イノシシ退治
中の原の町は北の山から延びた尾根の先の台地上にある。尾根の東西は急峻な崖を含む山肌から続いた森が広がっている。北は湖に至る山道がある北の森だ。東は北東の森、西は北西の森と町では呼ばれている。
昨日は四人で町の北の森へ行き三匹のキツネを退治した。パウルさんが言うには、もう二匹くらいはいるらしいので、次に行くときに全部退治出来そうだ。ただ、キツネがいない縄張りが出来たら、他所からやってきたキツネが居座るか、魔物化しなかった普通のキツネが魔物化してしまうらしく、そう簡単には絶滅出来ないらしい。勿論、キツネ以外にも色々な収穫があったので薬草を薬屋に売った後、森の幸亭で祝杯をあげた。
そして、今日北西の森へ向かう。退治する魔物はイノシシらしい。
かなり手強い相手だそうだ。大きな牙を生やしていて、普通の猪の三倍はある巨体が突進してくると言う。
衛兵隊の場合は、手に持った楯を囮にして突進を躱しながら剣や槍を突き立てていく、とベイオウルフが言っていた。魔法使いがいるとかなり楽になるらしいので、ここは私達の出番なのだろう。
こんなにも悪条件かつ低報酬にも関わらず、衛兵隊内の人気は鼠退治ほど悪くはないらしい。イノシシの突進が躱せない様では敵の騎馬隊との戦いでは使い物にならない、と言われているようで、いわば試金石扱いされているようだ。軍人の思考は良く分からない。
躱せなければ死ぬかもしれない、と言われた。しかも、今の時期は子供を連れていて群れで行動するらしいので、大小五、六匹が一斉に突進してきたら……。
「どう考えても、ネズミと同じ報酬額ってのはおかしいでしょう!」
ベアトリクスがハンスさんに嚙みついた。どうしようもないくらい危険だ。イノシシも怒っているに違いない。
「そんなことを言ってもなあ。討伐報酬は王都の偉い人が決めたもので、王国全土でその額に統一されているんだぞ」
困っているハンスさんを見るのは面白いので見守ることにした。きっと本人も理不尽な報酬額と思っているのだろう。
「王都に掛け合っても駄目なの? 王都の偉い人とかいう奴は頭悪いんじゃないの?」
ベアトリクスの食いつきも激しくなっている。
他の国ならいきなりぶん殴られてもおかしくない発言だと、後でパウルさんが教えてくれた。
「ハンス、一つ上のEランクの討伐報酬と魔物の種類を幾つか教えてくれんか」
パウルさんの質問は結果的に助け舟になった。
「Eランクの討伐報酬は一匹銀貨二枚。Fランクの四倍だ。種類は魔獣型ならオオカミやクマだ」
クマ?
思わずベアトリクスと顔を見合わせた。
クマって、あれよね? 普通の熊でも森の中で出会ってしまったら手持ちの食料全部差し出して見逃してもらわないといけないやつ・・・・・・それの魔物?
「クマか。クマは強いな。イノシシなんざ片腕で殴り殺せるだろうからなあ」
突進で人間を殺せるイノシシを殴り殺す? 私達はこの先そんな凄いのを相手にしなければいけないの?
「ちょっと待ってよ。そんな凄いの倒しても銀貨二枚にしかならないの?」
「ネズミ四匹分だな」
ハンスさんの言葉に愕然とした。王都の偉い人はサイコロを転がして決めたに違いない。
このままでは、一生ネズミ退治かもしれない。思い描いていた輝く未来図の背景に咲き誇る大輪のバラが一瞬で萎んでいった。後には棘のある茎しか残らない……。
第一、自分の価値がネズミ四匹分と知ったらクマはどう思うだろう。不憫だ。
「その代わり、クマは肉や毛皮が売れる。一匹倒せば金貨二枚にはなるぞ」
「そういうことなの?」
実質的な実入りが大きい分報酬は安いと言うのだろうか。
「そういう部分もあるということだ」
うーん。でも倒せなければ実入りは無いのよね。報酬もないけど。
因みにイノシシは牙に良い値が付き、肉や毛皮と併せて一匹で銀貨十枚は稼げるらしい。
「大丈夫だ。儂が一緒に行くんだからな。まあ、運が悪くなければ死ぬことはない」
パウルさんが慰めるように言ってはくれるのだが……。
運が悪ければ死ぬってこと?
