第十二話 地下の小部屋
勝手に壁を壊すわけにはいかないので、翌日ハンスさんに聞いてみた。
もちろん、ベアトリクスの演説付きだ。
「衛兵隊では判断出来んな」
頭ごなしに駄目だと言われるかと思ったが、意外にそうでも無かった。
「誰が判断するの?」
「町長だ。聞きに行くのか?」
「そのつもりよ」
ベアトリクスの答えを聞くと、魔法使いってやつは……、とため息をつきながらも、今から三人で行ってもいいぞ、と言ってくれた。
驚いたのはその後に続いたハンスさんの言葉だ。
「ただし、俺も一緒に行く」
理由を聞くと、関わった者の責任なのだそうだ。
なんか、大変な事になってきたんだけど。私達が首を突っ込んでも大丈夫……だよね?
アドルフさんに話をすると、儂も行く、と言い出した。
事件が起きた時は不在だったから、自分の眼で見たいと。
結局、私達三人に、アドルフさん、ハンスさん、もしかして大量発生しているかもしれないネズミ退治要員としてハンスさんの班の衛兵隊の人達、そして、なぜか工作所の二人までもが参加し、総勢十一人の大所帯で行くことになった。
ほんとのほんとに、大丈夫だよね、これ。ベアトリクス、何かあったら責任取ってよ。
衛兵隊の詰所の前で勢ぞろいする。何にするのか、皆樽を背負っている。
「こんにちは」
「こんにちは。元気にしてた?」
「お久しぶりっす」
ハンスさんの班の人達は、体験入隊コース以来の知り合いだ。積極的に挨拶してくれる。
「これが、噂の黒紫ですか。元が麻袋とは思えないっすね。背中の刺繍も格好良いですよ」
割合、好評である。
ニヤニヤとハンスさんを見ると、目を逸らされた。
しかし、いつの間に噂になったんだろう。謎だ。
「これ、そのまんま王都に着けて行けるんじゃないの。私も作ってもらおうかなあ。首元にメダルかなんか付けちゃってさあ」
お姉さんに好評だったのは、工作所で作って貰ったネックガードだ。
「いいなぁ、いいなぁ、私も欲しいなぁ。皆に言ってみようかなぁ、ベイオウルフだけ貰ってるって。女性兵士全員分揃ったらもっといいなぁって。衛兵隊のエンブレムをメダルにして着けてぇ、高い素材じゃなくてもいいからぁ」
散々工作所の二人にねだっていた。実はベイオウルフも同じものを作って貰っている。同じ一七五の会なら揃えた方が良いだろうと、親父さんが言ってくれたのだ。
二人とも天を仰ぐようにして溜息をついていたから、きっと全員分作らされるんだろう。
お二人とも、なんかごめんなさい。
ハンスさんがニヤニヤとこちらを見てくるので、とりあえず目を逸らしておいた。
下水道に入ると、松明で壁を照らして私が擦った壁の色の違いを皆に確認して貰った。
「どうやら、ここで間違いなさそうだの。しかし、良く気づいたな」
アドルフさんは、詳細な見取り図を手に持っている。役所の金庫に保管してあったらしい。
位置的に間違いなさそうだ。
工作所の二人が、なにやら錐を取り出しと、グリグリと壁のレンガの継ぎ目に穴を開け始めた。
穴が空くと、先っぽに長い紐がついた紙の筒を差し込んでいる。紐の先は長く床に垂らしてある。
「では、一旦退避して下さい」
お弟子さんが言うので、皆で遠くへ離れて並べた樽の影に隠れる。
「ベアトリクス。あの紐の先をファイアー・ボールで狙えるかな? なるべく、ゆっくりと飛ばして正確に当ててくれんか」
「いいわよ」
アドルフさんに難易度の高い注文を受けたベアトリクスが詠唱を始める。
「ファイアー・ボール!」
炎の塊が、ベアトリクスの手を離れ………なんだか時間をかけて、もやもやと進む……紐の先の上で止まって、ポトン、と落ちた。
紐の先に火が付いたのか、火花の様なものがバチバチと音を立てて紐に沿って紙の筒に進んで行き……き、消えてしまった……。
あれっ? もしかして、失敗? と思っていると突然それは来た。
紙の筒を差し込んだ辺りから、雷鳴もかくや、とばかりの轟音が響き…………私は…………腰を抜かしてしまった。
「何なのよ、これ! 一体、何が起きたの? 魔法? 私のファイアー・ボールはあんな大きな音はしないわよ!」
