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隠者の館

 エリシュカがすすり泣きの声で気がつくと、隣に同じくらいの年頃の少女が二人しゃがみこんで泣いていた。周囲を見回すと、三方が古びた煉瓦に囲まれた壁で、一方は鉄格子がはまっている。ここは牢屋なのだ。


 赤頭巾の少女が鉄格子から外を覗くと、そこは大広間だ。部屋は薄暗いが、壁に燭台があってだいたいは見える。


 広間の中央には紫に光る巨大な魔法陣が描かれていた。人間の姿になったジル・ガルニエ師がブツブツと何かいいながら、魔法陣の中にチョークで古代魔術文字を書きこんでいる。黒いローブに着替えていた。


「ガルニエ先生……」


 エリシュカは悲しくなった。村の集会所で学問を教えてくれた優しい隠者が、こんな酷い事をするとは……エリシュカは泣いている娘に話しかけた。狩人の娘で、9歳のサビナと7歳のハナで、顔見知りだ。父と家に帰る途中、〈魔狼〉に襲われたのだ。


「おうちに……帰りたいよう……」

「え~~ん、え~~ん……」


 エリシュカは二人を慰めた。自分より年下の子が泣いているのだ、自分がしっかりしなくては……と、決意した。魔法陣を描書き終えたガルニエが立ち上がり、息を吐いている。そこで、思い切って話しかけた。


「ガルニエ先生……ガルニエ先生……ここから出して……家に帰してください……」

「おお……エリシュカか……可哀想だが……それはできぬのじゃ……堪忍してくれい……」


 ガルニエ師は気弱げに視線をそらした。


「どうしてなの? 先生……」

「妻を……アポリーヌを……甦らせるためだ……」

「えええっ!?」


 死者再生など、魔術大国アルヴェイクやギャリオッツ、科学の発達したメルドキアでも不可能だ。ネクロマンサーは死霊やゾンビを操るが、生前とは別人の怖ろしいモンスターと化している。


「確かに人間の魔術や科学では無理だろう……しかし、悪魔の知恵ならば可能だ……」

「……悪魔……ですって?」

「小生はルカレル大学で魔法学、呪術学などを研究するうちに悪魔の書いた手稿の秘密を解いたのだよ……」


 悪魔の手稿とは、ミアーチェの修道女が尼僧院で悪魔憑きにあい、憑依状態のときに紙に羽根ペンで書いた文章のことだ。それは誰も見た事のない文字で、暗号解読の専門家たちが挑戦したが、みな失敗に終わった。それを、ボネの隠者が解いたというのだ。


「それによると、地獄の門を開いて、死者の魂を召喚し、死体に戻すことが可能とあるのだ……」


 ガルニエ師が向けた視線の先に、長方形の氷柱があった。そのなかに、初老の女性・アポリーヌが目を閉じて横たわっていた。突然、牢屋のエリシュカの前に逆さまの女の顔が出現した。振り乱した黄色い髪、土気色の肌に茨の刺が生えていた。


「きゃあああああああああああああっ!!!」


「しかし、そのためには生け贄がいるのさ……無垢なる人間……子供の魂が三つな……ひゃ~~~ははははははは!」


 異形の首は牢屋から離れると、広間の空中に移動した。魔法のほうきに乗った黒帽子黒外套、山羊革の長靴を履いた魔女だ。腕は蜥蜴の鱗が生え、濁った目を光らせ奇声を放つ。


「魔女エギヨン……娘たちを脅かすな……」

「なんだい、えらそうに……どうせ、生贄にして悪魔デモゴルゴン様に捧げるんだろ? 今宵は『血の満月』、悪魔儀式には最高の日さ!」

「それはそうだが……」

「ひゃ~~~~はっはっはっ! 悪魔の文字の暗号の解き方に協力したのは私だよ。デモゴルゴン様ならば死者を復活させることも可能なのさっ!」

「ああ……わかっている……エギヨン……むむむっ……」


 薄暗い広間で、痩せこけたガルニエの双眸が赤く光る。おりしも、天窓から月光が刺しこんだ――貧弱な肉体の隠者が、剛毛に包まれた巨躯の人狼へと変化していった……声も別人のように野太くなる。


「ぐるるるるる……俺たち夫婦は、三年前、ブレダペット王国の〈闇の森〉を旅行中、人狼に出会った。魔法を駆使してなんとか逃れたが、妻は噛まれてしまった……それ以来、月の出る夜は人狼に変身してしまい、その牢屋に閉じ込めていた……」


 サビナ・ハナ姉妹が魔狼出現に悲鳴をあげる。エリシュカは牢屋内を見回し、ぶるぶると震えた。引っ掻き傷や、歪んだ鉄格子があったからだ。


「しかし、ある日、人狼となって、牢屋から脱獄し、戻ってこなくなった……それからだ……ヴォーダン村に〈魔狼〉が現れたのは……そう、〈魔狼〉とは、妻のアポリーヌだったのだ……」


 意外な〈魔狼〉の正体に三人の娘は仰天した。人狼アポリーヌは狼狩り団に追いつめられ、崖から落下。行方不明となったが、死体をガルニエが回収していたのだ。


「俺はアポリーヌを魔法で氷漬けにした。遺体を保存するためにな……そして、悪魔の手稿に書かれた儀式を執り行って、妻を……アポリーヌを復活させる……」


 巨躯の人狼が、天窓の満月にむかって咆哮した。白い月が、血のように真っ赤に染まっていた。もう、優しいガルニエ先生はいない……狂った人狼がそこにいた。


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