アドルフと大司教①
中の原の町から東西をつなぐ街道を西へ行くと、歩いて三日で峠のある山並みに到着する。その間、七つくらいの宿場を兼ねた小さな町とも言ってよい村を通過していくのだが、それぞれの村には衛兵隊の管理する駅逓があって常時数頭の馬が養われていた。緊急の際にはその馬を次から次へと乗り継いでいけば、中の原の町から峠の麓まで七、八時間くらいで到着できた。
町を出たアドルフは、二つ目の村で日が落ちたのを確認すると、着ていた青いローブを脱ぎその村の衛兵隊に着せた。
「すまんが、このまま峠の麓にある村まで行ってくれんか。明日の午後までには儂も行く。もし儂が行けなくなった場合は使いの者をやるから、それまで待機していてもらえんか」
アドルフは中の原から一緒に来た衛兵隊の班長に伝えた。
「町長はどうされるのですか? それに帰還兵の救出はどのように?」
「帰還兵には申し訳ないがもうしばらく我慢してもらう。念のため猟師から峠の様子を聞いておいてくれ。儂は少しばかり別の道をたどることにする」
アドルフは班長の質問に答えると、駅逓の者にむかって、この辺りの地理に詳しい猟師に道案内を頼みたい、と言った。
衛兵達が次の村に向かって出発するのを見送った後、アドルフは一本のろうそくを取り出すと火をつけてカンテラの中へ入れた。時間を計るのだ。そのろうそくは一本燃え尽きるのに二時間かかる。今の時期なら三本と半分ほどで夜が明けるはずだ。
やがて、アドルフの依頼に応じて三人の猟師が集まってきた。
その風貌から、相応に経験を積んでいることが伺い知れた。
アドルフは、集められた猟師達に一人につき銀貨十枚を与えた。
「まずは手付だ。明日の昼までにはここへ戻って来られるだろうから、それまでの間は儂の指示に従ってもらう。報酬は帰る時に改めて支払う。少なくとも手付の倍は払えると思う」
アドルフが革袋を見せると、中には銀貨はおろか金貨までもが詰まっているのが見えた。
猟師達はどよめき、望外の報酬に喜んだ。
三人の中でも年配の男がアドルフの前に進み出ると、アンガスと名乗った。
「中の原のアドルフ町長とお見受けします」
どうやらアドルフを知っているらしい。
アドルフは先の戦で中の原の防衛司令官だったし、猟師は戦では貴重な弓兵兼斥候だ。顔を知っていても可笑しくはない。
「いかにも儂はアドルフだが、どこかでお会いしたかな?」
聞くと、娘が世話になっていると言う。
彼の娘は町役場で働いているらしい。名を聞くと良く知っている娘だった。猟師の娘とあって書類仕事は苦手だが、心根が優しく目端が効くので受付として雇ったのだった。接客も任せており町長室に通した客人に、季節や相手に応じて飲み物を用意してくれている。誰に対しても同じように優しく接する事から、町での評判も良かった。
町だけではなく村からの志望者を募るのは国の方針だ。娘はその方針に則って採用されていた。
明確な身分制度の存在する他国では、国の一部地域とはいえ、徴税、裁判、軍事を統括する公的機関に採用されるなどあり得ない。身分制度が存在しないセルトリアならではだ。
「儂の方こそいつも世話になっておる。頭が良いし愛想も良い娘だから周囲の評判も良い」
事実だった。決して父親を喜ばせようとして言ったのではないが、アンガスは相好を崩して喜ぶと頭を下げて礼を言った。
アドルフはこの場にいる者を集めると現在の状況を話した。村の衛兵が四人と猟師が三人だ。通常なら機密事項を話すような相手ではないのだが、非常時においては下手に隠し事をするよりは包み隠さずしっかりと話しておいた方が良いことを経験から知っていた。
「なるほど、東西両方ですか」
「カトリーヌ司教が行った以上、東は問題ないだろう。しかし、西は様子を伺った方が良いと思った。皆はどう思う」
「おっしゃる通り西は変ですね。盗賊が兵士を襲うなんざ聞いたことがない」