ベアトリクスが言い騒ぐのを、落ち着きなさい、とアドルフさんが宥めている。
後で聞いたのだが、遥か東の彼方へ旅した神官が持ち帰ったものらしい。
「地下で聞くと、えらい音ですね」
「地上で騒ぎになってなけりゃいいけどな」
衛兵隊は何が起きるのか分かっていたのだろう、そんなには驚いていない。
工作所の二人が音のしたところに楯をかざして近づくと、しばらく検分してから、もう大丈夫だ、と言う。
恐る恐る皆が近づいていくなか、腰に力が入らず立ち上がることが出来ない。
「ちょ、ちょっと、ま、待って…下さい!」
ハンスさんが振り返ってくれた。
「どうした……ああ、そうか……おい! ベイオウルフ! こちらのお嬢さんが、お腰をお抜かしになっておいでだ。失礼の無いように、丁重におぶって差し上げろ」
皆、肩を震わせながら俯いている。
なにも、そんな言い方……ねえ、泣いていい?
ベイオウルフにおぶわれて、その場所に行くと、握りこぶしがやっと通せる程度の穴が、腰の辺りの高さに一つ開いている。穴を中心にひび割れがレンガのつなぎ目に沿う様に走っていた。床には壊れた壁の一部が転がっている。
「音の割には大した事ねえな」
「火薬の量を少なくして、壊す範囲を狭くしたんですよ。壊さなくても良いとこまで壊すと壁全体に影響しますからね」
工作所の二人はなんだか分からないことを言っている。
考えても無駄だから気にしないでおこう。
「それじゃあ、後は頼むわ」
親父さんが言い、工作所の二人が下がる。それを合図に、二人の衛兵隊員がハンマーを振るって残りの部分を壊し始めた。
程なくして、そう苦労せずに人が出入り出来る大きさになる。床に散らばった瓦礫と化したレンガを脇へよけて、穴あけ作業は終了した。
穴は少し屈めば入れる程度にまで広げられている。その先は闇だ。
ハンスさんが松明を一本放り込んでしばらく様子を見ているが、特に変化は無かった。
音も聞こえてこない。
怖いもの知らずのベアトリクスが、穴の入り口にしゃがみ込んだ。
「おい、気をつけろよ!」
ハンスさんが言うが間もなく、手に持った松明を差し入れ、ひょいっとばかりに首を突っ込み左右を見た後、恐らくは天井を見上げた。
「あっ、いた。鼠!」
「危ないから出てこい」
ハンスさんが手を引っ張ろうとするが、それを振りほどくと、中へ入って行ってしまった。
「大丈夫よ。普通の小さい鼠しかいないから」
仕方ない、とばかりにハンスさんが続こうとする。
「結構いるわね。あっ、逃げた! こら、待て!」
パタパタと、奥の方へ追いかけて行く様子が聞こえる。
「ちょっと、きゃーーーーーーーー」
いきなり、悲鳴が上がった。
「どうした!」
一同騒然となる中、まずハンスさんが突っ込むと、他の兵士、アドルフさんと続く。
アドルフさんに、ここにいなさい、と言われたベイオウルフは、私をおぶったまま右往左往し始めた。工作所の二人も心配そうに様子を見ている。
そこへ、ベアトリクスが何故かハンスさんに首根っこを掴まれるようにして外に出てきた。
「大丈夫か!」
「大丈夫?」
近寄ると、なにか嫌な臭いがする。
「やー! もう! 鼠におしっこ引っ掛けられたあー」
ぺっ、ぺっ、と唾を吐いている。
もう、びっくりするから、止めてよね。
ベイオウルフと二人、ホッと胸をなで下ろした。
「勝手なことするからだ、おい、水をやれ」
ベアトリクスは、お弟子さんから水の入った革袋を受け取ると、うがいをし、頭から水を被っている。
「何も無かったわよ」
「当り前だ」
全く懲りてない様子に、ハンスさんも首を左右に振っている。
あんた、もう、いい加減にしなさいよ、ほんとに。もう一回腰が抜けたかと思ったわよ。
「もう、大丈夫だ。入って来なさい」
アドルフさんが穴から顔を出したので、外にいる皆で入って行くことにする。
私も立てるようになったので、自分で歩いて入って行った。
そこは、五台ベッドを置けるかどうかくらいの狭い部屋で、ベアトリクスが言うように何も無かった。
