ヴォーダン村
「ありがとう……お姉ちゃん……」
肌が土気色になって震えていた頭巾の少女は、金髪をなびかせたアンドレアの美貌をみて、頰を染めて礼をいった。10歳前後くらいだろう。クリクリとした大きな茶色い瞳が愛らしい、栗毛の少女である。
「水筒にミネラルウォーターがあります、どうぞ」
ミランの差し出したコップを手渡され、少女は礼をいって口にした。
「ありがとう、お兄ちゃん……私はエリシュカといいます……」
「私はミラン、よろしくね……」
幌馬車が進む先には大きな河があり、木製の橋がかかっていた。
「あら大変、橋の真ん中が壊れているわよ!」
いつの間にか老婦人に化けたタートルが指さす方向に、全長30メートルはある大きな橋の半ばが無惨に壊れていた。幌馬車の背後には狼の群れが押し迫っていた。
「この間、春の雪解け水が増水して壊れたままなのです……上流にもう一つ、小さめの橋があるのですが……ちょっと、遠いのです……」
赤頭巾のエリシュカがすまなそうにいった。このままでは獰猛な灰色狼の群れに追いつかれてしまう。
「なあに、心配するな。タートル、あれを!」
「ほいきた合点! ミラン君、左の楨杅を頼むよ」
「はい!」
グリフェは石畳の街道から幌馬車をずらして走らせる。タートルは幌馬車内部の前部右側にある楨杅を掴んで引いた。ミランにも、左側にある同じ楨杅を引かせた。
すると、幌馬車の車輪の上にある車体横の装甲がバタンと開き、中から細長い革袋が出てきた。それにタンクからガスが注入され、あっという間に膨らんでいく。幌馬車はそのまま、河に突っ込んだ。二頭の馬は首と背中を見せて泳ぎだす。幌馬車本体も沈まないのは、さきほどの車体の横にでたのは浮き袋であるからだ。
「おおっ! 馬車が浮いています、初めて見ました……こんな光景」
「妾もじゃ……馬とは泳ぐことが出来るのじゃのう……凄いものじゃのう……」
幌馬車は普通の馬車とは違い、防水加工がされて、河川の横断もできる特殊な馬車なのだ。元は南域メルドキアの荒野の川や悪路を進む輸送馬車のために設計されたもので、ボートを参考に造られていた。
もっとも、一般的な幌馬車にこんな浮き輪の仕掛けはなく、外に出て人手で装着するのが本来の姿だ。狼たちは岸辺で立ち止まって馬車を未練げに見つめている。灰色狼も泳ぐことはできるが、襲撃することはもう不可能だと悟っていた。
馬車は少し川水に流されたが、無事に向こう岸に到着した。馬がブルブルと水気を払う。グリフェとタートルがねぎらう様に布で拭いてやり、飼い葉桶に干し草をつめて与えた。
小休止して、一行はその先にあるヴォーダン村へ進んだ。村は高さ8メートル近い丸太の柵で囲われていた。狼や熊などの野獣、活性化した魔獣怪物から守るためであろう。
高い櫓にいる髭だらけの門番にエリシュカが声をかけて、開門した。
「大変よ、ワイスさん! 橋の向こう岸で狼の群れがでたのよ!」
「本当か、エリシュカ……こりゃ、村長に知らせなきゃ……」
東門の監視小屋から若い男が飛び出し、どこかへ駆けて行く。幌馬車は村の中心部にある公園に進んだ。グリフェはエリシュカの手前、変装のタイミングを逃したが、山奥の村で駐在所も手配書もないようだ。
「さて、今夜の宿屋を探さなきゃあな……」
「あたしの家が宿屋なの。ぜひ、家に来てちょうだい」
エリシュカは、彼女の両親が経営する宿屋・駒鳥亭に一同を案内した。ちょうど中央公園の側だ。馬を厩につれて行き、馬車を納屋にいれた。
「娘を助けて頂いて、本当にありがとうございます……」
エリシュカは東の牧草地へお使いに行った帰りだった。
「なに、いいってことよ……」
エリシュカの父で、宿屋主人のパトリク・フロリアンはお礼にと、一行を無料で泊めてくれた。グリフェ達は食堂で、エリシュカの母・イトカの手作り料理を頂いた。
温かいポテトシチュー。卵につけて焼いたパンは、バターをのせ、糖蜜をたっぷり垂らしている。軽く焼いて鮮やかな色のスモークサーモン。芽キャベツと山菜サラダ。どこにでもある田舎料理だが、作り手の愛情と技量が美味しくさせている。
デザートに生姜砂糖を振りかけたアップルパイをいただいた。焼き立てハフハフで、桃源郷の味だ。食後に紅茶を飲んでいると、突然、玄関の扉が開き、火薬長銃を持った厳しい顔つきの男が入ってきた。
「エリシュカはどこだ!」




