三十一万石
側室の産んだ長女きり、正室の産んだ次女しずく、それぞれ八歳と七歳である。母親の身分からしずくが下国師季に嫁ぐことに、きりは南条広継に嫁ぐことに決まっている。
これくらいの歳で相手が決まっていることは、この時代であればそう珍しいことでもない。俺の場合なんて、俺が六歳でおゆきが三歳の時には光広じいさんが勝手に決めていたしな。完全なる政略結婚だった訳だが、我が家の夫婦関係は至って良好であるから政略結婚だから不幸って決め付けはよくないな。
家臣の家に嫁ぐきりは、婚約の公表をするだけなのでまだしばらくは家に居られる。対するしずくは蠣崎家から下国家への人質という側面が強く、下国師季が元服し正式に下国家当主となったいま、すぐにでも婚礼の儀が執り行われてあちらで暮らすことになる。
当主の間の上座に座するのは当主信広、その対面に座るのが愛しい娘しずく。周囲で見守るのは俺も含めた一門衆。
「師季殿とは文を交わしているが、しずくと会うのを楽しみにしていると書いてあった。家を離れるのは辛かろうが、なに心配することはないのだ。師季殿をそばで支えてやっておくれ」
「あい。ちちうえもははうえも、また会えますよね……?」
振り返って涙目でこちらを向いたしずくを見て、胸が痛んだ。俺がヘマをしなければこんなに早急に嫁に出さずとも良かったのに。俺は子供達に尻拭いをさせているのだ。飛びついてきたしずくは、疲れて眠るまで泣き続けた。
明けて今日。下国家からの迎え役が到着し、酒で歓迎しつつたっぷりと待たせてもったいつけてから輿に乗るしずくが登場。挨拶を交わして迎え役の先導で茂別館へと行列を作って進むのだが。
この行列、尋常な数では無い。
信広に言いつけて各館の常備兵から相当数を引き抜いた上、輿入れを盛り上げるために城下に金をばら撒いて賑やかしを大量に集めた。同盟関係にあるハシタイン族長、従属したオタウシ族長らの兵もいる。
その行列の数なんと一千五百余。各々が腰兵糧ならぬ腰干し肉・腰干し鮭をぶら提げて歩く。兵達は秩序だって、賑やかし共は列を崩して歌って踊って着いて来る。荘厳な雰囲気とはとても言えないが、それでもしずくが輿の中で一人不安がることが無いようにしてやりたいと思ったのだ。
不甲斐ない父の、せめてもの罪滅ぼしだった。
道中で更に友好関係にあるチコモタイン族長の兵が加わり、通りすがりの館では俺の親友であり信広の下で家老として働く長門広益と下国家からの迎え役が、集まった豪族達からの祝辞を受ける。そして二人が行列に戻ったところで俺の出番だ。
「久しいのう。よもやわしの顔を忘れたとは言うまいな?」
「これはっ、季広様。ご息女の輿入れ、誠におめでとう御座いまする」
「うむ、祝言ありがたく頂戴いたした。して、蠣崎家と下国家が繋がるということの意味が分からぬそなたらではあるまいな」
真剣な表情で視線を交わした。
「……すぐに出立し、見送り行列に加わりまする。信広様には後日必ず使者を送りましょう」
渡島半島のツートップが手を結ぶ。それは残る豪族らにとっては死活問題。今までは各々が自治していた小さな所領を守るために、ツートップが争えば日和見を決め込むという選択肢もあった。今後はどちらかの下に付いてしっかりと後ろ盾を得なければ、双方から食われるは必定。つまりはそういう事である。
茂別館に到着する頃には行列は更に伸びた。異常な程の見送り行列を見た民が、この婚礼の蝦夷に与える影響まで考えたかは分からぬが、それでも重大なことが起きていることは理解できよう。豪族と豪族に率いられた兵達と、数百の民が行列の終着点を見ようと仕事を早々に切り上げて列に加わったのだ。
二千に達しようかというほどの人の波が、茂別館に流れ込んだ。今まで不景気に悩まされていた婿殿だったが、お祭り気分で財布の紐がゆるんだ客をこれだけ連れてきたのだから、一時的にでも経済は回るだろう。
後はそちらの腕次第よ。早いところ取引所の監視を始めてアイヌ人達を呼び戻すべきだと思うがな。
行列の異常さに比べ、式自体は幼い二人を慮ってか、かなり簡略化されたものとなった。おめかしした二人が上座に座り、朱塗りの杯で酒を酌み交わす。もちろん二人共、杯に口を添えるだけだった。婿殿が八歳にしてアル中だったら頭引っ叩いて止めていたところである。
その後は床入りの儀……させる訳が無いだろう。
婚礼は、見送り大将の広益の言葉で締めくくられる。
「此度の結婚の儀、誠に御目出度く。これを以って両家の繁栄、ますます揺るぎなきこととなりましょう。まこと祝着至極に存じまする」