三万石
「親父、今後のうちの方針を聞かせてくれよ」
現在徳山館にて、父と子二人きりでの話し合いの席をつくってもらったところである。
「季広、おまえもようやく御家のことに目を向けるようになったか? 今までこたつにうつつを抜かしてばかりであったお前がなぁ」
父の顔はいま、おそらくは微笑みでも浮かび、息子の成長を喜んでいるのだろう。
あ、俺のこたつ熱は家中でも異常と思われていたのは事実としても、日々の鍛錬を怠るような真似はしていなかったと断言しておこう。暖をとるにも銭がかかるので身体を動かして暖まるのは奨励されていたし、俺も実践していたのだから。
「こたつに惹かれてたってのは否定しねぇが……それは親父も家中の者達も同じでしょうよ」
「ガハハ、左様であったな。それほどこたつは良いものという証左じゃ」
苦笑交じりに返した俺に、親父は豪快に笑う。
寒冷地に代々住んでいると毛深くなるのだろうか? このあたりの領民もみな記憶の中の日本人より毛が濃い気がするし、うちのじい様は特に凄くてアイヌ人かと思うほどだ。親父と俺は比較的薄い方であるが、そのせいか寒さにとことん弱い。
そして俺と同様に寒さに弱い親父は、俺が作ったこたつを大層気に入ってくれたのである。ちなみに現在もおやじの部屋で特大サイズのこたつにすっぽり入り込んで天井を眺めているために、互いの顔は見えていない。
「して、今後の話であったな。機があらば更に館を攻め取るも良しであるが、西部全体を領する当家と中部を領する下国、その補佐役で東部の河野の一党では戦力差がさほど無い以上、こちらからは攻め難いな。諸豪族はこれ以上我らが大きくなるのを恐れて、いざ事が起きれば下国に付くであろう。アイヌ衆もここ数年は戦もしておらなんだし、そろそろ血の気の多い者が出てくるやもしれぬからそちらに戦力を集中すべきかと思うておる」
その上で、と親父が続ける。
「もしアイヌを味方につけられるとすれば、渡島十二館は我らが手に落ちような。その後は安東の怒りの矛先をそらしつつ、アイヌには交易で便を図ってやるなりしておれば戦も起きぬであろうし、当家は安泰であろう。あとは天下が定まり戦乱の終わるのをこの地で待つのみよ。わしの代でここまでやれれば良いのだがな」
うん、こういう人なのだ親父は。隠居したじいさまもそうであったな。
いま聞いた話は俺がやりたいと思っていたことと当初は同じ方向であり、渡島半島沿岸部を統一して御家を、ひいては家族・家臣・領民を守ろうという気持ちが伝わってくる。
が、渡島統一後の南進の話が一切でてこないのである。この考え方の違いは前世の記憶の有る無しによって生じるのだろうか? だとすればどうすれば家中を説得できるのであろうか。もし説得できないなら……。やはりアイヌとの緊張が高まりつつある今やらねば、次の機会が何年後か分からぬ!
