第三十二話 宴の後
中の原の町が元通りになったのは、レヴァントの襲撃があった夜から三日たってからだった。もう七月だ。
その頃には帰還兵達も無事に帰りつき、凱旋の式典が行われた。
かつてないほどの早さで魔王軍を野戦で破り、棲み処の森に追い詰めたのだ。皆その話を聞きたがった。そのうえ、町ではレヴァント相手の攻防戦があったばかりだ。町に残った者達は皆その話を誰かに話したかった。
しかも帰還兵は昨年の十一月から出征していた。八か月分の手当てを国から貰っている。
レヴァント騒動に関わった者は、衛兵隊も自警団もそして私達も、一人頭銀貨一枚の特別報酬が町から支払われている。
一杯やるには丁度良い。
いつの間にやら周辺の村の人達も異変を嗅ぎつけたようで、夜の酒場では大勢の人が入れ替わり立ち代わりにごった返していて、お祭り騒ぎになってしまった。
行きつけの鳥の頭亭も同様だ。
晩御飯を食べに行くと酔っぱらいの集団が大声で国歌と退魔の唱を交互に大合唱して、その合間に乾杯をしている。とても落ち着いて食事が出来るような状態ではない。
店の扉を開けた瞬間にオッサン達の胴間声が聞こえて来たので帰ろうかと思ったのだが、自警団長のオーウェンさんに目敏く見つけられてしまい、一緒に戦った仲じゃないか、と引きずり込まれてしまった。
「今日はサービスしてくれるのよね?」
「任せとけ、嬢ちゃん達の今日の勘定は俺のおごりだ」
決して、気前のいい言葉に惹かれたわけではない。
私達三人がテーブルにつくと、注文もしていないのに、いきなりビールが出てきた。
「皆聞いてくれ。このお嬢ちゃん達は、成人を迎えたばかりだと言うのに、一七五の会とか言う魔物を退治する会を結成してレヴァナント相手に正門で勇敢に戦ったのだ」
いきなり、オーウェンさんが大声で店中に紹介する。周囲のオッサン達は、ヤンヤヤンヤの喝采で大いに盛り上がる。
「一七五の会にかんぱーい!」
「かんぱーい!」
いきなり、乾杯が始まる。
調子にのったベアトリクスが椅子の上に立ち上がって、中の原にかんぱーい! と叫ぶとオッサン達の乾杯の大合唱が返ってきた。
だめだ、これは。もう止まらないや。
店の中では、それぞれが体験した戦いの話が大いに語られた。
昼の間、何人かの吟遊詩人が広場で語っていた内容と大差ないと思うのだが、それは言ってはいけないのだろう。
まずは志願兵による魔王軍との戦いの話だ。
大なり小なり空を飛ぶなり炎や吹雪を吐くなりしてくる凶悪な魔物の軍団の突進を、支援魔法に守られているとはいえ全く怯まず真正面からぶつかる重装歩兵。しかし、徐々に押されてじりじりと後退し、遂に押し負けて退却を始めたか、と思ったところへ、左右から回り込んだ重装騎兵が退魔の唱を唱えながら敵の両側面へ突撃して見事敵を分断。偽装の撤退をしていた重装歩兵が反転し押し返して包囲した敵を殲滅した! という勇猛果敢な魔王軍との決戦のクライマックスを、入れ替わり立ち代わりに何度も語ってはそのたんびに乾杯している。
かたや、レヴァナント相手に戦った自警団は、三人の女性神官がレヴァントの群れを相手に一歩も引かずに戦った様を大いに語る。特に聖衣をまとい……確かチェインメイルだったはずなのだが、聖衣とは何だろう? 神官の私でも聞いたことが無い……白銀の槍を振るうキャサリン先生の勇ましさと美しさを、まるで戦いの女神のように褒めたたえている。その女神の化身と共に、いかにして十倍近いレヴァントを教会の裏庭で撃退したか、という話をやっぱり入れ替わり立ち代わりに何度も語ってはそのたんびに乾杯している。
まあ、しかし、キャサリン先生が人気になるのは良しとしておこう。
神官とは言え、在籍中に事に及ばなければ良いだけで、還俗して結婚する分には何の問題もない。
嫁の行き手が増える分には教え子としては嬉しいものだ。
そのうちに、正門の攻防ではアンジェリカさんが吹雪を吐くドラゴンを召還した、とかいう話まで出て来たところをみると、どうやら真に受けない方が良さそうだ。
なんにせよ、酔っ払いは同じ話を何度もする、と言うのはどうやら本当だった。
いっそのこと、ベアトリクスのようにオッサン達と一緒になって騒いでいた方が気楽だったかもしれない。
ベイオウルフ。お願いだから正気を保っていてね。帰り道の状況が目に浮かぶから。
そして案の定、ベイオウルフが完全に酔いつぶれたベアトリクスをおぶって帰るハメになった。
晩御飯を食べに行ったにも関わらず、周囲のオッサン達に注がれるがままに乾杯し続けた結果がこれだ。
もっとも、酔いつぶれてくれたおかげで、遅くならないうちに退散する事が出来た。その点は良かったのだけど。
「全く。どうして魔法使いってのはこうも勝手気ままなんだろうね」
夜道を帰りながら毒づくと、まあまあ、とベイオウルフに宥められる。
どうやら、衛兵隊の宴会も相当なものらしい。
そして、王国軍駐屯部隊との合同宴会ともなると、もっと凄いらしい。
「大変ね。お疲れ様」
普段、弱音を吐いたり、文句を言ったりしないベイオウルフだけに、気苦労は多いんだろうなと思ったのだが、本人曰くそうでもない、とのこと。