十一人も入ると息苦しいくらいだ。壁に掛けた松明が近くて少々熱い。
上を見ると、天井も普通の部屋くらいの高さで、途中で出っ張った梁がぐるりと部屋を一周している。
水路側から見て右側の梁の一部が妙に飛び出しているな、と思ったら、レンガが一個置いてあった。そこには握りこぶしほどの穴が開いていて、小さい鼠が顔を出すとすぐに引っ込んでしまった。
見ろ、とハンスさんが指さす方向をみると、なにやら動物の毛皮の一部らしきものが、梁の上に置いてある。
「あれはなんですか?」
「猫の毛皮だ。ネズミ除けになるかと思って置いていたのだが、三年もたつと効果がなくなるな」
「穴が開いている事は知っていたのですか?」
「まあな、前に入った時にあのレンガを置いて穴を塞いで、猫の毛皮を幾つか置いたんだ」
見ろ、と今度は少し離れたところを指さす。
「今じゃ、鼠の巣になってやがる」
そこは、なにやらモワモワと盛り上がっている。
子鼠がいないところを見ると巣立ったのだろうか。
もしかしたら、さっきの鼠かもしれない。
奥の方では、アドルフさんとベアトリクスが壁に手をかざす様にして何かを探っている。
きっと、カモフラージュの魔法が掛かっているところを探してるんだろう。
「何も見つからないわね」
「そうだな。ここには何も無いように見える」
ベアトリクスとアドルフさんはそう言って頷き合っている。
一体何を探しているのだろうと思って聞くと、念のためだと言う。
「いいでしょうか?」
お弟子さんの声がしたので、振り返ると皆が背負ってきた樽を部屋の中に持ち込んできた。
始めてくれんか、とのアドルフさんの指示に、樽の栓を抜いて床に水を流し始めた。衛兵隊がブラシで床石の継ぎ目を擦っている。
「何をやっているんですか?」
「床の隙間を探しているんだよ」
そんな答えが返ってきた。
樽は五つあって、お弟子さんと親父さんとで、次から次へと栓を抜いて水を流していく。
床が水浸しになり、足踏みするとバシャンとばかりに音がするのではないかと思えるくらいになった頃、皆で床を見ていてくれんかとアドルフさんが言って、魔法を唱えた。
「クランプ・エア!」
風属性の中級魔法だ。空気の塊を作って対象にぶつけたりする魔法で、強力な術者が使うと何十人も一辺に吹っ飛ばせる。
しかし、今は両手を床に向けている。ちょっと意味が分からないので、ベアトリクスに聞いてみた。
「あれは何をしてるの?」
「多分、足元に空気の塊の層を作って、水を押してるんだと思う。もし隙間があったら、そこへ押された水が吸い込まれていくでしょ?」
なるほど、さっぱり分からない。
仕方がないので、何が起きるのか結果を待つことにする。
皆でそれぞれ手分けして床を見ていたら、衛兵隊の一人が何かを発見したようだ。
「ここはどうでしょうか?」
「後で確認するから、良く見ておいてくれ。皆も他の部分を良く見ておいてくれ」
アドルフさんの言葉に、皆改めて自分の足元を見始める。
結局、怪しいところは、最初に見つけた隅の一か所しかなく、皆でそこに集まって観察した。
石と石の継ぎ目がへこんでいるようだ。恐らく、ブラシで擦ったせいで、継ぎ目に詰めた何かが、目に見える様になったらしい。
親父さんが、火薬を仕掛けた時に使った工具で突くと、指一本分くらいの穴が簡単に開き、水がどんどん流れて行くようになった。
それを確認したアドルフさんは一旦、手をかざすのを止めて、違う魔法を唱える。
「クランプ・ウォーター!」
水属性の中級魔法だ。クランプ・エアの水版だ。敵を倒すだけでは無く、火事の時に火を消すのにも役に立つ。聞くところによると、このクランプ何とかはシリーズになっていて、火、水、風、土といった属性を持つものを塊にして操る事が出来るらしい。ただし、操る対象がその場に無ければならないので、例えばファイアー・ボールのように何もない……もちろん魔力はあるのだが……ところに火の玉を出す魔法とは、そこが決定的に違う。
びっくりするのはアドルフさんだ。
中級魔法を立て続けに無詠唱で唱えるなんて、一体どれだけ凄い魔法使いなんだろう?
