四万石
御屋形様→幕府から屋形号の免状を貰っている檜山安東家当主。
御館様→当主。殿と同じ。
館主→渡島十二館のそれぞれの主。城主と同じ。
なお、城主は子に継がれるのに対して城代は基本的に一代限りであり、当主が任命権を持つ。
本作ではこのように定義します。
「言うたな青臭い小童がァ!」
怒気を多分に含んだ声音でがなりつけ、ヌッと立ち上がる親父。その口元は髭で隠れてよく見えないが、やはりニヤリと口角を上げているのが察せられる……どうやら承知の上だったか。
「応ヨ! 蝦夷に住まう民の安寧、五十をとうに過ぎた老いぼれに任せられるものに非ず!」
すっくと立ち上がり負けじと声を張り上げる。戦の前に舌戦は付き物である。これは軍を率いた戦であっても、大将同士の一騎打ちであっても変わるところはない。
親父の方は堪え切れなくなったか喜色を見せたが、すぐにまじめくさった顔に戻った。
「そこまで言うならその武とやら、見せてみぃ!」
ここからは汚い言葉の応酬を続けながらドスドスと音を立てて歩きつつ、途中で各々使う刀を手に取り表へ歩を進める。館の中はもちろんのこと、外にまで舌戦は響き渡っており、俺達が表についたときには既に多くの見物人が娯楽が出来たと喜び勇んで集まっていた。
これはやりにくいことこの上ないな……見物人はひいきにしている商人を含め、武家、領民の全てが親父の支配化にあるのだから敵中に孤立したも同然である。無論彼らが手出ししてくる訳はないと思うのだが、完全なアウェイでは精神的な圧迫感に締め付けられるようだ。
様子を見に来た小姓が、俺達が刀だけ持っているのをみたのであろう。大慌てで二人分の防具を持ってきたのでそれを身にまとっていく。俺の手伝いは城下の騒ぎを聞きつけて来た広益がしてくれたので、脇辺りでとめている紐を確認するようにして小声で話しかける。
「俺が死ぬようなことになればその時は広益、お前は親父の下へ――」
広益の父は親父の直臣であったが、戦死して久しい。長門家の跡を継いだ広益は俺に寄騎として預けられているが、本来の主である親父にすぐさま降れば許されるであろう……そう言おうとしたのだが。
「この戦、負けは無いと確信しておりますれば」
と、それ以上言うなと押しとめられてしまった。ならば、部下の為にも格好良いところを見せねばならぬな。
さて、勝てばよいのだが勝てるか分からぬ。親の情けで負けてくれたりはしないだろうか。
「小童ァ! 討たれる覚悟はよいか!」
鎧を着終わった親父が自前の青竜刀をズンと振り下ろすのが見えた、否。見えてしまったのだ、アイヌ人の血を幾度も吸った幅広の刃を。
中国から渡ったという青竜刀は片手で振るう片刃の曲がり刀であるが、刀身が先へいくにつれ分厚くなっている分、先端の重みが増している。この重量を利用して親父の高身長から振り下ろされる刃の速さは並じゃあないのだ。もう分かると思うが、この斬撃を受けたなら鎧の上からであっても手ひどい怪我を負うのは間違いない。
「年寄りに心配される筋合いはないわ! 老体が恥をさらす前に降参してはいかがか!」
ここで、やはり今日のところはやめておきますとも言えないのが辛いところだ。
自分の腰元に視線を落とせば、提げられたアイヌ(蝦夷)刀が目に入る。懇意にしているアイヌの族長から譲られたこの刀の名をイペタムと言い、鮮やかでどこか惹きつけられるような拵えの刀であり、柄の上部に青玉をはめ込まれているのが特徴だが、その中身は日本刀そのものである。本州から買い取った日本刀に独特の装飾を施したものをアイヌ刀と呼んでいるだけのことだが、この刀には逸話がある。
族長の先祖の話らしいが、あるとき当時の族長の家に盗人が入り込み、それに気付いた族長が刀を抜いて振りかぶったところ、日頃の手入れ不足によるものか緩んでいた刀身がすっぽぬけて盗人の首に突き刺さったという。騒ぎを聞いて起きてきた隣人が遠巻きにそれを見ていたために、晴れて妖刀・イペタム(人喰い刀)と呼ばれるようになったのだとか。もちろん俺はたまに手入れをしているから今日はその妖力を発揮することはかなわないであろう。
俺が今日、この刀を使おうと決めたのには相応の理由がある。第一に押し斬るスタイルの青竜刀に比べ、軽くて速さに秀でること。切れ味も抜群であり、上手く小手に決まれば親父は重い青竜刀を取り落として最小限の怪我だけで決着となるだろう。
第二に勝つことが前提で考えるなら、アイヌの族長から譲られた刀で親父を降したとなればアイヌ諸部族に対し、新しい蠣崎家当主が親アイヌの立場でいることのなによりの証明となるのは間違いない。
「若、滑り止めを」
広益から砂を手に盛られて擦り付けられる。両手に馴染んでいるのを感じてから刀を抜き放ち正眼に構える。良く出来た家臣だな、緊張から手汗をかいていたせいで刀身どころか柄も含めて、手からすっぽ抜ける可能性はあったかも知れぬ。
全てが整い、親父の小姓と広益が下がっていく。
「いつでもよいぞ、かかってまいれ!」
「応ッ!」
自信に満ちた表情の親父の声で、戦の開始が告げられた。その自信満々の顔をまずは崩す!
