グリフォンの翼
クロウカシス王国――それは北域にあった小国であり、土地は痩せ、貧しいながらも鉱山で生計をたてていた国である。だが、10年前、その鉱山を狙って、北域最大のギャリオッツ帝国が難癖に等しい理由をつけて侵略をはじめた。
すぐに降参するとふんだ帝国であったが、徹底抗戦を決めた。クロウカシス王国は地の利がある山間部でゲリラ戦を開始、高をくくっていたギャリオッツ軍は十分の一の遊撃軍によって、壊滅させられた。
ギャリオッツ軍は撤退し、一年後、再びその十倍の軍勢で押し寄せてきた。しかも、今度は王国の内通者の手引きがあり、ゲリラ遊撃軍も打破されていく。このまま、首都陥落と思えた。が、ギャリオッツ侵攻軍を新たな脅威が襲った。
いわく、深夜の野営地に悪魔が大群で押し寄せ兵士が殺戮された。谷の狭間の道を進む兵站部隊が魔獣によって撃滅された。帝国軍将校が馬車の密室でいつのまにか暗殺されていた。などなど……
これらはすべてクロウカシス王国の新部隊・化合人間部隊の仕業であったのだ――
化合人間とは、クロウカシス王国の医療研究所で生み出された生体兵器人間のことである。
そもそもは、王国始まって以来の神童といわれたマブゼ少年が、15歳のとき国費で南域の医科大学へ留学。その後、学術上の業績で博士号をとり、ついで物理学、化学、生物、遺伝学の分野でも二十代のうちに博士号をとった。
その後、35歳でマブゼ博士は故郷に戻り、王立医療研究所所長と科学省長官を兼任。リュキア国王の癌治療をはじめ、王族の不治と言われた病を次々に回復させるなどの功績でナイト爵も授かっている。その彼が国難にあって化合人間兵士の構想を防衛長官に打診した。
化合とは文字通り、異質のものが混じりあって新しい生命体を作り出すことであって、マブゼ博士は人間に動物の遺伝子を組み合わせることで超人兵士を作り出す事に成功していたのだ。その影では多くの動物実験と囚人をモルモットにした人体実験も行われていた……
クロウカシス軍の超人兵士募集の志願兵には、ギャリオッツの理不尽な侵略にあい、郷里を焼かれ、家族友人を殺戮された男達がつどった。その中でも最年少の16歳であったのが、グリフェ・ガルツァバルデスとタートル・ピッグであった。
グリフェは鷲の飛翔力とイーグルアイ、ライオンのパワーを持つ三重生物化合人間――第二世世代の化合人間であった。コードネームは〈グリフォン〉――古代の悪魔が宝の番をさせるために、空の鳥類の王者・鷲と陸の獣の王者・獅子とを掛け合わせて作ったといわれる合成幻獣である。
動物の驚異的なパワー、特殊能力を得た化合人間部隊は古代の三ツ首怪獣〈キマイラ〉の名をとって名づけられた。
キマイラとは、ライオンの頭と、ヤギの胴体(背中にヤギの頭)、毒蛇の尾を持つ怪獣であり、火炎を吐いて古代クロウカシス王国を荒らしまわった。
しかし、勇者ベレロフォンによって退治された。彼は王家の姫と婚約し、現国王リュキアは彼の子孫でもある。そんな彼が退治した怪獣の名前をもつ特殊部隊によって救われるとは皮肉な話である。
キマイラ部隊は、ゲリラ戦や暗殺などで目覚ましい活躍を見せた。しかし、ギャリオッツの尽きる事ない援軍の大軍勢、内通者による情報漏れにはいかんともしがたく、徐々に劣勢に陥ってしまった。
首都と王城の陥落の一日前、キマイラの住んでいたという、その名もキマイラ山の中腹にある研究所にギャリオッツの軍隊が侵攻した。クラウス・ドラグベルグ十世皇帝が化合人間に興味をもち、マブゼ博士と科学・医学スタッフ、技術資料を手に入れようと、所在地を内通者から聞きだし、押収せんと進軍したのだ。
軍隊が研究施設に大勢入った時点で、天と地が轟く爆音と地響きがあった。研究所に仕掛けられた高性能火薬爆弾か、爆裂魔法が原因と思われる。休火山であったキマイラ山はその爆発でマグマ噴火を誘発し、すべてを溶岩で包み込んだ。マブゼ博士たち技術スタッフが敵軍に化合人間技術を奪われるのを恐れて自決したものだと考えられている。
リュキア国王をはじめ王族大貴族はギャリオッツに幽閉され、国民たちの多くは強制移民させられた。かつての大陸制覇が崩壊し、占領国の革命・反乱を恐れたための仕打ちであった。クロウカシスという国も都市、町村の地名を変えられ、わずかに土地の名前が残るのみである。この地にはほとんどが、他国からの入植者で占められた。クロウカシス王国はこうして、滅亡国家となった。化合人間部隊〈キマイラ〉の生き残りはすべて消えた。地に潜んだか、天に隠れたか、その行方は杳として知れない。
「ふははははははは……これは傑作だ。この私に偉そうな口をきいておいて、実は我がギャリオッツ帝国に吸収され、消え去った国の負け犬ではないか……」
ルパート大佐はほくそ笑んだ。キマイラ部隊の生き残りであるグリフェを生きたまま捕え、帝国医療機関で生体解剖をして、化合人間の秘密を解明すれば手柄となる。
「けっ、確かに俺は負け犬よ……」
グリフェの背中に、一瞬、故郷の無い亡国の民の悲哀と寂寥がただよった。
「だが、虎の威を借りる狐にとやかく言われたくないね!」
「この私が……狐だと?」
「そうよ……なんてったっけかなあ……そうそう、ルパート・ゼゲン(女衒)大佐殿!」
秘密警察室長の目が見開き、口が痴呆のようにアングリと開く。そして、顔面が熟したザクロのような紅赤色になる。
「この私を女衒などと呼ぶなあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! 私の名はルパート・エッガーだっ! この人外の化生めがあぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「へへんっ、お里が知れるな……ゼゲン大佐」
「生体解剖など生易しい、ここで公開処刑にしてくれる!」
大佐の怒りの思念がゴーレムに伝わり、巨腕が有翼の銀髪スレイヤーを捕えんと伸びる。が、グリフェは大鷲のごとき飛翔力を見せ、空中を旋回する。ゴーレムは呪力砲で魔力を使い過ぎ、動作が鈍い。
グリフェはゆっくりと滑空して、ゴーレム・ボジョビークの背面の腰周辺に舞い下りた。
「なに……まさか…………」
「ビンゴォ! やっぱりあったな、呪文が……」
そこには古代ジュラダ文字で『EMETH』と書かれた羊皮紙が埋め込まれていた。『EMETH』とは、〈真理〉の意味である。グリフェは右手を鷲の鉤爪に変形させて、『E』の文字を引き裂いた。『METH』とは〈死んだ〉という意味である。これはゴーレムが暴走した場合を想定して、必ず埋め込むことが決められている緊急停止用呪文である。一字が消されただけだ、なのに、ゴーレムは時間が止まったように動かなくなり、徐々に元の粘土塊に崩壊していった。
「おのれ……グリフェ……貴様だけは……必ずこの私が仕留めてやる!」
ルパート・エッガー大佐は大量の粘土塊に埋もれながら落下していった。グリフェはその上を旋回し、アンドレアが連れ去られた軍用馬車を追いかけて飛んで行った。旧市街地大通りの先にあるプラグセン橋。そこを渡ればギャリオッツ駐留軍の駐屯所がある新市街地である。そこに行かれたらアウトだ……