「王国軍には魔法兵が大勢いてね。やっぱり、凄く騒ぐんだよ」
なんとなく分かるわ。要はベアトリクスみたいなのが一杯いるのね。
「初めて参加した時はびっくりしてね」
ベイオウルフはクスクスと思い出し笑いをしているが、ベイオウルフは十三歳から衛兵見習いをやっている。体が大きいとはいえ十三歳の女の子にとっては、さぞや壮絶な体験だったに違いない。ご愁傷様である。
「驚いていると、王国軍の人に言われたのさ」
なんでも、命をかけて戦う者は死ぬときに思い残すことが無いようにする。だから、飲む時は大いに飲んで、大いに騒ぐ。大目に見ろ。と言う理屈らしい。
「それでね、魔法兵はもっと凄いんだけど、それについても話してくれたんだ」
上級魔法を使う者は闇落ちする可能性がある。中級魔法使いとて、戦の最中に昏倒したり情緒不安定になって一時的に己を見失う者もいる。魔法使いは常にその不安を胸に抱いている。だから、人の倍、馬鹿なことに夢中になり、飲む時は大いに騒ぐ。そうやって、精神の平衡を保っているんだ。そういう話だったらしい。
まあね。でもね、なんか違うわよそれ。要するに酔っ払いの言い訳よ。大体魔法使いなんて、いつも情緒不安定なとこあるし。
「それでね、最近の私達の経験から思ったことがあるんだ」
「何を思ったの?」
「ジャンヌが早く上級神聖魔法を覚えたらいいなって」
ねえ、ちょっと、いきなり話が飛躍してないかい? 第一、頑張れば出来るというものではないよ。
ベイオウルフは、突然の話で驚いている私を気にもせず話を続ける。
「パウルさんの魔法を封じたのはマルセロさんの魔法だったんだよね?」
ええ、そうだったみたいね。ちょっと話の展開についていけないのだけどもね。
「マルセロさんに魔封じの指輪を解除してもらった後、パウルさんは何か吹っ切れたように魔法を使っていたように見えたんだよ。きっと、もしまた闇落ちしてもマルセロさんがいれば魔封じの指輪をすぐに付け直すことが出来るからだと思う」
まあ、そうとも言えるわね。還俗しても既成の魔封じの指輪の契約は有効らしいからね。
「だから、ジャンヌが魔封じの魔法を覚えたら、ベアトリクスは安心して上級魔法使いになれるんじゃないかな。そうすれば普段の行動にも落ち着きが出てくるから、ジャンヌが文句を言う回数も減ると思うよ」
なるほど。だから、早く上級魔法を覚えろと言うのね。言いたいことは分かったわ。
やっぱり、ベイオウルフはやさしいなあ。酔っているのかもしれないけど。
背中で酔っ払いが寝ているから無理だけど、そうじゃなかったら、ぎゅってしてあげたい。
少し考えてから、私は自分の考えを言うことにした。
「ベイオウルフの言う事は間違ってないと思う。でも、間違ってないってだけかもね」
「どういうこと?」
ベイオウルフの背中の酔っ払いの顔を覗いてみる。良く寝ている。
「あのね。ベアトリクスは今のままでいいのよ。でね、私が文句を言う。それでいいの」
「どうして?」
「私は神官なのよ。自分に厳しくあるべきなの」
「うん」
「ベアトリクスは魔法使いなの。だから気ままでいいのよ」
「良く分からないな」
「お互い違うでしょ。だから頼りにしているのよ。私に出来ないことがベアトリクスには出来る。ベイオウルフもそうよ。で、二人に出来ないことが私には出来る。相棒ってそういうものでしょ?」
青い目を丸くするベイオウルフに私は続ける。
「ベアトリクスが騒ぐ。私が文句を言う。ベイオウルフが優しく宥めてくれる」
それでいいでしょ? 私はそう思っている。
王国軍の戦いではないが、正面で支えるベイオウルフみたいなのがいるから、例えばベアトリクスの攻撃魔法のように攻撃一辺倒の騎兵の突撃が生きるのだ。そして、私が支援をして回復をしてあげればいい。まだまだ三人とも未熟だけど、いずれはそういう関係になれるよね。
ベイオウルフにも伝わったようだ。首を傾げている風だったが笑顔になった。
「別に急かすわけではないんだけど、いずれにしろジャンヌが魔法を覚えた方が良いとは思うよ」
「まあね。でも、なるようになるんじゃないかな」
「そういうものかな」
「そういうものよ。私が魔封じの魔法を覚える前にベアトリクスが闇落ちしたら、そうね……」
私は少し考えた。
「顔にネズミのおしっこでもぶっかけてやれば目が覚めるんじゃないかしら」
ベイオウルフが噴き出す前に、背中の酔っ払いが噴き出した。笑ってはいない。
「なによ、寝てたんじゃないの? 寝たふりなんてしてんじゃないわよ!」
文句を言ってやると、寝たふり魔法使いも負けていない。
「真面目な話をしてたから邪魔しないように静かにしてただけよ。それよりも何? ネズミのおしっこって! 人の顔をなんだと思ってんのよ! 汚いわねえ!」
ぎゃんぎゃん言ってくるベアトリクスを、大笑いしながらベイオウルフが宥めにかかる。
そう、私達はこれでいいのだ。
ベアトリクスの目が潤んでいるように見えたのは、きっと気のせいだろう。
主人公獲得退治報酬:銀貨十三枚銅貨十枚
第一章 了




