魔爪のグリフェ
そう、声をかけてきたのは細面でエラの張った神経質そうな三十代半ばの男だ。片眼鏡をしている。その傍らに、出っ歯で小狡そうな小男がいる。噂をすれば影、だ。剣呑な雰囲気を感じた他の食堂の客たちが、勘定を払って足早に去る。
「駐留軍の秘密警察……そんな……裏町でまいたはずなのに……」
ミランが驚いて表情をこわばらせる。ユルコヴァー邸は密かに監視されていて、馬車で旧市街地の買い物に出たおりに、知り合いの店の裏口から、迷路のような裏町を駆け抜けて尾行をまいてきたのだ。
「旦那ぁ……あっしの情報網は確かでがしょ?」
「うむ、ご苦労だった……」
モジモジする小男に、片眼鏡の男は懐から皮袋を取り出して放り投げる。小男は中身を確かめた。彼はミアーチェ暗黒街の情報屋ボジェクという。秘密警察が逃した標的を、あっという間に探し求めた。
「こりゃ、本物のギャリオッツ銀貨だ! ……へへへへ……毎度ありぃぃぃ」
「おのれ、非国民! 売国奴!」
アンドレアの憤りをよそに、情報屋ボジェクは飛猿の素早さで消え去った。片眼鏡男は人の良さそうなほほえみを浮かべた。
「私はルパート・エッガー大佐と申します。ドラッケン中将の使いとして参りました……さあ、参りましょう」
「妾は帝国の吸血鬼の元になぞ、行かぬ!」
昂然と胸をはって答えるアンドレア。その前にミランが盾となるように前に立つ。
「お引き取り願います、ルパート・エッガー大佐!」
美少女アンドレアの前に、突然若い男が出現して、大佐と黒服の男達は「いつの間に現れた?」と、驚いた様子だ。
「おやおや……なにか誤解を招いたようですなあ……ギャリオッツの貴族には〈不死者〉……〈吸血鬼〉がいるなどと。それは帝国を誹謗中傷する反対派の出したデマですよ……吸血鬼など、御伽話にしか出てこない架空の存在です」
にこやかな笑顔で、自信たっぷりに、理路整然と諭すルパート・エッガー大佐に、アンドレアとミランは本当なのか? と、一瞬、信じ込みたくなる。
「片眼鏡のおっさん……あいにくだが、俺は御伽話の吸血鬼や化け物を退治するのが稼業でしてねえ……」
笑顔を引きつらせたルパートが、「こちらの紳士は?」と、アンドレアに尋ねる。
「俺はモンスター・スレイヤーのグリフェ……グリフェ・ガルツァバルデスだ。こっちは……」
「助手兼相棒のタートル・ピッグでさあ……大佐殿」
カンカン帽をとって、慇懃無礼に挨拶するタートル。
「ふん、下賎な輩か……部外者は立ち去ってもらおう……」
「部外者はそっちだろ、片眼鏡のおっさん!」
「……身分の高い者への、口のきき方を教えてやろう……」
頬をひきつらせ、左右の黒服に、アゴで合図するルパート大佐。二人の黒服男は大佐より首ひとつ高い身長で、分厚い筋肉の鎧で覆われている。右の巨漢がグリフェの右腕をつかもうと前にでる。
「ぐおおおっ!」
黒服の巨体が宙に浮き、一回転して隣のテーブルにひっくり返ったのだ。テーブルは大男の体重と衝撃に耐えきれず、脚が四散して潰れる。食堂の厨房から悲鳴があがる。給仕とコックたちも逃げ出した。
瞬転の技で見えなかったが、グリフェは黒服の右腕を逆手に取り、急所を押さえ、コテの原理を応用した、東域の格闘術の技で投げ飛ばしたのだ。
間髪入れず、左の巨漢がショルダーホルスターから拳銃を取り出す。が、銃身がバラバラの五つの短い円筒になって落下。グリフェを見れば、右手の爪が異様に長くなっている。いや、良く見れば皮手袋の指先には、猛禽の鉤爪のような刃物が装着されている。刃渡り20㎝もある小刀だ。
「出たっ! グリフェのお家芸『六賊爪』!」
タートル・ピッグがやんやと喝采。〈六賊爪〉とは、東域中原国の盗賊捕吏長官で、名高い武芸者が使ったという伝説の暗器武具だ。六賊とは、盗賊・山賊・海賊・野盗・草族・匪賊をさす。ただ、殺傷するだけでなく、武器や人体を輪切りにしたという伝説がある。グリフェはその名人技の継承者でもあった。そこから、グリフェは『魔爪のグリフェ』という二つ名を持つ。
「俺を下賎な輩とか抜かしたな、片眼鏡……だがよ、女衒の真似をして、上司のご機嫌取りをするオッサンも十分に下賎な輩じゃあ、ねえのかい?」