第一話 不戦の勝利
セルトリア王都域。
王宮から遠く離れた魔王の棲む森の近くに建てられた前線の砦周辺は樫の木が多く植わっていて、窓からの眺めはほとんどがその木々を見る事になる。
五月にもなると、樫の木が黄色い房の様な花をつけている。
ただし、今は窓には日よけが下ろされているので、外の眺めは全く見えないのだが。
砦の一室で、当代国王、国家宰相、国教会セルトリア王都域大司教秘書官長が一つのテーブルを囲んでいた。入口の扉際には、王宮警護官長が小脇に帽子を抱えて立っている。
国王は王冠をテーブルの上に置き、他の者も皆帽子を脱いでいる。
以前は月に一度、宰相が顔を出していたのだが、今や国王の前線視察の機会になっていた。
冬季攻勢が一段落し、兵士達も交代で休養を取る事が出来た。次の攻勢は夏前にやりたいとの意向を王国軍兵団総長が示したことから、その打ち合わせに来たのだが、支援の神官団を派遣するために秘書官長が視察をしに来たのだ。
視察は無事に終わり、訓練を継続する兵団長を残して皆砦に戻り、休憩をとる事になった。
「例の手つなぎ歌の秘密が分かったらしいな」
口火を切ったのは赤い祭衣を着たハリス秘書官長だ。
元々は、彼が歌の秘密について調べる、と言っていたのだが、国王に先を越された形になった。
「ああ。初代国王のお作りになったものだった。精霊に会うための方法が歌い込まれていたらしい」
歌詞が作られた経緯を説明すると、それだけなのか? と問い返された。
「そうみたいだが……何かあるのか?」
「いや、元々は原初の遺跡について謡われたものだと思っていた。まさか、水の精霊の住処とはな」
「ふむ。原初の遺跡については、分からなかったな」
いいですか? と宰相が手を上げる。
「なんだエヴァンス?」
国王の問いかけに、彼はしかし、秘書官長の方に向き直った。
「確か、ハリスは、魔王の復活の秘密を暴くために、歌の秘密を調べていたと思うのですが」
「そうだ」
「原初の遺跡と魔王の復活は何か関係があるのですか?」
「知っての通り、魔物は特定の場所に強力なのがいる。今までは、そこが魔王復活の場所になっている」
ふむ、と国王が頷く。今現在、存在している魔王は彼の父親が討ち果たした魔王と同じ場所に復活した。
他国においても、過去魔王が出現した場所は厳重な警戒の元に監視されていたが、強力な魔物がいつの間にか湧いて出て、魔物に占拠されてしまう。
そうかと言って、魔王が復活しない限りは、その周辺から出てくることもないので、討伐軍を起こさず、そのまま監視のみにしている。戦うと損害が大きいからだ。その結果、魔物の領域と人間の領域、といった不可侵の領域が曖昧ながらも出来上がっていた。
過去の歴史において、魔王軍をある程度討伐した時点で、小人数の部隊をいくつか突入させ、魔王を討ち果たしてきた。
魔王さえ倒してしまえば、魔物の群れは大人しく深い森の奥や高い山々が作る峡谷へ引っ込んでしまい、人間がそこへ踏み込まぬ限り、危害を加えてくることはそうそう無かった。そうして、次の魔王復活の日まで、互いに恐れ合いながらも、争いの無い日を過ごしてきた。
「過去の記録を調べたところ、一度魔王が出現して以来、復活していない場所が幾つかある事が判明している。そのうちの一か所は中の原湖の辺りなんだ」
「つまり、原初の遺跡は魔王が封印された地と……」
「その可能性はある」
「では、残りの魔王復活がなされていない地はどこなのですか?」
「そこでだ。例の中の原からきた者達の話だ」
「そう言えば、原初の遺跡と思しき場所を予想していましたよね。確か、メディオランドのお山、エングリオの温泉地、レグネンテスの鉱山地帯でした。……もしや、魔王が封印されて未だ復活していない、他の地と……」
「そうだ。一致する」
宰相が目を見張り、国王が生唾を飲み込んだ。
「つまり、原初の遺跡とは、女神様自らが魔王を封印した地なのですか?」
「可能性はある」
「しかし、仮にそうだとして、女神様に封印して貰わなければならないのであれば、我々ではどうしようもないですよね?」
「そうとは、限らんぞ。その四つの中心には何があるんだった?」
「滅びの町……」
かつて、栄華を誇った国の都があったところだ。失われた都と呼ばれ、生き残った神官達が籠る神殿は、滅びの町、と呼ばれている。
「そうだ。失われた都の滅びの町だ。太古からこの島に住んでいた者達の支配者の末裔の成れの果てだ。禁呪の総本山でもある。かつて連中が治めていた地は、その四つの範囲に及んでいた事が分かっている。魔王が現れるのは決まって、この四か所を結ぶ線の外側だ。何か知っているかも知れん」
「女神様が封じ込めた場所の内側を領土としたのでは?」
