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第一話 誤算

 曇天のなか、この冬何度目かの大雪が降ったせいか、雪原となった農地には、碌に動く物が見えない。時折、寒さをしのぐように一か所に固まった家畜が、何を思ったのか移動する程度だ。

 エングリオ王国の王城の見張り台から見ると、ただ広いの灰色の世界が広がっているだけの様に見えた。


「セルベトゥス。なかなか上手くいかないものだな」

「御意に御座いまする」

「まさかプライモルディアが、あれほど簡単に降伏してくるとは思わなんだぞ」

「我らの動きを察知していたものと」

「最初から、こちらが攻め込むと同時に降伏すると決めていたと言うのか」

「恐らく。ご賢察のとおりではないかと」


 厳冬期の風は容赦なく吹きすさび、二人の衣服をなびかせているのだが、セルディックは穏やかな笑みを浮かべ、セルベトゥスも吐く息の白さなど全く気にした風は無かった。


 一月ほど前、エングリオ軍は西に集めた兵力のほとんどを、船に乗せ、国境の山岳地帯を迂回する様にプライモルディアの王都に近い西部に上陸させようとしていた。


 開戦の理由はプライモルディアが拒絶してきていた港の使用を認めさせる事である。島の北岸を占める各国は、自国の港にエングリオの軍船が入港する事を認めていない。特にプライモルディアの港は島の西端を通って北岸へ行くにあたって風待ちや嵐除けに必要とされていた港であり、セルトリアにおいて復活した魔王軍討伐への応援参加ですら陸路を歩かされた事についての意趣返しとなった。


 プライモルディアの兵力は、概ね、その西岸部と中央、そして山岳地帯西方の三か所に分散していた。敵がどの地点に上陸しても西部と中央の部隊が二か所から進出する事により、半包囲出来るように配置されていた。

 また、冬季は雪に降り込められる山岳地帯西方の砦はエングリオからの進出はとても望めず、逆に進軍中の敵の側背を衝く伏兵に成り得た。


 当然、上陸後の戦闘は熾烈なものになる、とエングリオでは予想していた。


 兵力差は、概ね五倍。しかし、地の利はプライモルディアにあり、地元の農民達が加わると単純な兵力差では二倍程度の違いにしかならない。相手は、一方の部隊がどこかで守りに徹しているだけで、援軍が必ずこちらの側面に現れるのだ。


 厳冬期で海は波が高く事故も多い。海以外に本国との連絡路を持たぬ派遣軍は、略奪も碌に出来ない厳冬期の食糧不足に悩まされながら、上陸地点を確保しつつ戦いを進める事になっていた。


 無論国境沿いの土地を領有する貴族たちはこぞって反対していた。しかし、冬季戦用として編成された特殊兵団が山岳地帯を突破するから、心配せずに敵を殲滅しろ、と王に言われた。

 そんな兵団の存在など聞いた事もない。

 皆、半信半疑で出征したのだ。


 出征した貴族の中には、自らの死後の事を託そうと、様々な領主としての務めを年端も行かぬ長男の少年に伝えていった者もいた。


 ところが、意に反して、上陸兵力が岸に近づいた段階で既に使者が用意されており、いきなり降伏交渉が始まったのである。


 司令官となった貴族は、神の御業かと狂喜した。

 敵を殲滅せよ、との王の指示ではあったが、恭順の態で降伏する敵を攻撃するのは騎士道に反する。早速交渉に挑み、プライモルディア王都にある港の一部の専有とエングリオ軍の駐留、山岳地帯の割譲を認めさせ、大手を振ってエングリオに帰還した。


 そして、その頃には、山岳地帯の砦はガーゴイルの群れに襲われ、一人残らず殺されて壊滅していたのである。

 いや、離れたところで動向を見守っていた十人ほどの斥候だけが生き残こり、王への報告を済ませていた。




「北方の事といい、なぜ、ああも簡単に降伏できるのか。俺には分からん」


 降伏は、弱者の重要な戦略だ。女神に授けられたと喧伝している聖なる血統が生き永らえ、ほんのわずかな土地でも残すことが出来れば、再興の可能性が残る。家を潰さぬことこそが、弱者の最大の目的なのだ。

 それは例え国を失おうとも同じであった。強大な国の王に服属し、貴族の一人としてでも家名を存続できれば、何かの拍子に返り咲くかもしれない。


 実際に、大陸などでは、お家騒動の結果国を追われた王が他国へ逃れ、その息子が亡命先の力添えを得て、返り咲いた例もある。一度の戦に全てを賭けるほど、王家の血は安くない。