「包囲するだけってのも気になるし、何人かが脱出出来たってのも変だ。盗賊なら逃げた者が応援を呼ばないようにきっちり始末するだろう」
「足止めするのが目的なら話は分かるな」
猟師達は恐らく従軍の経験があるのだろう。もはや斥候としての会話だ。
彼らは話し合った末、帰還兵は盗賊に襲われたのではなく何者かによって足止めされたのではないか、と結論づけた。そして、その事を中の原に伝えるべく脱出した何人かをあえて生かしておいた。中の原に伝えさせるためだ。
彼らに分からなかったのはその動機だった。盗賊達は何がしたかったのか。
「こう考えればどうだろう。何者かが中の原を占領したいと思った場合、その障害になるのは何か」
アドルフは皆の議論が行き詰ったのを察し、一つの想定の下で話を進めさせた。
七人の男達はまた話を始める。
「まず、王国軍はいねえよな」
王国軍は現在魔王軍と対峙している。
「後、衛兵隊は町長の話じゃ元の四分の一だ」
「自警団は動かせねえからそのままとして、カトリーヌ司教は東へ行った。後は……」
皆アドルフの顔をみる。
「町長、ここにいてもいいので?」
「いてはいかんか?」
「中の原が空っぽになっちまいますが」
「敵もそう思うだろうな」
七人は顔を見合わせると、なるほど、と頷き合った。
「騙されたふりですかい?」
猟師三人がニヤリとする。町長も人が悪い、とでも言いたげだ。
猟師にしろ斥候にしろ、相手との騙し合いは日常茶飯事だ。アドルフの考え方を簡単に理解できたのだろう。
「して、敵は?」
「南ですかい?」
彼らにとっても先の戦の疵はまだ癒えていないようで、即座に南のエングリオ王国を想定した。
「分からんな。カトリーヌが東へ行くのも敵の策とするならば、相手は人ではないかもしれん」
教会は国家間の争いには参加しない。神官を追い払う必要はないはずだ。
「カトリーヌ司教はレヴァナント退治に出向かれたのですよね? ならば、相手はレヴァナントでは?」
衛兵の一人が言うと、一人の猟師から反論が出た。
「じゃあ、町長を釣り出すのはどうしてだ? 意味が無いぞ」
有事には中の原全域の防衛司令官になるアドルフに対して、不敬ともとれる言い草だがアドルフは気にしていなかった。
魔法使いの魔法はレヴァナントに対してあまり効果的ではない。最も効果があるとされる炎の魔法は、上級以上になると周囲の家に燃え移って火事になる恐れが高く、市街戦や籠城戦では使えない。
「両方が一緒に攻めて来るなら、司教も町長も釣り出さなきゃならんよな?」
一人の猟師の言葉に残りの者が固まってしまった。
「いくらなんでも、お前それは……」
「そうだよ、そんな無茶苦茶な事は……」
皆思わずアドルフの顔を見るが、アドルフは笑っていない。
「まさか、本当にそんな事が……」
言った本人も軽い気持ちで言ったのだろうが、アドルフが無言でいることで顔がこわばってしまった。
中の原が陥落する。皆そう思った。
「娘の事が心配か?」
アドルフはすっかり無言になってしまったアンガスに聞いてやった。
「あいつは猟師の娘です。弓矢の使い方は教えました。いざとなったら立派に戦ってくれるでしょう」
強がる父親は無理に笑っている。
アドルフはアンガスの肩を二、三度叩くと、表情を引き締めた。
「儂は中の原の防衛司令官として、中の原一帯に住む者の生活を敵から守る義務がある。今のところ、本当に敵がいるのかどうかも分からないが、万が一に備えて手は打たねばならん。すまんが力を貸して欲しい」
男達は力強く頷いた。
中の原川は山に囲まれた中の原盆地を西から東へ横断するように流れている。多くの川船が往来し、すぐ近くを走っている街道と並んで物流の動脈だ。アドルフ達が今いる村の衛兵隊もいくつかの川船を管理している。アドルフはその船を一艘借り受けると、村の衛兵三人と猟師三人とともに川を下った。
船には左右に一丁ずつの櫂がついていて、それを漕いで行く。夜間にも関わらずなかなかの速さで川を下って行った。