「それが意図的な物だとしたら、どうする? 例えば、失われた古代の魔法とかな」
「……失われた古代の魔法……降神術ですか……」
秘書官長は、宰相の言葉に頷くと大きく見開かれたままの国王の双眸を正面から見据えた。
「確か、メディオランドのお山には、大洞窟と祭壇があったらしいじゃないか」
「あ、ああ。ロバーツから報告が上がっている。父と母も実際に目撃している」
「近いうちに、メディオランドに行って来る。目的地はメディオランド王都域教会、つまり、我々の教義の総本山だ。正式な話はセルトリア王都域大司教の書面を持ってくる時にするよ」
「今の話をしに行くのか?」
「そうだ。お山の洞窟へは実際に人間が入れるのだろう? 神官による調査団を派遣して調べてみたい。メディオランド王の許可も必要になるだろう」
「女神様を呼び出せるのですか?」
「そう焦るな。まずはお山の地下祭壇の調査だ。今のところは何も分かってないんだぞ」
国王は、何かを言いかけてやめた。かける言葉が見つからなかったのだ。
ややあって、どのくらいかかるのか、とだけ聞いた。
「調査自体は一月程度と踏んでいる。往来を含めて二か月だ。何か分かったら、教えてやるさ」
よろしく頼む。国王は、ようやく、それだけを言った。
「ちょっと、待って下さい」
なんだ、と言った秘書官長の表情が曇る。
「確か、中の原教会と中の原湖の原初の遺跡は地下で繋がっている、という噂がありましたよね。本当ですか?」
やはり、聞かれたか……。
そう言いたげな秘書官長は、しかし、宰相からは目を逸らさない。
「そういう噂はある。しかし、今はそれ以上の事は言えん。すまん。俺には神前の誓約を守る義務がある」
宰相は国王が頷いたのを確認して、秘書官長に向き直った。
「いつか、話してくれますね?」
「ああ。時期が来れば。ただし、言っておくが、この国を扼するようなものでは無いはずだ。それは信じてくれ」
普段強気な物言いをする秘書官長が、すがる様な目で、国王と宰相を見た。
「分かっている。時期が来たら教えてくれ」
国王の言葉を聞くと、秘書官長は無言で一つ頷いて、ホッと息を漏らした。
「誰か来る」
不意に扉前の国王護衛官長が口を開いた。
彼は既に小脇に抱えた帽子を被っている。
室内の者達は、慌てて王冠や帽子を被り、テーブルのグラスを手に持った。
国王は、自分のグラスに入ったワインが全く減っていない事に気付くと、半分ほど飲み、わざとらしくソファに身を持たせかけた。
ノックの音が聞こえて来る。
宰相が部屋の様子を確認し、頷くと王宮警護官長が鍵を外して扉を開けた。
「王陛下。失礼いたしますぞ」
チェーンメイルを頭から被り、精悍に日焼けした男が入って来た。
「ビクターか。良く来てくれた。まあ、掛けてくれ」
「では、失礼いたします」
ビクター王国兵団総長が国王の正面いる秘書官長の隣に座ると、それを合図に扉に鍵が掛けられ、警護官長が被っていた帽子を小脇に抱えた。
皆一斉に被っていた物を脱ぐ。兵団総長はチェーンメイルの頭巾の部分を脱ぐと、頭の後ろにずらした。
「済まん、済まん。魔法兵の訓練を見ておったら遅くなってしまった」
「ビールで良いですか?」
「済まんなエヴァンス。一杯頼む」
宰相が機敏に立ち上がって、樽からグラスにビールを注ぎ、兵団総長に手渡す。
兵団総長は、一気に半分ほど飲みほした。
「うん。やっぱり、エヴァンスの冷やしたビールが一番上手いな」
「汗をかいたからでしょう?」
「いやいや、この一杯を楽しむために、碌に水も飲まずに我慢してきたのだ」
水くらい飲め、と秘書官長に肘で小突かれている。
「どうだ? お椀は皆使えるようになったか?」
つい先ほどまでの、重苦しく、彼の手……いや、恐らく人の手に余るような話題から、一時的に解放された国王が、飲み干して空になったグラスに自分でワインを注ぎながら聞いた。
「ああ、大丈夫だ。実戦でも使えるな」
「それは頼もしいな。ヒューズの指導のお陰だな」
王宮警護官長を労うと、小脇に抱えた帽子を手に取り指先でクルクルと回しながら微笑んだ。
国王以下皆が、それを見て笑い声を上げた。
口数の少ない王宮警護官長は、飛行術を初めて見た日以来、どことなく機嫌が良い事を、古くからの付き合いである国王達は知っている。もっとも、その理由までは知らないのだが、いずれ分かるだろうと、皆タカをくくっている。
「お椀と言うのは例の飛行術か?」
「そうだ。王国軍兵士のうちで、ウィンド・バリアを使える者を全土に召集をかけて集めて訓練しとるんだ。上手くいけば魔王軍を空から攻撃できるようになるかも知れんぞ。そう言えば、ハリスはもう乗ったのか?」
「いや、俺はいい」
露骨に嫌そうな顔をする。
