい。なので、下水道へは床に置いてある梯子を下ろして降りていくことになる。
穴は二辺が壁そのものなので、簡単に梯子を掛けられるのだ。
ベイオウルフは下水道へ降りると、松明を壁に取り付けた金具に差し込んだ。
今日は普通の松明も持ってきている。
石を詰め込んで人の頭ほどの大きさにした麻袋を、壁の隅から少し離した位置に一つ置くと、上がってきた。
梯子を引き上げると、ちょっとした仕掛けをして縄でしっかりと縛った鶏ガラ全部を一羽ずつ壁の隅に沿って吊るし、下からの松明の光しかない穴の上でしばし待つ。
来たようだ。
鶏ガラを吊るした縄が動いている。
鏡を取り出し手のひらに収めるとそっと穴に突き出して様子を伺った。
宙に浮いた鶏ガラを齧ろうとして壁に前足をつき、後ろ足で立ち上がったネズミが五匹ほど見えた。三匹が辛うじて揺れる鶏ガラを齧っている。他の二匹は齧ることが出来る場所を奪おうと押し合いへし合いしている。
今だ。
無言の合図とともに、三人が手に持ったロープを同時に離した。
「ガッシャーン」
穴と同じ大きさの柵が壁に沿ってネズミを囲うように落ちていった。
ベイオウルフが握りこぶしほどの石を次々に投げつける。
私とベアトリクスは詠唱を終えると、恐慌状態に陥ったネズミに向けて魔法を放った。
「凄いなジャンヌ。よく思いついたね」
「五匹全滅よ。餌も無事だし。お手柄ね」
もっと褒めてもいいのよ。頭脳担当の私の面目躍如でしょ。
一つ目の穴でこれだったら、五つの穴全部やったら、二十五匹……は、流石に魔法が続かないか。でも十五匹はかたいわね。きっと。
私とベアトリクスの魔法で三匹、ベイオウルフが石で二匹仕留めた。全部魔法で仕留めた方が確実なのだが、詠唱が終わるまでの時間がかかるとベアトリクスが言うので、袋に石を詰めて持ってきていたのだ。
ベイオウルフが弓で狙うことも考えたが、矢に火が燃え移ったら後で使えなくなってしまうので止めておいた。
針金で自作した檻を調べてみると、かなり歪んでいたが、手で曲げて戻せば充分使えそうだ。少しの間足止め出来たらいいわけだからそんなに頑丈なものは必要ない。石の袋が重石になって、中のネズミが檻を引きずって逃げるのもなんとか阻止出来た。
二匹ほど網の目に頭を突っ込んで絡まっていた。縦棒だけでは心もとなかったので横にも何筋か入れて固定しておいたのだが、横棒に引っかった足が抜けなかったようだ。
上下二面は必要ないので、四枚作っておき、その場で紐を使って括って繋げるだけなので持ち運びも簡単だ。尤も、地上を移動するにはかさ張るので、ハンスさんに荷車を借りないといけなかったが。
ベアトリクスは胸元ほどの高さの網をつついている。
「悪くないわね。これどうやって考えついたの?」
「突然ひらめいたのよ。女神さまがお救いになったのかも」
「あんた、そんなこと言ってると罰が当たるわよ。本当の事言いなさい」
謙遜を美徳とする神官にとって、良い事は女神さまのお恵みだと感謝するのは当たり前なのだが、自由奔放な魔法使いにはそれが分からないらしい。
ここで議論をしても仕方ないので、本当の事を話すことにする。
「鳥籠に入った小鳥を猫が上から狙っていた事を思い出したのよ。同じ事が出来ると思ったからやってみたの」
「なんだか良く分かんないけど、いきなり針金持ってきたときは何をするのかと思ったわよ」
針金で網を作るのを二人に手伝ってもらったのだ。
工具は孤児院のものを貸してもらった。針金一巻きを買い足さないといけなかったが、十分元がとれた。
「高さと強度が足りるか分からなかったが、狭いところで押し合い圧し合いしていたから、十分に動けなかったのだろうな。幸い飛び越えてくるのもいなかった」
流石は現役兵士。一番言ってほしい事を言ってくれる。
「大切なのは間合いよ、間合い」
「私の頭を槍でぶん殴ったあんたが言う?」
昨日の訓練で槍を振り回したら、柄の部分がベアトリクスの頭に当たってしまったのだ。コブにはならなかったが随分と怒られてしまった。
「失敗を反省して次に生かすのは良いことさ。ネズミを立ち上がらせて隅に集めたのが正解だったな」
ベアトリクスが町長にあげたお皿に描いたネズミの絵が元になっている事は黙っておこう。
その後、東西に長い長方形の形をした下水道網の北東の隅にたどり着いた。
マルセロさんに貰った見取り図に書かれていた地下道へ続く扉を探すために来たのだ。
「この辺りね」
ベアトリクスが松明で壁を照らと、所々に苔が生えたレンガ造りの壁が炎に照らされて浮かび上がる。
「扉なんて見当たんないわよ」
確かにただの壁にしか見えない。三人で見取り図を見直してみたが、場所はあってるようだ。
「魔力も別に感じないから、魔法を掛けてるわけでもなさそうね」
ベアトリクスは壁に向けて右手をかざしながら壁を探った後、首を左右に振った。
「そんな魔法があるのか?」
「カモフラージュの魔法。状態変化系の上級魔法よ」
そんな魔法があるんだ。アンジェリカさんの髪を染める魔法といい、状態変化系って奥が深いのね。
「扉があるとすればこの辺りなのよね?」
ベアトリクスの頷きを見て、手に持った松明を水路に突っ込んで火を消した。
「ちょっと、あんた、いきなりなにやってんの?」
「壁を擦ってみようと思って」
私が持つ松明は、長い竿の先に布を巻き付けたものなので、壁を擦るのには丁度いいと思ったのだ。下水の水では綺麗にならないだろうが、壁の表面にこびりついた物くらいは取れるだろう。
「ねえ、壁を照らしててね」
分かったわと、ベアトリクスが松明を壁に近づける。
新しい布を巻いて竿の先を何度も水路に漬けては擦り、漬けては擦りを繰り返していたら、段々と地の石の色が見えてきた。
「この辺りを擦ってくれないか」
ベイオウルフがなにか見つけたようだ。
懸命になって言われた所を擦る。
「ちょっと、ここを見てくれ」
ベイオウルフが指差したところは、石の継ぎ目になっているところで、左右の石の違いが分かる場所だった。
右の石が薄い茶色で、左の石が濃い茶色だった。