先手必勝とばかりに一息に間合いを詰めて、ふんっと一振り。否、刀はそのままに左手に握りこんだ砂を顔に目掛けて放ったが、親父はとっさに右目を瞑り左目のみでしっかりこちらを見ていた。
「ぬっ、浅知恵よのう!」
言うが早いか、青竜刀を構える右手を振り上げて大きく一歩踏み出している。これは縦に真っ二つコース!! 互いに間合いを詰めたために急接近していたところを左前方に飛び込むようにして危うくも避けきった。
初手の奇策は敗れ、親父の左目をつぶすに留まった。いまは無傷の右目で俺を睨み付けている。
そこからの数合を、俺は刀を振る余裕もなく避けるのに精一杯になっていた。自分で自分の動きの違和感に気付けたのは僥倖だった。当初の斬り倒すという意志が、相手の気に当てられたせいか、斬られまいとする逃げ腰の意志に変わっていたのだ。
そこからは勝負を決める一手を見定めるように、じっくりと冷静に互いの動きを把握できた。避けるべきは避け、流すべきは流す。親父の青竜刀の加速は凄まじいものがあるが、突きには向かない。そのため振りかぶる動作が必ず入る。この予備動作にすぐさま対応できればこちらの負けはない!
この位置ならいけるッ!
青竜刀を最小限に避けたところで返しの一太刀を入れしようとしたが、その前に強烈な蹴りがわき腹に突き刺さる。刀の動きばかりに注意がいきすぎていた俺が馬鹿だった。戦慣れした親父にとっては俺の考えも反撃の動きも予想の範疇だったらしい。
片膝をついた俺は、更にもう一度蹴りを入れられて無様に倒れる。
親父が青竜刀を振り上げた。
視線が交差する。
「こんなもので終わりなのか?」 と問いかける目をしていた。
息も絶え絶えの俺であるが、ここで素直に斬られる訳にはいかぬ! この脳筋親父なら俺を本当に斬り捨て、見物人に混じっている俺の従兄弟(基広)を養子・跡継ぎにしかねない!
人生で最も深く息を吸い込んだのはこの時であろう。目一杯まで吸った俺は
「お、お待ちくだされ父上! この季広が間違うておりました! 蠣崎一の武辺者は父上にござりますッ、なればっ……」
大声で間を置かずここまで言い切った。突然みっともない命乞いを始めた俺に、嫌でも注目は集まる。
親父も苦々しげな顔に変わっていく。
「なれば、なんだというのだ」
「やはりお家はこの季広に任せ、父上には最前線にて戦って頂きたく」
静かに言い切ると俺の後ろの見物人からどよめきがあがる。負けておいて何様だ、と。
親父の後ろの見物人たちからは、また違うざわめきが広がっていたが。
俺の場にそぐわぬ発言と、見物人のざわめきに困惑した親父が首を曲げてチラと背後を見ると……。
「義広様お討ち死にに御座いますな」
と、広益が親父の首に抜き身の刀を突きつけていた。
蠣崎家が伝家の宝刀、和議からの謀殺である。
「……参った」
親父の声はぼそりとしたものだったが、不思議とそれでも、見ていたもの全てにはっきりと伝わった。
歴史ジャンル日間三位……!!
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