「そう言えば、高いところは苦手であったな」
「よくもあんな物に乗れるもんだな。見ているだけで目が回りそうだ」
秘書官長はワインを一口飲み下すと、吐き捨てるように言った。
「さては、それで視察を早めに切り上げたのだな。どうだ、ヒューズ。ひとつ鍛えてやらんか?」
「低いところから始めたらいい」
王宮警護官長が言うと、よしてくれ、と秘書官長が両手を振って言い、その場が笑いに包まれた。
「ところで、東の方は収まりがついたのか?」
散々にからかわれたところで、旗色が悪いと見た秘書官長が話題を変えてきた。
「ああ。メディオランドは無事にグラムの港を使えるようになった。駐屯軍も置ける。一戦も交えていないそうだ」
「プライモルディアの敵討ちだな。大したものだな、国境に軍を進めるだけで相手を屈服させるとは」
手を打って秘書官長が喜ぶ。
「神官の癖に、随分と国同士の外交を喜んでおるな」
兵団総長が呆れているが、秘書官長は意に介しない。
「今度、メディオランドへ行かねばならんのだ。戦争中であったら、行けないところだった。無事に外交ですんで良かったよ」
「メディオランドに? 何をしに行くのだ?」
「今日は、その話をしに来たのだ。つい今しがた話をして、ここにいる者の度肝を抜いたばかりだ。ビクターも心して聞いておけよ」
「ウーム」
兵団総長も、唸るだけで多くを語れなくなってしまったようだ。
「そう深く考えるな。まだまだ先の話だ。それに、今言ったのは俺の考えている仮定に過ぎん」
「しかし、滅びの町が絡んで来るとはな……」
警護官長の話では、滅びの町の上層部がエングリオと手を結び、事もあろうに魔物を操って人間の砦を攻め落としたのだ。関わり合いになりたい者はそうはいないだろう。
「それはそうと、手つなぎ歌の謎を解いた中の原の者達は、ビクターの知り合いなのですか?」
重苦しい空気に耐えかねたのか、宰相が話題を変えて来た。
「ああ、パウルか。古い付き合いだ」
「確か猟師でしたか」
秘書官長は、宰相に向けて軽く右手を上げた。
自分が重くしてしまった場の空気を変えようとしている事への礼だろう。
「まあな。元王国軍兵士だ。といっても非正規だったがな」
「そうだったのですか。非正規と言うと、斥候ですか?」
「ああ。戦争中に猟兵隊が組織されたのは知っているだろう? その前身にあたる選抜された斥候部隊があったのは知っているか?」
「確か、ビクターが隊長だったのでしたか?」
「そうだ。その時の副隊長がパウルだ。儂は東の原兵団長も兼ねておったので、奴が実質的な隊長だった」
斥候の任務は情報収集だが、猟兵の任務にはさらに敵地に潜入しての破壊工作や戦闘行為が含まれる。
「偵察中心だった者どもを、敵地に潜入し集団戦闘が出来るまでに鍛え上げ、今の猟兵隊の基礎を作ったのは、あいつだよ。残念ながら、家業を継ぐことになって除隊したから、非正規のままだったがな。それでも、功績を立てて、休戦の折にヘンリー様から直々に勲章を貰っとる。丁度冬の戦争中断期間の頃で、王都にも来ておったよ」
今は娘っ子共を鍛えておるわ、そう言ってビクターは愉快そうに笑った。
「その娘っ子共ですが、また王都に来るのですよね?」
宰相が微笑みながら国王に聞いてくる。
「ああ、例のマーブル染めの受勲だ。あれは確定だからな」
「また、あの時の様な宴席は用意出来ませんか?」
「宴席? エヴァンス。お前何を考えておる? 好みの娘でもおったのか?」
「いえいえ、そうでは無くて、あれほどに楽しい宴会は久しぶりだったものですから。そう言えば、ビクターは酔い潰されて寝ていたのでしたっけ?」
暴露された兵団総長が随分と渋い顔をした。
窓の外を見ながら、ぐいとビールをあおる。
「何だ? ビクターが酔い潰されるなんざ、カトリーヌ司教以来じゃないのか?」
仕返しとばかりに秘書官長がからかってくる。
「相手は水の精霊だぞ。こっちがグラス一杯飲んどる間に樽を半分空けおった。ロバーツ様と二人がかりで挑んで見事両者沈没よ」
秘書官長も大笑いだ。
「たまには、羽目を外しませんか?」
「ヒューズ? どう思う?」
宰相が国王に迫ると、国王は王宮警護官長に話を振った。
「ヘンリー様達にお伝えすれば、大丈夫」
王宮警護官長が珍しく微笑んでいる。果たして、彼の笑顔を見た部下はいるのだろうか。
「ヒューズ。さては最近機嫌が良いのは、あの時の宴会が原因ですね。あの時、ジャンヌ神官と珍しく話し込んでましたよね」
「俺だけじゃない」
国王を指差す。皆が国王の顔を見る。
とぼけて窓の外を見ていたが、ついに白状した。
「ジャンヌ神官は聞き上手でな。酔った勢いもあって、随分と日頃の愚痴をこぼしてしまったのだ」
砦の一室は、一際大きな笑い声に包まれた。