真面目に話さねばなるまい。こたつから身体を抜いて正面を向いて姿勢を正し、口を開く。
「父上、その後はどうするのです? 蝦夷を治めアイヌと上手く交易し、口出しするばかりの安東家に馬鹿高い上納金を納め続けるのですか?」
まずはジャブからだ。安東傘下にいることにムカついていますと伝える。
親父はさっそくいらだちを抑えない声で反論する。
「尋季様(当代の安東家当主)には、徳山館を得た折に松前守護に任じていただいた恩もあろうが」
「左様な昔の話をされても覚えておりませぬし、まだ私が元服する以前の話ではないですか。松前守護についても我らの徴収した運上金の半分以上を、未来永劫かっさらっていくのと引き換えに認めただけのことでございましょう。それを恩などとは呼べますまい」
「っ……口ばかり達者になりおって」
うちの家系、武闘派なもんだからそんなに口は上手くないんだよな。親父がアイヌの将を謀略で討った話もあったが、あれも弓矢という暴力で仕留めただけだし。
うちで謀略らしいことをしたのはじいさんが宴会でアイヌの将を毒殺したって噂くらいしか聞いたこと無いからみんな脳筋なんだろうね。でもここで俺が調子に乗ると意固地になるだろうし、その場で暴力で黙らされる気もする。方針変更だな。
「それも褒め言葉と思い、喜んでおきます。では前々から伝えていた、暖かく米の取れる地への移住はどうです? 場合によっては対岸の北陸奥(青森県)を少しばかり切り取ってそちらに居を構えるのもよいのでは? それくらいなら御屋形様とていきなり矛を向けてきたりはしないでしょう?」
不審感は急上昇するでしょうけど、とは言わないでおく。
すると今度は困惑の声が返ってきた。
「ううむ、お前の気持ちは分からんでもないのだぞ? 米が食えるようになればみなが喜ぶのは分かる。暖かい地なら住み心地がよいのもまた分かる。なにせ、わしが童の頃はここより北の花沢館で育ったのだからな。だがな、渡島を統一すれば交易の規模も大きくなるであろうから米も今よりは手に入ろう、こたつのお陰で暮らしもまた楽になっておるではないか。にも関わらず、お前がなにゆえそれ程に海の向こうに執着するのか、それが分からぬ」
やはり……父やこの地に生まれ育った者には分からないのか、と諦めに似た気持ちが湧いてしまう。この海の向こうには暖かな土地と米だけではない、未知のモノが沢山あるはずなのだ。
蝦夷に生まれたと気付いてしばらくたった頃、道産子に乗りたいとわがままを言ってみたことがある。誰もその名を知らなかったし、蝦夷に馬はいないと言われて大層おどろいたものだ。もちろん、牧場だってないからキャラメル大名になることも諦めた。
「父上……俺は……」
改めて背筋を伸ばすと、親父もこちらを向いて座ってくれた。
俺を見るその目は既に真剣であり、答えを間違えれば嫡男といえど斬られるのではと恐れるほどだ。
この上、まだ諦めろというのか? ポテチとキャラメルを諦めた俺にとっての希望は海の向こうにある、まだ見ぬなにかであるはずなのだ。
東北に行けばずんだ餅が食えるやもしれぬ、それこそ京にでも行けば胸が躍るなにかが沢山あるはずだし、この世界に生まれてよかったと思えるはずだ。沖縄まで行けたら雪もないだろうし楽園に思えるかもしれないな。
それを……諦められる訳がないだろう。自分勝手な想いだが、この地に生まれた親父や、広益たち家臣連中、寒さに震えて日々を生きながらえることに精一杯になっている蝦夷の民にも、夢を見せてやりたいのだ。
それに、広益にすら言えないと思いひたすらに隠してきたことだが、俺には前世の知識がある。この世界で使える知識など思い出せなかったし自分に必要と思ったこたつくらいしか作れていないが、人並みの史実の知識ならある。
織田信長はもう生まれているのだろうか? いつ生まれるのかも知らないし、今年が西暦何年かも分からない。よって現在が史実でいうところのどの辺りかも分かっていない状況だ。今川家が健在なのは出入りの商人を通じて確認できたので、桶狭間のイベントはまだ発生していないはずだが。
俺の最大の懸念は、徳川幕府にある。史実の俺こと蠣崎季広が何を成したのかは知らないが、西暦でいうところの一六〇〇年頃に天下は徳川家によって統一され、程なくして恐るべき参勤交代も始まるはずだが、それまでにどれだけの猶予があるのか……。
蝦夷から江戸まで何キロあるのか知らないが、行列を作って歩いていくなど無謀すぎるとは思う。多分、脱落者もでるし出費がかさんで領内で餓死者も大量に出る気がするのだ。そうなる前に少しでも蠣崎家の支配域を江戸に近づけておかねばなるまい。
しかし、こんなことは伝えようのないことであるし、親父に夢だなんだの甘い言葉が通用する訳がない。
なれば、結局のところ……
「父上も先代様も、武によってお家を大きくしたのでしたな……」
親父はなにも言わず小さく頷いて見せた。
「武により万難を排し、武により民を安んじるが蠣崎の御家柄……父上、心は決まりましたぞ!」
「言うてみよ」
睨みつけた俺の言葉を聞き、口ひげをこしらえた親父の口角が少しばかり上がるのが、ちらと見えた気がする。
「我が武をもって、蠣崎のお家を頂戴仕るっ!!」
欲しければ、奪い取るのみ。