途中、中の原の一つ隣の村で衛兵隊二名の操る川船一捜を仲間に加えた。
アドルフ達がたどり着いたのは、中の原から一時間ほど歩いた場所にある川の南岸の小じんまりとした丘だった。丘と言っても岩の塊といってもいいほどに切り立っており、登り道がない。
実はこの岩は、頂上部近くをくり抜いて作った偵察拠点がある。川の下を通した地下道で北岸に繋がっていた。
アドルフはそこで中の原からの使者を待つことにした。中の原を出立する時、直属の斥候に中の原に事が起きた時にここへ通報するように頼んでいたからだ。
ろうそくは既に二本目に火が灯っていて、かなり短くなっていた。
無事に斥候と合流し報告を受けることが出来た。
町が五千のレヴァナントの群れの襲撃を受けていると聞いて一同顔色を変えた。
しかし、襲われたものの、教会裏については迎撃の目途がたち、正門についても衛兵隊を中心に罠を仕掛け迎撃態勢を整えているとのことだった。
エングリオ軍の現在位置も判明した。
中の原から徒歩で二時間ほど、周囲の村から離れた放牧地で休止中とのことだった。少なくとも、表向きはレヴァナントと連携を取っている風には見えないらしい。
アドルフは川船に乗ってここまでやってきた二つ隣の村の衛兵隊二名を、西の峠に向かった中の原衛兵隊への使者にした。そして、直属の斥候に指示を一つ与えた。それぞれが、闇に消えるのを見送った後、その場にいる者を近くに集めた。
「儂はこれから船で町の正門へ行くが、付いて来る者はいるか?」
村の猟師や衛兵には町を守備する義務はない。当然報酬が支払われる。が、いかんせん相手はレヴァナントだ。彼らが扱う武器では対抗できない。
しかし、全員が行くと言った。
「アドルフ町長がここで死んだら、レヴァナント使いやエングリオの連中が町長になっちまうんでしょう? そうなったら中の原一帯に住む者は皆一斉蜂起して戦いになるから、どうせそこで死ぬ。それよりも、ここで町長と一緒に戦って死んだら村の英雄になれるかもしれん」
アンガスには山伝いに町へ行き娘に会って来るように伝えた。
「町長をほったらかして行ったところで、娘は口を聞いてくれませんよ。町長について行ったら、たとえ死んでも葬式には参加してくれるでしょう」
それで十分だと言って聞かなかった。
アドルフは嬉しかったが喜んでばかりもいられない。あえて条件を出した。
「儂の指示には全面的に従ってもらう。命令違反は許さん。それから無駄死にも許さん。事が終わって生き残った者には金貨一枚を報酬とする。死んだ者には慰労金とは別に銀貨十枚を遺族に渡す。それから、儂が死んだ場合や逃げよと言った場合は、絶対に逃げ延びてどの村の者にでもいいからこの事を伝えよ。その場合の報酬金貨一枚は村長から出してもらうように手紙を書く。良いか」
死んだ場合の報酬は生き残った場合の半分だ。生き残れと言うアドルフのメッセージだった。死んで英雄になるくらいなら、生きて良き父親になった方が良いと思っていた。
異論は出なかったので、全員分の手紙を書き終えたアドルフは皆に一通ずつ持たせ、船に乗り込んだ。
ろうそくは二本目が燃え尽きようとしていた。
町に近づいたところでアドルフがカモフラージュの魔法を使うと、七人の姿が船もろとも川の上から掻き消えた。
そのまま町を左に見ながら櫂で漕ぐのを止め川の流れに任せていくうちに、船は正門付近に流れて行った。
正門にはレヴァナントが大勢群がっていた。操っている者がいるとすれば、正門の外であることは容易に推測できた。
レヴァナントの群れの背後に回り込むように、やや下ったところの岸辺に船を寄せ岸に上がった。そこで、一旦カモフラージュを解いた。
アドルフの狙いはレヴァナントを操っている者達を捕えようというもので、奇しくも中の原大教会の大司教と同じであった。双方ともに気付いていなかったが、ほぼ同時刻に正門裏にいるであろう術者を強襲することになった。




