魔封じの指輪
かつて、中の原の町は中の原川の北岸の平野部にあった。その西側には北の山から続く尾根があり、その尾根の一角の東に張り出した所に教会を建設した。教会は崖の上から町を見下ろしていた。
六十年程前に尾根を削って台地にし、町全体が引っ越した。理由は、高い位置にあった方が敵の攻撃をしのぎやすいからだ。
現在の教会は、東西に長い長方形に近い形をしている町の東の端に位置している。つまり、教会の西側は町に接しているが、残りの三方は崖だ。
北側には崖下に共同墓地があり、東側には同じく崖下に旧市街地跡が広がっている。正門は南の崖下に設置されている。
町の外から来るものは、まず橋を渡らなければならない。正門前に南北に掘られた掘があるからだ。その堀は川に繋がっており、北へは教会に接した崖に沿って共同墓地を囲う石塀の近くまで伸びている。橋を渡り、門をくぐると、右手の崖の上に教会の敷地を囲う外壁がある。そのまま西へまっすぐ行くと台地の上にある町に入るための木で出来た坂があって、そこを登ると二番目の門だ。町の周囲には幅のある街壁が巡らされているから、正門をくぐったものは四方から見下ろされる。
この狭い区画を警備するのは町の衛兵隊だ。昼夜を問わず二つの門を守っている。元々衛兵隊は百名だが、魔王討伐軍に王国駐屯軍とともに五十名が参加している。さらに東西の異変に二十五名が参加しているので、今夜は二十五名しか残っていない。非常事態だ。
普段は夜でも下ろされている跳ね橋が引き上げられている。そして、そこへは、墓地から這い出たレヴァナントが群がっていた。
ハンス達が正門前に到着した頃、すでに門の前の掘は防衛力を失っていた。
侵攻して来たレヴァナントの群れは、真っ直ぐ堀に向かって進んで来て、そのまま落ちた。
掘にはまり込んで抜けられそうになかったが、次から次へと来るものだから、遂にレヴァナントで堀が埋まってしまった。
後続のレヴァナントが堀の中でうごめく三十体ほどのレヴァナントを踏み越えて跳ね橋に群がっている。門の上では三人の衛兵が火矢を放っているのだが、レヴァナントにはなんの痛痒もないようで、身体に火矢が刺さったままで跳ね橋を殴りつけて壊そうとしている。
通常の防衛戦術はほとんど効果がなかった。二基のバリスタは幾ら放っても効果が無いままに残弾が尽きてしまった。
「数は分かるか?」
ハンスが大声で怒鳴ると一人の兵士が、三千以上、と怒鳴り返してきた。
その数字を聞いて皆絶句した。
多すぎる……ハンスは唇を噛んだ。
東のいくつかの村を襲ったレヴァナントはそれぞれ二十体程度ずつと聞いていた。二十体程度のレヴァナントであれば、足止めさえ出来れば浄化の魔法を使える神官と協力すればなんとかなる。
無論中の原の町が襲われる事も想定していた。襲われた東の村の数と襲撃の規模から考えて、ハンスの見込みは百体からせいぜい三百体程度だった。その程度であれば、教会に五人の神官が残っている状況なら、町の防衛施設でなんとか侵入を阻止できると考えていた。それに、ある程度のレヴァナントが町の外をうろついていた方が、五千人の兵を率いて近くにいるはずのエングリオの軍が攻め寄せてくることは無いと考えていた。
最悪撃退出来なかったとしても、正門を守り通せば東に向かったカトリーヌ司教率いる神官勢が帰って来る。それまでの辛抱だ。そう思っていた。
しかし、三千以上ものレヴァナントの襲撃など想定外も良いところで、ハンスの防衛計画は完全に突き崩されてしまった。
「浄化の魔法は使えるか?」
ハンスは、自身が動揺していることを周囲に気づかれない様に、努めて冷静な口調で隣にいるマルセロに聞いた。
「使えますが数が多すぎます。僕では一回でせいぜい二十体程度。回数も十回くらいが関の山です」
二百体か……。足止めにもならん……。
ハンスはレヴァナントを一回の魔法で二十体も浄化できる神官がそうそういない事を知っていたが、相手が三千体を超えるのであれば全く不十分だ。
「隊長代行! 斧を持ったのが来ます!」
武器を持っている……。
その場にいた者全員が驚愕した。武器を使うレヴァナントなんて聞いた事もなかった。そして、考えられない事だが、レヴァナントに武器を供給している者がいる。
「足止めしろ!」
「無理です! 火矢が当たっても平気です。体が燃えたまま近づいて……」
兵士は最後まで答えることが出来なかった。下を覗き込んでいた彼の喉に矢が突き立って、そのまま門の向こうに転げ落ちてしまったからだ。ハンス達にとって幸運だったのは、喉を貫かれて声を出せなかったせいで、レヴァナントの群れに落下した兵士の断末魔の叫びを聞かずに済んだことだった。
「姿勢を低くしろ!」
門の上に向かって怒鳴ると、二人の兵が胸壁に隠れた。
まずは外壁を容易に飛び越えて来る矢を封じなければならない。一斉に火矢を放たれたら火災が発生する可能性がある。流れ矢で人的損害が出る可能性もある。ただ身を隠しているだけでは、いずれ正門が突破されてしまうだろう。
「風の魔法で矢を防げるか?」
ハンスはパウルに聞いた。
パウルはかつて上級魔法使いとして名を馳せていた。今は魔封じの指輪で封じ込められているとは言え、中級魔法が使えるはずだ。
「正門と二番目の門までの間でいいか? そうだな……、強めに放つとして、半時間ほどもたせようか」
「上等だ。頼む」
半時間あれば相手の矢も尽きるだろう。
魔法を放とうとしたパウルは、ふとマルセロに向かって、この指輪を外せるか、と聞いた。
マルセロとアンジェリカは、既に魔封じの指輪を外している。特にマルセロは、元々上級神聖魔法を使う神官だった。還俗したとは言え、その魔法制御力そのものは失われていない。そして、現在は魔道具の作成まで手掛けている魔道具屋の主人だ。その知識と経験が役に立つかも知れない。そう思ったからだ。
「外せますよ。それを作ったのは僕ですから」
パウルは驚いたが、その後ニヤリと笑うとマルセロの肩を叩いた。
「そういう事なら、今夜はいくら魔法を使っても安心だな。儂が闇落ちしそうになったら魔封じを頼むぞ」
何かあっても即座に封じ込めることが出来るのだ。存分に上級魔法が使える。闇落ちした過去と言う、心理的障壁を取り除くには十分過ぎる理由だ。
パウルが右手を差し出すとマルセロが指輪に触れて解除の合言葉を唱えた。
「パウルさん、お目覚めの時間ですよ」
一瞬指輪がホワッとした光に包まれる。
「なんだ、その気の抜けた合言葉は? そんなもので儂の魔法を封じていたのか?」
「お気に召しませんか? 僕なりに考えたつもりだったんですけど」
マルセロはいたずらっぽく笑った。
「まあ、良いわ。さて、久しぶりに本気を出すか」
指輪を外したパウルが目を輝かせながら魔法を放つ。
「ウィンド・カーテン!」
パウルの頭上から回転速度の緩い竜巻の様な風が巻き起こると、半径を見る間に広げていく。あっという間に正門から第二の門までの間の空間を包んでしまった。巨大な風の結界が出来上がったのだ。




