ミランの一分
アンドレアが思春期を迎えた頃、今より異常なまでに高慢でワガママな性格となった。侍女たちは泣かされてばかりで、何人も辞めていった。それで、仕方が無く少年の使用人であるミランが世話をすることになった。持ち前の存在感の薄さが、このときばかりは役に立った。
侯爵令嬢が必要なときに声をかけたときだけ、出現し適格に用をこなす。思春期の不安定な神経も、彼女のパーソナル・スペースも都合がよく邪魔をしない使用人であったのだ。ミランは多くの弟、妹の世話をしていたので、令嬢のワガママなど手慣れたものであった。
そのため、侯爵夫人も気にいって、ミランを執事に格上げした。
執事長の教えは、「目立たず、有能であれ」であった。
ミランは目立たない事については、自嘲気味だが自信がある。
問題は有能であることだ。
彼の仕事は衣装選び、髪結い、ブラッシング、化粧の用意、お茶・料理の給仕、スケジュール管理、所用で出かけるときの下準備など、多岐にわたる身の回りの世話をした。アンドレアが舞踏会やパーティーに出るときは、夜遅くでも起きて待機していなければならなかった。
執事となったことで、仕事量は増え、忙しくなった。夜は夢も見ずに睡眠に入る。だが、給料は増え、家族への仕送りは増えた。それに、生まれて初めて個室を与えられたのだ。
それになんといっても、誰かに必要とされていることに、心の充足感をえた。自分は〈いらない子〉ではないのか? 生きていても仕方のないのでは? それはミランが幼少時から抱える悩みであった。しかし、今は侯爵家の少年執事として充実していた。
女主人アンドレアは決して、ミランを忘れることはなかった。仕事で大失敗をしたときも、従者頭や侍女頭をとりなしてくれた。一人っ子であった彼女はミランを弟のようだと言ってもくれた。
そして、暗く地味な少女は思春期をむかえ、女らしい肉体に変化し、まるで蕾が花開いたように、母似の美女へと変化した。そして、周囲にチヤホヤされる内に、性格も社交的になっていた。ただし、表面は思春期で生じたわがままで、高慢な性格であった。しかし、それは見ず知らずの人間に対する虚勢の仮面であった。長い付き合いのミランは、彼女の内面が昔どおりの……大人しく、臆病で地味な少女であることを知っていた。
アボイル子爵がユルコヴァー家に婿として入ることが知らされたときは、顔には出さなかったと思うがショックであった。社交界で19歳の貴公子として知られる彼は、ミランとは身分も外見も内面もまったく違う、華やかな貴族の美男子であった。
庶民出の使用人であるミランは、アンドレアにほのかな恋心を抱く事さえ許されることでなかった。しかし、運命は波乱万丈に変わっていった。北域の大国ギャリオッツ帝国が世界侵略をはじめ、軍事力の弱いプラグセン王国にも侵略してきた。
アボイル子爵ら主戦派は徹底抗戦を叫び、議会に訴え、義勇軍を組織しようとしていた。しかし、和平派が勝利し、主戦派は自領で謹慎か、遠隔地へ軟禁された。ミランは心の奥の闇の部分で、ホッと胸をなで下ろした。しかし、そんな自分に自己嫌悪をもした。
かくして王国は無血開城をして降伏した。そして、ギャリオッツ帝国の衛星国となった。束の間の平和がおとずれたが、それは淡い期待であった。
ギャリオッツの徴兵制度で、プラグセン国民は帝国の先兵に立たされた。ミランの先輩や親戚も徴兵され、生きて戻ってこなかった者もいる……
さらに、彼の敬愛する女主人がドラッケン中将の愛人として差し出されることになった。アンドレアのいうように、彼女を取り巻く人々は去っていった……しかし、ミランはあることがきっかけで逃亡を決意する。
ある事とは、アンドレアが精神不安定になり、遺書を書き、飾り紐で自殺をしようと考えていたのだ――そこまで、追い詰められていたとは……ミランは己の不甲斐なさに、自室に閉じこもって落ち込んだ。
そして、ロドニーン要塞に軟禁されているアボイル子爵とパワーズフッド男爵に密書を送って、匿ってもらえるように連絡した。かつては黒い嫉妬に苛まされた相手であるが、今は頼りになる人物である。
ミランは女主人が生きてさえいれば良い。と、心境が変化した。できれば、笑顔で過ごして欲しい……
アンドレア様の幸せは、自分の幸せ。それがミランの一分であった。
そう、ミランは自分に納得させ、ベドナーシュ商会にも連絡を取った。ベドナーシュはアンドレアの母の実家で、社長は母の弟である。つまり、アンドレアの叔父にあたる。彼も同情的で、ロドニーンへの旅費、魔物が出現する街道のガードを、スポンサーをしているモンスタースレイヤーギルドの〈EGG〉の腕利きを紹介するよう、手筈を整えてくれた。
ユルコヴァー家もベドナーシュ家も秘密警察らしき黒服に見張られていた。そのため、馬車で買い物にでかけ、旧市街の馴染みの店の裏口からの逃避行を決行した。迷路のような旧市街の路地は、かつて知ったるミランの遊び場だ。さしもの秘密警察の尾行をまくことに成功。
アンドレアの手を引いて走るミランは、この思い出を――逃避行を一生忘れないであろう。
そして、冒頭の遅い朝食グリフェとタートルの一コマにつながる。その前に、ミランはアンドレアに、彼らに事情をすべて話して協力して貰おうといった。が、アンドレアは本心の臆病さと、それをごまかす虚勢の仮面の癖がでた。大国のドラッケン中将相手では、二の足を踏むかもしれない、と。
そこで、母の実家のベドナーシュ商会の娘ということにした。大手スポンサーならば文句は出ないはずだと。しかし、グリフェはご覧の通りの一筋縄ではいかない性格であった……しかし、最終的には護衛を引き受けてくれた。ミランを男として見込んでくれたからだ。素直に嬉しかった――
ここで、ミランの回想は中断される。
幌馬車のキャンバスが引き裂かれる音がしたのだ。
狂人のごとく執拗な攻撃に、ついに防弾防刃のソフトアーマー製キャンバスは破壊された。
破かれた穴から兇暴な顔つきの無法者の悪相が見える。アンドレアは両手で口を押さえ、悲鳴をあげた。
「ぎひひひひ……可愛い子ちゃん、見ぃ~~つけた……」
しかし、白目をむいて崩れ落ちた。ミランが麻酔銃で無法者の腹部に麻酔ダートを打ち込まれたからだ。
「ふう……こんなに早く効くとは……さっきの続きですが、そんな事はありませんよ……アンドレア様。あなたは吸血鬼の生け贄になるため生まれてきたのではありません!」
「……ミラン…………」
「不肖ながら私は何があっても、アンドレア様の味方です! それに、今も外ではタートル殿、グリフェ殿が戦ってくれているではありませんか!」
涙をふきながら、アンドレアはうなづき、しゃくりあげる。そこへ、眠りこけた男を踏み越え、次から次へと賞金稼ぎたちが乗り込んでくる。ミランは顔を強張らせながらも麻酔銃を撃ちまくった。
――カチッ……カチッ……
ついに麻酔ダートが切れてしまった。それを見たモヒカンの賞金稼ぎが、ミランの腹を蹴とばした。
「うぐぅぅぅぅ…………」
「ミランんんん~~~~!!」
キャンバスと金属枠に背中をぶつけ、息がつまるミラン。アンドレアが慌ててかけつける。
「ヒャッハー! 2億ゼインの可愛い子ちゃんは俺様のもんだぁぁぁ!」




