不死者ドラッケン伯爵
時間は正午もすぎ、空は冷たい風が吹き、どんよりとした雲がたちこめ、雨が降りそうになっていた。遠くで春雷の音が聞こえる。
中世からの石造りの建築物が残る旧市街とうって変り、新市街地では歴史ある建物と新しい高層ビル、蒸気機関車の走る鉄道、石畳の車道には馬車と蒸気式自動車が混在するカオスな街である。
ミアーチェの新市街地の中央広場にはギャリオッツ帝国駐留軍の仮の駐屯地が設営されており、新市庁舎が司令部として使われていた。本来の市役所員は可愛そうにいまだに公民館の一部とプレハブ小屋で仕事をしている。
広場には軍用馬車のほかに、蒸気式の装甲兵員輸送車、歩兵戦闘車、偵察戦闘車、中戦車、軽戦車が見え、行軍演習を行っている歩兵たちも見えた。
ギャリオッツとメルドキアの終戦協定の締結のあと、ギャリオッツ帝国駐留軍のほとんどはプラグセンを去った。残っているのはドラッケン中将の一個連隊が軍人と軍属をあわせて3600人ほどだ。少数ではあるが、プラグセン王国では何か問題でもあったら、本国の大軍団がそれを理由にふたたび侵攻してこないかとビクビクしている。そして、市民の誰もが一日もはやく去るように神にお祈りをしていた。だが、ドラッケン中将は知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいる。
新市街地の高級住宅街、もっとも広い敷地と庭園をもつミシュルフェルド城館を、ドラッケンは接収して住居にしている。城館とは、中世の実戦的な城から、平和な時代になってその意義は薄れ、城郭建築に邸宅建築の性格をとりいれた屋敷のことだ。
ミシュルフェルド城館は、中庭を囲んだ回の字状の三階立て建築である。見事な装飾と妻壁、優美華麗な柱廊、奇岩と南国の木々植物がいろどる庭園、神秘と浪漫あふれる地下道が、まるで中世にタイムスリップしたかのような錯覚を起こさせる華麗な城館であった。
しかし、ドラッケン中将が住み始めてから、ほとんどの窓は厚い遮光カーテンで三重に閉じられたままだ。そして、夜な夜な白い幽霊の幻影が見えると、まことしやかに噂されている。
その執務室の紫檀のデスクにドラッケン中将はいた。
「ギャリオッツ帝国の栄光よ……何処へ……」
物憂げな表情で輸入物の葉巻を右手に、紫煙を煙らせていた。
「開戦前は中域北部を手に入れると豪語したのに、この有り様だ……ふふふふふ……まるで、出来そこないの宮廷道化師だな……」
中域諸国とメルドキア共和国による連合軍の思わぬ抵抗にあい、駐留地としていたプラグセン王国から撤退命令がくだったのだ。それは複雑な政治的理由による。
ドラッケン中将の見た目はダンディズムあふれる四十男の伊達男で、ギャリオッツの社交界でも、彼とダンスを踊りたい貴婦人は多い。また、ギャリオッツ東部に広大な領地を持つ伯爵でもある。
だが実は、彼は今年で334歳になる〈不死者〉なのだ。
スタイリッシュで知られるギャリオッツのカーキ色軍服を着こなし、将官襟章、肩章、サッシュベルト、金ボタン、刀緒にいたるまで豪華な装飾。胸には陸軍名誉鑑章、飛竜騎士章など最高位のものが目立つ。
ふつう、歴史に残る将軍といえば、おおまかに野戦が得意な者と攻城戦が得意な者にわけられる。だが、このドラッケン中将は例外的にどちらも得意としていた。戦略家としても著名で、敵軍からも恐れられ、かつ尊敬もされていた。
また、歴史ある魔術省や宮廷魔道士団の猛反対をよそに、メルドキアが使う科学兵器の導入をおこなったのも彼である。帝国の貴族や古老たちは千年前の栄光にしがみついて、現在、現実をしっかりと見ていなかった。
大陸の世界人口は、1000年前は推定30万に満たない数で、北域ギャリオッツ帝国は勇猛な戦士団と魔力者で大陸を席巻することができた。しかし、あれから1000年……医学と魔術と科学の発展により、大陸の世界人口は30億にも達した。かつての支配国も独自の文明を築き、軍事力もギャリオッツに匹敵するようになった。
かつてのドラッケンの同僚の孫たちと作戦会議にいどみ、また、かつての上官の曾孫たちに兵学校で軍事学を教える。そのなかには若き皇帝クラウス十世もいた―――
三世紀以上の時はまたたく間に流れ、家族知人はすでに亡くなり、孫と曾孫たちに伯爵家の長老として遇されている。
ドラッケンは不死者ゆえの気鬱をかかえていた――
感慨にふけるドラッケンの思索の時間に邪魔が入った。城館の執務室の扉がノックされて、副官であるサンドロ・フプカ少将がやってきた。メガネをかけ、三重顎で太鼓腹の肥満漢である。彼はドラッケンの天才的なひらめきによるアイディアを実務面で形にする、有能な副官であった。ドラッケンの語るところによれば、二人が両の車輪となって功績をあげていったという。
「エッガー大佐がまいりました……」
「そうか……通せ」
ルパート・エッガー大佐は生きていた。ただし、全身が包帯と絆創膏姿である。真っ青で、消え入りそうな表情だ。中将の意向を忖度して、ミアーチェの名花と呼ばれるアンドレア侯爵令嬢を連れてくるはずであったが、失敗した。さらに、秘密警察メンバーはグリフェとタートルという一介の怪物討伐人に倒され、軍機密である新造ゴーレムを持ちだして、灰燼に帰してしまったのだ……減俸、降格、懲罰房送り……どんな処分が待っているかわからない。
「中将……もう一度、わたくしめにチャンスを……必ずやアンドレア嬢を連行し、秘密を知った者を始末してきます……」
しかし、ドラッケン中将は慈父のようにほほえみ返した。
「……いいのだ、エッガー大佐。お前は、働き詰めで、いつもの冷静さに欠けていた。まず、ゆっくりと休むがいい……」
「……中将閣下…………」
ルパートが身震いする。雷鳴のような怒号も、ねちねちとした叱責もこない。この微笑みは何を意味するのか……
「実は、アンドレア嬢の護衛になったグリフェと称する男はクロウカシスの化合人間だったのです! この目で確認しました!」
「クロウカシス?」
中将が訝しげに葉巻の紫煙をくゆらせた。