虹
情報屋ボジェクの手甲鉤がグリフェの心臓部めがけて突進してくる。
グリフェの体がよろけた。
さすがに昼前から、戦闘に次ぐ戦闘で疲労困憊なのか?
――ひひひひひ……グリフェの野郎、足元がふらついてやがる。今日の俺様はついているぜ! 5千万の首いただきだ!
「ぎゃぼはぁぁぁッ!!」
走り続ける幌馬車の上での戦闘は一瞬で決まった。
「おめえみたいな小悪党のやり口は、こちとらマルッとお見通しよっ!」
いつの間にかグリフェは左手でもった胡蝶剣を逆手に構えて盾とし、ボジェクの手甲鉤を封じた。そして、左足の上段回し蹴りが飛来してきたボジェクの右脇腹にヒット。そのまま180度回転して、小柄な情報屋は幌馬車から蹴落とされ、用水路に叩き込まれ、水柱をあげる。用水は雨で増水し、濁流がボジェクを押し流していった。いつしか周囲は街中から麦畑や野菜畑が広がる郊外になっていた。
「くそぉぉぉぉ……グリフェの野郎……今度はもっと凄腕の賞金稼ぎを……引きつれてリベンジしてやる……がぼぼぼぼぼぼ……」
情報屋の捨て台詞もグリフェには聞こえない距離にいた。
一方、賞金稼ぎを自称するにわか無法者たちは、ミアーチェ警察のドロブニー警部と警官隊がかけつけた時には、バルターク道場一門の腕利きたちによって、ほぼ制圧された。
「おおっ……ドロブニー、遅いではないか! 暴徒どもは、我が一門が掃除してやったわ、がははははは……」
「アレクセイ……これは警察の仕事だ……と、いいたいが……よくやってくれたな……金一封でも出すよう、警視総監にいっておこう」
「なあに、いいってことよ」
この二人は顔見知りのようだった。ドロブニー警部は凶悪な誘拐犯の馬車はどうしたと聞く。
「さてな……」
「まあ、いい……さ」
警官たちが無法者を起こして、重傷者は警察病院へ、軽傷者は留置所送りにしていった。
その凶悪な誘拐犯グリフェは、幌上から御者台に飛び降り、代ってもらったミランに礼をいって、幌の中で休むようにいった。
「いいですよ……グリフェ殿こそ、休んでくださいよ」
「いんや……ミランは怪我人だ。しばらく、安静にしとけや……数時間後に交代してくれ」
「そうですか……そうですね……」
幌内に引っ込もうとしたミランは、ふと、雨雫が少なくなっていることに気がついた。そして、右側に遠くスニェジェナー山が見える。プラグセン王国と隣国・シャワルド王国の国境にある、海抜1600メートルの山脈だ。その名は〈雪に覆われた山〉という意味で、夏でも山頂部には雪が残っている。そこまで続く麦畑、森林の牧歌的な光景が広がっていた。
「アンドレア様……見てください」
幌馬車の前部入口から、何用かとアンドレアが顔を出した。
「まあ……きれい…………」
スニェジェナー山を遠景として、森林方向に大きな虹がかかっていた。外側から赤・橙・黄色・緑・水色・青・紫と鮮やかに七色の色彩をみせ、まるで暗雲を追い払い、晴れた青空を呼び起こす予兆にも思えた。
「きっと、いいことがありますよ……西へ向かえば……アンドレア様……」
「そうね……きっと……そう…………」
涙ぐむ侯爵令嬢の肩に手をそえて、ミランは幌馬車のなかに入っていった。
グリフェはいつもの憎まれ口を叩きそうになったが、自重した。
「……たまにはこういうのも、悪くないさ……」
ニヤリと笑うグリフェは幌馬車を王国南部区域の出口へ向けて走らせた。 四人を乗せた幌馬車は晴れ渡った空の下、日の光が明るく照りだした街道を西へと進む。
ロドニーン要塞までの道程は約10日かかる。人食い怪物や魂喰いの悪霊が待ち受ける茨の道だ。
彼らにいかなる運命が待っているのか……
グリフェは岐路をそれ、西部区域へ針路をかえていった。尾行者らしき影は感じられなかった。
しかし、グリフェが気づかないことが、一つだけあった。
幌馬車の影が石畳の道に色濃く落されていた。その幌の屋根部の黒影に、人のような影が瘤のように張りついていた。だが、幌馬車の上部を見ても、影の本体となる人間はどこにも存在していない……
第一部・完
俺たちの戦いはまだまだこれからだ!
今までご愛読ありがとうございました。辻風一先生の次回作にご期待ください。
――なんつって