「陛下は強者でございますれば、弱者の心根などは理解されなくてもよろしゅうございます。少しずつ服属する者を増やし、領土を増やしてゆけばよろしいかと」


 セルベトゥス自身が、弱者の戦略の末の生き残りであることから、プライモルディアの選択はある程度は予想出来ていたのだが、それにしても早すぎる。


「セルトリアに察知されたのかも知れませぬ」

「その方の手勢の事か」

「さようで」


 セルディックは、見張り台の縁に両手を置き、冬の灰色に染まった彼の領地を見た。

 視線の方向は北であり、遥か彼方にはセルトリア王国がある。


「やはり、東の原での実験が派手であったかな。バレるのであれば、実験などせぬ方が良かったか」


 東の原にガーゴイルを進出させて、オークを半ば攫うようにして、猟兵隊の守る陣地に運んだのは、セルディックの発案であった。

 史上最強の呼び名が高いセルトリアの王弟ロバーツを試してやろうと、いたずら心が起きたのだった。


「知られたところで問題はないかと愚考致しますが」

「そうか。その方もレヴァントといい、サボーディネイションと言い、様々にセルトリアで試しておるな」


 セルベトゥスは静かに頭を下げる。


「陛下。陛下がこの島で最も警戒しているのはどの国でありましょうか?」

「メディオランドだ。国は豊かで兵力も多い。王も王太子も馬鹿では無い」

「では、メディオランドにだけは絶対に下手な挑発を行ってはなりませぬ」

「分かっておる。最後に雌雄を決するのであろう」


 メディオランドはエングリオの三分の二程度の国力だが、正面切って争えばエングリオの損害も馬鹿には出来ない。兵を大量に死なせてしまえば、その家族の支持を失い、つまらないところで足元をすくわれる可能性もある。


「では、次に警戒される国は?」

「セルトリアだ」

「理由をお聞かせ願えますか? セルトリアは、我が国とメディオランドを除くと、この島では平均的な国の一つに過ぎませぬ」


 ここでセルディックは心底楽しそうに笑った。しかし、遥か北方を見ていた目は、正面からセルベトゥスを見ている。


「あの国は強い。国力では無い。通常の手段で攻め込めば、恐らくあの国の国民のほとんどが、侵略者に対し死ぬまで抵抗するだろう」


 利害では転ばない。つまり、交渉が通じないのだ。


「なれば、もし攻めるとすればいかように?」

「あらゆる手を尽くして心を折る。それでも抵抗する者は皆殺しにするしかあるまい」

「この私めも、同じ思いでございまする」


 ここで、セルディックに穏やかな笑顔が戻った。


「どうする積りだ」

「こちらの手の内をある程度見せた上で、対策を考えさせ、その上で叩き潰すしか無いのではないかと」

「その後、残った国に喧伝するのだな。抵抗すればどうなるかと分からせるために」


 やはり、この王は尋常ではない。人心を掌で転がす術を心得ておる。戦は数で決することが出来よう。しかし、戦に勝っただけでは国を治めることは出来ない。一国を徹底的に摺り潰した後、恭順してくる他国へは救済の手を差し伸べるのだ。

 セルベトゥスが考えるに、残忍さと寛容さを何の感情のブレも無く息を吸って吐くかの様に自然に使い分け、そしてそれを悟られなければ名君として歴史に残る。


「ならば、これからも実験は続けるのか?」

「ある程度は」

「すまんな。気遣いを掛けた」


 気遣いとは、セルディックの悪戯が原因で魔物を操る術をセルトリアに見抜かれた事を、セルベトゥスが無駄では無いと言った事だろう。




「ところで、次はどうする? プライモルディアとの戦いにレグネンテスが海から参戦し、あわよくば二国まとめて潰せるかと期待したが、そうは行かなかった」

「予備兵力の底が付きましたな。積極的な出兵は一年お控えになった方がよろしいかと。後はメディオランド次第でありましょう」

「グラムに攻め込むかな?」

「いかがでしょうか。いずれにしろ、どの国から援軍要請が来てもお応えなされればよろしいかと。ただし、出兵はしても、メディオランドとだけは戦闘をせぬように」

「うむ。俺もそう思う。時期は恐らく初夏であろうな」

「私めも……」


 そのように思いまする、とセルベトゥスが答え、その日の二人の会見は終わった。


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