ベアトリクスを見ると腕を組んで険しい顔をしている。
「よし、では行って来る」
意気揚々と出発するパウルさんに首根っこを掴まれるようにして、私達はイノシシ退治に出発した。
北西の森は、中の原川の北側で町の北西に広がっている。正門から出て、渡し船に町の西の端まで乗せて貰った。パウルさんが、ここだ、と言う場所で降りる。町の西側は崖になっていて見上げると外壁が見えた。きっと公衆浴場の展望風呂の壁だろう。
そのまま、パウルさんにくっついて中の原川の岸辺を歩く。途中で森から川に流れている小川がある。その流れを遡って森の中に入って行く。私達は、草を体に縛り付け、蔦を絡めた網を被り、いつでも草むらになれるようにカモフラージュをした。残念ながら緑色の斑に麻袋を染めるのは間に合わなかったので、服と頭巾は黒紫のままだ。
途中、薬草が沢山生えている場所を見つけて地図に描き込んだ。始めの内はそんな余裕も無かったのだが、先頭を行くパウルさんに探索を、最後尾のベイオウルフに後方の警戒を任せておけば大丈夫ということが分かったので、周りを見回せるようになった。
クモが沢山いるかどうか調べてくれ、とハンスさんから謎の依頼を受けているのだが、初めて入る森なのだから、比較対象が無く分からない。きっと、パウルさんが見てくれているのだろう。
パウルさんが足を止めた。
パウルさんの指さす方向を見ると、なにやら一帯が泥まみれになっている。ぬた場と言うのだそうだ。なるほど泥でぬたぬたしている。なんでもイノシシが泥浴びをするらしい。
何故そんなことをするのかと聞いたが、理由はパウルさんも知らなかった。
近くに川があるのだから水浴びをすれば良いのにと思うのだが、イノシシにはイノシシの事情があるのだろう。いずれにせよ、確かにイノシシがこの辺りにいるということだ。
とりあえず、ぬた場の位置を地図に描き込んだ。
そこからは、例によってパウルさんが足跡を辿ってイノシシを追跡していく。
周囲に気を付けろ、と言われたので一気に緊張する。なにせ相手は巨体のくせに人間より早く突進して来るらしい。避ける自信なんて全くない。狙われたら最後身体がバラバラになってしまう。
足跡は沢山あって、どうやら群れで行動しているようだ。パウルさんが言うには親子ともども八匹はいるらしい。
これはいよいよ注意しなければ大変なことになってしまう。
「いざとなれば私が守るから、木の陰に隠れてしゃがんでいればいいよ」
男前のベイオウルフが気遣ってくれた。
森の西端には川が流れていて、その先は放牧地になっている。上水道管理事務所のある滝つぼから流れてきている川で中の原川に合流している。北西の森は森全体が三本の川に囲まれている、いわば中州だ。
イノシシは普段はこの中州の森から出て来たりしないらしい。しかし、数が増えすぎて餌が無くなってきたら何とかしようと思うのだろう。夜になると川を泳いで渡り、周辺の畑や放牧地にやって来るのだそうだ。一度来ると味をしめて頻繁に来る様になり、麦や豆が実った頃に入って来られると大きな被害が出る。そのせいで、この森のイノシシ退治は衛兵隊の定期的な仕事になっているのだそうだ。
そろそろ時間切れかと思うほど歩いた頃、パウルさんがしゃがんで右手をあげた。止まれの合図だ。
私達もしゃがんで蔦の絡まる黒石になる。パウルさんの右手を見ると、四本の指が二回突き出された。八匹だ。
魔物狩りの始まりだ。
同時にベイオウルフが剣を抜いて楯をかざしゆっくりと前に出た。私達の防御役だ。彼女は止めを刺す役割も担っている。
パウルさんの背中越しに覗き込むと、イノシシがいた。
デカい!