アドルフさんが床に向けた両手を少し持ち上げると、床の水が宙に浮かび上がった。そのまま、手を部屋の入り口に向かって振ると、水の塊がまるで生き物のように部屋の外へ出て行った。恐らく下水道に落ちたのだろう、バッシャアアン! と派手な音が聞こえた。
「流石ですね」
皆、一様に驚きを隠せない。尊敬の眼差しでアドルフさんを見ている。
流石って事は、皆アドルフさんがどういう人か知ってるってこと? ねえ、知らないのは私だけ?
探索は続き、床の隅の石が一枚持ち上がった。
石の縁には継ぎ目と同じ色の粘土がついていて、どうやら、粘土で動かない様に固めた後、隙間をその辺りの床のほこりをかき集めて埋めたようだ。
「気付きませんでした。申し訳ありません。見逃した俺のミスです」
ハンスさんが頭を下げている。
それを見た他の衛兵達も一斉に詫びだした。
どうやら、前回も参加していたらしい。
「ベイオウルフよ。こういう時、衛兵隊の指揮官は何と言うのだったかな」
「次だ、次! です」
だそうだ、とアドルフさんが言うと、皆もう一度頭を下げて詫びている。
ハンスさんが眉間に皺を寄せて表情を固定しようとしているのと、お姉さんの肩が微妙に震えているのは、見なかったことにしよう。
中に貯まった水をアドルフさんが水路へ飛ばすと、大人が手を伸ばせば底に手が届くほどの深さの竪穴が掘ってあることが分かった。
大きさは男の人が手を広げた程度で、穴の周囲の面積を大きくとり、床石を十分支えられるようにしてある。これでは上から小突いた程度では分からないだろう。
底には床石らしい平たい石が見えた。
衛兵隊の一人が石板を持ち上げると、取っ手のついた縦長の箱が入っている。
その箱の中には結構な枚数の羊皮紙を丸めたものが入っていた。
その後、色々と壁や天井を探ってみたが、何も見つからなかったので、穴を元に戻し解散となった。
ネズミのいた穴にはハンスさんが土を塗りこめレンガを積んだ上に、新しく手に入れたらしい猫の毛皮を引っ掛けていた。
今回の調査結果が口外禁止になった事は、言うまでもない。
ネズミの巣を襲撃に行ったが、空振りに終わったということになった。
町長の立ち合いについては、壁を壊すから特別に視察したと、強引に胡麻化すらしい。
羊皮紙の中身は、アドルフさんが調査して、話せる範囲で参加した皆に話してもらえることになった。
ちなみに、参加した衛兵隊が背負っていた樽は全て火薬で、全部使ったにもかかわらず、大きな音がしただけで全く壁を壊せなかった、と噂が流れた。
火薬については良く分からないので、気にしないことにした。
きっと何か考えがあるからだろう。