二十九万石
「類を見ないほどの鮮度……」
座衆のだれかが呟いた。
まず動いたのは食料品組合トップであり座長を務める田元屋だった。その立場ゆえの責任感からか興味本位からか身を乗り出した。
すかさず牡蠣山から一杯を取り出して先程と同様の手順で蓋を開けて貝柱を切る。あとは食すだけというところで、田元屋に差し出した。
周囲の視線が牡蠣と田元屋に集まり、引くに引けなくなった彼は牡蠣を受け取り、不安と期待がないまぜになった目で俺を見た。
確固たる自信を持ち力強く頷いてやると、一瞬の内に覚悟を決めたか殻を両手で捧げるように持ち直し、口に近づけるや目を固くつぶってちゅるりと一口。
おそるおそる一噛み、二噛み。のどがごくりと鳴って牡蠣を飲み干すと、大きく眼を見開いて――
「旨い!!」
それからは押し寄せる波の如く次は私が、と包囲してくる座衆たちを相手に、俺と予備のナイフを持たせたアクの二人で切って渡しの大立ち回り。
程なくして少なくとも全員が一杯ずつは食えたところでざるが空になったが、まだまだあるぞとアクを走らせ追加のざるを持ってこさせる。興がのった田元屋の旦那が酒を用意させて宴が始まり、酒屋の旦那もここが男の見せ所とでも思うたか、景気よく奢りだと声をあげて若い衆を店に走らせ、持って帰ってきた酒を豪気に振る舞った。
酔っ払うと調子に乗る者が出るのは世の常で、牡蠣に酒を垂らしてみてはごくり、台所から拝借してきた塩を振りかけてみてはごくり、勝手に庭の木からもいだ何かの実を割りぎゅっと絞りかけてごくりと言った有様。
その度に旨い旨いと騒ぐものだから、次第に周りの者も真似を始める。そしてやはり旨いと言って更に酒をあおった。
各々が十杯近くも牡蠣を食べるほどの盛り上がりを見せ、昼ごろ始まったこの宴が終わったのは日もとっくに暮れて辺りが闇に包まれてから大分経ってのこと。夕飯の時間になってもなかなか帰ってこない旦那を心配した身内たちが使いの者を寄越し始め、しかし使いの者もまあまあ一杯どうだと目上の旦那衆に言われては断りきれずにやれ一杯、追っかけ二杯と食わされ飲まされ自分の来た理由も忘れて宴に加わった。
誰も帰って来ない状況に、これはただ事ではないと嫁に跡継ぎ、番頭らがこぞって寄合所に訪れ、呑気に騒いでいるのを見つけると各所に大きな雷がいくつも落ち、自然の猛威には抗えぬとばかりに解散と相成ったのである。
宿に戻って一眠り、日が出た頃に朝食をとっていると田元屋からの使いが来て、昨日は細かな話を詰められなかったのでもう一度寄合所に来てくれと言う。
「昨日は本当にありがとうございました。みっともない姿をお見せして申し訳なかった」
そんなような事をすれ違う座衆たちから口々に言われたが、各々が持ち寄ったものでたっぷり楽しんだのだし、私も酔っ払って羽目を外したのでお互い様ですと返しておいた。
昨日の部屋に再び全員が揃うと、田元屋もみなと同じように感謝と謝罪を述べてきた。その後は商談の詰めに入ったのだが、やはり田元屋が気になるのは生牡蠣のことのようで。
田元屋がそういえば腹を下しませんでしたと言えば座衆たちが私もですと口を揃えたことで、南渡島会社の牡蠣は鮮度が違う! と全会一致の(誤った)結論を出した。
「あの牡蠣の値は如何程でございましょうか?」
「今までの牡蠣の五倍の値とさせていただきます」
さも当然の如くそう答えてやると、全員の目が点になってしまった。
「そんなご無体な?! なにゆえそのような値になるのです!!」
よくぞ聞いてくれた田元屋よ! 用意しておいた口上が火を噴くぜっ。
「牡蠣は鮮度が命!! 厚岸から十三湊まで昼夜を問わず舟を全力で走らせましたるは二日ばかり。その間漕ぎ手が潰れては変え潰れては変え、都合五組の漕ぎ手を用意してようやく成った鮮度にございますれば、五倍の値で売ってぎりぎり漕ぎ手の給金を払って利益が出るので御座います」
「厚岸からたった二日で……」
こちらが正当な権利を主張をするが如く言い放てば、彼らに反論の余地などない。厚岸からこちらまで二日で渡るなどという馬鹿げた話は過去にないだろうし、生食用の牡蠣というのも前代未聞なのだから相場というものが存在しない。
彼らは生食用牡蠣が欲しければ、こちらの言い値に黙って頷く他ないのである。
結局既に昨日の時点で取引をすることが可決されていた二品に加えて、生食用牡蠣と内腑(牡蠣の内の腑(貝柱)を切る道具)の取引も可決されて二日がかりの商談が終わったのだった。
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??「家に帰るまでが商談です」