口元から長く伸びた二本の牙は猟犬なんか一突きと聞いた。長さは大型ナイフと変わらない。あんなのまともに喰らったら人間でも死ぬ。皮鎧の厚い部分で辛うじて貫通を食い止められるらしい。
イノシシと対峙しているという事実が急に現実味を帯びてきて、怖くなってきた。チェインメイルを借りてきた方が良かったかもしれない。
パウルさんを見ると目が合った。軽く頷いてウィンクしてきた。落ち着かせようとしてくれているんだろう。
最初の打ち合わせ通りにホーリーの詠唱を開始する。ベアトリクスはエナジー・ボルトだ。
私やベアトリクスの魔法では一撃で倒せないと言われた。なので、二人同時に、倒せないまでも一時的に動きを止めるために魔法を放つ。
パウルさんも詠唱を始めた。上級魔法だ。本気だ。背中に冷たい汗が流れてくる。
詠唱しながらイノシシを見ると、牛のような一際大きなイノシシがこちらをじっと見ている。他のイノシシは私達を無視するかのように遠ざかっていく。何匹か小さいのがいた。どうやら一番大きいのが殿になって他のイノシシを逃がすみたいだ。
相手もやる気だ。
汗がドッと噴き出てくるのが自分でも分かった。今までの相手とは圧力が違う。
初めてネズミ退治に行ったときは、目が合った瞬間頭の中が真っ白になったうえに手の震えが止まらなかった。しかし、今は妙に落ち着いている。人間、瀬戸際に立ったらかえって落ち着くのだろうか。それともこれが経験と言うものなのか。
私達三人の詠唱が終わった。
私とベアトリクスは左右に分かれ、中央のパウルさんが立ち上がる。その斜め左後ろにベイオウルフがいつでも飛び出せるように低い姿勢で楯と剣を構えている。
他のイノシシ達は森の奥へ消えていった。
残った一匹は、こちらを見ながら豚が重低音になったような唸り声を上げて頭を低くした。突進してくる気だ。
右手を前に突き出したパウルさんがゆっくりとした歩調で前に出る。私達は低い姿勢のまま、徐々に左右に広がってパウルさんから距離をとった。イノシシの狙いをパウルさん一人に絞るためだ。念のため木の陰に隠れるように移動する。
イノシシが一際大きい唸り声を上げて、パウルさん目掛けて突進を開始した。
「ウィンド・バリア!」
ズシン! と、お腹に響く音がして空気が揺れる。一瞬、周囲の木の葉がザワザワと鳴る。
イノシシの突進が止まった。よろめいている。風の障壁に激突したのだ。
「今だ!」
パウルさんが前に突き出していた右手を上に向けて風の障壁をイノシシの上に移動させた。いきなり解除すると、圧縮された空気が一気に開放されて突風になるからだろう。
同時にホーリーを唱える。
よろめいているイノシシの身体をホーリーの白い光が貫いていく。
直後にベアトリクスの作り出した雷が、水平に方向にジグザグに飛んで行く。
イノシシに命中し毛が逆立った。
前足の膝を折り曲げて突っ伏した格好になりつつも、なおも唸り声を上げるイノシシに向けて、さらにホーリーとエナジー・ボルトを二回ずつ命中させると、遂にイノシシは横倒しに倒れた。
見計らったようにベイオウルフが駆け寄って、イノシシの喉元に剣を突き立て止めを刺した。
「どうやら倒したようだな」
パウルさんの声を聞くと、私はへなへなと座り込んでしまった。
終わった……。
即座に周囲を警戒しているベイオウルフが信じられない。
「二人とも、良くやったな」
にかっと歯を出して笑いながら、へたり込んでいる私とベアトリクスの肩を叩いて歩くパウルさんが、とんでもなく凄い人に見えた。




