雨の逃避行
バルターク一門の加勢でグリフェ達の幌馬車は水たまりに飛沫をあげて、旧市街の南の出口へ突き進む。御者台で手綱をひくタートルの様子がおかしい、ふらふらしている。
「どうした、タートル。疲れたか? 御者役を変わろう……」
「ああ……あんがと、グリフェ……どうやら、〈安息日〉が早まったようだ……」
幌馬車の前入口からタートルとグリフェが入れ替わる。
「大丈夫ですか、タートル殿……」
ミランは主人の手当で包帯がまかれ、絆創膏と湿布がはられている。モヒカン男に殴られた頬が、内出血で腫れていた。
「妾が診てしんぜよう……」
心配顔のミランとアンドレア。だが、タートルはそれを断り、奥にある空のワイン樽に潜りこんだ。すると、肉体がドロリと液状化して、樽のなかに収まっていく。
「なんと!」
「タートル殿が溶けてしまった……」
驚くアンドレアとミラン主従に、御者台のグリフェはチラと振り向く。
「心配するな、タートルは月に一度、こうなってしまうんだ……今回は変身能力を使いすぎてしまったからな……なに、丸一日たてば、元気になって元の姿にもどる」
「それは一体……魔力者とは、こういうものなのですか?」
「いや、タートルも俺も魔力者ではない……化合人間だ」
17歳の少年少女に驚きが走る。
「化合人間……では、8年前に無くなったクロウカシス王国のキマイラ部隊……だったのですね……」
「妾も聞いたことがある。動物の遺伝子を組み込んだ改造人間の超兵士のことを……」
ミランとアンドレアは驚愕の目をグリフェに向ける。グリフェは視線が痛かった――そして、その背中はなんとなく、寂しげにみえた。
「そうだ……俺たちは、改造人間兵士……気味が悪いかい?」
「いえ……そんな……話には聞いていましたが、本物にお会いするのは初めてで、驚いています……気味が悪いなんて、そんな……」
ミランは横目で不安気に女主人を見た。
「……妾も驚いただけじゃ……そして、命の恩人に対してそんな無礼な真似をするほど恩知らずではない……」
少年執事が温かい目で、侯爵令嬢を見上げる。それでこそ、アンドレア様だ、と。
「そうか……ふふふふふ……ところで、ミラン。ひとつ頼みがあるんだが……」
「なんでしょう? 何でも言ってください……」
その頃、幌馬車のキャンバスの上に、小柄な猿のような人影が張り付いていた。
「ひひひひひ……グリフェとタートルはクロウカシス王国の化合人間部隊の残党だったのか……この情報は高く売れそうだ……」
「そいつは困るな……」
小柄な人影が目を見開いて声のした方角を見上げた。黒褐色のロングコートに、銀髪をなびかせた碧眼のふてぶてしい顔。
「てめえはグリフェ……いつの間に……」
「見た顔だな……そうだ、片眼鏡大佐と一緒にいた情報屋で、さっきも賞金稼ぎに屋根上から俺たちの位置を教えていたな……」
「こ……これは、グリフェの旦那ぁぁぁ! あっしはボジェクという、しがない情報屋です。決して、今の事は他言しません……どうか命ばかりはお助けを……」
ボジェクが幌の上で這いつくばって命乞いをする。
「おいおい……そうこられるとなあ……」
グリフェが応対に困った様子だ。だが、ボジェクはこれを狙っていた。
「ひひひひひ……死にさらせ! 俺様が5千万ゼインいただきだ!」
ボジェクの上腕の手甲から刃長30センチの隠し鉤爪が発条仕掛けではね上がり、グリフェの心臓めがけて飛猿のごとく跳躍をみせた。




